赤城山・ツツジ

 間違いなく週明けには梅雨入り宣言が出るだろうから、その前に一本行ってこようと、週間天気予報とにらめっこをした末、ツツジの最盛期を迎えた赤城山系をチョイス。どうせなら盛りだくさんなルートにしようと、まずは大沼から地蔵岳(1674m)へ登り、小沼に下山したら長七郎山(1579m)へ登り返す。その後は“小さな尾瀬”と呼ばれる覚満淵を散策。我ながら思う、実に楽しそうだ。

 六月六日(金)。またしても古いカ―ナビにやられた。関越道を使って大沼の駐車場までへ行くには、赤城ICで降りるのが最短なのに、なぜか一つ手前の前橋ICで降ろと言ってきた。一度はナビを無視しようと思ったが、何かしらの要因があるのではと、そのまま従うことにした。ところがだ、距離が増えることはある程度諦めるとしても、前橋の市街地を通過するのに時間を食い、結局到着が予定より三十分近く遅くなってしまったのだ。確認のためGoogleマップで検索すると、やはり赤城IC経由と出た。これから遠出の機会も増えると思うので、このタイミングで新しいナビに買い替えるのも一案かもしれない。

 大洞駐車場の目の前にある登山口からは、初っ端から急登が始まった。この区間は山地図にも“崩落が進み歩きにくい”と記してあったが、それに加えて、前日に降った雨により非常に足元が滑りやすく、結構な緊張を強いられた。頂上手前ですでに上半身は汗でずぶ濡れだ。それでも途中で見ることのできるツツジの群落は、一瞬でも疲れを忘れさせてくれた。このツツジ満開の情報は広く知れ渡っているのだろう、平日なのに驚くほど多くの登山者をあちこちで見かける。六十代から七十代と思しき夫婦連れがそのほとんど。
 地蔵岳の頂上で休憩を取ったあとは、小沼へと下った。
 湖畔も見事なツツジの群落になっていて、登山者に混ざって一般観光の人達も多く目にする。水門からは右に折れ、長七郎山を目指した。

 長七郎山の標高は一応1579mあるが、小沼がすでに1470mに位置するので、標高差は100mほどしかなく、ハイキング気分で登頂できた。残念だったのは、途中から急にガスが出てきて、頂上からの眺望はまるできかず、あきらめてスルー。最後のチェックポイントである覚満淵へ向かった。

 小さな尾瀬とはよく言ったもので、一周できる木道と、よく管理された湿原は撮影ポイントの宝庫と言っていい。もっと早い時期ならばミズバショウを楽しめただろう。ただ、県道七十号線沿いに大駐車場付きというシチュエーションなため、やや観光擦れしているきらいは否めない。

 長七郎山を下山する頃から、やたらと腹が鳴ってきた。
 午後一時前にはスタート地点へ戻れる山行計画だったので、用意するのは行動食のみにし、ランチは湖畔の食堂で地のものでも食そうかと考えたのだ。
 駐車場のトイレで顔を洗ってから、営業中の店が数件かたまっているボート乗り場へ行ってみた。どこへ入ろうかなと物色すると、
「おにいさん! 試食の佃煮食べてって!」
 やたらに元気のいい声が飛んできた。見れば五十代後半ほどのお姉さん。
「これおいしいですよ。食事もできますから」
 “おにいさん”の一声に釣られ、ここに決定。
「それじゃ、この“冷やしおっきりこみ”にしようかな」
「はい、ありがとうございます」
 おっきりこみとは群馬の郷土料理。食するのは初めてであるが、いわゆる山梨の“ほうとう”のようなものだ。それにしてもお姉さん、せわしなく動き、せわしなく観光客へ声をかけている。
「食べてみて」
 佃煮が小皿にのっている。
「これね、きくらげとこんにゃくを甘辛く味付けしてあるの」
 ちょっとつまんでみると、ほう、なかなかいける。
「ご飯が止まらなくなるから」
 ほんと、そうかもしれない。ただ、肝心の料理がなかなか運ばれてこない。何しろさっきから腹が鳴っているのだ。十五分はかかっただろうか、
「おそくなってすみません!」
 目の前におかれたおっきりこみには、色々なものがのっていた。天ぷら四種、とろろ、きんぴら、山菜等々、賑やかである。どれを口へ運んでもけっこうイケるし、主役のおっきりこみはコシがあって、しかも冷たい汁とうまく絡みあい、ぐんぐんと箸が進む。あっという間に完食。お茶で一息入れた後、伝票を持ってレジへ行くと、
「料理遅くてほんとごめんなさいね。これ、あとで食べてください」
 小さな紙袋に、熱々のまんじゅうがひとつ入っている。
「そんな待ってないのに、悪いよ」
「いいからいいから、また来てください」
 憎めないお姉さんだ。
「じゃあ、さっきの佃煮、一つください」
「ありがとうございます!」
 登山はもちろんのこと、赤城を楽しめた一日になった。

