若い頃・デニーズ時代 20

異動先である立川店は、近年「多摩モノレール」で栄え始めた立川市幸町のちょうど真ん中あたりに位置した。店前の道路は交通量が少なめで、周囲は見渡す限り住宅街。産業道路沿いに面して、新店オープンの活況に満ちた浦和太田窪店とは大きく異なる第一印象に、少々複雑な思いが胸を過ぎった。
但、通勤距離はこれまでの半分に減り、気分的には随分と楽になった。距離が長ければその分渋滞を考慮する必要があり、この精神的負担は意外に大きいもの。

立川店店長の添田さんは、若干東北なまりの残る一見ぼくとつとした印象を受けるが、言葉の節々に神経質を思わせる言い回しがあり、案の定、実際はシビアでかなり厳しい人だった。しかもリードクックからのたたき上げということで、全ての業務への精通度は高く、太田窪の井上UMとは仕事へ対する考え方に大きな違いがあった。
UMITは常川さん。ひとつ年上の学卒組で、添田さんとは正反対のおっとりタイプ。誰に対しても人当たりがいいが、仕事はしっかりとこなし、聞くところによれば年明け早々にAM昇格とのことだ。
東京西地区に於ける新店オープンの頻度は、埼玉のそれと較べて格段に低く、立川店へ異動してからというもの毎日が平穏なムードに包まれ、何よりマネージャー職へなるまでの勉強をしっかりとおこなえる環境を得られたことは、まさにチャンス到来であった。

「明日からミスターやるか」
「ありがとうございます。ぜひお願いします」
「シフトはジュウニックでいいだろう」
「ました」

立川店のキッチンは人員に恵まれていた。平日のモーニングからランチまではKHだけで対応できる布陣を持ち、彼らの仕事はしっかりとRoutine化できていてチームワークも万全だ。主婦二名と男子学生二名は、全員一年以上のキャリアを持っていた。そんな環境にあるため、異動後の基本シフトはもっぱら遅番で、人員配置の状況によってたまにジュウニックをやるのがパターンだった。
こんな理想的な環境に配属され、マネージャー試験までに習得しなければならないフロント業務にまで着手できるのは願ったり叶ったりだ。
但、人手不足地区・埼玉で奮闘している同期達を思うと、何だか後ろめたい気分になってくるのは否めなかった。

さて、新たな職種となったミスターとはミスターデニーズの略称で、正社員のウェイターのことである。一方、アルバイトのウェイターはサービスアシスタントと称し、通常はSAと呼ばれている。
但し、デニーズのフロントの主役は女性であるMD(ミスデニーズ)であり、男性はあくまでも脇役だ。

「あら~、木代さん、今日からですか?」
「うん。でも、このユニフォーム、何だか照れちゃうね」
「そんなことないわ、似合いますよ~♪」

MDの岡田久美子は色白で均整の取れたボディーラインをこれ見よがしにする色気むんむんな女子大生である。既にMD歴は2年選手で、仕事自体には何ら問題ないが、彼女独特のプライドのせいか、他のMDを一段上から見る傾向があり、添田UMもその点は要注意だと言っていた。

「こっちの仕事は素人なんで、よろしくたのむね」
「いえいえ。それよりびしびしMDの教育をやって下さい」
「そ、そんな、、、」
「最近、たるんでる子が多いんですよ」
「分かった、先ずは観察してみる」

これまではMDに関する諸々も対岸の花火程度にしか見ていなかったが、ミスターとなったからには彼女達を直接指導しなければならない。これは想像以上に難儀そうだ。

デニーズではデザート類や飲み物全般を“ファウンテン”と称し、食材であっても管理するのはクックではなく、プリパレからサービスまで全てフロントスタッフが行なっている。
各シフト毎には持ち回りで責任者を置き、品切れなどが起こらないよう十二分な配慮がなされ、氷、コーヒー、コンディメント、ジュース、ビール、アイスクリーム等々の補充。クリーマ作り、ホールケーキ&パイのカット、ゼリー流し、レモンカット。そしてノーイングの補充等々、その仕事は多岐に渡っているのだ。

「木代さん。Hサンデーひとつ頼んでもいいですか?!」
「OK!」

Hサンデーとはデニーズの人気デザート“ホットファッジサンデー”のオーダリングコード(略称)。これはホットファッジという温めて使うチョコレートソースを冷たいアイスクリームへかけ、そこへ更にホイップクリームやナッツをトッピングしたもので、他のレストランチェーンには絶対にないピュアアメリカンメニューである。深い味わいのホットファッジとアイスクリームの相性は言うまでもなく、甘党の私としては個人的にも大ファンだ。

