長らく雨雲優勢の日々が続くと、無性に青空が恋しくなってくる。しかも山が少しずつ色づく季節だというのに……
未登頂の山で眺めがよく、できれば紅葉も期待できる山域ということで、長野県東御市・上田市と群馬県嬬恋村の県境にある標高2,101mの“湯ノ丸山”を選んでみた。しかも目と鼻の先には、信州百名山の一つに数えられる標高2,066mの“烏帽子岳”もそびえる。せっかくなので両山を周ることにした。コースタイムを調べても六時間弱と、カメラを向けながら歩くにはちょうど良さそうだ。
自宅を午前五時に出発。関越道~上信越道~小諸ICを経て、湯ノ丸スキー場に到着したのは八時ジャスト。POLOの外気温度計は8℃を示していたが、青空が広がり降り注ぐ直射日光も強く、さらには風がほとんどなかったので、体感はやや暖かさを感じるほど。ウィンドブレーカーは脱いでザックに戻し、長袖ネルシャツ一枚で出発。まずは目の前のゲレンデを上ってツツジ平へと向かった。
初っ端からけっこうな傾斜が続いたが、リフト乗り場を過ぎると道は平坦になった。ツツジ平の入口は目と鼻の先で、ここが湯ノ丸高原になるようだ。前方が開けると湯ノ丸山が姿を現した。いかにも急登らしい登山道が遠目でもはっきりと確認できる。案の定、分岐を過ぎると同時に傾斜はきつくなり、脚には余力があったものの息がすぐに上がってしまう。十歩進んでは呼吸を整えるの繰り返しだ。この感じは二が月前に登った平標山にとてもよく似ている。救いは気温が低かったので、それほど汗をかくことはなく、喉の渇きが思ったより小さかったことだ。それでも立ち休みごとに振り返って眺めた景色は、標高が増すごとに迫力を増し、いつしか富士山もその姿を見せてくれた。苦しい中でも元気の出る一瞬である。
湯ノ丸山南峰の頂上はとても広く、三六〇度の眺望はすばらしいのひとこと。南に八ヶ岳、東に浅間山、そして西には北アルプスまでがくっきりと見渡せる。ここで最初の休憩を取った。
コロッケパンを食べ終えるころになってやっと男性ハイカーが上がってきた。それまで頂上は独り占めだったのだ。湯ノ丸山の頂上は南峰と北峰の二つから成り立っているので、休憩後はとりあえず目と鼻の先にある北峰へ向かってみた。ちなみに南峰は標高2,101m、北峰は2,099mである。
北峰に立つと間もなく先ほどの男性が追い付いてきた。
「今日は本当にいい天気ですね」
「ここは初めてなんでラッキーですよ」
「でも紅葉が大幅に遅れているのが残念かな~」
途中から気がついたが、どこを見回しても紅葉はやっと始まったレベル。男性が言うには、昨年の同時期に訪れたときは、鮮やかな紅葉の斜面を見られたそうだ。しかも一週間前は黒斑山へ登ったそうだが、浅間山界隈も同様に紅葉は遅れているとのこと。
「私はこれから烏帽子岳へ向かいますが」
「今日は体調がイマイチなんで下山します」
男性の年齢はおそらく六十歳前後と言ったところか。住まいは福島県郡山とやや遠方。帰路は車で四時間かかるので、体力を温存しておきたいらしい。
「気をつけて!」
「それじゃ」
男性は登ってきた道、私は反対側の急斜面へと歩を進めた。
烏帽子岳へは一旦鞍部まで急斜面を下り、その後上り返しとなるが、この下りが右膝に厳しかった。負担をかけまいと意識すればするほど、左脚を酷使してしまうのだ。とにかく下りはゆっくり。これが私の歩き方。
中盤ほどまで下ってきたとき、後方から話声が近づいてきた。ピッチが早そうだったので、路肩へ寄って先に行かせることにした。
「どうもすみません!」
年配男性四人組である。歩き方から察してそこそこに山慣れしてそうだ。私もすぐに歩きだしたが、楽しそうにおしゃべりするその後ろ姿は瞬く間に見えなくなった。
鞍部にある分岐にはちょっとした休憩スペースがあり、先ほどの四人組が一服つけていた。あいさつの後、この界隈は初めて訪れた旨を告げると、
「烏帽子岳、いいですよ。ここから先はそれほどの急登もないし、なにより今日は天気がいいから絶景を拝めますよ」
面々を見回すと、全員私と同じくらいの年齢と見た。聞けば皆七十一歳から七十三歳までで、同じ会社の元同僚とのこと。定年退職後はもっぱら登山を楽しんでいるようで、月に一度から二度はこのメンバーで歩いているという。明るくフレンドリーな方達ばかりで、はたから見ても羨ましくなるほどのパーティーだ。
「じゃ、先に行ってます」
「気をつけて」
小休止を終えると、しばらくは樹林帯歩きになった。四人組の言ってたとおり山道は歩きやすく、傾斜もきつくないので息もほとんど上がらない。木々を通る風は冷ややかで、適度に体から熱を奪ってくれるので足取りも軽くなる。
尾根に出てしばらくすると、烏帽子岳の手前にある小烏帽子へ到着。ここの眺めも十分に素晴らしいが、その先の烏帽子岳を仰げばさらに期待は膨らんだ。
「どうもおつかれさん!」
頂上へ到着すると、四人組がストーブやコッヘルなどを並べて調理の準備にかかっている。私も腹が減っていたので、なにはともあれおにぎりにかぶりついた。
「ずいぶんと本格的じゃないですか」
「うちらはこれが楽しみなんで♪」
一人はホットサンドメーカーでお好み焼き、その隣ではナポリタンを煽り、離れたところでは焼き網を使って焼肉、向かいではなんとトウモロコシを焼いている。女性ハイカーだったらまだしも、年配男性でここまでやる人達は見たことがない。
「この楽しみはほんと金がかからないですよ。料理は自分で作るし、交通費は車一台に四人相乗りだし、ウェア、ザック、靴なんてもんは十年以上買い替えなしだからね」
皆豪快に笑って自作の料理に舌鼓を打っている。頂上には彼らの他に八人のハイカーが寛いでいたが、この四人組は突出して盛り上がっていた。
定年退職後の山歩きは、予報“晴れ”のみを選んで出かけるので、90%以上の確率で絶景を拝んでいる。山々に同じ景色はなく、それぞれの山域にはそれぞれの眺めが待ち構え、心は躍る。次はどの山どの季節と、探求心は膨らむ一方である。