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雲取山 12年ぶりのテント泊 そして……

 古希を一か月後にひかえた老体で、テントやシュラフ等々を詰め込んだ、総重量10Kgを越える大型ザックを背負い、二日間で22Kmの登山道を何事もなく歩ききれるだろうかと、当初は不安を募らせたが、予想外の好天に恵まれ、何とも心躍る山行を堪能することができた。ただ、最後の最後で思わぬ事故を起こしてしまい、己の甘さを戒めるとともに、仲間二人には多大な迷惑をかけてしまったことを深く反省している。

 二日前の天気予報では、九月十三日(金)、十四日(土)共に“午後より雨”だった。ところが初日の夕方に三時間ほど降られたものの、翌日は早朝より雲一つない青空が広がった。
 十数年ぶりになるテント泊の行き先は、東京都最高峰の雲取山(2017m)にある【雲取山荘】。ここへは過去に二度ほど行ったことがあるが、深い森と石尾根の織りなす山岳美は飽くことがないほど素晴らしい。
 今回の山行は珍しくソロではなく、山友のHさん、そしてモト・ギャルソン現役スタッフであるTくんとの三名パーティー。二人はともに三十代の若さなので、ペースメーカーは最年長の私にやらせてもらった。
 雲取山荘までは大定番である“鴨沢コース”を使った。初日は丹波山村村営駐車場~七ツ石小屋~奥多摩小屋跡~小雲取山~雲取山~雲取山荘。二日目は山荘から巻き道を使って石尾根~ブナ坂~堂所と長く単調な山道をひたすら下っていく。

「おはようございます」
 Hさんを三鷹駅で拾った後は青梅街道を西へとまっしぐら。村営駐車場へは八時十五分に到着。先に着いていたTくんが支度を終えた姿を現した。準備が整い出発したのは八時三十五分だ。
 雲取山までの道のりに危険個所はほとんどないが、とにかく距離がある。特に七ツ石小屋まではダラダラと緩い上りが続き、意外や負担が大きい。今回はおしゃべりしながらの道中なので休憩ポイントの堂所まではあっという間だったが、一人だったらその距離がとてつもなく重く感じるはずだ。途中、蛇が出たり、大きな蛙が飛び跳ねたりと話題には事欠かなかった。それと登山道のいたるところにキノコが自生していて、Tくんはよほど好きなのか、その都度iPhoneを向けていた。
「白いのは毒っぽいのが多いんですよ」
 意外や知っている。

 もう少しで七ツ石小屋到着というところから徐々に傾斜がきつくなる。小屋の一部が前方右上に見えてきたのに脚が重く思うように歩が進まない。
「いやぁ~~疲れた、ここで食事にしよう」
 テント場まで進むと、細長い板で作られたベンチがぐるりと設置されている。以前は無かったものだ。先ずは冷たい水で渇きをいやし、空になった水筒へ補給。木陰を選んで腰をかけ、おにぎりとパンにかぶりつく。雲が張り出し空模様がやや怪しくなってきたが、その分涼しくて気持ちがいい。一息付けたとき、あまりにも大量に汗をかいていることに気がついた。下着のパンツまでびしょびしょになり、立ち上がるとベンチがお尻の形に濡れる。さらに首にかけたタオルを絞ってみたら、タラァ~~と汗が滴り落ちた。予測より気温が高いこともあるが、やはり久々の重いザックに体が悲鳴を上げているのだ。

 ブナ坂から石尾根へ出ると、防火帯に沿って伸びる登山道は開放感抜群。残念ながら富士山は望めなかったが、奥多摩小屋跡が見えてきたとき、
「そうそう、奥多摩小屋のテント場が復活するみたいですよ」
Tくんが思い出したように放った。
 なるほど、ヘリポートの周りには何やら資材が置かれていて、テント場を囲むように養生シートが張られている。さらに驚きは、奥多摩小屋は跡形もなく、その跡地に真新しい建物と脇にはきれいなトイレが立っているではないか。近づくと説明看板があり、それによれば来月に開業する旨が記載されている。ここはロケーションが素晴らしく、特に夏の夕方以降には、富士山へ弾丸登山する人たちが頭につけるヘッドライトの光が数珠のように連なって見えるのだ。

