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バイク屋時代 28 BUELL・その1

「木代くんさ、BUELL(ビューエル)ってバイク、知ってる?」
 突然社長が聞いてきた。
「以前、雑誌に載ってたのをチラッと見たけど、印象は薄いですね」
「松田くんは?」
「おれも良くは知りません」

 社長の話によれば、BUELLとはハーレー社が販売するスポーツモデルのことで、エンジンはハーレーに搭載しているものと基本的に同じだが、かなりの度合いでチューンしてあるらしい。
「そのBUELLがどうかしたんですか?」
「複雑な話なんだよ、ハーレーとの契約がさ…..」

 ハーレーの現地法人である㈱ハーレーダビッドソンジャパンへ、正規ディーラーの契約申請を出すと、意外な回答が返ってきた。
 ハーレー販売の実績がない会社は、まずBUELLを売ることから始めてもらい、その内容をよ~く観察した上で、ハーレー取り扱いへとステップアップできるかどうかを吟味するという、手厳しい一撃が返ってきたのだ。ずいぶん横柄な対応に思えたが、いずれにしてもBUELLを売らなければ先へは進めないのが現実。しかたがないので、まずはBUELLを研究し、よく知ることからスタートしようと、重い腰を上げたのだ。

 BUELLというネーミングは、このバイクを作ったERIK(エリック) BUELL氏のラストネーム。彼は以前、ハーレー社のスタッフだったが、理想のスポーツバイクを作りたい願望が抑えきれず、同社を辞職してBUELL社を立ち上げた。ハーレーとのパイプは残っていたから、エンジンを単体で供給してもらい、それをチューンしたうえで自作のシャーシに乗せたのが製品としてのBUELLだ。
 俺はBUELLはおろか、ハーレーのこともほとんど知らなかった。映画『イージーライダー』に出てくるスタイリッシュなバイクだとか、ローリングストーンズのポスターの中で、革のロングコートを羽織ったキースが、チョッパータイプのハーレーに跨っている姿が渋いとか、そんなレベルだった。ただ、エンジンがOHVのVツインだというのは認識していて、進化の激しいバイク業界において、何故ひたすらOHVなのかと不思議には思っていた。
 4サイクルエンジンには、サイドバルブ~OHV~OHC~DOHCと性能を上げてきた歴史があり、昨今バイクではほとんど使うことのなくなったOHVを採用する真意が当時はわからなかった。よってそんな古い形式のエンジンを載せたバイクなんて、走るの?!と、やや見下していた。

「社長、HDJ(ハーレーダビッドソンジャパン)に頼んで、BUELLの試乗車を借りてください」
「試乗車用の車両は買ったから、週明けには来るよ」
「えっ?! わざわざ買ったんですか? 借りればいいのに」
 “海外ビジネスとの遭遇”である。国産メーカーだったら、どこの販社からでも無償で試乗車は借りられるが、ハーレーは違った。<試乗車の設置は売上を向上させるために必要な投資>という考え方である。なににつけても投資という名目で金が必要になるのだ。立て看板、袖看板、キャンペーン用のぼり、カタログ等々は有料自動出荷。さらに米国会議への旅費などはビジネス投資に当たるため、すべて持ち出し。これが国産メーカーだったら真逆である。高利益率とうたう裏に隠された、予測を超える経費増の実態が明らかになりつつあった

「うわ~、かっこいい~」
 箱出しが完了し、姿を見せたBUELL・S1。興味津々で、今か今かと待っていた瀬古くんの目が光っている。という俺も車体に目が釘付けだ。
 スタイルはかなり個性的。ナンバープレート基台がマッドガードと一緒になっているのが目を引くが、なによりテール周りのすっきりとした印象が際立った。これはサイレンサーがエンジン下部に取り付けられているためだ。従来のバイクにはなかったレイアウトである。エリックによれば、デザインを考えたのではなく、“マスの集中化”の実現という。車体の中心に重量を集中させることにより、クイック且つコントローラブルなハンドリングを得られるとのこと。実際に走らせて検証したいものだ。
 次に跨ってみると、これが違和感だらけ。シートの幅がやたらに狭く、ほとんどオフ車並み。しかも座面にアールがついているから着座感に乏しく、おまけにシートレザーがつるつるとした素材なので、これでフル加速でもしたら、冗談ではなく後方へずり落ちそうだ。
「この車格でエンジンが1200ccでしょ、シングルディスクで止まるのかな」
 海藤メカの指摘はもっともだ。リッタークラスのスポーツバイクで、フロントブレーキがシングルなんてバイクは、これまでに見たことも聞いたこともない。
「これで伊豆スカ100Kmオーバーはリスキーかも」
「まあ、走ってみなきゃね~」

