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井の頭公園・桜

 昨夜までの雨もやみ、時々雲間から青空も顔を出す清々しい朝。リチャードの散歩を終え、軽く朝食をすませると、小さいリュックにα6500を入れ、家を出た。行先は井の頭公園だ。
 今年は桜の開花が早く、東京の桜はおおむね見ごろを迎えた。
 来週は伊豆へ行く予定なので、地元の桜撮影は今日二十四日しかない。

 いつものことだが、平日とはいえ井の頭公園は多くの人達で賑わっていた。特に目立ったのは外国人観光客。徐々にだが、確実にコロナ禍前に戻ってきていると思う。
 肝心の開花の状態は、満開一歩手前。樹によってはだいぶ蕾が混ざっている。ただ、花見の雰囲気は十分すぎるほど漂っていて、暖かい陽気も手伝い、ベンチに陣取り冷たいビールでもやりたくなる。前から歩いてくる四人連れの若い白人は、全員半袖Tシャツに短パンといういで立ち。桜が終わればすぐ夏だ。

 弁財天から反時計回りでスタートし、七井橋で対岸へ渡り、今度は時計回りでぐるりとひょうたん橋を巡る。
 ふとカメラの充電残量をチェックすると、34%とずいぶん消費していた。α6500はボディ内に手振れ補正機構が搭載されているので、α6000と比べればその分電気を食うのは分かる。しかし、ちょっと近所の公園までスナップというSituationで予備バッテリーを気にしなければならないのはいかがなものか。

 再び七井橋を渡って公園通り方面へ向かっていると、な、なんと、井の頭公園の裏のシンボルとまで言われてきた、連れ込み旅館『和歌水』が解体されている。これはショック。匂い立つほどの昭和の佇まいは、周囲にほど良く溶け込み、前を通るだけで、五十年はタイムスリップできそうなオーラを発していたあの建物が、悲しいかな、ユニックの下敷きになって跡形もないのだ。

 青春の一ページを剥ぎ取られたような感覚に陥り、暫し茫然自失。
 その昔、私が利用したかどうかはご想像におまかせするが、以前は公園周辺に知っているだけで四件の連れ込みがあって、昼間と夜、それぞれの井の頭公園に大人のアクセントをつけていたものだ。

 あ~、のどが渇いた。家へ戻ったらスーパードライで水分補給でもしよう。

花粉・真っ只中

 先回の刈寄山から二か月が経とうとしていた。
 早朝でも暖かさを感じられるようになると、自然と意識は山へと向かい始める。それでも即行動に移せない理由があった。花粉症である。今年はとりわけ症状がきつく、目のかゆみは尋常でない。庭に出るだけで花粉の刺激を感じるという状態なのに、その花粉の発生の大元に出かけるというのだから、躊躇するのも致し方ない。ただ、ひと月ほど前に新しいトレッキングシューズを手に入れていたので、それの馴らしがやりたかった。

 三月九日(木)。丸一日快晴の予報が出たので、意を決して山へ登ることにした。行先は久々の日の出山。ルートは麻生山経由である。
 恐ろしいことに今年の花粉飛散量は過去十年で最大という。前述した目のかゆみもそうだが、一週間ほど前から就寝時の鼻づまりが顕著になり、口で息をするから朝になると喉が風邪をひいたときのようにひりひりする。これは不快だ。
 出発しようとPOLOに乗り込もうとしたら、昨日洗車してぴかぴかになったボディに黄色の膜がはったように花粉がのっていた。見るだけで鼻がムズムズする。

 白岩の滝には九時半に到着。先客らしき乗用車が二台停まっている。このマイナーなルートもだんだんと知れ渡ってきたのかもしれない。
 最初の石段を上がっていくと、新しいシューズがやや窮屈。足指周りにゆとりがないのだ。途中で指がずるむけになったらどうしようと、ちょっと不安。
 麻生平までは樹林帯の中を沢に沿って上がっていくので、ウィンドパーカーを羽織ってちょうどいい感じだったが、沢が終わるあたりから森の空気は少しづつ熱を帯びてきた。麻生平への最後の登りで堪らずシャツ一枚になったが、すでにノースリーブのアンダーシャツは汗をだいぶ吸い込んでいた。今日は異例に気温が高い。

 麻生平へ出るといつもの壮大な眺めが現れるが、ちょっと様相が異なった。山々とその先の景色まで靄らしきものがかかっていて、ひどく視界が悪い。もちろん朝靄などではない。大量に飛散した花粉が山と下界を覆いつくしていたのだ。
 この光景を目の当たりにした途端に鼻水が滴り落ち、目が異様にかゆくなってきた。ここは花粉発生の真っただ中なのだ。さらに標高を上げ、麻生山の山頂へ立ってみると、青梅線方面の市街地までが花粉に覆われ霞んで見える。これは堪らん。
 ここまで幾度も鼻をかみ続けたせいで、ハンドタオルが鼻血で毒々しい汚れ方になっている。鼻のムズムズも目のかゆみも収まりそうにないが、引き返してもこのまま周っても時間的に大して変わりはないので、計画通りに日の出山まで行ってみることにした。しかし、鼻をかみかみ、涙をふきふき、そして不自然な履き心地のシューズを履いての山歩きってのは、なんともしんどい。