 小雲取山からは一気に雲取山頂上を目指した。
「避難小屋が見えた!」
 頂上は避難小屋のすぐ隣である。疲れているはずなのに、ラストスパートではないがピッチが上がった。そして頂上のやけに立派な石碑を囲んで記念撮影。
「やったね。あとは小屋まで下るだけだ」
 頂上は雲に覆われ展望は殆ど効かない。頂上に立つのはこれで二度目だが、いずれも同じ状況。相性が悪いのかもしれない。
 記念撮影が終わると早々に頂上を後にした。標高差400mを一気に下る坂は緊張を強いられる。疲れた体に鞭を入れ、まだかまだかと下っていくと、ついに山荘が見えてきた。
「もうちょいだから気をつけていこう」
 十五時。無事に雲取山荘へ降り立ち、三人握手を交わす。
「テント張ったらビールで乾杯しよう」
「いいっすね~!」
 小屋の受付でテント設営代(@千五百円)を払い、テント場へ向かうと一番手前の一等地が空いていた
。さっそく各自作業に取り掛かる。それぞれのテントは、私がアライのライペン、HさんはMSR、そしてTくんはモンベル。テントの設営が初めてのTくんは、何やら取説書らしきものを開いている。
 水場の脇のテーブルに陣取って、待ってましたの乾杯。染み入るとはまさにこのこと。あまりの旨さにうっとりするが、疲れた体にはアルコールがよく回り、すぐに酔いが回ってきた。
「あれ、雨か、降ってきたみたい」
 これからだというところで、ついに雨ふりが始まった。
「ほら、あそこの軒下へ移ろう」
 雲取山荘には軒がうまい具合に張り出ていて、その下にはおあつらえのベンチがある。横殴りの雨でもない限りここで休憩や食事ができるのだ。
「もう一本飲んじゃおうかな~」
 Hさん、ピッチが速い。山荘の売店では冷えた350mlが五百円。そんな私も持参したウィスキーが止まらない。魚肉ソーセージ、カレーメシ、そしてHさんお手製のチゲ風肉野菜煮込みがアルコールをこの上なく美味しくさせるのだ。
 ほろ酔い加減で腕時計を見るとちょうど十九時。
「この辺でお開きにしよう」
「は~い」
 シュラフに潜り込むと、いったんやんだ雨が再び降り出した。さらに気温が下がるのではと心配したが、意外や暖かな夜になり、久々のテント泊にもかかわらずなんとか寝入ることができた。

 翌朝は五時半に起床。テントから抜け出しトイレに向かうと、すぐに他の二人もやってきた。
「おはよう。撤収が終わったら、朝飯やって下山しよう」
「了解。それにしてもきれいな朝焼けですね」
「もうすぐ日の出だ」
 ふと見上げれば、朝焼けの空には雲一つない。二人はすでにiPhoneを構えて太陽を待っている。
「わー、昇り始めた」
 自然が作り出すオレンジ色のなんと美しいこと。シンプル極まる天空ショーだが、とにかく感動ものだ。
「ほんと、来た甲斐がありましたね」
「これもテン泊ならではだよ」
 見る見るうちに空は明るさを増し、突き抜けるような青に取って代わっていく。
 朝食はキノコのスープパスタとパン。それとHさんが入れたドリップコーヒーと豪華。しかも早朝の澄んだ空気の中だから、おいしさも倍増だ。
 下山は、巻き道~小雲取山~石尾根~ブナ坂と最短距離で駐車場を目指す。
 
