奥多摩・熊事情

MAPついに我がエリア“奥多摩”にも熊問題が波及してきたようだ。
11月11日(金)の朝日新聞によると、青梅市でツキノワグマの出没が相次いでいるという。
11月8日(火)、JR御嶽駅から約200m東の多摩川左岸に、親子と見られる熊3頭が現れた。翌11月9日(水)には、そこから直線距離で3kmほど多摩川を下ったJR二俣尾駅付近に3頭が出没。続く11月10日(木)には同駅の北東約3kmの住宅地近くの道路を横切る1頭の目撃情報があり、同日夕に体重60㎏のメスを地元猟友会が殺処分したとのことだ。
8、9両日の3頭が同じ熊かは分かってないが、紅葉狩りや秋のハイキングシーズンの最盛期を迎え、専門家は「非常に危険な状態」と注意を呼びかけている。
青梅市では10月下旬にも熊が連日出没する騒ぎがあったばかり。10月22日(土)には120㎏のオスが、翌10月23日(日)には80㎏のメスが殺処分された。何れも住宅地で、青梅市によれば、記録に残っている過去10年間で、ここまで民家に近い場所で熊が確認されたのは初めてだという。
10月に殺処分された1頭目のオスは、同月中旬から近くの飲食店で食材を荒らした熊とみられ、10月22日(土)早朝から市職員と地元猟友会のメンバーが捜査にあたり、茂みから出てきたところを射殺した。
2頭目のメスは、1頭目を射殺した直後に現場から約4km下流の多摩川河川敷に熊が逃げていったという通報があり、翌10月23日(日)朝に発見、射殺。
ツキノワグマの生態に詳しい「日本ツキノワグマ研究所」の米田一彦理事長は、1頭目のオスの大きさに注目した。「120㎏というと、野生のツキノワグマの最大級。強い熊は山奥の最高の場所を占拠するもの」という。そんな熊が住宅地に現れるというのは「ドングリなどの食料がよほど不足しているのだろう」とみる。
米田理事長は「雪が降れば熊は一斉に冬眠に入る。栄養状態の悪い年ほど冬眠は早い。熊の出没はいずれ終息する」と前置きしつつも、「まだいつどこで遭遇するか、全く予断は許さないだろう」と話す。
<以上は11月11日(金)付け朝日新聞より転記>

えらいことになったものだ。いくらローカルな青梅線沿線といえども、出没地点はどこも青梅の中心街に近いエリアにあり、コンビニを始め、保育園、小学校等が点在する住宅街なのだ。そんなところに熊が出てくるのだから、やはり山中の食糧不足は極限に近い状況なのかもしれない。こうなると今後も餌を求めて里へ下りてくる“里熊”は増えるものだと考えて良さそうだ。
それにしてもあの大きな体を持つ野生獣が、人間の生活圏から目と鼻の先の距離内に生息している事実はちょっとした恐怖である。しかも彼らが極度に腹を空かしていることを考えれば緊迫感さえ覚えてしまう。
こんな経緯の中、もしも鹿角市のような事件が勃発すれば、ファンの多い奥多摩山歩きに影が落ち、熊にとっても我々人間にとっても最悪のシナリオを踏まなねばならなくなるのだ。
もともと熊との様々なトラブルは、我々人間社会が行なう自然バランスの破壊に端を発しているのであり、当然ながら熊達に罪はない。
道路や植林などの開発は、即ち生息域への侵害であり、自然林の伐採が進めば食糧不足になることは小学生にだって分かること。更に昨今では僻地の高齢化で耕作地の放棄が増加していて、そこで作られていた作物が熊の食糧となっている事実もチェックしておきたい。
難問山積みである野生動物との共存。何とかうまい解決方法はないものだろうか。

天城の森・八丁池

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11月9日(水)。日々紅葉の情報が入る中、二年ぶりの八丁池を目指してみた。
天城の森は紅葉の時期ならずとも足を踏み入れたい魅力的なところだが、自宅から160Kmと距離感があり、そして近頃頓に増えた野暮用で、なかなか出掛けるきっかけがつかめないのが現況だ。
こんな時いつも思う。暇と金が欲しい、、、と。

