浅間山

 十月十二日(木)。今年の紅葉登山は、初となる浅間山外輪山を歩いてきた。
 きれいな紅葉の山々は、サイトをググれば選ぶのに苦労するほど見つかるが、この浅間山は抜きんでて目を引いた。浅間山単体では無機質な火山と言った体だが、外輪山を含む全体像は極めて個性的であり、まさに自然が作り出す造形美の好例だ。

 思えば昨年の大菩薩峠が感動的だった。木々の色づき方をはじめ、天候も紅葉撮影にこれ以上ない好条件に恵まれ、唐松尾根の上りでは何度も立ち止まってはその絶景に息をのんだ。よって今年もいい絵を収めようと勢いづくのは無理もない。

 自宅を五時半に出発。途中、上信越道のPAで一服つけ、登山口のある車坂峠には八時四十五分に到着。風もなく気温も9℃と絶好の登山日和だったが、気になったのはガス。ぐるりと一帯を覆いつくしている。
 支度を終え、登山口とトイレはどこかと探し始めると、坂の上から体格のいい若い男性が下りてきたので、聞いてみた。
「すみません。トイレってこの辺にありますか」
「ぼくも今行ってきたんですよ。そこを上がって右へ折れるとあります」
「ついでに教えて欲しいんですが、登山口はどこですかね」
「その建物の向こう側です。看板地図もありました」
「ありがとうございます。助かります」
 何とも感じのいい青年だ。おそらく彼もこれから登るのだろう。

 計画通り、表コースからスタート。最初はなだらかだった道が、徐々に勾配を増しはじめ、大腿筋が目覚めた。もっともどこの山を登っても概ね同じ流れであり、登山とは一途にタフな行為なのだ。
 汗をかき、息を弾ませ、歯を食いしばりながら一歩一歩頂上を目指す。
 「なんでそんな辛いことを」と冷笑される向きも多々あるが、大自然の懐で誰の助けも借りずに、己の精神と体力のみで得られる景観と経験は、何事にも代えられないピュアな幸せ。これを一度でも知れば、そう簡単に登山を断ち切ることはできない。

 右側の展望が開けてきた頃、前方の大きな岩に腰掛けた、年配夫婦と思しき二人が目についた。近づいていくと、
「こんにちは。いい天気ですね」
「風もなくて、暑いくらいです」
 ここでザックを下ろし、Mountain Hardwearのジャケットを脱いだ。すでに汗をかき始めたのだ。ネルシャツ一枚でちょうどいい。
「私たち年寄りなんで、休み休みですよ」
「失礼ですが、おいくつですか?」
「同い年で七十七歳」
 今回のコースはそれほどハードではないが、れっきとした登山には違いない。この後会話が弾み、なんとLINEの交換まで進んでしまう。Eご夫婦は、赤城山の麓にお住いのアウトドア好きで、普段は地元群馬の山を歩いているという。

 一つだけぽつんとたたずむシェルターを過ぎると、最初の景勝ポイント“槍ヶ鞘”が見えてくる。ところが残念なことに、ここも濃いガスに覆われて、ほとんど視界が利かない。ガスが途切れるのを少し待つかと、周囲を見回すと、右手にいた男性が振り返った。
「おっ、駐車場の時の」
「どうも。残念ですね、ここは」
 あの感じのいい男性である。
「こればっかりはね。ここは何度か?」
「いや、地元なんですが初めてです」
 話をすると、彼は嬬恋村に住む三十四歳。もともとアウトドアが好きだったが、登山歴はまだ二年とのことだ。彼は会話のあと、早々に槍ヶ鞘を出発したが、さすが若者、“トーミの頭”へと上がっていく後ろ姿と足の運びは軽快だ。
 私も遅れてトーミの頭へ到着すると、ガスがうまいことに南へと流れ、浅間山の全容があらわになった。幾人かのハイカーが皆口をそろえて、「すごいね~~」、「絶景だ」の連発である。
 ここで最初の休憩をとった。カロリーメイト二本をポカリで流し込む。
 先回の木曽駒ケ岳に続いて、息をのむ絶景を目の当たりにすると、当たり前だが、来てよかったとシンプルに感じた。
 ナイスガイの後を追って、次のポイント“黒斑山”へと向かう。

