膝の具合 Part 4

 話は2024年2月頃。

 月が替わると寒さも増し、関節や筋にとってより厳しい季節を迎えた。ところが嬉しいことに右膝の痛みは確実に軽減しつつあり、特に力の入れ方にさえ注意していれば一般的な登山でもそれほど支障をきたすことはなくなった。
 そんなわけで二月の中旬。西伊豆まで足をのばし、まずは高通山へ登り、その日は南伊豆の“らいずや”に一泊、翌日には長九郎山登山と二日連続で山へ入ってみた。それぞれの登り始めには多少の痛みが出たものの、その後は問題なく歩き終え、日々行っている膝のケアに間違いはないと確信した。

 気はますます上向き、毎日のウォーキングにより一層の力が入った。少し前までは走り出すと痛みが出たが、厚底シューズと継続のおかげか、おおよそ100mごとにウォークとジョグを切り替えつつ、ついに5.4Kmコースをクリアできるようになった。そこで上り調子に便乗し、連続で1Kmのジョグにトライした。
「いける!」
 息は切れたが痛みは無し。ただ、脚力がまだ足りないので走りに安定感を欠き、ふらつきやつまづきが出てどうにもリズムがつかめない。再三、姿勢、腕の振り方、脚の出し方等々を確認しても、すぐに走りがバラバラになってしまう。こうなると疲れを余計に感じてしまう。
 正しい走り方は様々な文献やwebからそれなりに勉強していたので、安定した走りを実現するには最低限の脚力が必要なことはよくわかっていた。よってまずは脚力をつけることを当面の目標とし、余計なことは考えずに毎日走りに走った。

東大楼・女房とランチ

 一昨日の日曜日。
 女房のやつ、確か今日、仕事はOFFのはずだが、、、なにやら着替え始めた。
「でかけんの?」
「お店に手帳を置き忘れてさ、これから取りに行くの」
 彼女の職場は武蔵小金井、時計は11時過ぎを示している。
「だったら堺あたりでランチしない?」
「そうね。東大楼にしようか」
「OK。じゃ12時半現地で」
 武蔵境へ出かけるときはたいがい徒歩である。ゆっくり歩いても20分はかからないし、自転車を使うと駐輪場のことがあるから面倒。

 もうすぐ12月だというのにやたらと気温が高く、歩くうちに背中が汗ばんできた。案の定、ここへ来るまでにTシャツ短パン姿を二人も見た。
 すきっぷ通りの手前でたまらず上着を脱ぐ。
 東大楼へ到着すると、ちょうどスイングホールの前から道路を横切ってくる女房が目に入った。ハンカチを団扇代わりに顔の前でパタパタやっている。
「暑いね~」
 時間帯が時間帯だけに、店内は満席だったが、おおよそ10分ほど待つと席へ通された。
「おきまりですか?」
「天津丼のセットをふたつ」
 天津丼に小ラーメンとサラダ、漬物がついている。ここの天津丼は、あんが甘酸っぱくて私好み。歩いてきたから空腹感は言うまでもなく、すかさずレンゲを突き刺した。
「あたしの友達、家が多摩川線だから堺で乗り換えじゃない、だから仕事の帰りによくここへ寄ってひっかけるんだって」
 ひっかけるか……
 ふと目線をカウンター席へ向けると、30代と思しき男性が、ニラレバ炒めをあてに昼間っからビールをうまそうにやっている。彼にとっては最高のハッピータイムに違いない。

バイク屋時代 14・NSRというバイク

「ところでさ、NSRって速いんだってね」
 シマちゃんがサバ味噌をつつきながらつぶやいた。
 NSRとはホンダNSR250Rのことで、つい最近発売になった’88と称する1988年式モデルの高性能ぶりが、バイク好きの間ではもっぱら話題の的になっている。そのパフォーマンスはレーサーに迫る勢いだというから聞捨てならない。もちろんうちでも扱っているので、納車前の試乗で街を軽く流したことはあるが、スポーツ走行はまだ未経験だった。
「おもいっきり回してないからわかんないけど、トルクの盛り上がりは凄いよ」
「おいおい、お客さんのおもいっきり回しちゃだめでしょ。だけど俺はやっぱヤマハだな」
「僕もRZが好きだから、あんまり興味ないね」
 ヤマハ好きの二人の反応はあっさりしたものだ。まあ俺もどちらかと言えばパラレル2サイクルの鼓動と排気音のほうが好みではあるが、これほど話題になっているNSRなので、正直なところ、一度はそのスポーツ性とやらを味わってみたいと思っていた。


 そんなある日、常連の赤沢くんと有田くんがそろって来店した。彼らは同じ職場の同僚で、バイクの趣味でも気の合う二人は、つい最近一緒にNSRを購入してくれたのだ。赤沢くんはホンダのVT250Fを下取りとして、有田くんはNSRが初めてのバイクだ。よって納車当初はかなり手こずったようで、エンジンがかからない、プラグがかぶる、乗車姿勢が馴染まない、パワーありすぎ!等々、NSRを購入した初心者にありがちな悩みに四苦八苦していた。
「こんちわー」
「おう、どっか走ってきたの?」
「いやいや、こんどの木曜日、木代さんにツーリングへ連れてってもらいたいなって」
 聞けばその木曜日、会社の創業記念日だそうだ。
「創業記念日を休みにするとは、太っ腹な会社だね」
「天気もよさそうなんで、伊豆なんてどうです」
 とんとん拍子に話は進み、当日の8時、東名高速の海老名SAで待ち合わせることになった。

