甘いもの

ロイヤルホストのクリームあんみつ

 四十年以上のお付き合いがある友人H氏と、久しぶりにおしゃべりを楽しんだ。
 H氏は以前にも西久保日記で紹介したことのある元フリージャーナリストで、自称ホッピング・アイランド・ライター。その名のように、現役時代は年の三分の一を島巡りで過ごし、インドネシアを中心とする南太平洋の島々の歴史と文化を探求し続けた、非常にアクティブな男なのだ。
「我々も歳をとったねぇ~」
「初めて会った頃は、おれが二十六でHさんが二十八ですよ」
「それが今では互いに高齢者か」
 H氏は十年前、バリ島へ取材に行った際、ちょっとしたアクシデントに見舞われ、左脚を骨折。今でもその後遺症が残っていて、歩行にやや難がある。しかし根っからのプラス思考は七十一歳になった今も健在で、見習うべきものが多々ある良き先輩だ。
「ところで注文、なにします?」
「ドリンクバー」
「じゃおれはクリームあんみつにしようかな」
「そういえば木代さんも甘いものが好きだったんだね」
 今回は珍しくドリンクバーのみだが、H氏はたいがいパフェ類もいっしょに注文する。酒は一滴も飲まない代わりに、昔から無類の甘党で、アイスや生クリームをロングスプーンで口へ運ぶさまは、見るからに幸せそうだ。恐らく私も同じように見られているのではなかろうか。アイスとあんこを口にふくめば、いつ何時でも至福の一瞬に包まれる。

 祖父祖母が健在だったころ、週末の木代家の夕飯には家族全員九名がお膳を囲むことがよくあった。そんな時に度々出されたものが“おはぎ”。野球のボールとみまがう巨大なおはぎを大皿に山ほど盛ってお膳の中央に置かれる。もちろんデザートなどではない。主食である。
 皆黙々と取り皿へおはぎを運び、口へと運ぶ。一口食べたら、ややしょっぱい醤油のお汁をずるずるっとやる。まだ小さかった弟と、祖母、叔母、母の女性陣でさえ最低二個は食し、私を含める男性陣は最低でも三個は平らげたものだ。おはぎは自家製で小豆を煮込んであんこから作る。昼過ぎから祖母と母二人での作業が始まり、台所は終始いい香りに包まれた。木代家伝統のおはぎはとても甘く、一般人だったらいくら腹が減っていても、あれほど甘いおはぎを軽々と三個食することはなかなか難しいだろう。
 甘いものが体に良くないと言われて久しいが、あくまでも個人差があり、たくさん食しても健康を維持できた例は身近にもある。焼餅には砂糖醤油、梅干しにも砂糖、そして甘いものにのみならず、みそ汁やすまし汁等々を出されると、味見もせずに大量の醤油を注いだ祖父。享年とって九十歳。食後には必ず甘い菓子パンやまんじゅうを欠かさなかった父。享年は九十五歳だ。


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