 一旦は樹林帯歩きになったが、時々右側が切れると大きく広がる外輪が見え、ついつい立ち止まってはレンズを向ける。それだけ魅力的なのだ。
 黒斑山へ到着すると、ナイスガイが休憩中だった。
「またガスが出始めましたね」
「でも、ぼくのような写真好きには、景色に変化が出て、ウェルカムってな場合もあるんですよ」
「ぼくはこれ、スマホ」
「でもね、最近のスマホはきれいに撮れて侮れないですよ」
 事実、最近のスマホは撮像エンジンが高性能化していて、まるでPhotoshopのベテランが加工したような画が飛び出てくるから驚きだ。
「ぼくはこの先の蛇骨岳までいきます」
「同じく休憩してから後を追いますよ」
 当初の計画では、いい画がたくさん撮れれば、黒斑山でUターンと決めていたが、青空も出始めたし、時間もまだ十分残っていたので、この先の景色に期待して、ナイスガイと同じく蛇骨岳まで足をのばすことにした。
 結果は大正解。北に進むほどガスは消え去り、また雲も減ってきて、鋸岳からその先まで続く迫力ある外輪をこれでもかと眺めることができたのだ。

 下山はトーミの頭から中コースを下っていった。展望はないが、車坂峠に戻る最短コースだ。
 紅葉狩りとしてはややタイミングが早すぎたが、休憩を含めても五時間弱と体に負担が少ない山行だったし、外輪と言う他では見ることのできない超個性的な絶景を心行くまで堪能できたのは予想を超える収穫だった。
 また今回はEご夫婦やナイスガイとのやり取りをはじめ、数名のハイカーと話ができたのも、楽しい思い出として脳裏に焼き付いた。
 冬が来る前に、もう一座、登ってみようかな。

中央アルプス・木曽駒ケ岳

 山友のHさんと以前より計画していた、アルプス登山を決行した。
 ターゲットは、中央アルプスの“木曽駒ケ岳”。ロープウエイを使えば、日帰り登山が可能という、初のアルプスにはうってつけの山なのだ。
 
 九月十三日(水)。仕事帰りのHさんを三鷹で拾うと、そのまま中央道で長野県の駒ヶ根へ向かった。
 インターを降りると、先ずはシングル二部屋を予約してあった【ホテルルートイン駒ヶ根インター】にチェックイン。一服のあとは夕食をかねて、近所に見つけた福麟楼・駒ヶ根店で、よく冷えた生ビールと美味しい中華をたらふく食した。ちなみにこの店、品数が豊富で、一品一品の量が多く、肝心な味もしっかりとしたもの。おまけにリーズナブルときているからお勧めだ。

 翌朝は六時にチェックアウト。菅の台バスセンターへと向かった。
 バスセンター隣接の大駐車場にPOLOをおき、ここから路線バスに乗り込んで、ロープウエイ乗り場まで歩を進めるのだ。
「ほとんど満車だな」
 時刻は六時十分を回ったばかり。平日なのにすごい活況である。しかもバスのチケット売り場には、すでに長蛇の列ができている。先頭の人達はいったい何時に並び始めたのだろう。我々も登山の支度をして、列の最後尾に並んだが、そうこうしている間にも、次から次へと車が入ってきて、見る見るうちに列が長くなっていった。
 六時四十五分を過ぎたころ、チケット売り場の窓口が開く。バス&ロープウエイの料金は往復券で四千百円なり。購入した人たちは、バスの停留所へと並びなおし、それもどんどん長くなっていく。
「最初のバス、乗れるかな…」
 そんな心配をしていると、
「本日は臨時便が出ますので、お乗りの際には係の者に従ってください」
 停留所の係員より嬉しいアナウンスがあり一安心。
 七時十五分に最初のバスが出発すると、十分ほどで次のバスが入ってきた。
 長いくねくね道を約三十分走ると、ロープウエイのしらびそ平駅に到着。下車すると、間をおかずにロープウエイへ乗り込むことが出た。高度を上げていく車窓からの景色はなかなかの迫力。特に急斜面を流れ落ちる滝からは、これから歩く山域の山深さを連想させた。

「うわ~、なにこれ! すごい!」
 千畳敷駅に到着し、展望デッキへ出てみると、目の前に現れたのは、切り立つ岩山に囲まれた“千畳敷カール”。息をのむ絶景とはよく言ったものだ。多くのハイカーがしばし足を止め、スマホやカメラを取り出しては見とれている。

