花粉・真っ只中

 先回の刈寄山から二か月が経とうとしていた。
 早朝でも暖かさを感じられるようになると、自然と意識は山へと向かい始める。それでも即行動に移せない理由があった。花粉症である。今年はとりわけ症状がきつく、目のかゆみは尋常でない。庭に出るだけで花粉の刺激を感じるという状態なのに、その花粉の発生の大元に出かけるというのだから、躊躇するのも致し方ない。ただ、ひと月ほど前に新しいトレッキングシューズを手に入れていたので、それの馴らしがやりたかった。

 三月九日(木)。丸一日快晴の予報が出たので、意を決して山へ登ることにした。行先は久々の日の出山。ルートは麻生山経由である。
 恐ろしいことに今年の花粉飛散量は過去十年で最大という。前述した目のかゆみもそうだが、一週間ほど前から就寝時の鼻づまりが顕著になり、口で息をするから朝になると喉が風邪をひいたときのようにひりひりする。これは不快だ。
 出発しようとPOLOに乗り込もうとしたら、昨日洗車してぴかぴかになったボディに黄色の膜がはったように花粉がのっていた。見るだけで鼻がムズムズする。

 白岩の滝には九時半に到着。先客らしき乗用車が二台停まっている。このマイナーなルートもだんだんと知れ渡ってきたのかもしれない。
 最初の石段を上がっていくと、新しいシューズがやや窮屈。足指周りにゆとりがないのだ。途中で指がずるむけになったらどうしようと、ちょっと不安。
 麻生平までは樹林帯の中を沢に沿って上がっていくので、ウィンドパーカーを羽織ってちょうどいい感じだったが、沢が終わるあたりから森の空気は少しづつ熱を帯びてきた。麻生平への最後の登りで堪らずシャツ一枚になったが、すでにノースリーブのアンダーシャツは汗をだいぶ吸い込んでいた。今日は異例に気温が高い。

 麻生平へ出るといつもの壮大な眺めが現れるが、ちょっと様相が異なった。山々とその先の景色まで靄らしきものがかかっていて、ひどく視界が悪い。もちろん朝靄などではない。大量に飛散した花粉が山と下界を覆いつくしていたのだ。
 この光景を目の当たりにした途端に鼻水が滴り落ち、目が異様にかゆくなってきた。ここは花粉発生の真っただ中なのだ。さらに標高を上げ、麻生山の山頂へ立ってみると、青梅線方面の市街地までが花粉に覆われ霞んで見える。これは堪らん。
 ここまで幾度も鼻をかみ続けたせいで、ハンドタオルが鼻血で毒々しい汚れ方になっている。鼻のムズムズも目のかゆみも収まりそうにないが、引き返してもこのまま周っても時間的に大して変わりはないので、計画通りに日の出山まで行ってみることにした。しかし、鼻をかみかみ、涙をふきふき、そして不自然な履き心地のシューズを履いての山歩きってのは、なんともしんどい。

 山頂に到着すると、婆ちゃん五名、爺ちゃん三名の高齢者グループがハンバーガーやらサンドイッチやらをぱくつきながら、大いに盛り上がっていた。ここはいつきても賑やかだ。大きな声で話しているので内容は手に取るほどわかった。これからつるつる温泉にいくグループと、登山口からすぐにバスに乗るグループと二手に分かれること、仲間の○○さんがすすめてくれた卵サンドはとてもおいしいこと、そして最近の物価高で食費も削っていること等々、こんな話題で最高潮に盛り上がれるのだからうらやましい。はす向かいに座っている小柄な婆ちゃんの視線を感じると、
「あなた花粉が大変そうね~」
 いかにも心配しているといった表情で話しかけてきた。
「ええ、この季節は堪りませんね」
「あたしたちみんな花粉はだいじょうぶなのよぉ、あはははは」
 花粉症が発症する原因は、やはりストレスだ。間違いない。

 目のかゆさを我慢しつつ、なんとかPOLOまで戻ってくると、たった五時間弱の間に花粉がこれでもかというほど車体を覆いつくしていた。
 今年の花粉にはやられっぱなしだ。低山登山の本格スタートは、花粉飛散量が減ってくる四月半ばからがいいかもしれない。

またまたニホンカモシカ!