「足元びしょびしょ、ゲーターが必要ですね」
 この界隈の巻き道はどこもクマザサに覆われ、おまけにたっぷりと朝露を含んでいので、膝から下はずぶ濡れである。おまけに地面はほとんど見えないので、岩や木の根に躓かないよう十分な注意が必要だ。細かなアップダウンが続き、スタート直後ということもあって地味に疲れる。それでも三十分ほどすると尾根が見え、道標のある小雲取山の取り付けへ出た。
「うわぁ~~すごい、絶景!」

 まさに山岳美。石尾根からは富士山を中心に大菩薩や小金沢山稜がくっきりと見渡せる。自然に皆の歩は止まり、iPhone片手の撮影会が始まった。ブナ坂から先はゴールまで樹林帯歩きになるので、景色を撮影するならここが最後のチャンスになる。

 美しい日の出に圧倒的な岩尾根からの眺め。昨日の曇り空や夕刻の雨を差し引いても大満足のできる山行になりそうだ。そしてさすが人気の山系だけあって、早朝から雲取山を目指して登ってくるハイカーの多いこと。奥多摩小屋に降りてくるまでに十人近くすれ違った。
「駐車場、出られるかな」
 とは、Tくん。そんな心配が湧きたつほど次から次へとハイカーが現れるのだ。
 ブナ坂へ入ると、あとは長いが単調な山道を下っていくのみ。
「あ~温泉入りたい」
「さっぱりしたいですね~」
 この先、上りはないし難所もない。気分的にはすでに“おつかれさん”である。
 ところがだ、この緊迫感のなさが思いがけない事態を引き起こしてしまったのだ。下るにつれ山道の傾斜はさらに緩み、心身へのストレスは小さくなっていった。
 二日間の累積疲労と気の緩みがそうさせたのだろう、知らぬ知らぬうちに瞼を重くしていたのだ。歩きながらの寝落ち。左側の斜面へ足を踏み外し、体が宙を舞うまで夢の中だった。Hさんの話では、落ちた!と思ったら、回転しながら滑落していき、木の幹へ頭部をぶつけて止まったとのこと。今回の山行では先頭が私、次がHさん、そしてけつもちがTくんだった。よってこの滑落劇はHさんの目の前で起きたのだ。
 運のいいことに、右目の横をしたたかにぶつけた以外に大きなダメージはなかった。Tくんがすぐに下りてきてくれ、
「大丈夫ですか! ザックは俺が持ちますから」
「ありがとう、でもこのままいけそう…..」
 滑落地点の坂は傾斜が強く、這い上がるのは不可能と判断したTくんは、傾斜の緩いところまで誘導してくれた。おかげで自力で登山道まで戻ることができたのだ。
 これまで二十年近く山を歩いてきて、一度の事故も起こしたことがなかっただけに、いつの間にか大きな慢心ができあがり、登山に絶対タブーな油断を招き、寝落ちなどというあまりに情けない状態を作り出してしまったのだ。
 連休明けの17日(火)は、朝一で三鷹の脳神経外科を訪ね、頭部CTを含めた検査を行い、幸いなことに異常なしの診断をいただいた。
 Hさん、Tくんには様々なフォローをいただき感謝の念に堪えない。

平標山・天空の花園

 八月一日(木)。ひと月半ぶりの山歩きを楽しんできた。
 行先は天空の花園“平標山”である。
 平標山は群馬県みなかみ町と新潟県湯沢町の境に位置し標高は1983m。谷川岳~万太郎山~仙ノ倉山そして平標山と、谷川連峰の西端になり、三国街道側から容易にアクセスできるところが人気のポイントとなっている。登山口の専用駐車場は有料(六百円)だが、百五十台収容とキャパは大きくハイシーズンでも余裕がありそうだ。

 自宅を午前五時に出発。久々の関越道は流れがよく、登山口駐車場には七時四十五分に到着。見回すと平日だが私の他に十六台の駐車があった。道標がしっかりしているので登山口はすぐに見つかったが、いきなり急な階段の連続が始まり面食う。スタート早々から汗が滴り始め、タオルを首に巻き付けた。すぐあとから登ってきた若い女性ハイカーに涼しい顔でパスされると、その後ろ姿はあっという間に見えなくなってしまう。

