トミオ

 小学校六年の一年間は、同じクラスのトミオとよく遊んだ。
 トミオにおれ以外で親しくしていたやつは恐らくいなかったと思う。彼の家にはたびたび招かれ、初となる金持ちの家の雰囲気に圧倒されたものだ。おまけに彼は一人っ子。両親の愛情を一身に受けている様子がありありと伺えた。

四十五年ぶりにトミオの家へ行ってみたら、店も家も跡形なく、更地になっていた。

 トミオの住む家は千本浜公園に沿った高級住宅街にあり、二百坪はあろう敷地に、寿司屋と母屋が隣り合うように建っていた。しかも寿司屋と言っても、よく街で見るこぢんまりした店ではなく、いくつかの個室を備えた料亭に近い規模なのだ。
 トミオ家は皆、犬が好き。コンテストで数回賞を取ったことのある柴犬一匹と、庭には五匹の雑種が放し飼いになっていた。最年長はメスで雑種の“クマ”。彼女は十一歳になるが、これまで百匹近くの子犬を生んだとのこと。

トミオの家から千本浜公園を抜けると、海に出る。

 トミオのおやじさんは和食の料理人で、二名の職人を使っていた。おふくろさんはいつも和服を身にまとい、いかにも女将っていうオーラで満ち溢れている。
「あら、いらっしゃい」
「おじゃまします」
 勝手知ったトミオの家。二階の角部屋である彼の部屋に行くと、すでにプラモデルの箱を開けて、設計図を開いていた。
「なに作るの」
「ゴジラ」
 彼は怪獣の大ファン。
「なに持ってきた?」
「今回はゼロ戦」
「ふ~ん」
 あまり会話をすることもなく、すぐに二人とも組み立てに集中する。
 そのうち、階段を上がってくる足音が聞こえ、おふくろさんが盆にのせた麦茶と饅頭を、ちゃぶ台のように小さなテーブルへ置いた。
「ごくろうさんね。トミオちゃんはなにつくってるの?」
「…」
「あらやだ、きもちわるい。木代さんのような、もっときちんとしたもの作りなさいよ」
「好きなんだよこれが」
 トミオは不器用なやつだ。部品と部品の合わせ面から接着剤がはみ出している。そもそも部品のバリが完全に取れてない。ひたすら枝から外してはくっつけているだけだ。
「プラボンドつけ過ぎじゃないか」
「えっ? ああ…」
 トミオはいつだってどこ吹く風。
 それにしても自分の部屋があるってのは憧れたし、羨ましかった。

 トミオと二人で初めて釣りに出かけた日、朝からちょっと腹の調子が悪かった。
 赤堤防で釣り糸を垂れていると、いつしかヘソの周りに締めつけられるような痛みを感じはじめ、吐き気もしてきた。これは尋常じゃないと、釣具屋の裏の草むらへダッシュして思いっきり吐いた。多少はスッキリしたが、痛みは治まらない。
「ごめん。気分悪くなった、、、帰るわ」
 するとトミオ、突然釣り道具を片付け始めた。
「歩ける?」
「ああ」
 これだけ持ってくれと、釣り道具が入ったバッグをさし出すと、おれの前に回った。
「おぶってやるよ」
 突然のことに、びっくり。
「だ、だいじょぶだよ」
「ほら、のれ」
 トミオは背丈こそおれよりわずかに小さいが、体格はガッチリ型で、体育の授業で騎馬戦をやる時は必ず“中”をやり、怖いほどの突進を平気な顔してやるから、皆に恐れられていた。
 軽々と背中にのせられ、松林を抜けて、子持川沿いの小径をゆっくりと自宅へ向かう。
「ごめんね…」
 この間、トミオは一言も口を利かなかった。

トミオにおぶってもらった、子持川沿いの小径。

 小学校を卒業すると、トミオは市立中学へは行かずに、どこかの私立中学へ進学、それを機に交流は途絶えてしまう。あれだけ仲良くしていたのになぜだろうと、思い起こせば不思議だ。
 それから一年半後。四年間にわたる沼津での生活にピリオドを打った木代家は、東京へ戻ることになる。