「わぁー、きれいに作りますね」
「そお?! ありがとう」

ミスターとなり、これまでとは違う新たなデニーズ生活が始まった。

夏直前! 三浦半島・城ヶ島

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写真仲間のTくん。彼への連絡にはいつもLINEを使う。

ー 明日、写真行くか?
ー いきましょう

と、こんな感じ。
どうやらTくん、この頃では平日休みも取れるようで、ちょっと前に“金曜に空くことが多い”と言っていたのを思い出し誘ってみたのだ。
結果はAll Right☆

ー それじゃ明日9時
ー 了解

ということで、6月17日(金)。夏本番間近な三浦半島で、光り目映い海と空をキャッチしてきた。

これまで三浦半島には何度訪れただろうか。自宅からそれほど遠くないのに豪快な磯の景観が見られ、田園地帯を望めばその向こうに大海原が広がっている、そして幼年期に静岡県の沼津で親しんだ、生活に密着した海を味わえること等々がリピートの理由になる。
それに美味いマグロの漬丼を賞味できるのも大きなポイントだろう。そもそも半島の南端に位置する三崎漁港は、常にマグロの陸揚げ量が全国3本の指に数えられ、観光地としても活況を放っている。

「ほらあそこ。剱崎灯台って書いてあるじゃん」
「うんうん」
「行ってみよう」

大昔に一度トライしたことがあった。しかし国道から左折すると道はいきなり狭くなり、行けば行くほど不安が増すほどで、結局灯台へ至る前に諦めて引き返した。しかし今回の車はTくん愛車の「スズキ・ジムニー」。こいつで行けないところはないし、引き返せないところもないのだ。
予想通りすれ違い100%不可能な道が続いたが、不思議とジムニーのハンドルを握っていると不安は少しも感じることがなかった。

「ここで行き止まりだな」
「あとは歩きか」

とは言っても見れば白亜の灯台は目と鼻の先だ。
最近になって塗り直したのではないかと思うほどその白は目映く、強い反射光は否応なしに両眼へと射し込んでくる。

「なるほど、絶景だね」

灯台の裏側へ回れば、東京湾を挟み内房の山々がはっきりと見渡せ、気分はスカッとする。観音崎灯台からの眺めもいいが、ここも負けてはいない。
辺りをよく見まわすと、灯台が立つ岬の取り付けには入江風の岩場が扇状に広がり、独特の景観を形成している。それはよく知る城ヶ島の磯とはひと味違うものだ。
灯台からは早々と引き上げ、斜面を伝う細い道を下って磯へと出た。

昔も今も岩場はフナムシの天国だ。無数が揃ってサッサッと動く様は、虫嫌いには悍ましいシーンだろうが、沼津育ちの私にとっては、海に来た!という実感に溢れる安らぎの光景に他ならない。
しばらくここで撮影タイムとした。
カメラを持つ手を休め、ふと岬を見上げると、紺碧の中に凛と立つ剱崎灯台を掠めるように、数羽のトビが気持ちよさそうに旋回しているではないか。

「いいかげん腹減ったな」
「だってもうすぐ1時ですよ」
「ここは終わりにして、城ヶ島で飯にしよう」

剱崎灯台から城ケ崎までは普通に流して20分少々。途中には小さな漁港もあって、下見をしたくなる雰囲気も感じられたが、今回は二人ともかなりな腹ペコ状態だったので、とにかく島へ渡って馴染みの『しぶき亭』へと向かうことにした。
平日の割には島内に観光客は多く、人気スポットの程を伺えた。

「キリンFREEとミックス丼、ふたつづつ」

マグロの漬丼は当然美味だが、ここはイカもイケる。そんな時はミックス丼がおすすめ。ご飯の上には漬マグロと漬イカがそれぞれ半々で乗っていて、両方の味を一度に堪能できるのだ。イカは弾力があり、噛めば噛むほど甘みが出てきて言うことなし。

「お客さん、これはね、うちのオリジナルでまぐろと味噌を和えたものなの」
「へー、ご飯にぴったりだね」
「そうなの。しかも無添加だから安心なんです」

ここのおばさんたちは皆揃って喋りが達者だ。プレゼンが苦手だと思っている方は、ぜひ一度行ってみるといい。しつこさなしの笑いありで、ついつい買わされてしまう。この日もそのオリジナルやらを一びん土産にしてしまった。
何年か前に訪れた時も、まんまとやられた。

「お客さん若いから大盛にしてあげるね」

50代後半のおっさんに対して、真顔で若いなんて言われたら、何も買わずに店を出るわけにはいかない。
但、しぶき亭は食事も土産品も味はGooだから、その味と小気味なやりとりでついついリピートしてしまうのだ。