 今回は上りが“松手山コース”、そして下山は“平元新道+林道”を使う周回コースで、平標山登山口~松手山(1613m)~平標山~平標山ノ家(山小屋)~平元新道~林道~平標山登山口となる。
 登山口から松手山までは約二時間の急登が続いたが、ずっと樹林帯の中なので、直射日光を避けられヒヤッとした空気感に包まれるのが唯一の救いだ。松手山からはちょっとだけ尾根を、“名もなき頂”の直下からは再び急登が始まる。ただ周囲は開けているので、どこからでも絶景が楽しめ、立ち休みのたびにポケットからRX100Ⅲを取り出し撮影となる。
 この稜線上にある“名もなき頂”。地図には記載がないが、円錐状のきれいな山で、どこから眺めても絵になり、頂上の前後には可憐な高山植物が咲き誇る、まさに天空の花園の中心にそびえ立つのだ。
 “名もなき頂”から平標山までは快適な稜線歩きが続き、遠く北側の山々も見渡せるようになる。絶景と花々に囲まれていると「これぞ登山!」などと思わず笑みがこぼれてきた。 

 平標山へ到着すると、山頂には意外や多くのハイカーが溢れていた。年配夫婦二組、年配女性ペア二組、単独男性と広い山頂は賑やかだ。
 ここから仙ノ倉山方面の眺めは素晴らしいのひとこと。稜線に延びる登山道にこちらへと向かて歩いて来るハイカーが小さく見え、その壮大なスケール感に圧倒される。体力さえあれば谷川岳までの長い稜線歩きにトライしたくなるほど魅力的な眺めだ。

 頂上へ到着と同時に雲が切れ強い直射日光が降りそそいできたので、ここは撮影と水分補給のみとし、早々と山小屋である平標山ノ家へ下ることにした。腹も減っていたが、やはり日陰で落ち着いて食べたかった。
 長い下りの階段からも飽くことのない景色が続く。
 
 平標山ノ家に到着してまず目に入ったのが、いかにも冷たそうに流れ出る“仙平清水”。今回の山行で反省すべきは水の準備量。事前に“てんきとくらす”で山域の気温を調べ、登山口から稜線までは24℃から18℃程度と確認、歩行距離等々を考慮しても1.5Lあれば何とか足りるだろうと判断。ところが思いがけなく前半の急登が堪え、滴る汗の分だけ補水が必要になってしまった。もし山小屋もなく仙平清水もなかったら、下山時は殆ど残量「0」となり、やもすれば脱水症状に陥り、大昔の汚点“長九郎山登山”の二の舞になるところだった。

 平標山ノ家は山小屋設備の他に避難小屋も併設しており、更にテン場もあるところから、あらゆる登山計画に対応できる機能を有してると言っていい。しかも管理が行き届いていて、設備はどこもかしこもとてもきれいなのだ。
 三十分近く避難小屋におじゃまして食事休憩をとり、ずいぶんと疲れが取れた。

 平元新道は殆どが手の入った木の階段になっていてとても歩きやすかった。森の緑も美しく、木々の間を流れる涼しい微風はほど良く汗を抑えてくれる。そんなことで林道に出るまではそれこそあっという間だった。ところがだ、ホッとしたのもつかの間、確認のために地図を広げたらこの林道、実に長い。順調に歩を進めても駐車場まで一時間はかかりそうだ。
 どっと疲れが出てきたが、振り返れば、心躍る稜線歩き、可憐な花々、そして仙平清水と、初めて足を踏み入れた谷川連峰は山の楽しさに満ち溢れ、リピートしたい欲求は大きいものだ。

