バイク屋時代 26 三鷹本店スタート

 新三鷹店の滑り出しは上々だった。むしろ予想以上と言っていい活況に包まれたのだ。ただ、これまで経験のなかった多くの来店客への対応には悪戦苦闘が続いた。週末ともなれば、休憩はおろか昼食を取ることもままならないほど。それと、やっとお客さんを商談カウンターへ連れてきても、他のお客さんに問いかけられたり、タイミング悪く電話が鳴ったりと、落ち着いて話を進められないのにはまいった。

 ショールームには、社長、江藤さん、吉岡くん、山田美緒さん、代々木里佳子さん、そして俺と、総勢六名の営業マンがいるのにてんやわんやなのだ。
「手が空いた人は、いいからお昼行って!」
 下山専務がみんなに声をかけている。彼女は古い常連客の相手をしてくれるから、忙しい時にはとても助かる。矢倉さんもその辺はわかっていて、特に週末などはちょくちょく事務所からショールームを覗き、手が足りないと思えば、接客から時には商談までフォローしてくれる。
 一方、サービス部は松田・松本のフロント二名体制が功を得てか、スムーズに回っているようだった。接客はすべてフロント任せだから、メカ達はひたすら作業に没頭できるというわけだ。
 一店集約は単に売上アップだけでなく、スタッフ全員がいつも顔を合わせているので、イベントの企画立案などがスピーディーかつ綿密に行え、また内容も十分煮詰めることができた。特に営業、サービス合同で行うビッグツーリングの企画立案では、宴会の出し物を中心に新しいアイデアが連発、真剣に取り組むスタッフの表情からは、向上するモチベーションが窺えた。

「営業、サービス共々、月間目標達成で、しかも売上台数は135台と過去最高をマークできました。ありがとうございました」
 オープン三か月目にして得られた成果は、その後も落ちることなく順調に推移し、年間売上ボリューム1200台も視野に入ってきた。
「このまま走り切れば、冬の賞与も弾めると思います。それと、年明けに社員旅行を予定していますが、行先はもちろん海外の中から選ぶので、ここぞというところがあれば意見をください」
 11月の全体会議はこれまでにない成果を得られ、社長はもちろんのことスタッフも終始笑顔が絶えなかった。
「ついにアメリカ本国か!」
「いいねいいね」
「マカオでGP観戦したいな」
「香港も行けるじゃん」
 そもそもモト・ギャルソンの社員旅行は海外が常なのだ。二十歳になるかならないかで入社してくる若者達に、広く世界を見せてやりたいという大崎社長の親心が発端だ。実際、俺が入社した直後の社員旅行はグァムだった。その次がなんとハワイのオワフ島だったので、この時ばかりは娘と女房も連れて行った。ちなみにうちの娘、初めて泳いだ海がワイキキビーチである。
 参考までに俺が行った海外旅行先は、ハワイ(オワフ島・マウイ島・ハワイ島)、ラスベガス、グァム、釜山、香港(マカオ)、タイ、バリ、ケアンズとなる。先々になるが、この他仕事でハーレーダビッドソンの本社(ミルウォーキー)やDUCATI会議並びにEICMA視察でイタリアのミラノと、モト・ギャルソン在籍中は大い海外を堪能させてもらうことになる。

 そしてオープンの翌年には、業販も含めると年間売上1400台をマーク。一店舗集約に間違いはなかったと、自他ともに認めところだ。
 そして成功が成功を呼んだのだろう。既納客の定着が順調に伸び続け、ビッグツーリングは会社のポリシー【遊べるバイク屋】を最も具現化するイベントとして定着、ついには参加者数100名を超える規模にまで膨らんだ。ただこうなるとスタッフ不足は顕著となり、人員補充は急務とされた。
 そんな中、営業女子として岸山裕子さん、営業男子では瀬古勉と長野健司の計3名の採用が決まった。岸山さんは背も高く物怖じしないタイプ。商談の覚えがよく、入社早々から積極的に売る姿勢も見せた。長野くんはなんといっても笑顔がよかった。親しみやすいオーラを絶えず放っているから、バイク初心者が気軽に話しかけてきた。瀬古くんは一見線が細く、時々暗い表情も見せ、当初は心配したものだが、慣れるに従いびっくりするような営業センスを発揮し、半年後にはトップセールスマンへと成長した。こうして営業力も日々盤石なものになりつつあり、モト・ギャルソン黄金期は目前に迫っていた。