イメージセンサーのクリーニング

 SONY・α7Ⅲ入手後、初となるセンサークリーニングを、富士見台高原への出発準備の際に行った。
 大台ケ原での撮影画像に気になる大きさのダストが認められたのだ。

左上、赤丸で囲った部分

 まずはカメラのクリーニングモードを実行。このモードは微振動を使ってセンサーに付着したダストを振るい落とすもので、振動が終わるとセンサーを一時的に固定する仕組みになっている。この手順を踏まないと、センサーはフローティング状態のままなのでグラグラしており、力を入れ過ぎてセンサー面をふき取ると、手振れ補正機能を壊してしまう危険性が無きにしも非ず。十分留意したいポイントだ。
 さて、クリーニング直前に改めて撮影した画像をチェックして驚いた。確認している箇所以外に、5~6個の大きなダストが張り付いているのだ。恐らくクリーニングモードを実行した際に、センサー周辺に付着していたダストが強い振動によって宙に舞い、センサーの受光面に再付着したと思われる。

 二〇〇三年にNikon・D100を手に入れてから、センサークリーニングをメーカーに依頼したのは一度だけ。その後手に入れたすべての機種のクリーニングは自らの手で行ってきた。なぜなら、メーカーでの作業後に綿密なチェックを行ったところ、それほど完璧には拭き取れてなかったのだ。このレベルなら自分でやれると、シルボン紙、エタノール、自作のバーで頑張ってきた。ただ、今回は洗浄液にエタノールは使わず、巷で評判のK&Fのクリーニング液を試してみた。

 YouTubeでセンサークリーニングを検索すると、ほとんどの方が、これとスワブの組み合わせである。スワブは形状からして良さそうに思えたが、慣れたシルボン紙の方がやはり安心感はある。

 シルボン紙四枚、つまり液を塗布してのクリーニングを四回行ったら、納得のいく状態まできれいになった。尚、K&Fのクリーニング液とエタノールの差は、はっきり言ってわからないレベル。

 よほど目障りなダストが付かない限り、頻繁に使う機種でもクリーニングの頻度は年に一度ほど。撮影後のRAW現像の際に僅かにみられるダストは、Photoshopの機能を使えば十分に消し取ることができるからだ。

バイク屋時代70 潮時

 様々な理由により、バイクをプライベートで乗ることは、六十歳を前にしてきっぱりとやめた。そしてドゥカティ部門を大杉くんに引き継ぐことにより、仕事で乗る機会も消え失せた。

 中学校へ進学する頃から、ロックバンドとバイクは最大の関心事になり、街では疾走するバイクを目で追い、家に帰れば母親に怒られるまでロックを聴き続けた。

 やがて社会人になりヤマハ・RZ250を手に入れると、時間の許す限り乗りまくった。それほどまでバイクに執着したのは、快感ともいうべき操作感に魅了されたからだ。右コーナーへ進入、深々とバンク、スロットルを慎重に開けつつ立ち上がり、すかさず左コーナーへと向かっていく。この過程は、例えることが困難なほどの痛快さを生み、病みつきになった。

 杉並店独自のイベントに、年に一度のサーキット走行会がある。ただ、諸事情あって最後となった開催で走った時、一本目はそれほど感じなかったが、二本目、三本目と回を重ねるにつれ、視野が狭まりうまく走行ラインを追えなくなった。集中と緊張による視野狭窄に陥ったのだ。サーキットならコースアウトしても問題は小さかろうが、これが一般道だったらと考えたら、バイクの楽しみにも潮時があることを認識。悩みに悩んだ末、愛車カワサキ・ZXR750を手放した。

 2017年。府中に中古車専門店がオープンすると、ひたすら中古車の販売に専念。ところがいつしか消化試合にしか思えないようになり、淡々とした毎日の繰り返しに辟易しだす。そして気がつけば前期高齢者の仲間入りを果たしていた。この頃から思考は仕事やバイクから離れ始め、退職後の新たな生活へと向き始める。

 2020年。コロナ禍が深刻な社会問題になった頃、親父のボケが急速に悪化。施設探しと同時に、俺が資産の管理を行うことになり、成年後見人となるべく手続きをはじめた。作業が進むにつれ親父の資産の詳細が明らかになると、己の人生最終章が見積もれた。

 バイクの楽しみに潮時があったように、雇われであろうと経営者であろうと、仕事にも潮時がやってくる。人間誰しも体力が衰えてくれば、精神に変化を生じ、考え方や価値観等々に大きく影響するものだ。
「今年いっぱいで引退かな」
 一~二年前からよく聞くようになった社長のつぶやきである。怖いほどのバイタリティーを発揮した大崎社長といえども、電池切れには抗えない。
「もういいんじゃないですか。俺も七十になる前に退職します」
 この後、大崎社長は七十八歳にて他界。