  新年一発目の山は、刈寄山になった。
 年末から晴天が続き、おまけに週末にかけて気温も上がったきたので、休日になったらとにかく山へ行こうと心に決めていた。最初は三山コース(大塚山~御岳山~日の出山)を考えていたが、先回の山行から一か月以上経過しているので、先ずは足慣らしが肝心と、馴染みの刈寄山に落ち着いた。

 一月十二日(木)。本年の山行の無事を祈願ということで、麓にある今熊神社へお参りしてから登山開始。思い返せば刈寄山は七か月ぶりだ。昨年はいろいろな山へトライしてきたから、少々足が遠のいていたのだ。ただ、いったん山中へ入り込めば、すべてがいつもの通り。落ち着けるし和める。四季それぞれの顔を知っているのは唯一この山だけだ。

 歩き始めから体調の良さを感じた。初っ端の石段が全く苦にならないし、中盤にある倒木跡からの登りもへいちゃらなのだ。相変わらず右股関節の違和感は残るが、両膝は絶好調。スタミナも問題なさそうだ。
 なぜだろう?と幾度も考えた。
 適度な気温と無風という好条件がそろったからか。
 長そでシャツにフリースだけでちょうどよく、登りの連続ではやや汗をかくというほど良い感じは、精神的にも山歩きを楽しくしてくれるもの。そんな諸々が作用して、パワーが湧きたっているのかもしれない。

 山中は完全な冬枯れを見せた。草木が枯れ落ち、山肌がよく見えて、なんだか山自身も寒そうである。頂上直下まできたとき、ふと顔を上げると、東屋の全体が見渡せた。植物が生い茂る夏だったら絶対にありえないことだ。
 いつものベンチに陣取る。ここまで誰一人と会うことのない静かな山行だ。そう、体調がいいと腹も減る。あんパンは途中で平らげていたので、残るはカレーパンとカレーメシ・シーフード。カレー味のオンパレードだが、カレーは大好物なのでこれでいい。

 下山路でも体調の良さは変わらなかった。下山時は上りで疲労した筋肉が悲鳴を上げるので、膝痛や“よろけ”が出やすいが、今回は不思議に足運びはスムーズ。上り返しの時も苦はそれほど感じられなかった。それより、なだらかな下りが連続するところでは、小走りになることも屡々で、なんだかトレラン風になるほどだ。それだけ余力があったということだろう。腕時計を見ると、いつもより十分近くペースが速めだ。
 リズムよく下っていくと、突如、右の斜面に動く何かに気がついた。歩を止めると同時に黒くてでかい動物が現れ度肝を抜かれる。落ち着いてよく観察すると、浅間尾根でのシーンを思い出した。なんと再びニホンカモシカとご対面である。国の天然記念物になっているから、もう少々稀少な動物だと思っていたが、そうでもないようだ。むしろ以前はちょくちょく見かけたニホンジカが、ここ二年ほどお目にかかってない。

 登山口に一番近い見晴らし台まで下ってくると、五十歳前後と思しき作業服姿の男性が、ひとりベンチに腰かけていた。挨拶すると、地元の方だったので、先ほどのニホンカモシカについて聞いてみた。すると笑顔で答えてくれた。
「このへんじゃ、昔からよく見かけますよ」
「里に近いのに、いるんですね」
「自然はだんだん枯れてきたけど、ニホンカモシカはしっかりと生きてますね」
 彼によれば、川口川も以前は水量があって、子供のころはハヤやウグイがたくさん捕れたそうで、なんと金剛の滝では、渓流の女王ヤマメまでいたそうだ。
 実は亡くなった父方の祖母の実家がこの近くにあって、私が小学校へ入ったころ、その川口川で親戚の子供たちといっしょに魚捕りをした経験があり、今でもしっかりと憶えている。