大尽山・霊場恐山

 五月十一日(日)から三泊四日の日程で行ってきたのは、下北半島の恐山。十五年前に津軽半島の竜飛崎を訪れたとき、陸奥湾を経た対面にある下北半島にも大いに興味をそそられたが、日程の関係でそこまで回る時間的余裕がなく、いつかはゆっくりと訪れたいと思っていた。
 白い砂浜に風車、神秘的な宇曽利湖とその背後に鎮座するようにたたずむ大尽山と、これほど霊場感満点なところは他に見当たらないないし、なにより本州最北端の地というSituationは旅心を誘った。

 今回は意を決してPOLOで出かけた。自宅からむつ市内にあるホテルまで、距離にして770km、所要時間は十時間半。これほど長い時間にわたり車を運転し続けたのは人生初である。最も痺れたのは、延々と続いた自動車専用道がやっと終わり、一般道へ出て最初の交差点へ入ったとき、“むつ市まで105km”の看板が目に留まったのだ。とどめを刺された思いである。いくら田舎の道といえども、ここからさらに一般道で100km近くを走るのは辛すぎた。まっ、これについては実になさけない理由が影響した。POLOに搭載されたナビ情報が古く、新設された自動車道である天間林道路に乗れなかったため、太平洋側のR338をひたすら走ることになり、大幅に時間を食ってしまったのだ。やはり未知の地ではGoogle mapの併用が必要かもしれない。とほほ…..

 まずはシャワーで気分転換後、あまりにも疲れたのでちょっとひと眠り。目覚めると、町へ繰り出すにはちょうどいい頃合いである。腹も減ったし、適当な居酒屋か食事処でもないかとでかけてみた。
 さすがに最果ての町である、チェーン系の居酒屋やファミレス等々はいっさい見当たらず、反面、田舎にありがちなスナックやBARが驚くほど乱立している。ところが見まわしても営業しているのは二割にも満たない。日曜なので定休日ということもあるだろうが、とにかく寂れたムードは否めない。数少ない営業中の店から、“居酒屋・遊”の暖簾をくぐってみた。


「いらっしゃいませ」
 正面は四脚あるカウンター席。右端には常連客と思しき年配男性が腰を据えていたので、左端の席についた。店員はママひとりのようだ。居酒屋とはうたっているものの、店内はずばりスナック。生ビールをたのんだ後、手作り風のメニューを開くと、やはり普通の居酒屋にありがちな品はほとんどない。
「ソーセージの盛り合わせをください」
 当たりはずれのないところをチョイス。この後、右端の客の仲間が二人やってきて、隣は大いに盛り上がる。雰囲気のいいママと予想を裏切るソーセージのうまさで、ビールをお代わり。気がつけば一時間近く長居をしてしまった。
 ホテルに戻ってユニットバスに身を沈めると、途端に眠気が襲ってくる。髪の毛も乾かさずにベッドに横になると、そのまま爆睡。朝はあっという間にやってきた。

 7時30分。宇曽利湖湖畔の空き地に到着するが、車も人影もなし。ここにPOLOを置いて行っていいものか、悩みながら出発準備を進める。気温は12℃とやや肌寒いので、ひとまずウィンドブレーカーを着込んだ。
 登山口へとつながる湖畔の道はミズバショウの大群生地。ブナの緑と相まって、すばらしいプロムナードを作り上げている。ここを歩くだけでも来たかいがあるというもの。そして無数の小さな沢が道を横切り湖へと注いでいるところから、森の貯水量の豊かさが想像できる。
 一時間ほどで道は登山道へと代わり、少しづつ標高を上げていく。すぐに体が火照り始め、ウィンドブレーカーはここでお役目終了。少々疲れがたまってきたが、原生林のすばらしさに見入れば足取りも軽い。
 T字路に突き当たると、左方向“大尽山”と示す小さな看板があった。そしてここから先が頂上直下になり、急登が待っていたのだ。どこの山へ登っても頂上間近から急登となり、最後は歯を食いしばることになるが、ここは急坂にプラスして登山道に雪が残っていた。慎重に進んでいくと、お次はロープ場である。変化に富んでいて飽きさせないが、大腿筋と右膝はすでに悲鳴寸前である。
 最後のひと踏ん張りで頂上へ出ると、360度の絶景が疲れを忘れさせた。大きな岩があり、そこへ立つと宇曽利湖及び恐山が見渡せ、ずいぶんと長い道のりを上がってきたもんだと、感心してしまう。天気が良ければ、津軽半島、はたまた北海道まで見渡せたはずだ。
 