 最後のバイク屋時代を過ごした府中店も、退職後まもなくして閉店となった。三十六年間に及んだバイク屋生活、充実感を持ちつつ楽しく過ごせたのは、すべて大崎社長のおかげだったのは言うまでもない。

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 やや尻切れトンボになりましたが、【バイク屋時代】はこれで終了させていただきます。ただ、乗らずともバイクにはいまだ興味津々ですので、面白いトピックスなどあれば、その都度ブログに載せていきたいと思います。
 これからもどうぞよろしくお願いいたします☆

富士見台高原・飯田の旅

 大台ケ原で堪能した高原の広々とした景観が頭にこびりつき、似たようなところはないものかと調べてみると、岐阜と長野の県境に広がる【富士見台高原】がヒットした。無理すれば日帰りも可能な距離ではあるが、この頃では“ゆとりあっての旅の楽しさ”がしみじみとわかるようになったので、さっそくホテル探しを始めた。ホテルとは言ってもビジネスだが、登山口へのアクセス、周辺の飲食店、コンビニ、ガススタ等々、少しでも便利に過ごせるような一軒を探すことはすでに旅の始まりであり、無性に楽しいものだ。
 富士見台高原への登山ルートはいくつかあるが、今回選んだのは古道東山道の一部を辿るもので、登山口は阿智村の神坂神社になる。直近の市街地は飯田市だ。
 やや仰々しい名称だが、選んだのは【ワールドビジネスホテル】。一泊朝食付きで7,900円は格安。ただ、難点は飲食店が軒を連ねる繁華街からかなり離れていること。夕飯はいつも居酒屋を利用するのでこれは考えてしまった。コンビニ弁当で済ませてもいいが、登山とはいえ旅なので、可能な限り新たな発見や出会いのチャンスは持ちたかった。

 八月二十四日(月)。午前八時に自宅を出発。中央道は概ね順調で、飯田市営駐車場に到着したのが十一時半。ランチができるところを探しつつ、まずは街を歩いてみた。
 飯田は十万都市。いわば地方の中核都市だ。とは言え、人通りは少なく、商店街はシャッターを下ろした店舗が目立つ。ゆっくり見て回りたかったが、腹ペコを癒せる飲食店が見当たらない。大きなビルのテナントに、行列ができているラーメン屋を見つけたが、はるばる飯田まで来て、この手の列には並びたくない。軽食も提供している喫茶店は二軒見つけたが、これもパス。汗をかきかきぐるりと回って、再び駐車場へ戻ってくると、なんと目と鼻の先にあったではないか、小さな居酒屋『扇屋』の入り口にランチやってますの張り紙が出ている。入ってみると、店内はローテーブルが二つ並ぶ座敷、二人掛けのテーブルがひとつ、そして四人掛けのカウンターとこじんまりしているが、客はすでに四名いた。ランチメニューに目をやると、
「おすすめは親子丼で、地鶏と若鶏があります」
 地鶏は阿波尾鶏を使っているとのこと。

「じゃ、地鶏で」
 待つこと十分。二種類のサラダ、漬物、味噌汁が付いて、見た目も賑やか。さっそく食すれば、関西風の味付けで、醤油は使わず白ダシで鶏の旨味を引き出している。さすがに地鶏、歯ごたえがあって、噛めば噛むほど味が溢れる。これで1,300円(税込)は満足に尽きた。
 満腹の後は、人気の観光地“下栗の里”へPOLOを走らせた。
 南アルプスから伸びる尾根に拓かれた下栗の里は、おおよそ標高1,000mの地にあり、最大傾斜三十八度という急斜面に、家屋や畑が寄り添うように並ぶ独特の風景から「日本のチロル」と称されている。 また「にほんの里100選」にも選ばれていて、尾鷲の須賀利町に続いて二つ目になる。残る九十八カ所を巡ってみるのも面白そうだ。
 駐車場から山道を十五分ほど歩くと、頑丈そうなパイプで組まれた<天空の里ビューポイント>に到着。人気の観光地らしく、平日なのにすれ違った人はすでに九名を数えた。ビューポイントを独占して暫し撮影に集中。