硫黄岳・初夏

 どうやら週明けから梅雨入りとなりそうだ。当分の間、鉛色の空を見上げながら「山、行きてぇ~な」となるのは必至である。だったらその前に一本、歩いてくるかと山地図を引き寄せた。

 昨年八月の木曽駒ケ岳を最後に低山ばかりが続いていたので、たまには壮大な山岳景色でも拝んでみようと、選んだのは八ヶ岳連峰の硫黄岳(2760m)。
 硫黄岳は十二年前の七月に山友のMさんと登った以来となる。その時は桜平まで車で行き、夏沢鉱泉を経てオーレン小屋でテン泊し、初日に硫黄岳、翌日には天狗岳を回り、2500m越えの山としては蓼科山に続く三座目だった。
 山頂からの広々とした眺望と、赤岳を筆頭とする南八ヶ岳の山々が迫力を伴い眼前に現れたときには、ついに来たんだ!という実感に包まれ感動したものだ。それが強く脳裏へ焼き付いたのだろう、再び眺めてみたくなったのだ。

 六月二十日(木)。雲が出るのは午後からとの予報だったが、朝の中央道から見た西の空はすでにガスが山々を覆い始めていた。標高の高い山なのでちょっと心配である。
 今回のコースは十二年前とまったく同様とした。桜平から夏沢鉱泉、オーレン小屋、夏沢峠、硫黄岳、赤岩の頭手前分岐、オーレン小屋と、ぐるり一周する。
 桜平の無料駐車場は三カ所あって、登山口に一番近い順から、上、中、下と称され、当然“上”が最も使い勝手はいいのだが、webで調べると平日でも満車のことが多々あるとのこと。どのサイトも六十台のキャパがある“中”を推奨していた。
 その“中”へは八時少し前に到着。案の定、七割近く埋まっている。この様子では“上”に空きは期待できない。もっとも登山口までは徒歩で十五分もかからないので、それほど問題にすることではないのだ。

 歩き始めると徐々に昔の記憶がよみがえってきた。山道と並行する鳴岩川の美しい流れは変わらずで、渓流撮りのみの目的で訪れても面白いかもしれない。
 三十分もすると夏沢鉱泉が見えてくる。建物脇の大きな岩にザックを下ろし、甘いチーズパンを取り出し小休止。冷え冷えとした空気感に包まれ瞬く間に汗が引いていく。
 大体のハイカーはここで一服を入れるようで、人影が途絶えない。しばらくすると下山してきた年配男性が隣に腰かけてきた。「お疲れさん」と声をかけると、互いの年齢が近そうなこともあって、ぽつりぽつりと会話が始まった。
「だんだんと雲が出てきましたね」
「昨日は快晴でしたよ。オーレンにテント張って、朝一に硫黄岳登って、今降りてきました」
「失礼ですが、おいくつです?」
「六十六です。七十五まではテント背負って歩き回るつもりです」
「いや~パワフルですね。自分は六十九なんですが、テン泊は十年くらい前からしんどくなってそれからご無沙汰ですよ」
 この男性、自宅は同じ東京のあきる野市。よって奥多摩へはしょっちゅう出かけるが、北アルプスが好きで、その際も必ずテントを背負っていくという羨ましいほど豪快な人だ。

 夏沢鉱泉からオーレン小屋までの林道はずいぶんと整備が進んでいた。場所によっては大規模な崩落があったのか、道そのものを迂回させ、景観までが変わっている。
 オーレン小屋に到着すると、建物に少々のリニューアル跡が見られたものの、十二年前とほとんど変わらない雰囲気に懐かしさがこみ上げた。テン場は右手の一帯にも簀の子が設置され、より使いやすそうだ。登山中継点としては夏沢鉱泉以上に活気があり、テーブルコーナーは途切れることなく利用者が入れ替わる。隣では年配夫婦が山小屋の提供する料理を食していて、見た目からしてうまそうである。登山ルートに山小屋が含まれるときは、こうした利用方法もありだと思った。

