夏直前! 三浦半島・城ヶ島

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写真仲間のTくん。彼への連絡にはいつもLINEを使う。

ー 明日、写真行くか?
ー いきましょう

と、こんな感じ。
どうやらTくん、この頃では平日休みも取れるようで、ちょっと前に“金曜に空くことが多い”と言っていたのを思い出し誘ってみたのだ。
結果はAll Right☆

ー それじゃ明日9時
ー 了解

ということで、6月17日(金)。夏本番間近な三浦半島で、光り目映い海と空をキャッチしてきた。

これまで三浦半島には何度訪れただろうか。自宅からそれほど遠くないのに豪快な磯の景観が見られ、田園地帯を望めばその向こうに大海原が広がっている、そして幼年期に静岡県の沼津で親しんだ、生活に密着した海を味わえること等々がリピートの理由になる。
それに美味いマグロの漬丼を賞味できるのも大きなポイントだろう。そもそも半島の南端に位置する三崎漁港は、常にマグロの陸揚げ量が全国3本の指に数えられ、観光地としても活況を放っている。

「ほらあそこ。剱崎灯台って書いてあるじゃん」
「うんうん」
「行ってみよう」

大昔に一度トライしたことがあった。しかし国道から左折すると道はいきなり狭くなり、行けば行くほど不安が増すほどで、結局灯台へ至る前に諦めて引き返した。しかし今回の車はTくん愛車の「スズキ・ジムニー」。こいつで行けないところはないし、引き返せないところもないのだ。
予想通りすれ違い100%不可能な道が続いたが、不思議とジムニーのハンドルを握っていると不安は少しも感じることがなかった。

「ここで行き止まりだな」
「あとは歩きか」

とは言っても見れば白亜の灯台は目と鼻の先だ。
最近になって塗り直したのではないかと思うほどその白は目映く、強い反射光は否応なしに両眼へと射し込んでくる。

「なるほど、絶景だね」

灯台の裏側へ回れば、東京湾を挟み内房の山々がはっきりと見渡せ、気分はスカッとする。観音崎灯台からの眺めもいいが、ここも負けてはいない。
辺りをよく見まわすと、灯台が立つ岬の取り付けには入江風の岩場が扇状に広がり、独特の景観を形成している。それはよく知る城ヶ島の磯とはひと味違うものだ。
灯台からは早々と引き上げ、斜面を伝う細い道を下って磯へと出た。

昔も今も岩場はフナムシの天国だ。無数が揃ってサッサッと動く様は、虫嫌いには悍ましいシーンだろうが、沼津育ちの私にとっては、海に来た!という実感に溢れる安らぎの光景に他ならない。
しばらくここで撮影タイムとした。
カメラを持つ手を休め、ふと岬を見上げると、紺碧の中に凛と立つ剱崎灯台を掠めるように、数羽のトビが気持ちよさそうに旋回しているではないか。

「いいかげん腹減ったな」
「だってもうすぐ1時ですよ」
「ここは終わりにして、城ヶ島で飯にしよう」

剱崎灯台から城ケ崎までは普通に流して20分少々。途中には小さな漁港もあって、下見をしたくなる雰囲気も感じられたが、今回は二人ともかなりな腹ペコ状態だったので、とにかく島へ渡って馴染みの『しぶき亭』へと向かうことにした。
平日の割には島内に観光客は多く、人気スポットの程を伺えた。

「キリンFREEとミックス丼、ふたつづつ」

マグロの漬丼は当然美味だが、ここはイカもイケる。そんな時はミックス丼がおすすめ。ご飯の上には漬マグロと漬イカがそれぞれ半々で乗っていて、両方の味を一度に堪能できるのだ。イカは弾力があり、噛めば噛むほど甘みが出てきて言うことなし。

「お客さん、これはね、うちのオリジナルでまぐろと味噌を和えたものなの」
「へー、ご飯にぴったりだね」
「そうなの。しかも無添加だから安心なんです」

ここのおばさんたちは皆揃って喋りが達者だ。プレゼンが苦手だと思っている方は、ぜひ一度行ってみるといい。しつこさなしの笑いありで、ついつい買わされてしまう。この日もそのオリジナルやらを一びん土産にしてしまった。
何年か前に訪れた時も、まんまとやられた。

「お客さん若いから大盛にしてあげるね」

50代後半のおっさんに対して、真顔で若いなんて言われたら、何も買わずに店を出るわけにはいかない。
但、しぶき亭は食事も土産品も味はGooだから、その味と小気味なやりとりでついついリピートしてしまうのだ。

陽光燦々の磯は歩くだけでも消耗する。分かってはいたが、単純な岩場とベタな空では写欲は湧いてこない。目的は夕陽だったが、今は年で最も陽が長い時期にあり、夕暮れムードがやってくるの大凡4時間後とみた。
それまでの間、花か人などを狙おうと試みたが、なかなかどうしてお誂えなSceneはやってこない。港や東側の磯まで足を延ばしてみたが、すべてが徒労に終わったので、この後は夕陽撮影のポイント探しに切り替えた。
沖合のどんよりした雲で富士山の姿は完全に隠れているが、僅かな希望を胸に波飛沫うつ岩の向こうに富士山が入るポイントを探すことにした。
この頃では西側の防波堤工事が進んできていて、東寄りが強すぎると自分好みな画になりそうになかったので、カメラを三脚へ固定して、京急ホテルの西側に陣取った。
あとは座って待つのみ。

「探しちゃいましたよ」
「いろいろ回ったけど何にもなかったからさ」
「俺なんか500枚近く撮っちゃいましたよ」

さすがにTくんは若い。そう話し始めたとたん、今度は今より磯に近いところで、城ヶ島には多々見かける野良猫を撮り始めたのだ。
気が付くと周りには一眼レフを手に持つ人が、二人、三人と集まっていた。