 ある日の幹部会議。
「本店は順調に推移してますが、ここでもう一店出そうと思います」
「えっ?! 一店集約がうまくいっているのに、また複数体制に戻すんですか」
 釈然としない顔つき丸出しの江藤さんである。
「まあ、ちゃんと聞きなさいよ」
 本店のショールームは広いものの、中古車の展示までは十分に行えない。中古車は利益幅が大きいので、今後は比率拡大に本腰を入れたい。毎月の売上台数はコンスタントに100台前後を示しているが、台あたり利益の減少がとどまることを知らず、現況は78,600円まで下がってきている。スクーターの販売割合が増えている一方、中古車売上が低迷していることが原因と思われる。そこで、新たに中古車専門店を設けて売上拡大を目指したい。場所は中央通りのガソリンスタンドが閉店するのでその敷地を利用。本店からは目と鼻の先なので在庫移動がやり易いし、新車の商談中に中古車も見に行けるメリットは大きい。
 勢いがついている大崎社長は既に計画を具体的に進めていて、東亜建設によれば、年明け2月ごろには開店できるという。店長は江藤さん。店名も【ギャラリーⅡ】である。

目が痒い

 先週、春のお彼岸ということで、弟と二人、墓参りに行ってきた。
 八王子にあるうちの菩提寺は、山の斜面に囲まれた自然豊かなローケーションにあり、四季折々の美しさが心を和ませる。境内の梅はちょうど見ごろを迎え、ぐるりは春爛漫だ。しかも“時々雨”との天気予報を覆す素晴らしいお日和で、薄ら汗をかきながら、お墓の掃除に精が出た。そして兄弟共々甘いものには目がないので、帰りは必ず秋川街道沿いにある、老舗の和菓子屋【鮎川】へ立ち寄った。ここの“おやき”と大福は一度食したら癖になる。

 さて、中央道へ乗るあたりから目の痒みが酷くなってきた。今年は妙につらい。黄砂が花粉のアレルギー症状を増幅させるのか…..
 鼻炎については、三年前から服用している馴染みの処方薬でなんとか抑えているが、いっしょにもらった点眼薬の【アレジオンLX点眼液0.1%】はほとんど無効である。効能書きによると、一滴させば効き目は八時間持続するらしいが、実際は「効いてんの?」程度のレベルが、せいぜい長くて二時間。これでは五百円ほどで買える市販点眼薬と何ら変わらない。
 毎度この季節、地獄である。

バイク屋時代 25 一店舗へと集約

 時は1995年の初夏。
 先週、社長から電話があったとき、次の店長会議は大事な事案になると告げられた。つねに勢いのある大崎社長だから、また新しい店でも作るのだろうか、それとも…..

 今回の会議は八幡町にあるファミレスで行われた。店の入り口左脇には会議向きな小部屋がしつらえてあり、いつもと異なる雰囲気にちょっぴり緊張感を覚える。
 参加者も通常メンバーの他に総務の矢倉さんも入っていた。テーブルに全員が着席すると、おもむろに資料が配られ、さっと目を通すと、やはり新店関連のようだ。
「さっそく本題だけど、このほど現在ある三店舗を閉めて、大型の一店舗に集約します。場所は資料の最初のページに掲載した、“武蔵野女子学生会館”の一階テナントです」
 地元なので場所はよくわかる。井の頭道路沿いで三鷹駅にも近い。西隣はファミレスのアニーズだ。
「ショールームだけで百坪弱あるんで、四メーカーのラインナップもゆとりで展示できるんじゃないかな」
 メガネを外し、ひたすら資料に目を通していた江藤さんが、
「オープンはいつです?」
「今、契約内容の最終煮詰めをやってるんで、決まればすぐだな」
「だから、すぐって具体的にいつごろですか?」
「この夏だね。各店は一か月以内に引っ越しを完了させるスケジュールを立ててください」
 これだけでも騒然となったが、この後の発表がさらに場の雰囲気を緊迫化させた。
「店舗の運営は基本的に営業部とサービス部の二部制で、人員配置は…..」
 なんと俺が営業部長と店長を兼任、松田さんがサービス部長、江藤さんは副店長、松本さんはサービスフロントのこと。
 こいつはびっくり。先輩社員を飛び越えた抜擢就任である。こうなれば当然起こりうる“やっかみ”に、“ガラスの心臓”を持つ俺が、果たして耐えられるかと、入社以来味わったことのない不安がわき起こった。ところが売上規模の説明に入ると、そんな不安など消えるほどの緊迫感が迫ってきたのだ。
「店のロケーションに文句はないけど、その分家賃がね…..」
「どれほどです?」
「月100万以上は確実だな」
 100万円以上とは驚く。おそらく三店舗分の家賃合計を上回るだろう。となれば売上目標は単純計算で三店舗合計以上ということになる。
「月100台以上は売らないと駄目だけど、いけるでしょう、そのくらいは」
 根拠不明な説明と大崎スマイルが、皆の目を点にさせた。
 いやはやこれは大ごとである。既存の三店舗を例を挙げれば、全店売上「0」っていう日は少ないがあることも確か。いかに新しくて大型の店舗でも、連日No「0」Dayを続けるのは容易なことじゃない。
「大丈夫ですかね…..いけますかね」
「今からそんな弱気じゃ駄目だろう」
 土日で15台、平日で最低2台は売っていかないと達成は難しい。話が具体化していくと、それに伴い不安が膨らんでいった。
「木代さん、納整はばっちりやるから、遠慮しないで売りまくってくださいよぉ」
 停滞ムードにカツを入れてくれたのだろう。そう放った松田さんが、ニコニコしながら煙草に火をつけた。
「それと、新店舗にはムーバも入ります。間口右側のスペースにね」
 バイクとダイビングの相乗効果との説明だが、俺としてはちょっと引っかかる。まっ、ムーバの店長は下山専務の息子なんで、なんにも言えないが…..