 オーレン小屋からは本格的な登山道になるが、ここも整備が行き届いていてとても歩きやすい。北八ヶ岳の特徴である苔の森は美しく、傾斜は徐々にきつくなっていくものの、おいしい空気を思いっきり吸い込めば、まだまだ力が湧いてくる。
 ヒュッテ夏沢が見えてくると、同時に硫黄岳の荒々しい斜面が現れた。夏沢峠はちょうど北八ヶ岳と南八ヶ岳との境界になるという。ヒュッテの脇を抜け再び山道へ入ると、突如シカの親子が現れた。人間慣れしているようで、かなり距離を詰めて行っても平然と何かをついばんでいる。何とか5m近くまで接近すると、彼らが定める許容距離を越えたのか、静かに森の中へと立ち去っていった。

 森林限界を超え、今度はガレ場が続いた。傾斜はさらに増し、呼吸が徐々に苦しくなってくる。そもそも夏沢峠の標高は2430mあるので、酸素濃度は平地の76%しかない。ちなみに富士山の五合目が2400mである。当然そこから先は更にしんどくなるので意識して深い呼吸に努めた。
 頂上が近づいてくると、それまで歩いてきた道筋が見渡せる豪快な山岳風景が広がった。これを眺められただけでも来た甲斐があるというもの。立ち休みもかねて振り返っては幾度となくレンズを向ける。

 頂上直下、最後のひと踏ん張りと鞭を打った。
 硫黄岳の広く平らな頂上へ出ると、な、なんと大勢の若い子たちが屯っているではないか。それも半端な人数ではない。ちょうど男の子が二人近づいてきたので声をかけてみた。
「今日は林間学校なのかな?」
「そんな感じですね」
 話を聞くと、彼らは東京のひばりが丘にある“自由学園”の中等部の生徒で、赤岳鉱泉に宿泊しているとのこと。八ヶ岳登山は学校の恒例行事らしい。
「しばらく休憩してるの?」
「いえ、そろそろ赤岳鉱泉へもどると思います」
 おっとこれはまずい。先に出発しないと大渋滞に嵌ってとんでもないことになる。
「じゃ、おじさんは行きます」
「気をつけて」
 実にいい子たちだ。この素晴らしい山岳景観は間違いなく彼らの脳裏にも強く焼き付き、かけがえのない思い出となるだろう。


 急坂を下りきり、オーレン小屋への分岐を右へと折れる。周囲は深い森で、様相はまさに初夏。一番好きな山の季節だ。若葉が初々しい緑をこれでもかと見せつけ、溢れる生命力に圧倒される。
 分岐から一時間弱で無事オーレン小屋へ到着。今回は右膝の状態もすこぶる快調で、余力を残しつつ桜平へ戻ることができたのは幸いだった。
 改めて八ヶ岳登山の奥深さを確認できたとともに、充実感溢れる山行となったのは言うまでもない。次はルートを変えて天狗岳へトライしようか。

山との関わり合い

 ふとしたきっかけである書籍に目がとまり、即購入。一心不乱に読み進めた。
 その書籍とは、金 邦夫著の【侮るな東京の山】。
 著者は警視庁山岳救助隊員として定年退職に至るまで青梅警察署に所属、他の誰よりも奥多摩の山々に精通していた。その金氏が現役時代に経験した数々の救助活動を詳細に書き綴ったのが本書である。

 自宅から最も近い山域ということで、私に登山の楽しさを教えてくれたのは奥多摩である。おおよそ二十年前から足しげく通っているので、〇〇尾根から〇〇谷を抜けて等々、文中に出てくる捜索現場の七割以上はすぐに情景までが浮びあがる。さらにリアルを深めるために、読書の最中は常に昭文社の“山と高原地図”を脇に開いておいた。
―こんなところを下ったんだ……
―このコース、今度歩いてみるかな。
―何度も歩いたあの登山道から滑落なんて……
―これはありえる。気をつけねば。
―焚火しながらビバークね……
 ページをめくるに従い、文中の世界へと引き込まれていった。