 S1の整備が完了。どのようなテイストを持つバイクなのかは、実際に走ってみなければわからないので、社長へ許可を取り付け、定休日に体験ツーリングを試みた。行先は慣れ親しんだ伊豆箱根である。
 街中ではとにかく振動の大きさに閉口した。特にアイドリング時が顕著で、信号待ちのたびにハンドルから手を放して痺れを回避。ところが環八から東名へ入ると振動の様子が変化した。車体を揺らすようなものから微振動へと変わり、エンジンにスムーズさが出てくる。それでも慣れてないせいか、高速クルージングには不向きと思った。しかし、不満ばかりではなく、面白さも徐々にわかってきた。80Km前後からの加速がなんとも小気味いいのだ。ビッグツインならではの“ドロドロドロ”っと、いかにも大きなピストンがクランクを押し回しているというリアルな感じはマルチエンジンでは決して得られないもの。ただ、面白さや力強さやを楽しめるのは時速70Kmからせいぜい130Kmまで。130Kmを超えると振動は再び不快なものに変わり、なによりパワー不足を感じてしまう。まだ慣らし運転中なので、スロットルのワイドオープンは躊躇したが、時速150Km近くへ到達するためには、苦しそうなエンジンの唸りを聞き続けなければならない。これ本当に排気量1200ccか??とまじめに思ったほどだ。年式は古いが、俺のZXR750だったら、トップギアで180Kmから猛然と加速する。新車おろしたて故、まだ当たりがついてないことを考慮してもプアである。やや消沈しつつ、御殿場ICから旧乙女向かった。

 高速道路とは打って変わってタイトターンの連続である。マスの集中化とはうたっているが、倒しこみはそれほど軽くなく、癖のほうが目立ち手こずった。ただ、慣れてくるにつれ、本来の姿も見えだした。
 やはりOHVである。エンジン回転の頭打ちがすぐに来るので、いつものようにギアダウンしスロットルを開けても唸るだけで加速はしない。パワーが乗らないから後輪にトラクションがかからずコーナーが不安定。この辺がマルチや2ストと比べるとかなり異なる。ところがだ、しょうがないとシフトダウンはせずにそのままスロットルを開けると、ドロドロドロドロと、大きなトルクで低回転のまま加速していくではないか。<加速 = 回転を上げる>に間違いはないが、美味しい回転域がマルチとは違うところにあったのだ。この特性が判明すると、これまでマイナス面しか目立たなかったBUELLが一気に光りだした。逆にこれまで経験のなかったライディングフィールを覚え、面白くて笑った。芦ノ湖スカラインも終盤に差し掛かるころには、気持ちよくスロットルを開けられ、「ツインスポーツってのもありだ~♪」と大いに満足。ただ、フロントシングルディスクによる制動力不足は、最後まで慣れることはなかった。
 それから一週間後。知名度の低いBUELLを一人でも多くのライダーに知ってもらおうと、国内初となる【BUELLディーラー全国一斉試乗会】の開催がHDJより発表され、各バイク雑誌にでかでかと告知された。

広島・桜巡り

 桜の季節になると、南伊豆の青野川や松崎の那賀川の開花情報を確認しては意気揚々と出かけたものだ。ただ毎年のことなので、やや食傷気味になっていたのも事実。せっかく自由な毎日を過ごしているのだから、もう少し視野を広く持って桜を愛でてみようと、二泊三日の旅程で(四月七日~九日)、広島県は福山~尾道~広島を順に追ってみた。