 カールを突き抜け登山道へと入る。
 さすが有名どころとあって、道の整備は行き届いているが、やはり標高が2600mを越える高所での急登は息が切れた。
 時々立ち休みをかねてカメラを取り出すが、つくづく自然の作り出す景観の素晴らしさには溜息が出る。
 薄い酸素に喘ぎながら宝剣山荘に到着。ここで最初の休憩を入れた。
 周囲を見回せば絶好の被写体だらけで、あっち見てパシャ、こっち見てパシャと、気持ちは一分たりとも休めはしない。Hさんも、いつになくスマホを構えっぱなしだ。
 この後は、中岳、駒ヶ岳頂上山荘へと稜線歩きが続く。
 至極当たり前のことだが、前後左右から飛び込んでくる尾根々々の中には、奥多摩や奥秩父で見られる森の優しさは微塵も含まれず、人の侵入を拒む圧倒的な険しさが美しさへと形を変え、胸に迫ってくるばかりだ。
「今までの山と全然違いますね」
 同感だ。

 2956mの駒ヶ岳山頂は多くのハイカーで賑わっていた。360度の展望は見飽きることがない。
「ご飯にしましょう」
「そうだな」
 さすがに腹が減ってきた。朝食はバナナとあんパンだけだったから、完全に消化しきっている。ザックを下ろし、ファスナーを開ける。
「あれ?」
「どうしたんですか」
「やばい。食料、車に置き忘れたみたい」
 ドジもいいところだ。チケット売り場の長い列に気を取られ、ザックの中身の確認を怠っていた。Hさんに貴重な食料を分けてもらえたからいいものの、これが寂しい山中の単独登山だったらえらいことだ。
 Hさんが入れてくれた熱いほうじ茶を飲み干した頃、突如霧が出始め、一気に周囲の視界が閉ざされていった。
「私たち、いいタイミングで登ってきましたよね」
 話しているその先からも、次から次へとハイカーが上がってくるが、可哀そうなことにさっきまでの絶景は既に望めない。更に霧が濃くなってきので、このタイミングで下山することにした。

 何とか無事に千畳敷駅まで下りてくると、ロープウエイの乗車時刻まで若干の時間があったので、展望デッキのゴージャスなソファーに疲れた体を沈めた。
「飲み物買ってきますけど、何にします?」
「それじゃホットコーヒーで」
 カールの上部は霧に隠れていたが、それはそれでまた違った趣があり、山行を振り返る会話は盛り上がり、何ともリラックスなひと時を楽しむことができた。
 人生初となったアルプス歩きは、好天に助けられ、想像を超える思い出深きものとなったようだ。

JR古里駅からJR武蔵五日市駅まで歩く

丹三郎登山口

 今年の夏は暑いと言われつつも、昨今では朝夕がだいぶ楽になり、秋の訪れを感じるようになった。ところが面白いもので、夏が終わると思うと、遠のく連日の猛暑が何とも愛おしく思えてきて、夏の残り香を楽しむならば今しかないと、妙にそわそわし始めたのだ。
 あんた、おかしいんじゃないの?と言われそうだが、心の内は、猛暑の真っただ中へ身をおき、荒い息を吐きつつ大汗をかきながら山中を闊歩したいと叫んでいるのだ。

 計画したルートは、JR青梅線の古里駅を下車、まずは吉野街道沿いにある丹三郎登山口から大塚山山頂を目指す。富士峰公園を経て日の出山方面へ向かい、途中から金比羅尾根方面へと下る。金比羅尾根に入ったらJR五日市線の終点、そう、ゴールである武蔵五日市駅へ向かってひたすら歩き続けるというもの。
 山行をヤマレコの登山計画アプリで作成してみたら、歩行距離16.3Km、歩行時間七時間四十四分と、これまでの日帰り登山では最長クラスを示した。このロングディスタンスを猛暑下で決行するのであるから、当初の意味合いは十分満たすはず。もっともこのルートは、最初の大塚山までは登りの連続になるが、その後は若干のアップダウンはあっても、基本は長い下りであり、前半の登りをいかに消耗を少なくするかで、勝負は決まる。

大塚山へ通ずる急坂

 八月三十日(水)午前八時。古里駅駅前のセブンイレブンで食料と水を購入。自宅から二本の水筒に1.5Lの水は用意してきたが、これでは心もとないので、更に500ml一本を追加したのだ。
 天気は若干の雲はあるものの、おおむね快晴。登山口までは大型ダンプがひっきりなしに走る炎天下の幹線国道歩き。到着するとすでに背中は汗でぐっしょり。ここから大塚山山頂までは殆ど平地はなく、当然体力的にはきつく、体は上限なく水を要求してくるだろう。よって効率的な水分補給は欠かせない。のどの渇きに関わらず、“十分毎に一口”を徹底した。もちろん、歩幅は小さく、ゆっくりと足を出すことも肝に銘じた。