 POLOまでもう少しのところから雨が降り出した。車内で小降りになるまで三十分ほど待機、その後はお目当てだった恐山に向かった。
 入山料700円を支払い、順路に沿って歩を進める。溶岩帯を超えると、漂う強い硫化水素の臭いと湖畔の白い砂浜が、異次元世界へと誘ってくる。恐山はその昔、慈覚大師円仁(じかくだいし えんにん)が開いたとされるが、一帯は霊場という場所にふさわしい無二無三の雰囲気を醸し出している故に、おそらく“彼”も圧倒されてニンマリしたに違いない。

 疲れた体で一気に東京まで帰るのは、安全運転的にやや問題がありそうなので、途中、気仙沼に宿を取ることにした。せっかく寄るのだから、プチ観光として、日本一のツツジの群生地として知られる、標高711mの“徳仙丈山”へ出かけてみた。山とは言っても、群生地まで車で行けるので、体力云々は心配ご無用だ。ただ、残念なことに開花が遅れていて、見回せばまだほとんどがつぼみ。しかしこれでも景色として十分耐えられるレベルなので、開花のあかつきには、とんでもない光景が広がることだろう。残念だ。

 せっかく悠々自適な毎日を送れる立場にいるのだから、旅を楽しみながら見聞を広げていこうと、まずは“広島・桜巡り”からスタートしたが、実際にその土地に立ったうえで歴史や文化を考えてみると、当たり前かもしれないが、リアリティに格段の違いを感じる。
 原爆ドームのわきに立ち、破壊された細部を仰ぎ見れば、これまで感じたこともない重い感情が胸に広がった。
 気仙沼の街を車で流していると、いたるところに【過去の津波浸水区間ここまで】と書かれた看板を目にするが、岩井崎に到着して何気に“龍の松”を眺めていると、楽しそうに犬を連れて散歩をしている人の背後にも、想像を絶する歴史が張り付いているのではと、ついつい想像してしまう。
 動ける範囲内でこれからも様々な土地へと赴き、そこでしか得られないリアリティを、ゆっくりと時間をかけて味わえれば幸いである。

四日間の総走行距離:1,673km

三年ぶりの刈寄山

 この頃、腹がへってしようがない。
 まあ、腹がへるってことは消化器官の調子がいいってことだろうから、大いにウェルカムではある。同じ食事をとるにも、腹がへっていれば美味さは倍増、三度々々が楽しみになるし、健康も同時に実感できるから得した気分にもなる。私は体質的にいくら食べても太らないので、リミッターは外し気味。しっぺ返しは間違いなく来るだろうから、腹八分はなんとか守りたいところだ。
 ふと思った。山でおにぎり食ったらさぞかし美味いだろ~な~、、、と。

 一月二十九日(水)。てなことで、二年半ぶりになる刈寄山を歩いてきた。
 あきる野市にある刈寄山は自宅から最も近い“ちゃんとした山”で、登山を始めたころは山慣れの目的で頻繁に通い、駐車場のある今熊神社遥拝殿から刈寄山までのピストンを飽きもせずに繰り返したものだ。ただ、大月市・秀麗富嶽十二景をめぐり始めてからは“初の山”探しに夢中になり、気がつけばこんなにも長い期間のご無沙汰となっていた。

 曙橋通りのセブンで、牛肉にぎり、鮭にぎり、コロッケパンを仕込む。自宅からもカップのキノコクリームパスタ、バランスパワースナックを持参した。
 スタートしてすぐにバランスパワーを完食。刈寄山の頂上に到着すると、湯を沸かしつつおにぎり二つをハイペースで食し、カップに湯を注げば、三分待つ間にコロッケパンをいただいた。熱々のクリームパスタを完食するとさすがにげっぷが出たが、食後の一服としてミルクと砂糖のたっぷり入ったコーヒーを景色を愛でながら楽しんだ。
 山を歩き、食事を美味しくいただけ、心の底からごちそうさんでござんす。