 歳は取っても一人旅のワクワクドキドキは変わらない。これまではたいがい車を利用してきたが、今回はけっこうな距離があったので、無難に新幹線をチョイス。この“新幹線に乗る”ってこともワクワクドキドキを倍増させた。乗車は実に38年ぶりなのだ。デニーズに勤めていた頃、本部での会議へ出向く際、新大阪~東京間を利用したのが最後。久々だったこともあり、その恐ろしいスピードには舌を巻いた。車窓を流れる景色を横目で追えば、旅客機の離陸時と見まがうほどである。翼があれば飛んでいきそうだ。
 福山駅に降り立つと、駅前にそびえる福山城の石垣と咲き誇る桜が目に飛び込んだ。写欲のスイッチが入るには十分なインパクト。はやる気持ちをおさえ、まずは駅前のベンチに腰掛け、カメラの設定を確認。持参したのはα6500+SEL1670Z。安心万能の組み合わせだ。
 福山城公園に入ると、あちこちで花見に興じる人たちがビニールシートを広げていた。風もそれほど強くなく、陽光は限りなく暖かさを降り注ぎ、絶好のお日和。時間に余裕があれば缶ビールで一息つきたいところだが、撮影後は駅の反対側に回り、ひとまず“ホテルトレンド福山駅前”へチェックイン。シャワーを浴びてから、「潮待ちの港」として江戸時代に栄えた町、“鞆の浦”へ向かった。
 三十分ほどトモテツバスに揺られて到着した港町は、あたかもタイムスリップしたかのような街並みである。スナップ好きには堪らないシーンが多々ある穴場的なところだ。五時を回っていたので観光客もまばら、じっくりとレンズを向けることができた。瀬戸内の海はこの上なく穏やかだった。

 翌朝、仕度をすませると、事前にwebで調べておいた、ホテルから徒歩三十秒の、とある喫茶店へ行ってみた。その名は“純喫茶ルナ”。出がけにフロントの男性に聞いてみると、
「角のお店ですよね? 昔からあって評判もいいですよ」
 笑顔で薦めてくれた。
 七時半開店でモーニング目当ての客が多いとのこと。入店すると、とてつもなく昭和チック。大昔、地元にあった喫茶店を彷彿とさせる。
「いらっしゃいませ」
 色白でスタイルのいい、二十代半ばと思しきウェイトレスが水とおしぼりをはこんできた。
「こちらがモーニングメニューです」
「じゃ、ルナモーニングで」
 ルナモーニングは1,250円とモーニングセットとしてはやや高いが、味が良く、満腹感を得られるボリュームが嬉しかった。コーヒーは深いコクがあって香り高く、朝のひと時を読書で楽しむ向きにはもってこい。今回持参した文庫本は、浅田次郎著の『天国までの百マイル』。

 福山から山陽本線で尾道へ移動。しばしローカル線のゆったりした空間を楽しんだ。
 尾道は港の町。駅の真ん前には海が広がるが、どこから眺めても河にしか見えない。そう、ここも鞆の浦と同じく、大小の島々が複雑に織りなす瀬戸内の海なのだ。
 しばらく海岸通りを東へ進むが、目指す千光寺は山の上なので、頃合いを見て山陽本線の踏切を渡る。山頂まではどのルートを選ぼうと、すべて急な石段を上がって行くことになる。千光寺山の標高はおおよそ150mあり、まさに海っぺりからのスタートなので侮れない。
 少し上っては振り向くを繰り返す。坂から見下ろす眺めは格別で、標高が増すにつれ、徐々にファインダーの端へ満開の桜が入り込むのが堪らない。そのたびに歩みを止め、アングルを決めてからシャッターを押すから、なかなか先へ進まない。
 頂上展望台の手前に土産物屋があったので、みかんソフトクリームを舐めながら店先のベンチで休憩。多くの観光客で賑わっているが、ほとんどが外国人である。昨今のインバウンド急増は本当に驚きだ。
 点在する島々と立派な橋、その手前にはいたるところに桜、桜、桜。展望台からの眺めは、春爛漫の一言に尽きる。

 低山歩きの後は腹が減る。尾道に訪れたら穴子を食おうと決めていた。先ほど海岸通りを歩いてきたときに、穴子丼ののぼりを出しているよさげな鮨店をチェックしていたので、迷わず暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませ! おひとりさまですか」
「はい」
「ではそちらのカウンターへどうぞ」
「穴子丼をお願いしたいのですが」
「かしこまりました!」
 活気のある店だ。昼前だがすでに四組ほど入っている。
「お客さんはどちらからいらしたんか?」
 お茶を持ってきた女将と思しきおばさんが話しかけてきた。
「東京です」
「東京もええところがいっぱいあるからねぇ」
 目の前で刺身を切り出している板長はおばさんの旦那、その隣で小気味よく動き回っている板さんは若女将の旦那ってなところだろう。それにしてもこのおばさん、隠居してもいい年頃なのに、店に出るのが大好きなのがありありとわかる。先ほどから店員へ指図等々を連発しているところから、間違いなく大女将なのだろう。もちろん客に対してはいたってフレンドリーで、明るく感じのいいおばさんだ。
 お茶をずるずるやっていると、三十歳前後と思しき外国人男性が入ってきた。カウンターへ案内されると彼、いきなりiPadを取り出し検索をし始めた。この店【鮨と魚料理 保広】のサイト内にあるメニューのページを開いて、なにを注文しようか思案しているのだ。後でわかったことだが、保広のサイトはすべてのページに英語表記の説明が載っていた。インバウンド対策ばっちりである。このアイデアは若女将?!
「ジャパニーズドリンクOK?」
 おばさん、躊躇なく外人男性に聞いているが、彼、ちんぷんかんぷんのよう。それにしてもジャパニーズドリンクとはなに?
 と思った束の間。若女将がしゃしゃり出て、なにやら説明し始めた。なんのこともない、ジャパニーズドリンクとはお茶のことだったのだ。おばさん、次は「Green tea」でおねがいしますよぉ。
 穴子丼はとても美味しくいただけた。鰻と違ってあっさりした身だが、かみしめるほどに味わい深くなり、あっという間の完食である。