5時に自宅を出発。驚くほど空いた東名高速を飛ばし、裾野ICを降りるとデニーズ三島北店で朝食。その後セブンで食料の買い出しを済ませ、スタート地点である水生地下駐車場に着いたのが9時を回った頃だ。
見回すと2組のハイカーが既に登山準備中。どちらも夫婦者と思しき人達で、方や50歳代前半、もう一方は30歳代半ばほどであろうか。若い方の奥さんは原色中心のウェアをバッチリと着込み、山ガールの見本のようだ。
そうこうしているうちに年増夫婦は出発、国道を渡ると森の中へ消えていった。

八丁池までの往路は今回も“上り御幸歩道”を使った。奥多摩辺りでは少なくなった原生林の素晴らしさを味わえるナイスなルートである。八丁池そのものより、ここを歩けるところにこの山行の醍醐味があると言っていい。そもそも天城の森の最大のポイントはブナとヒメシャラが織りなす魅惑的な景観にあり、しかも飽くことのない素晴らしいものなのだ。
特に今回は随所で程よいガスが立ち込め、息をのむほどの幻想的な世界を何度か見られラッキーだった。

旧天城トンネル脇から山道へ足を踏み入れると、何かいつもと違う雰囲気に気が付く。そう、先回は森全体が咆哮をあげるほどの強風に見舞われたのだが、今回は打って変わっての無風状態。まだ三度目だが、これほど静かな天城の森を体験したのは初めてである。聞こえるのは落ち葉を踏みしめる音と鳥のさえずりだけ。暫し静寂の空間に酔いしれた。

一時間も歩いた頃だろうか、前方から女性の声らしきものが飛んできた。耳を澄ませると、、、
「わー、きれい!」、「あははは、やだー」、「すごーい!」とかを連発している。
徐々に声の元へ近づくと、先行していた若夫婦の姿が目に入った。よく見ると二人とも一眼レフを構えていて、木々やコケらしきもの熱心に撮影しているではないか。
ご主人はひたすら被写体を捕らえシャッターを下ろしているようだが、奥さんは何かにつけ声を発している。
「これいいかも!」とか、「ちょっと難しいかな~」とかである。
私も写真好きの一人としてわかる部分もあるが、度が過ぎる音量は正直耳障りであり、もっと周囲の空気感を理解してもらいたいと思った。

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一年前の瑞牆山登山以来、一度も山に踏み入れていない鈍った体は、ワサビ田を過ぎたころからずっしりと重さを感じてきた。スタミナ不足は明白だが、それ以上に腰回りに痛みが出始めたことが気になった。思った以上に下半身が弱っているのだろう。歩行に踏ん張りがでず、安定感は欠けたままだ。そのうちに息も上がってきたが、ここは体に鞭を打ち、立ち休みもそこそこにして一気にゴールまで急ぐことにした。
爺さんのようにどっかり座って長々と休憩することは、心情的にも許されない。

八丁池の直前まで来ると、前方から賑やかな話声が聞こえ、間もなくすると年配ご婦人の8人組が下ってきた。

「あら、こんにちは」
「こんにちは」

60歳代後半の面々と見たが、皆、元気いっぱいだ。

「池はもうすぐですから、頑張ってね♪」
「はい、ありがとうございます」

酷くやつれた顔をしていたのかもしれない。励まされて消沈するとは、なんとも情けない話である。やはり最低でも月に一度は山に入り込まないと、必要な筋肉はどんどんと退化してしまうのだ。若い頃と違い、この辺の管理をしっかり行なわないと、いざ山行のチャンスが到来しても対応できなくなる。