 駐車場へ戻り、借りた熊鈴を案内所へ返却した際、どのような経緯であのビューポイントを見つけたのか、案内所のスタッフに訊いてみた。
「生活に水は不可欠じゃないですか。でもここから大きな川まではだいぶ距離があるので、山中にある水源から水を引くことを考えたんです。その作業中にあのビューポイントを見つけ、なかなか面白い景観だったので、観光スポットになるのではと、道を開いたようです」
 それはわかったが、これほど不便な地になぜ生活基盤を置いたのかを後から調べてみると、「災害の少なさ」「日当たり」「独自の生存手段(相互扶助)」を手に入れたことが理由とのこと。

 十六時、ホテルへチェックイン。フロントにいたのは若い外国人の男性スタッフ。流暢な日本語に溢れる笑顔と、なかなかどうして好感が持てる。これだけでホテルの印象はググっと上がった。
 シャワーを浴びて一服した後は、タクシーを呼んでもらい、飯田の駅前へ繰り出した。通勤時間帯に重なったが、やはり人影はまばらで、開いている店もそれほど多くない。『いろはにほへと』という居酒屋が大きな看板で目立っていたので、何も考えず入ってみた。もう喉がカラカラだったのだ。
 席につくと、注文は自分のスマホから行うやり方で、簡単な説明を受けた。人件費の節約かどうかは知らないが、まったくもって味気がない。ただ、ギンギンに冷えた生ビールの喉越しと、だし巻き卵のジューシーさが、ロングドライブの疲れを一気に癒してくれた。

 翌日二十五日(火)。ホテル提供の朝食を済ませ、バタバタと荷物をかたずけチェックアウトしたのは七時前。目が覚めカーテンを開いた時は曇り空が広がっていたが、POLOをスタートさせる頃には、ちょっとだが青空が出てきたのでひと安心。神坂神社へとハンドルを向けた。
 神社手前の駐車場に到着すると、軽バンと軽トラが停まっていたが、恐らく登山者ではないだろう。富士見台高原は人気の山域だが、多くのハイカーは、ゴンドラを使うルートか、往復で二時間ほど短縮できる別の登山口を選ぶようだ。若干距離は長めになるが、ちょっとでもいいので、古代東山道を歩いてみたかったのだ。東山道とは、その昔、都から近畿、中部、北関東、そして東北へと繋いだ古代の主要な官道のことである。
 それにしても暑い。支度をしている間にも汗が噴き出し、シャツが背中に張り付いた。車から降りた瞬間、今日は厳しい山行になるのではと、最初からタオルを首に巻き付けた。小さい頃から汗っかきなのだ。

 神社の脇を抜けて間もなくすると、園原川沿いのコースと直登コースに分かれる分岐に出た。地図を確認すると、次の分岐までに要する時間は、前者が一時間四十分、後者が一時間二十分とさほど変わらないが、前者は川沿いの林道歩きが四十分続くということでパス。初っ端から急斜面が待つ山道へと分け入った。
 恐ろしい急登とまでは言わないが、結構な急斜面が延々と続いた。噴き出す汗は半端ではなく、意識して補水のタイミングを計った。それでも額を流れ落ちる汗を拭きつつの登りはリズムが狂い、タイムロスも知らず知らずのうちに嵩んでいく。ある時、何気にパンツの後ろポケットに触れると、ホテルに常備してあったボディータオルを入れてきたのを思い出した。このタオルは医療用の伸縮ネット包帯そのままで、よく伸びるし速乾性もある。これは使えるかもしれないと、ハチマキのように頭へ縛り付け、その上から帽子をかぶった。結果はAll right!
 生地は薄いのに驚くほど汗を吸収し、額には全く落ちてこなくなった。なんでこれまで気が付かなかったのかと、暫し笑みがこぼれるほどである。ただ、事情を知らない人が見れば、頭を怪我しているのに登山なんかしてと、訝しがられることうけあいだ。