陽光燦々の磯は歩くだけでも消耗する。分かってはいたが、単純な岩場とベタな空では写欲は湧いてこない。目的は夕陽だったが、今は年で最も陽が長い時期にあり、夕暮れムードがやってくるの大凡4時間後とみた。
それまでの間、花か人などを狙おうと試みたが、なかなかどうしてお誂えなSceneはやってこない。港や東側の磯まで足を延ばしてみたが、すべてが徒労に終わったので、この後は夕陽撮影のポイント探しに切り替えた。
沖合のどんよりした雲で富士山の姿は完全に隠れているが、僅かな希望を胸に波飛沫うつ岩の向こうに富士山が入るポイントを探すことにした。
この頃では西側の防波堤工事が進んできていて、東寄りが強すぎると自分好みな画になりそうになかったので、カメラを三脚へ固定して、京急ホテルの西側に陣取った。
あとは座って待つのみ。

「探しちゃいましたよ」
「いろいろ回ったけど何にもなかったからさ」
「俺なんか500枚近く撮っちゃいましたよ」

さすがにTくんは若い。そう話し始めたとたん、今度は今より磯に近いところで、城ヶ島には多々見かける野良猫を撮り始めたのだ。
気が付くと周りには一眼レフを手に持つ人が、二人、三人と集まっていた。

あと夕陽まで一時間と迫ったころ、カメラのセッティングを確認しようと上部液晶を覗いたら、何とバッテリー残量が最後のひとメモリになっているではないか。バッテリーの寿命か、D600自体が大食いなのか、それとも単純にレンズが初期型VRだからか、いずれも定かでないが、この消耗度はいただけない。

「エツ、やばいよ」
「どうしたの?」
「バッテリーが終わりそう。一応予備は持ってきたけど車の中に置き忘れだ」

港まで戻るのは容易でない。

「まって、D600のバッテリーって、俺のD7000と同じじゃなかった?」

なるほど、そうかもしれない。
さっそく調べてみると、まったく同じ品番である。

「安心してくださいよ。ほら、予備持ってるから」
「良かった~、それじゃぎりぎりまで使わせてもらうよ」

ー HDR、絞りF11、シャッター速度1/4秒、ISO100、マルチパターン測光、露出補正ー0.3段
この設定で日没までの微妙な変化を45枚で切り取ってみた。
そしてラッキーは続いた。何と雲に覆われていた富士山が突如として現れたのだ。しかもうっすらと朱を帯びる“赤富士”で、何度となく訪れてきたこの城ヶ島に於て、過去に一度しか拝んだことがない貴重な姿なのだ。
更には機材を片付けて車へ戻る道すがら、ふと路地向こうから強い光が流れ込んできたので首を向けると、

「すげー!真っ赤な夕焼けだ」

いい感じの雲と夕陽がミルフィーユ状となり、それは久々に見る鮮やかさなのだ。
手持ちだがさっそくカメラを向けてシャッターを切り出すと、近くを歩いていたカップルの彼女がつぶやいた。

「あなたもいいカメラ買ったら」
「そだね」

急きょ出かけた撮影行。しかし結果は大満足。
そう、嬉しいことはまだあった。
帰宅してD600の画をチェックすると、そこには今までのNikon機では得ることのできなかったRAWデータの奥深さと密度があったのだ。
いつものようにPhotoshopCS5で現像にかかると、各スライダーの動きに対してプレビューの変化がD100やD2HのRAWデータとは若干異なることに気が付いたのである。一見グレースケールかのように見える部分でも、その裏側にはしっかりと色情報が置かれていて、スポンジツール等での微妙なレタッチがとても自然に行えるのだ。もちろん同じ景色を並んで撮ったデーター比較ではないので正確なことは言えないが、長年使ってきたソフト故にその変化には敏感に気が付くもの。
良いこと尽くめのようだが、問題も露見した。
これまで使ってきたケンコーのPLフィルターでは、その厚みの為か、結構厄介な周辺光量落ちが起きてしまい、更には肝心な24-120mmの純正レンズフードが構造的に規定位置まで入り込めず、無理矢理そのまま撮影すれば完全に上方左右がケラれてしまい、まともな画にはならない。
致し方ないがこれはDX専用とし、新たにもう一枚、D600用の薄型PLを購入するしかないようだ。