 二泊三日の旅は、やや強行。
 最終日はかねてから訪れたいと思っていた広島の原爆ドーム。ちょっと時間がかかるが、尾道からは山陽本線を利用した。ローカル線をのんびりと行くのもいいものだ。
 広島へ到着すると、さすがに山陽の主要都市だけあって、これまでの福山、尾道とは別格の賑やかさ。しかも単に町の規模が大きいだけではなく、路面電車のプラットホーム等々が目に入れば、豊かな地方都市の色合いも感じ、思わず旅情が湧き立つ。
 その路面電車に乗り込む。『立町』で下車すると、目と鼻の先に今宵の宿“ホテル山城屋”がある。チェックインを済まし、原爆ドームへ出発だ。
 ホテルからはアーケード(広島本通商店街)を西端まで歩けば、そこが広島記念公園。川に沿って右手が原爆ドーム、橋を渡って左手へ進めば広島平和記念資料館がある。
 どこを見渡しても観光客であふれかえっているが、そのほとんどが欧米人。まるでどこか海外の公園に来ているようだ。
 初めて原爆ドームの前に立ち、無残にも破壊された様を見上げれば、物事のはかなさをしみじみと感じてしまう。米国は幾度となく行った原爆実験により、どれほどの威力があるかは十二分に理解していた。使えば人や町がどうなるかを…..
 それをわかっていて、実際に広島と長崎に落とした事実はあまりにも重い。原爆資料館ものぞいてみたが、順路に従い進んで行き、最後の退出口手前の廊下まで来ると、たくさん設置されているベンチに、座る余地がないほど外国人が腰掛け、うなだれていた。日々これだけ大勢の外国人観光客が訪れ、そのほとんどの人たちが、原爆や戦争に対して少なからずの疑問と嫌悪を抱えて帰国すると思う。この繰り返しによって、少しづつでも反戦への力が増えていってくれれば幸いだ。

バイク屋時代 27 大方向転換

 新ギャラツーのオープンもまずまずの滑り出しを見せた。来店客は多く、在庫はたちどころに売れていった。売れることは嬉しいが、納車が進めばたちまちショールームに空きが目立ち、みすぼらしいことこの上ない。当然であるが中古車の売上は在庫が少なくなると落ちていくので、江藤さんは仕入れ資金の許す限り、足繁くオークションへ通い、新たな売れ線を買い求めた。だが人気車種はどこの業者だって欲しいから、セリは過熱、話にもならない高値がついてしまう。無理して買っても、まともな儲けなど望めるわけもない。
 そう、中古車の仕入れってのは、とにかく難しい。
 常に程度のいい中古車を安く仕入れられれば、これほど楽に儲かる商売はない。なんと言っても良策は、直接ユーザーから買い取ることだが、町のバイク屋に買ってくれと持ち込む例は本当にまれで、現状はレッドバロンのような知名度が高く、多大なる広告費をかけて買取の訴求を常に行っているところへ集まるのだ。末端ユーザーは素人、よって売り買いの相場など知る由もない。そこへ言葉巧みなプロのバイヤーが買取交渉を持ちかければ、ことごとくオークション相場より低い価格で買い取り交渉が成立し、場合によっては店頭で売らずともそのままオークションへ横流しするだけで、けっこうな利益を上げられるのだ。