 森は夏枯れの様相だった。花はあまり見られず、やや無味な景観が続いたが、頂上手前辺りから多くのキノコが目につき始める。しかも色々な種類が顔を出していて賑やかだ。大塚山は幾度となく歩いてきたが、これほどの量のキノコを見たのは初めて。
 頂上に到着。最初の休憩をとった。
 今回はよほど体調がいいのだろう、汗をかきかき急坂を登ってきた割には、普通に空腹を覚えた。食欲は大汗をかきすぎると落ちることがままあるが、水をがぶ飲みせず、計画的に適量を補給してきた効用の現れかもしれない。
 カレーメシを頬張っていると、御岳山側から年配夫婦が上がってきた。
「こんにちは。ここは静かですね」
 話を聞くと、以前は夫婦で頻繁に山歩きをしていたが、ずいぶんと間が空いてしまい、健康維持をかねて再開したとのこと。この後は奥さんのリクエストでロックガーデンまで足を延ばすようだ。

 こんな暑い日でも御岳山界隈にはそこそこの観光客を目にする。青梅線でも多数の乗客が、御岳山ケーブルカー駅行きのバス停がある御嶽駅で下車するので、その後の車内はひっそりとする。
 参道を抜け、日の出山方面へ折れると、とたんに人影が途絶えた。春や秋のベストシーズンだったら、平日でも多くのハイカーで溢れる尾根道だ。この先、金比羅尾根への分岐までにすれ違った人は年配女性一人のみ。

金比羅尾根から東を望む

 金比羅尾根を順調に進み、麻生山への分岐まで来ると、さすがに疲れが出始めた。よく歩くアタゴ尾根方面だったらちょうど梅野木峠あたりだろう。体が後半戦を前にしてやや長い休憩を欲しているのだ。塩にぎりと菓子パンをゆっくりと咀嚼する。十分近く丸太の上に腰掛けていたせいか、若干だが活力が戻ってきた。

 金比羅尾根は全線において山道の整備が行き届いており、歩きやすさは格別だ。今回のルートは距離こそ長くても、道のコンディションがいいので、足腰へのダメージが少なく思ったより疲れが蓄積しない。それと今回も関節に優しい歩き方を終始徹底していた。外股も内股も膝関節や股関節に負荷がかかりやすく、骨盤面に対して直角、つまり足首から先も含めてまっすぐ脚を出すことにより、特に前後にしか摺動しない膝関節の負荷は大幅に軽減できるのだ。

―おっ、またキノコだ。
 “奥多摩はキノコの季節”とでもいうのか、タルクボ峰まで下ってくると、またまたあちらこちらでニョキニョキである。キノコ関連には全く明るくないので、毒の有無はおろか、名称さえもわからないが、詳しい人なら家族の夕飯に供するほど収穫できただろう。

 金比羅山が近づいてくると、標高がだいぶ落ちるので、気温がぐっと上昇する。疲れた体にこれはきつい。それでも眼下に五日市の町並みがちらりほらりと見えてくると安堵感が広がった。
 金比羅公園の展望台で最後の休憩を取ったが、昆布のおにぎりと残りの菓子パンを平らげ、早めに出発した。坂を下れば後は武蔵五日市駅まで住宅街を歩くだけである。

金比羅公園展望台から五日市の町が見下ろせる

「今日の山歩きは大変でしょ」
 庭先で車を磨いていたご主人から声がかかった。
「いやいや、山中はまだ涼しかったですが、ここまで下りてくると暑さにやられそうですよ」
「ははは、気をつけて」
 事実、直射日光とアスファルトの照り返しで、一旦は引いていた汗が再び噴き出してきた。おもわず道路脇にあった自販機でペプシコーラのロング缶を買い、一気に喉へと流し込む。
「うんめぇ~~~!」
 思わず声が出てしまう。この冷たさと甘さは、大袈裟ではなく、救いだ。
 日陰でたたずみ半分ほど飲み干すと、気分も落ち着いてきた。
―さあっ、ひとふんばり!
 ザックにしまってあった帽子をとりだすと、駅を目指して再び歩き出す。