池に到着すると、先行していた年輩夫婦、そしてお喋り好きな奥さん夫婦の姿が目に止まった。その他にも若い男性の二人組に、私と同年代と思しき男女4人組が東屋の前でそれぞれ寛いでいた。
腕時計を見ると13時ちょい前。ここまで3時間半も掛かっている。いくら撮影しながらの山行と言っても少々ローペースである。
先ずは東屋のベンチに陣取り一息ついた。吐息の白さで気が付いたが、周辺の気温はかなり低く、おまけに少々風も出てきたようだ。体を冷やさぬように急いでジャケットを羽織った。冷たくなった手でストーブ、コッヘルを取りだし、昼食の準備に取り掛かる。腹も減ったし、何より暖かいものを飲みたかった。
湯が沸くまでの間、暫し湖畔で撮影にトライ。紅葉の進行状況は八分と言ったところだが、入口周辺のモミジはきれいに発色しており、十分な被写体と言えよう。
久々の山歩きはしんどかったが、カメラさえ構えてしまえば発見が連発して心が踊る。意識せず自由自在に扱えるNikon1・V2は、もはやなくてはならないフィールドの友である。
どんなカメラも欠点を挙げれば必ず幾つか出てくるものだが、このV2の持つ撮影機能と1インチセンサーが生み出す立体感ある画は、欠点など忘れ、撮る楽しさをこれでもかと訴えてくる。
一般的に言って、ニコン・ミラーレス機に対しての評論に芳しいものはない。だいぶ前の記事には、“Nikon1に未来はなく、早々にディスコンか”とまで書かれていたものだ。そんな風評があってか、ユーザーレベルの人気度を見ても下位に甘んじている。
しかしだ。“連写とスナップは得意だが、風景となると力不足”などと安易に嘘ぶるV2のインプレッション記事が、如何に多くの読者に誤解を与え、手に取るきっかけさえもを奪っている事実を真面目に考えてもらいたいのだ。

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寒さのため沸騰に時間の掛かった熱湯をカップ麺へ流し込むと、3分の間におにぎりと甘いパンを平らげた。体こそ疲れてはいたが、頗る調子のいい胃腸は大変な空腹を訴えていたのである。
毎度のことだが、山でいただく食事は本当に美味しいものだ。特に寒い時のカップ麺は本物のラーメンを凌ぐ。
スープを一滴残さず飲み干すと、やっと一息付け、若干だが体が温まってきた。
改めて周囲を見回すと、夫婦二組が早々と荷物を片付けて出発準備をしている。若い男性二人は既に天城縦走ルート方面へと姿を消していた。
やはり底冷えが厳しいので、長居が出来ないのだ。
気が付くと東屋には私一人。寒さも静けさも、そして眺めも独り占めである。
せっかくなので、このまたとない空間に暫し身を置くことにした。
池に目をやると、多少風が強まったのか、頻繁に水面のさざ波が現れては消えている。深い自然の中ではこんな変化をただぼうっと眺めていても飽くことがなく、時として様々な撮影ヒントも浮かび出す。
数年前に出掛けた滑沢渓谷では、二つの支流がぶつかり渦巻く様子がとても面白く、寄ったり引いたり、はたまたレンズを換えたりして、そこだけで50枚近くも撮ったものだ。
こんな楽しさを発見できるのも自然の摩訶不思議があってこそであり、興味は尽きることがない。

下山にも先回同様、“下り御幸歩道”を使った。
このルートも見事な原生林を堪能することができるので、眺めながら、そして撮影しながらの下山となった。
久々の山歩きは体に堪えたが、今回はなぜか膝の調子が良く、急な下りの連続でも悲鳴を上げることはなかった。もっとも奥多摩の急峻なルートと較べれば体力消耗度は低いと思うので、単純には喜べない。
淡々とした下りの後は更に淡々とした林道歩きが残っていた。なだらかな下りの舗装路だが、この路面の固さが意外や体の芯に堪える。しかしここまで来れば、あと一踏ん張りでゴールだ。
分岐まで下りて来ると、橋の手前に八丁池にいた年輩4人組の姿が目に入った。輪になり地図を広げているので、ルートの確認だろうか。

「お疲れさんです」
「すみません、ちょっと聞いていいですか」
「はい」
「水生地下って、こっちの道でいいんですか」
「これ真っ直ぐです。僕もそこに車を停めてあるんで」
「そーですか」