上高地までには…

■三浦半島・城ヶ島ギャラリーへ

若い頃・デニーズ時代 19

その日は朝から落ち着かなかった。
プリパレをしていても集中できず、計量を間違えたり、インサートを落としたりと、普段のリズムが戻らない。
無理もない。一介の平社員の進退話に対して、会社の大幹部がわざわざ聞きに来てくれるというのだから。ふと何かとんでもないことをしでかしたのではと、胸がざわつく。

「木代、RMがお見えだぞ」
「は、はい」

クック帽を脱ぎ、前掛けをはずして、田岡RMの待つ3番ステーションへと向かった。
一瞬の緊張は走ったものの、既に胸の内は割り切ったものが支配していたので、なんとか正常心で話せそうだ。

「おはようございます!」
「おうっ! オープン以来だな」
「はい」

細面な田岡RMは、小柄で痩せていて、一見迫力に欠けるが、目つきだけは異常に鋭く、怒るとその雰囲気は一変する。
オープン前日に来店したときが凄かった。駐車場のぐるりに植えられた植木の一部が、散水不足だったのだろう、既に葉が枯れ始めていたのだ。それを見つけたRMはすぐさま井上UMを呼びつけ、

「管理不足だ!! どこに目をつけて仕事をしている!!!」

と、ダイナマイト級のかんしゃく玉を落としたのだ。

「まあ、掛けたまえ」
「失礼します」

話す内容は整理できていた。どの様に捉えてもらえるかは定かでないが、全て吐き出せばスッキリするし、停滞している気持ちも動き出すに違いない。
個々の負担が大きいこと、長時間勤務が常態化していること、そして先々の展望が見えないこと等々を一気に述べてみた。
頷くだけで暫し無言だった田岡RM。しかし、一呼吸おいて出てきた言葉は、

「木代。東京へ戻るか」
「えっ?!」

意外な一言に思考回路が一瞬停止。
冷静になれば、それは用意された回答だと理解はできたが、“東京”という一節と、優遇措置としか捉えようのない内容に、退職という選択肢は瞬く間に薄らいでいった。

「戻していただけるんですか?!」
「頑張り続けるなら戻してやる」

本当は辞めたくなかったのかもしれない。引き留めてもらいたい気持ちは潜在的に存在していたのであろう。
但、下地や村尾達のことを考えると素直に喜べないし、世話になりっぱなしの西條さんを裏切るような展開を思うと抵抗感すら覚えた。
ところがだ。そんな心の内を見抜いたようなRMの話は素直にありがたかった。

「いいか。これはあくまでも会社から発せられた辞令だ。お前の要望を考慮したものじゃない」

それから三日後。本部より正式な人事異動が発令される。
その内容を見ると、当たり前だが、単に私が出て行くだけではなく、ついに西條さん一人となってしまった
太田窪店のキッチンへは2名のクックが配属と記されていた。それにしてもオープンから2ヶ月余りで殆どのクックが入れ替わってしまうとは…

「寂しくなりますね」

ブレークに入った西峰かおるが、左手に持ったグラスを見つめながらつぶやいた。

「こればっかりはな、、、しょうがないって言えばそれまでだけど…」
「せっかく親しくなれたのに、みんないなくなっちゃうんだもん」

太田窪店オープンにあたり、がっちりとスクラムを組んだスタッフ達。この仲間だったらやれそうだと、湧き上がるやる気に体が熱くなったものだが、まさかこんな終局が待っていようなど夢にも思わなかった。

「落ち着いたら遊びに来るから、西峰さんも頑張ってね」
「は~い」

51096JA4QJL実際、寂しかった。
一方的だったかもしれないが、西峰かおるとはオープン当初から不思議に波長が合い、私にとっては頼りになる“相棒”だった。特にクックとMDの橋渡し役では嫌な顔をひとつも見せずに尽力してくれ、このことは明るい職場づくりの立役者として店の誰もが認めていた。
それに正直言うと、明るく笑顔が抜群の彼女にはちょっぴり“ほの字”だった。
今回の異動は心理的にずいぶんと揺れ動いたが、これは田岡RMからいただいた最後のチャンスと解釈し、その期待に応えるべく、次の職場へ向けて強制的に気持ちを切り替えていくのだった。

異動先は『立川店』。既に歴史のある三多摩地区の中堅どころだ。
新店とは異なる既存の環境に不安は隠せないが、突っ走る覚悟はできていたし、これを機に次のステップを狙おうと心に決めていた。
この夏、サザンオールスターズが『勝手にシンドバッド』でセンセーショナルなデビューを飾り、一気にスターダムへと加速。何を言っているのかわからない歌い方だったが、なぜが心にズキュンときて、日本のPOP界も変わっていくのだろうと強く感じた。

写真好きな中年男の独り言