 山頂に到着すると、婆ちゃん五名、爺ちゃん三名の高齢者グループがハンバーガーやらサンドイッチやらをぱくつきながら、大いに盛り上がっていた。ここはいつきても賑やかだ。大きな声で話しているので内容は手に取るほどわかった。これからつるつる温泉にいくグループと、登山口からすぐにバスに乗るグループと二手に分かれること、仲間の○○さんがすすめてくれた卵サンドはとてもおいしいこと、そして最近の物価高で食費も削っていること等々、こんな話題で最高潮に盛り上がれるのだからうらやましい。はす向かいに座っている小柄な婆ちゃんの視線を感じると、
「あなた花粉が大変そうね~」
 いかにも心配しているといった表情で話しかけてきた。
「ええ、この季節は堪りませんね」
「あたしたちみんな花粉はだいじょうぶなのよぉ、あはははは」
 花粉症が発症する原因は、やはりストレスだ。間違いない。

 目のかゆさを我慢しつつ、なんとかPOLOまで戻ってくると、たった五時間弱の間に花粉がこれでもかというほど車体を覆いつくしていた。
 今年の花粉にはやられっぱなしだ。低山登山の本格スタートは、花粉飛散量が減ってくる四月半ばからがいいかもしれない。

春をもとめて・伊豆の南から西へ

 梅もいいが、やはり艶やかな河津桜が咲きだすと、春到来の実感が湧く。本家本元、河津川の満開情報を耳にしたとき、居ても立ってもいられなくなり、今年も南伊豆に宿を取って、思う存分春を切り取ろうと出発した。
 ちょうど昨年の逆コースを辿る要領で、南伊豆は青野川の河津桜と菜の花を手始めに、R136を北上しながら松崎、戸田と巡ってみた。
 今回の撮影機材は、ボディがα6500とα6000、そしてレンズはSEL1670Z、SEL55210、SEL1018と、所有のソニー純正APS-Cすべてを持ち出し、準備万端で臨んだ。その際、よく使う大型カメラバッグではなく、二回りも小さいバッグで事足りたのは、APS-Cミラーレスが持つ最大のメリットではなかろうか。

 三月一日(水)。自宅を出発したのはゆっくりとしたもので8時半。これぞ一泊撮影行のメリットだ。もうすぐ七十歳に手が届く年齢になると、早出の日帰り撮影行は体に堪える。豪華な旅館やホテルは必要ない。一晩ゆっくりできるねぐらがあればいい。これまでもだいたいが素泊まりで、たまに朝食付きにするくらいだ。よって今回も素泊まり宿、南伊豆は『らいずや』を予約した。ところがこの宿、これまでとは少々趣が違った。なんとオールセルフ方式なのだ。予約のあと宿泊料金の入金を済ませると、QRコードならびにキーコードがメールで送られてくる。宿に到着すると、迎えてくれるスタッフは誰一人おらず、チェックインに応じるのはタッチパッドのみ。これにスマホのQRコードをかざすと、左隣にあるボックスの蓋が開き、中にはルームキーが入っているという仕掛けだ。予約したのは八畳の和室で一泊4千円(税込)。当初はオールセルフに怪しさを感じていたが、宿は外観もしっかりした佇まいで、館内に入れば隅々まで清掃が行き届いていた。第一印象は二重丸。部屋はありがちなスタイルだったが、テレビ、冷蔵庫、ウォシュレットトイレ、金庫、洗面台、ドライヤー等々、必要なものはひととおりそろっている。もちろん清潔感は文句のないレベル。さらに驚いたのは、風呂はれっきとした温泉なのだ。浴室はそれほど広くはないが、湯船のつくりや湯量は一般的な民宿や漁師宿の比ではない。湯温が高いのが玉に瑕だったが、やや塩分の多い泉質は疲れも取れて、おまけに肌もすべすべになる。寝具はもちろん自分で敷くわけだが、使った後、シーツ、枕カバー、掛け布団カバーは外して部屋の入口に畳んでおくのがルール。そしてチェックアウトはルームキーを返却ボックスへ入れればそれで完了。実にノンストレスシステムなのだ。
 宿のホスピタリティも旅情の一部ととらえる諸氏には向かないが、私のような使い方にはこの上ない宿と言っていい。スタッフが常駐しないので、当然食事の提供はないが、ずいぶんと設備の整ったキッチンがあり、常時無料で使うことができる。近くにはいくつか飲食店もあったので、私は『食事処・斉』でミックスフライ定食を食した。

 日野の菜の花畑は最高潮の輝きを放っていたし、青野川の河津桜もまだ満開を保っていた。いつもながら春全開の眺めである。
 ただ、これほど撮影に心躍る環境にいるというのに、今年は花粉アレルギーがひどく、今一歩気分が晴れなかった。鼻水とくしゃみはなんとか処方薬で抑えていたものの、目のかゆみが耐え難く、ファインダーを覗いていても頻繁に涙が滲み撮影の邪魔になった。例外なくこの季節は悩まされるが、今年は特に顕著だ。

 夜中の雨も早朝には上がり、八時には雲の合間から青空も顔を出すようになった。風がやや強かったが、三脚が使えないほどではない。菓子パンで朝食を済ませ宿を出た。

 久々に松崎の町並みを見たくなり、いつものように漁協の向かいにPOLOを停めた。
 私はこの変わることのない那賀川河口の景色が大好きだ。田舎の港町の原風景とでもいうのか、少年期の沼津がバッティングする。子持川に沿う小径を下っていき、わずかな喧騒を感じ始めると同時に港と船が目に飛び込んでくる。その瞬間、心に沸き立つ広がりと同類のものがここにはある。静かに流れる空気に包まれるだけで心が癒えてくるのは、何とも不思議な感覚だ。