BDS柏の杜オークション会場

「木代くんさ、なんか下取り入ってこない?」
「きびしいっすね。週末におんぼろスクーターが一台だけかな」
「今さ、バカみたいに高いからさ、ほんと買えないよぉ」
 さすがの江藤さんもお手上げである。しかもさっき下山専務から、
「今月は支払いが多いから、買取は月が替わって残高を見てからじゃないと駄目よ」
 と、釘を刺されていた。実は本店の経費が予測以上にかかっていたのだ。そんな中、かなり膨れ上がっている借入金の返済は容赦なく訪れるので、ここ数か月、下山専務の機嫌はかなり悪い。そんな中でも店は相変わらず忙しく、昼食をとるのもままならない状況に変わりはなかった。しかし、忙しいからと人員を大幅に補充したことによる経費増、そして解決できずにいる単価の低さと値引きの悪循環により、台所事情は急速にひっ迫していた。
 そんなジリ貧状況が一年近く続いていただろうか。ある日の店長会議で、大崎社長が会社の方向を大きく転換させようと、驚くべき計画を発表したのだ。

Harley-Davidson本社 アメリカ合衆国ウィスコンシン州ミルウォーキー

 要約すると、
 これまでの国産4メーカーを主軸とした販売は、単価の低迷などの煽りを受け、利益率は下がる一方。しかも業界の値引き合戦はいまだ熾烈で、特にスクーター販売は慈善事業になりつつある。各メーカーとの契約には少なくない保証金を入れなければならず、売上は目標をクリアしなければ当然達成マージンは出ない。こうなると四つのメーカーと契約し続けるのは効率が悪く、運営資金的にも負担が大きいのだ。
 国産バイクは創業以来の商品であり、それによって多くの既納客を獲得してきたが、現況を鑑みて、この先利益を上げ続けるのが困難になることは間違いない。そこで考えたのが、収益性が極めて高いといわれてるハーレー(Harley-Davidson)の扱いを始め、国産は状況を見ながら順次減らしていき、1~2年をめどにハーレー専業へと様変わりさせるというものだった。さらに、一時は流行りに流行ったレーサーレプリカが、今では見る影もなくなり、それに代わって、スティード、ドラッグスター、バルカン、イントル―ダー等々のアメリカンバイク大きく売上を伸ばしている現況があった。

「これまでのお客さんのアフターはどうすんのよ?」
 江藤さん、爆発する勢いだ。
「内々の話だけど、メカの近江くんが近い将来に独立したいって言ってきてるんだ。だったらその時うちから多少バックアップしてあげて、彼の店でアフターをやってもらおうかと思ってる」
 社長の頭の中ではすでにハーレー構想は確定事項だろうが、こればっかりは素直に承諾できない。いくら国産の収益性が悪いからと言っても、もう少しやりようがあると思うし、これまで信頼関係を築いてきた各メーカーとのパイプは太く、簡単に断ち切れるものではない。特に営業部長という俺の職務上、メーカー営業担当とのやり取りをはじめ、目標設定、ニューモデル説明会、新年大会等々、販売会社との関りすべてに携わってきたので、繋がりの重要性は誰よりわかっているつもりだ。それともう一つ気になることがある。

ヤマハ新年大会 ゲストは【ザ・ワイルドワンズ】 浜松グランドホテルにて 

 うちの社員、特にメカニックの入社のきっかけは、そのほとんどがバイクが好きだからというシンプルなもの。好きなバイクにも好みがあり、興味のある対象を受け持てることが就労を続ける理由にもなっている。例えば常連客から社員になった富澤くんは、ベスパに興味が湧いたことがもとで入社し、現在は吉本くんの弟子となって、イタリアンスクーター全般を扱えるメカニックを目指し、日々嬉々として奮闘中である。その彼に「うちはハーレー一本になるんだよ」と告げたら、どのように考えるだろうか。実は富澤くん、このハーレーディーラー化計画を聞かされた後に独立を決断。近江くんに先んじて退職し、こじんまりだが、早々と杉並にベスパ専門店を持ったのだ。
「これまでのお客さんすべてを近江が一人で受け持つんですか? そりゃ物理的にも無理でしょ」
「今回のように取り扱い車種が変わるような大きな変革を行えば、国産のお客さんの大半は離れると思ってる。おそらく近江くんがつかんでいる一握りのお客さんしか残らないさ」
「いいんですか、それで?」
「全部見越したうえですよ。それより収益性の高い新しいギャルソンを一日でも早くスタートさせるほうが肝心だよ」
 もう社長の腹は完全に決まっている。経営者に逆らうわけにはいかない。
 ところが… ハーレーディーラーへの道は予想以上に険しかったのだ。