ここから駐車場までの大凡10分間少々。4人組とお喋りをしながら下ることになった。
恐らく同年代と思われる男性二人、女性二人の彼らは、千葉県市川市から来たとのことだが、どのような関係の集まりかは定かでない。定期的にアウトドアを楽しんでいて、その基本はキャンピングカーだと言う。大人4人が余裕で横になれる大きさがあり、この後も近くのオートキャンプ場で一泊するそうだ。
彼らもやたらと元気があり、わいわいがやがややりながらも歩くスピードは結構速い。

「それじゃこれで」
「気を付けて!」

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キャンピングカーはその重みのせいか、ちょっと心配なほどにタイヤを撓ませ、車体を傾けながらゆっくりと駐車場を出て行った。そして国道に出たところでサイドウィンドウに午後の日差しが反射した。
山々は既に夕連れの様相である。
爽やかな疲労が残る体をシートに収めると、一本残ったミネラルウォーターを開けのどを潤した。

■ 天城の森・八丁池ギャラリーへ

魚釣り

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― 小学生の頃、夏がよかった。

耳をすますと、裏の林から沸き立つ蝉時雨の中に、微かだが千本松原を超えてとどく波音が混じり、それは優しい旋律となって体を包み込む。こんな一瞬、東京から遠く離れて暮らしているのだと改めて感じ、同時に言いようのない安堵がこみあげてくる。
体をゆっくりと起こし、玄関脇の釣り道具を抱えると表へ出た。沼津へ来て覚えた魚釣り。これほど嵌るものとは思わなかった。
針に餌をつけ、思いっきり竿を振って遠くへ飛ばす。あとはパクッと来るのを待つだけだが、この一連の作業を経て、あわよく魚を釣り上げた時の嬉しさったらない。
傾き始めた午後の陽光を頬に感じると、不意に急かされた気分になり、釣り場へと向かう足取りが速くなる。

子持川を渡り、豪奢な屋敷町を抜ければそこが千本浜。西へ延々と富士川まで、20kmにも及ぶ大アーチの海岸線は眺めるだけで気分爽快になれる。これに愛鷹山とその背後に富士山の姿が現れればもう言うことなしだ。誰だってこの特上な景色には胸を打たれることだろう。
千本浜の東端からは防波堤が沖へと延びていて、その先端には真っ赤な灯台が立つ。
ここからでも5~6人の釣り人が適度な間隔をおいて糸を垂れているのが分かった。
その防波堤へ入る手前の右角に小さな釣具屋があり、餌はいつもここで調達した。

「ゴカイください。それに源氏パイふたつ」

自分だけの楽しみ。それは甘い源氏パイを頬張りながら糸を垂らすこと。
小さく割ってはゆっくりと口の中で溶かしていくその無意識に近い行為が、浮きを見つめる緊迫感に僅かな緩さを加味してくれるのだ。
堤防から真下に目をやると、水深5メートルはあると思われる底がくっきりと見えた。海の色はちょうどラムネの瓶と同じ青緑で、小魚が群れなす様も手に取るように分かる。たまに大きな魚がゆらりと現れ、見ているだけでも飽くことはない。
堤防で釣れる魚はベラとコチが主だ。たまに地元民がヤマノカミと称するカサゴ系も釣れることがある。一方、千本浜で投げ釣りをやれば、型は小さいがシロギスも2~3匹だったらコンスタントにゲットできた。
釣れた魚はとにかくすべて自宅へ持ち帰り、おふくろに渡した。

「なにこれ、色が気持ち悪いけど、食べられるの?」
「大丈夫だってみんな言ってた」

赤や緑の線が入ったベラなどは、海なし県出身のおふくろにとってかなり手強い対象だったかもしれない。

「焼くしかできないよ」
「いいよそれで」

釣った魚は皆小さい。それを焼けばさらに小さくなり、到底ご飯のおかずにはなりえない量になってしまう。しかしそんなことはどうでもよかった。
ひたすら焦げた皮を剥いでは、その下の僅かな肉をつまんでは口へと運んだ。
賞味するというレベルには程遠かったが、決してまずくはなく、噛みしめるとしっかりとしたうま味さえ感じ取れた。

「食べてみたら」
「お母さんはいいわ」

いつものやり取りは永遠に変わらない。

写真好きな中年男の独り言