 快晴の下、気持ちよく高速を流し、御殿場ICで降りると、“伊豆スカ詣”と同じにまずは旧乙女峠へ向かった。二人とも出発前に「あんまり飛ばさないでくださいね」とは言っていたが、旧乙女のテクニカルコースに入ると、どうしても気分は浮き立つ。今日もRZは絶好調。
 いくつかのコーナーをクリア、バックミラーに目をやると、彼らの姿はない。NSRのパワーを持て余しているのか、はたまた慣れてないのか。
 道なりに箱スカ(箱根スカイライン)、芦スカ(芦ノ湖スカイライン)と流し、伊豆スカの料金所を抜けたとき、どうしてもNSRのパフォーマンスが知りたい欲求が膨れ上がった。
「赤沢くん、亀石までNSR貸してくれない」
「いいっすよ。でもおれ、RZ運転できるかな」


 RZのアップライトな乗車姿勢が一転して超前傾となり緊張感が走る。弟のTZR250より明らかにきつい。スタート後、まずは右コーナーをクリアすると長い上り坂を一気に加速する。RZとは全く異なるフィーリングは新鮮だ。すばらしく回転の伸びがいいのにはびっくり。次の左コーナーはやや回り込むので、手前からブレーキをかけ始める。制動力のよさはRZの比ではない。この後も伊豆スカの長い直線を気持ちよく加速、スピードの乗りが尋常ではない。
 マシンの基本性能がRZが輝いていた時代とは根本的に異なるのだ。NSRは“走り屋垂涎のマシン”と言われるが、決して大げさではない。借りものなので当然スロットル全開にはしなかったが、やればヨンヒャクはおろかナナハンをもってしても手こずるだろう。
「ありがとうね。やっぱ速いわ」
「ですよね。でもおれはRZの方が合ってるかも……」
 
 ホンダの創始者である本田宗一郎は、2サイクルエンジンが嫌いだった。「あんな物は水鉄砲の竹筒と同じだ」と揶揄し、2ストロークの作動原理がエンジニアとしてどうしても認められなかったらしい。
 1979年から1980年代前半まで、ホンダは4サイクルGPマシーン・NR500をもってWGPに参戦していたが、残念ながら一度もお立ち台に上がることはなかった。当時の技術では、GP500のレギュレーション、つまり排気量の上限が500ccという縛りがあったため、4サイクルエンジンとすれば限界に近い設計を強いられ、130馬力近くまでパフォーマンスを上げたものの、耐久性不足やその他諸々の不具合が多発していたのだ。


 1981年。チームとして確実な勝利を収めるため、不本意ではあったが、やはり2サイクルマシーンの開発に着手することになり、なんと翌年1982年には三気筒2サイクルGPマシーン・NS500を完成し参戦させた。そして1983年、エースライダーだったフレディー・スペンサーが、ヤマハのケニー・ロバーツとの激闘を制し、なんとワールドチャンピオンの座をもぎ取ったのである。
 そんな経緯で得られた技術を、惜しむことなく投入したのが、市販バイクNSR250R。
 インターネットがまだ存在しない時代にもかかわらず、NSRの高性能ぶりは瞬く間に広がり、奥多摩周遊道路や大弛峠など、ローリング族が集まるところでは、あれだけ高性能をうたったRZの姿はほとんど見かけなくなり、ヤマハのTZR250、スズキのRG250Γの間に割り込むように、NSRを筆頭としたホンダ勢が幅を利かすようになった。同じく2サイクルの雄スズキも、NSRを追うようにエンジンをV型にしたRGV250Γを発売し好評を得た。ところがRZ~TZRで、このレプリカクラスを牛耳っていたヤマハは、翌年1989年にフルモデルチェンジした後方排気型のTZR250(3MA)を発表したが、デザインはまんまGPレーサーと、発売直後は一定のセールスを得たものの、肝心のマシン性能はぱっとせず尻つぼみとなった。


「そういえばさ、ギャラツーの柳井さん、後方排気、買ったらしいよ」
「わー、金持ち」
 柳井はメカニック。もちろんバイク好きには違いないが、走り志向はなく、所有しているバイクもホンダのレブル250というアメリカンタイプ。そんな彼がなにゆえ過激なレプリカを買ったのだろう。謎だ。
「それよりRZをちゃんと直さないと」
「え? 奥村くんのRZ、調子悪いんだ」
 実は奥村くんのRZ、どうもエンジンがやばそうなのだ。「古いバイクは壊れるよ」と、悔しいが大崎社長の言うとおりになってしまった。ただ奥村くんも重々承知の上で購入したので、ある程度は納得しているとは思うが、納車してから間もないこともあり、なんとかしてあげたい気持ちでいっぱいだった。この件をメカの大杉くんへ相談すると、仮にオーバーホールをしても、完全に元通りにはならないし、そもそもRZのエンジンは品質的にばらつきがあるという。どうせ手を入れるなら、抜本的且つ奥村くんに喜んでもらえるやり方を探すしかないとの話になった。
「エンジンを載せ替えれば」
 そこへメカ長の吉本くんの何気ない一言。
「エンジンなんて、どこにあるの?」
「TZRの事故車があるよ」
 一瞬だが、場が静まった。なんだか凄いことになりそうだ。
「あれさ、ストッパーがイッてるから一応全損だけど、エンジンはもちろん前後の足回りも使えるよ」
 メカ長の話を頷きながら聞いている大杉くんの笑顔が怖い……

写真好きな中年男の独り言