浅間尾根

 午前四時十五分起床。居間に降りるとすぐにTVのスイッチを入れた。
「うわっ!負けてる」
 ワールドカップ第三戦・日本×スペインである。
 ちらりちらりとTVに目をやりながら出かける準備をするから、思うように進まない。忘れ物がでそうで心配だが、試合は後半戦が始まると一気にヒートアップ。逆転を果たしたころには、装備や登山靴等々すべて玄関へ並べ、じっくりと観戦。アディショナルタイム七分が発表されたとき、後ろ髪をひかれつつもTVのスイッチを切り、三鷹駅へと向かった。JR武蔵五日市着七時十五分の電車に間に合わなくなるからだ。
 今回の登山ルートは浅間尾根。その東寄りにそびえる浅間嶺は二度ほど立った経験があるが、浅間嶺から西側は未体験ゾーン。歩きやすい季節だし、当日の天気予報もまずますだったので、これはチャンスと出かけることにしたのだ。三鷹駅に着くとさっそくYaHooニュースを確認。『勝ち』を知ると気分スッキリ。

 武蔵五日市駅前の数馬行バス乗り場には、どこから湧いて出てきたのか、十名ほどのハイカーが列に混ざり並んでいる。五日市線車内には一人も見かけなかったのに。
 全員乗り込むと、シートのほぼ八割が埋まった。途中、小学生やら中学生が通学のために十数人乗り込んできて一時満車状態となったが、払沢の滝停留所で彼らは全員降りた。車窓から中学校が見えたので、おそらく小学校も近くにあるのだろう。バスはここでUターン、南秋川へと入っていく。

 ハイカーはまだ誰一人降車していない。いったいどこへ行くのだろう。まさかみんな私と同じ“浅間尾根登山口”なのか。そんなどうでもいいことを考えていると、年配八人組(座席はバラバラだったがグループ)が柏木野で降りた。こんな辺鄙な場所からどこへ行くのだろうと、地図を取り出し広げてみると、生籐山へ至る登山口があるではないか。すっかりガラガラになった車内には、私も含めて男性ハイカーが五人が残った。

 武蔵五日市を出発して約一時間。浅間尾根登山口に降り立ったのは私一人。後の四人はまだ乗っている。靴ひもを締めなおし、秋川を渡って登山口へ向かう。

 山道は整備されていたが、落ち葉の量が物凄い。おまけに濡れているので非常に滑りやすい。ちょっと油断するとズルッとくるから、下りだったら厄介だ。
 数馬分岐からは快適な尾根道に変わった。巨岩である“猿石”を通過しても快適な道は続き、北側の山々がよく見えた。こんな素晴らしいルートならもっと早く来るべきだったと感心する。ところがこの先に問題が待ち受けていたのである。

 おそらくだが、一本松は抜けていたのであろう。地図によればこの快適な道はずっと続くはずだった。細くなった尾根を上がっていくと注意書きが目に留まる。ひどく汚れていて読みにくかったが、橋が崩落していているので迂回しろとの内容だ。先を見渡すと、それらしき崩落跡があったが、その右わきには先に進める道らしきものも見える。あとは杉が伐採された急坂だけだ。“それらしき道”は目の前の急坂に対する巻き道と判断し、とりあえずそこを選んだ。ところが徐々に踏み跡が少なくなり完全に道は消えてしまう。この時、迂回路は急坂の尾根だったのだと思い返したが、戻るのは面倒なので、やや危険を伴うものの、右急斜面を枝や幹をつかみながら這い上がることにした。
 なんとか尾根道らしきところまで出ると、
「おおっ」