 三鷹本店の工事は着々と進んだ。自宅から徒歩五分と近いので、休みの日にちらっとのぞきに行くと、大工さん二人がショールームの壁を養生していた。
「ご苦労さんです。今日は東亜の社長さんはいないんですか?」
「ああ、ほかの現場へ行ってます」
 内装工事を行っているのは東亜建設。ここの社長とうちの社長は仲がいい。
 正面入って左側がサービスカウンターで、右手はムーバ、その奥に事務所があり、さらにその奥が会議室とのことだ。さすがにショールームは広く、これなら大崎社長の言ったとおり、フルラインナップは無理としても四メーカーの主力モデルは確実に展示できる。しかも間口が広く、きれいなテラスには目勘定でも十台は並べられそうだ。抜群なキャッチアイになることは間違いない。車やバイク、そして歩行者への訴求効果は大いに期待できる。ただ、サービス部長となった松田さんがこぼしていたが、工場の形があまり良くない。搬入口が狭く、どのようにレイアウトしても“ウナギの寝床”になってしまう。特に一番奥のピットからの出し入れはしんどいだろう。そしてテナントの構造上致し方ないが、工場のど真ん中に大きな柱が居座る。

「店長、昨日は 本店、見に行ってきました?」
 出勤するとすぐに大杉くんが聞いてきた。
「もうほとんど出来上がってる。ぜったい目立つな、あの店は。それはそうと、工場の引っ越しは進んでる?」
「いらないものがあまりに多くて、だいぶ捨てました」
 工場ってところは、どこの店を見ても謎の在庫だらけだ。今後使うことはまずないと思われる、マフラー、カウル、ハンドル、その他諸々が、ただでさえ広くない部品置き場を占領している。
「それ、使わないだろ」
「捨てるにはもったいないなぁ」
 断捨離に踏み切ろうとしても、いつもこんな会話で終わってしまう。だから今回の引っ越しはいい機会だ。新店の工場管理は、細かい松田さんが担当するから、すっきりさっぱりになることは間違いない。

 そもそも、なぜ一店舗集約というアイデアが生まれたのか。
 大崎社長には同業者の友人がとても多い。彼は人気者なのだ。自社の成功事例などは包み隠すことなくオープンにし、そのきっぷのよさは類稀。だからオートバイ組合の理事は適任中の適任。そんなことで、組合の集まりがあれば、大崎社長が輪の中心となり、「最近どうよ」、「人がいなくてね」、「先月はよかったけど、今月はぜんぜんだよ」等々、井戸端会議が始まる。毎度情報が錯綜するようだが、そんな中、“大型店へと集約”という話題がもちあがったそうだ。訴求効果が高く、同時にイメージアップにもなり、さらに管理(人員、商品)に至っては、多店舗と比較してはるかにやり易く、また効果測定もしっかりとできる等々、いいことずくめ。大崎社長はこれをきっかけに豊富な人脈から得た情報を精査、そして結論へと進めたのだ。

 開店に際しては、オープニングパーティーが行われ、来賓の常連さん、取引先、同業者等々合わせて、百名弱ほどの盛大なものになり、今後の発展を十分に予想できる華やかさだった。
 ちょっと個人的なことだが、不運にもオープニングパーティーの前日から持病の“痔”が悪化し、立食パーティーゆえに痛みが増す“脱肛”がピークに達していた。おおよそ二時間の立ちっぱなしはまさに地獄。社長によるスタッフ紹介の後、俺、松田さんの順番でスピーチを行ったが、どくどくする重い痛みに冷や汗が出る始末。それを察知した吉祥寺店の常連たちから、
「木代さん、顔色がイマイチだよ。大丈夫?」
 と、心配までされる始末。会社にとっても俺にとっても新たな船出の日に、こんな体たらくでは先が思いやられる。

写真好きな中年男の独り言