 これから登山を始めようとする人はもちろん、十年、二十年のベテラン組も、ぜひ一度この本を手に取って、まずは普段見ることのない登山の裏側事情を知ってもらいたい。<遭難なんてするわけないよ>と思う気持ちのすぐ隣に“隙”という穴が開いていることを具体例と共に認識できるはずだ。
 後半は急増している中高年の登山者についての記述が中心になる。私も本年七十歳をむかえる高齢者のひとりなので他人事では済まされない。
 体力および判断力の低下、そして持病等々、加齢と共に登山への適応力は確実に減退していく。自分ではまだまだと思っていたが、この流れに抗えるはずもなく、一度真剣に山との関わり合いを再考する必要性ありと痛感した。

金 邦夫(こん くにお)
1947年:山形県生まれ。高校時代から山に目覚め、東北の山々を登る。
1966年:警視庁警察官になり、1970年に警視庁山岳会「クライム・ド・モンテローザ」を設立。
1977年:ヨセミテにおける山岳救助研修に参加。機動救助隊、五日市市警察署山岳救助隊、レンジャー部隊などを経て、1994年から青梅警察署山岳救助隊副隊長として奥多摩に勤務。
2003年:警視庁技能指導官(山岳救助技能)の指定を受ける。警察功労賞、警視総監賞詞、人命救助の功績による警視総監賞など受賞多数。
2008年:定年退職。以後再任用、嘱託員(山岳指導員)として後進の指導にあたる。
2013年:山岳救助隊退任。
2024年3月23日:心筋梗塞により急逝

守屋山・展望の頂

 五月二十四日(金)。信州百名山のひとつである“守屋山”へ登ってみた。
 長野県諏訪市と伊那市との境に位置し、標高は1,651m。山頂からは、南アルプス、中央アルプス、北アルプス、八ヶ岳連峰といった錚々たる山々が三六〇度で眺望できるという魅力溢れる山だ。よって決行は快晴が大前提だった。六月に入れば入梅も考えられるので、一週間前から“てんきとくらす”を随時チェックし様子を窺った。

 完全リタイヤ後のメリットの一つとして、快晴を選んで登山ができることがあげられる。昨今の天気予報は素晴らしく精度がいいので、ほとんどと言って裏切られたことはない。特にてんきとくらすでは、山自体をピンポイントで検索できるので非常に便利。さらに万全を期すために、該当地域の予報をウェザーニュースで確認することにしている。この日は両方共々◎。意気揚々と出かけることができた。

 家を出たのは五時半過ぎ。近所のセブンで食料を確保すると、中央道で諏訪ICを目指した。登山口があるのは杖突峠。ICからはものの二十分で到着。三十台は楽に停められそうな駐車場に車は二台のみ。平日のメリットである。
 今回のコースは上りに杖突峠コース、下山には立石コースと決めていた。

 森に分け入ると、待っていたのは蝉時雨。新緑の森の魅力を最大限に盛り上げてくれる演出だ。忘れかけていたピュアな夏がここにはあった。
 今に生きる人たちは、五感を研ぎ澄まして味わう四季を忘れかけているかもしれない。歩き進むとせせらぎまでが聞こえてきてムードは最高潮。新緑の眩しさはこの上なく、何度となく深呼吸を楽しんだ。

守屋山東峰

 山道は歩きやすく、急斜面に鎖を張ったところもあったが、難しいことは全くない。山道の常だが、山頂が近づいてくると一気に急登が始まり、汗が噴きだす。これ以上気温の上がる夏はかなりな苦行となるだろう。入梅直前までがひとつのリミットかもしれない。