 絶景が待ち受けていたではないか。何枚か写真を撮ったのち、まだ続く上り坂を、踏み跡を確認しながら慎重に歩を進めた。今から思えば、これが大ミスだったような気がする。方向的には人里峠のある南東へ進んでいたが、実際には南東よりさらに南寄りだったのだ。そしてついに恐ろしいほどの急斜面の下降に出くわした。ここにも濡れた落ち葉が絨毯のごとく積もりに積もっている。それでもわずかだが踏み跡は確認できたので、正規のルートと信じ、腰を落とし、つま先を横に向け、且つ木々の幹や枝をつかみながら、少しづつ少しづつ下って行った。
 どのくらい時間を要しただろう、前方に整地された林道らしきものが見えてくると同時に斜面が緩やかになってきた。一山超えたとはこんな感じか。
「おっ!なんだ、あれは」
 突然、林道の向こう側の斜面から黒くて大きな動物が飛び出てきた。一瞬熊か?!と縮み上がったが、目を凝らせば、な、なんとニホンカモシカである。普通のシカは幾度も遭遇したことがあるが、カモシカは初めて。抜き足差し足で距離を詰めシャッターを切る。さらに足を延ばした途端にスッと踵を返されたが、何とか一枚だけ撮ることができた。
 それにしても完全に道に迷ったようだ。林道まで下りてきて眼下に目をやると、そこは集落になっていた。かなり標高が落ちた証だ。そりゃそうである、あれだけの急坂を時間をかけて下ってきたのだから。

 さておき、道標をはじめ、踏み跡など、先を示すものを探すことにした。林道を挟んで下っていく踏み跡があったので、とりあえずそこを進んでみた。ところが急に竹林に突き当たり、竹の合間には民家の屋根が見え、道は終わった。仕方がないので、再び来た道を戻り、今度は集落へと下った。誰かに現在位置を聞くしかやりようがない。
 二つ目の民家の庭先を通り過ぎようとしたら、年配男性が何やら作業中。声をかけてみた。
「すいません。道に迷ったみたいなんですよ」
「あらあら。つい一週間ほど前もね、道に迷ったっていう六名の女性グループがきましたよ」
 ご主人に地図を見せ、ここがどこなのか聞いてみた。しばらく目を細めて地図を凝視していたご主人が、
「ほら、ここに人里って記してあるでしょ。ここはね、バス停があるんです。うちの前の道を下って檜原街道に出ると右角が西川橋のバス停で、逆にそこから左へしばらく歩くとこの人里ですよ」
 なるほど。目の前の川は秋川の支流なんだ。ということは地図にはない、ほとんど獣道のようなところを下ってきたことになる。一つ間違えれば遭難ってことにもなりかねない。
「どうもありがとうございます。助かりました」
「バスが来るの、待っても一時間くらいかな」
 再度お礼を言ってから下りだした。それにしても恐ろしいことだ。他にも道に迷った人たちがいたという事実が。何度思いここしても、どこでどうしてミスを犯したのかがわからなく、なんだかキツネにつつまれたようである。
 てなことを考えながら歩いていると、檜原街道へ出た。十分もたっていない。確かに右角がバス停になっていて、時刻表を見ると十一時五十九分に武蔵五日市行きがある。腕時計は十一時二十分過ぎを示していたから三十分ちょっと待てば楽して帰路につけるってことだ。
 ところが今日の私はがぜん体調がよかった。若干の股関節痛は残っていたが、気になるほどではなく、むしろこうして山行が中断されたことが悔しくてたまらない。もう一度地図を広げてつぶさに見ると、人里バス停から北に向かって、浅間尾根の人里峠へ通ずる山道が記してあるではないか。再び尾根まで登り直ししなければならないが、余力はある。これまでの私では考えつかない判断だが、気持ちがいけそうと言っているなら、素直に従った方が面白い。

 日に二度目。「0」からの登山の始まりである。急坂を延々と下ってきた疲れが大腿筋に出た。ペースが落ち、立ち休みの頻度も高まるが、不思議と気持ちは萎えてこない。あわよく浅間嶺へ十三時までに到着すれば、昼飯も取れ、日が落ちる前に本宿へたどり着ける。
 やっとのことで尾根にでると、道標が立っていて、浅間嶺を示していた。至極当然のことだが、それが何とも嬉しく感じた。
 北側の山々の斜面には午後の斜光による影ができて、一味違った景観を楽しめた。そして最後の小山を超えると、浅間嶺展望台への道標が現れる。木の階段を昇りつめ、ベンチにどさっと座り込んだ。見回せば人気のビューポイントなのに、いるのは私一人だけ。ここからゴールまではよく知った道だから、焦らずゆっくりと昼ごはんにありつける。お湯が沸くと、カレーメシとインスタントコーヒーに注いだ。