 道は分岐を境に平坦になる。若干だが風も抜けるようになり気分が晴れる。
 前方に人の気配を感じると、間もなく体育会系の若い男性五人組が現れた。皆にこやかで、溢れる元気が伝わってくるようだ。
「こんにちは」
「こんにちは!!」
 爽やかなやり取りは、パワーをもらえた気分になる。
 ところが、彼らとすれ違うちょっと前から霧が出始め、見る見るうちに濃度は増し、目的地の富士見台高原はもう目と鼻の先だというのに、すっぽりと森を包み込んだのだ。
 萬岳荘に到着する頃には、近くの山々の稜線さえ確認できないほどになった。二階のテラスにタイミングよくスタッフらしき男性の姿が見えたので、
「すみませ~ん。この霧って、ずっとこのままですかね」
「いやぁ~、なんとも言えませんね。厳しいかもしれないな~」
 続く話によると、山小屋の宿泊客である家族連れが、ここまで来たんだからと、ちょっと前に出発したそうだ。
「霧が晴れる可能性も“0”じゃないんで」
「じゃ、駄目もとで行ってみます」
「ここからすぐですよ。三十分ぐらいだから」
 晴れる気配は全く感じられなかったが、やけくそで出発。しかし、行けども行けども視界不良でストレスはたまる一方。それでも何名かのハイカーとすれ違い、皆同じ気持ちで歩いているのだと思えば、とにかく頂上には立ってみようと、踏ん切りがついた。
 わかってはいたものの、頂上も含め、何もかにも霧に包まれた、景観に乏しい山歩きはやはり空しい。ふと山トモのMさんとトライした宝永火山を思い出した。もう二十年近くも昔のことだが、視界が10m足らずと、下手をすれば遭難も、という状況下、
「どこに来たんだかわかりゃしねーなー」
「まったく!」
 なんてぶつぶつ言いながら、下山したものだ。

 登ってきた道をそのまま引き返す。二時間近く歩いて分岐に辿り着き、来た道と同じでは芸がないと、園原川沿いのコースを下ることにした。悔しいことに、林道へ出ると眩い青空が広がっているではないか。恐らく標高1,500m辺りから上に霧が出ているのだろう。山の気まぐれ天気は本当に厄介だ。

◆ 富士見台高原・登山データ
所要時間:6時間18分
歩行距離:12.4km
のぼり:933m
くだり:930m

地元とは異なる空気感

 夏の山歩き。吹き出る汗で体は水分を欲しがり、当然喉はカラカラになる。下山後はコンビニでビールを買ってホテルへ戻り、冷房をオンにしてからシャワー室へ飛び込む。さっぱりしたら「プシュッ!」。これでとりあえず収まるが、ちょっと寂しい。品書きから旨そうなつまみを選び、冷えたジョッキに口を添えたら、一気に喉へと流し込む。これこそはるばる東京から500Km近くも走ってきた甲斐というもの。

 尾鷲の駅近くで養老乃瀧の看板を見つけたとき、ちょっと不思議な気がした。かなり前から地元の武蔵野、三鷹近辺ではこの看板を見かけることはなかったので、意外な土地で意外な店に出くわしたというのが本音である。とは言え、養老乃瀧は居酒屋ブームの火付け役だったことは周知のとおり。喉の渇きも手伝い、気がつけば、
「ひとりです」
「いらっしゃいませ! そちらのカウンターでお願いします」
「じゃ、生で」
 と、なっていた。
 それほど大きなフロアーではないが、客席はほぼ八割が埋まり、厨房で立ち上る湯気や、焼き台から上がる煙や炎から、なかなかの繁盛店であることがうかがえる。
 田舎町ってところは、たとえ通勤時間帯の駅周辺であろうと、歩いている人は驚くほど少ない。ところが、養老乃瀧に一歩足を踏み入れると店内は大活況。この客達はいったいどこから来たのかと不思議になる。例外もあるだろうが、地元三鷹だったら、夕方の駅周辺の人口密度と居酒屋のそれは限りなく等しい。
 養老乃瀧を出た後、ラーメンが食べたくなり、webで評判だったDISHDREAM天天という店へ行ってみた。
 周辺は恐ろしく暗く、人っ子一人見かけない出刃亀天国のようなところだった。しかも店の入り口には赤っぽいカーテンが張られ、店内の様子は覗けない。思い切ってドアを押し、入ってみたら、家族連れ四人、若者三人組、カップル、そしてカウンターにサラリーマン風男性と、結構な客入りである。しかもスタッフは厨房に一人、フロアに若い女性一人なので、駆けずり回る忙しさだ。
 ここも先ほど同様の不思議さがある。
 日常から離れ、地元とは異なる空気感へと身を投じ、その違いを味わってみるのも旅の醍醐味のひとつ。ただ、地方都市はどうしても車がメインの移動手段になるので、歩行者があまり見られないのは至極当然のこと。あまりに薄暗くて気がつかなかったが、恐らくDISHDREAM天天は近くに駐車場を用意してあるのだ。さすがに養老乃瀧は居酒屋なので、駐車場はどうだろうか。ただ、地方での商売は“車ありき”であることは確か。

写真好きな中年男の独り言