 守屋山には頂上と称すところが二カ所ある。守屋神社奥宮のある“東峰”と、1,651mの標高をもつ“西峰”。一般的には西峰を守屋山と定めているようだ。
 東峰へ到着すると、まずはその広がる景色に息をのむ。気象条件さえよければ、頂上から日本百名山のうち33座を望められるとのことだが、恐らく今がそうなのだろう。特に日本アルプスと八ヶ岳はくっきりと見渡すことができる。こんな場所はなかなかない。
 休憩していると、若い女性が上がってきた。先ほど出発するときに駐車場へ入ってきた車のドライバーだ。あいさつ代わりにその旨を聞くと、
「ああ、あの赤い車の、、、」
「そうです」

 平日休みの仕事をしているようで、山へはちょくちょく出かけるそうだ。住まいも八ヶ岳の東側とのことだから、韮崎辺りになるのか。いずれにしても山へ出かけるには都合のいいところに住んでいる。それにしてもこのタイミングで追いついて来るとは、さすがの脚力。というよりも私の脚力が減退しているのだろう。
「ここから諏訪湖の花火をみたら、さぞかしきれいだろうね」
「ですね。でも暗闇の中、ここまで上がったり下ったりは熊もいることだろうし、ちょっと怖いかな」
「熊注意の看板、けっこうあったもんね」

中央アルプス  昨年の晩夏に登った“木曽駒ケ岳”もくっきり見えた。

 西峰へはいったん下っての登り返しになるが、高低差はさほどない。
 尾根に入ると先発したさきほどの女性が目に入った。近づいていくと何やら木の枝を見つめている。
「なんかいるんですか?」
「どうやら蝉がふ化の時に失敗したみたいです。これじゃ飛べないな……」
 目を凝らすと、片方の羽が小さくて縮れているように変形している。
「まっ、ちゃんとふ化しても一週間の命だからね」
 盛大な蝉時雨は、麓の森ばかりではなく、頂上近くまで続いていた。

南アルプス

 西峰はとても広く、木製のベンチも数カ所設置があった。既に幾人かのハイカーが景色を楽しんでいる。見渡せるものは東峰と同じだが、広いせいか開放感を覚える。空腹の限界だったので、さっそくお湯を沸かして好物の“日清チキンラーメン”とセブンの特製鮭にぎりを食らいつく。これほどの景色を愛でながらのランチとは、まさに贅沢の極みである。先週の杓子山の富士山と言い、山歩きはこれがあるからやめられない。どんな低山であろうと全くしんどくない山なんてひとつもないが、それを上回る感動があるから、次の山行計画へと進んでしまうのだ。

八ヶ岳連峰

 下山路の立石コースは、浅間の滝、百畳岩、鬼ケ城、夫婦岩等々と、また違った趣があり、巨岩を中心とする見どころが続いた。天候も安定していたし、ゴールまであと少しというところで地図を確認。ロストなしで順調に下ってきたのだが、よく確認すると次の分岐から山道ではなく一般道になるようだ。山歩きにはよくあることだが、その分岐まで来ると、目の前の道はR152。アスファルトの路面はサングラスが必要なほど、強烈な照り返しを放っている。それまでは涼しい樹林帯歩きだったのが、この先日射の下を2Km強、黙々と進むしかないようだ。しかも緩いがゴールまでずっと上り坂である。ここまで使わなかった帽子を取り出し被った。

北アルプス

 汗を拭きつつ杖突峠まで戻ってくると、あの女性ハイカーがちょうど車を発進させようとしていた。
「おつかれさ~ん」
「あら、おつかれさまです」
「まいったよ、この暑さ」
「私もです。同じコースを下山すればよかった」
「ほんとだね。じゃ、気をつけて」
 涼しい季節ならなんのこともない一般道歩きも、この日照りでは地獄になる。

諏訪湖

 比較的楽に登れて、危ない個所もないが、景色だけは来た価値あり!というような山を表す、私が勝手に作ったCSP(Comfortable&Safetyパフォーマンス)で採点すれば、守屋山は限りなく満点ではなかろうか。

浅間の滝

 入梅前にもう一座、トライしてみようか。