あと夕陽まで一時間と迫ったころ、カメラのセッティングを確認しようと上部液晶を覗いたら、何とバッテリー残量が最後のひとメモリになっているではないか。バッテリーの寿命か、D600自体が大食いなのか、それとも単純にレンズが初期型VRだからか、いずれも定かでないが、この消耗度はいただけない。

「エツ、やばいよ」
「どうしたの?」
「バッテリーが終わりそう。一応予備は持ってきたけど車の中に置き忘れだ」

港まで戻るのは容易でない。

「まって、D600のバッテリーって、俺のD7000と同じじゃなかった?」

なるほど、そうかもしれない。
さっそく調べてみると、まったく同じ品番である。

「安心してくださいよ。ほら、予備持ってるから」
「良かった~、それじゃぎりぎりまで使わせてもらうよ」

ー HDR、絞りF11、シャッター速度1/4秒、ISO100、マルチパターン測光、露出補正ー0.3段
この設定で日没までの微妙な変化を45枚で切り取ってみた。
そしてラッキーは続いた。何と雲に覆われていた富士山が突如として現れたのだ。しかもうっすらと朱を帯びる“赤富士”で、何度となく訪れてきたこの城ヶ島に於て、過去に一度しか拝んだことがない貴重な姿なのだ。
更には機材を片付けて車へ戻る道すがら、ふと路地向こうから強い光が流れ込んできたので首を向けると、

「すげー!真っ赤な夕焼けだ」

いい感じの雲と夕陽がミルフィーユ状となり、それは久々に見る鮮やかさなのだ。
手持ちだがさっそくカメラを向けてシャッターを切り出すと、近くを歩いていたカップルの彼女がつぶやいた。

「あなたもいいカメラ買ったら」
「そだね」

急きょ出かけた撮影行。しかし結果は大満足。
そう、嬉しいことはまだあった。
帰宅してD600の画をチェックすると、そこには今までのNikon機では得ることのできなかったRAWデータの奥深さと密度があったのだ。
いつものようにPhotoshopCS5で現像にかかると、各スライダーの動きに対してプレビューの変化がD100やD2HのRAWデータとは若干異なることに気が付いたのである。一見グレースケールかのように見える部分でも、その裏側にはしっかりと色情報が置かれていて、スポンジツール等での微妙なレタッチがとても自然に行えるのだ。もちろん同じ景色を並んで撮ったデーター比較ではないので正確なことは言えないが、長年使ってきたソフト故にその変化には敏感に気が付くもの。
良いこと尽くめのようだが、問題も露見した。
これまで使ってきたケンコーのPLフィルターでは、その厚みの為か、結構厄介な周辺光量落ちが起きてしまい、更には肝心な24-120mmの純正レンズフードが構造的に規定位置まで入り込めず、無理矢理そのまま撮影すれば完全に上方左右がケラれてしまい、まともな画にはならない。
致し方ないがこれはDX専用とし、新たにもう一枚、D600用の薄型PLを購入するしかないようだ。

上高地までには…

■三浦半島・城ヶ島ギャラリーへ

若い頃・デニーズ時代 19

その日は朝から落ち着かなかった。
プリパレをしていても集中できず、計量を間違えたり、インサートを落としたりと、普段のリズムが戻らない。
無理もない。一介の平社員の進退話に対して、会社の大幹部がわざわざ聞きに来てくれるというのだから。ふと何かとんでもないことをしでかしたのではと、胸がざわつく。

「木代、RMがお見えだぞ」
「は、はい」

クック帽を脱ぎ、前掛けをはずして、田岡RMの待つ3番ステーションへと向かった。
一瞬の緊張は走ったものの、既に胸の内は割り切ったものが支配していたので、なんとか正常心で話せそうだ。

「おはようございます!」
「おうっ! オープン以来だな」
「はい」

細面な田岡RMは、小柄で痩せていて、一見迫力に欠けるが、目つきだけは異常に鋭く、怒るとその雰囲気は一変する。
オープン前日に来店したときが凄かった。駐車場のぐるりに植えられた植木の一部が、散水不足だったのだろう、既に葉が枯れ始めていたのだ。それを見つけたRMはすぐさま井上UMを呼びつけ、

「管理不足だ!! どこに目をつけて仕事をしている!!!」

と、ダイナマイト級のかんしゃく玉を落としたのだ。

「まあ、掛けたまえ」
「失礼します」

話す内容は整理できていた。どの様に捉えてもらえるかは定かでないが、全て吐き出せばスッキリするし、停滞している気持ちも動き出すに違いない。
個々の負担が大きいこと、長時間勤務が常態化していること、そして先々の展望が見えないこと等々を一気に述べてみた。
頷くだけで暫し無言だった田岡RM。しかし、一呼吸おいて出てきた言葉は、

「木代。東京へ戻るか」
「えっ?!」

意外な一言に思考回路が一瞬停止。
冷静になれば、それは用意された回答だと理解はできたが、“東京”という一節と、優遇措置としか捉えようのない内容に、退職という選択肢は瞬く間に薄らいでいった。

「戻していただけるんですか?!」
「頑張り続けるなら戻してやる」

本当は辞めたくなかったのかもしれない。引き留めてもらいたい気持ちは潜在的に存在していたのであろう。
但、下地や村尾達のことを考えると素直に喜べないし、世話になりっぱなしの西條さんを裏切るような展開を思うと抵抗感すら覚えた。
ところがだ。そんな心の内を見抜いたようなRMの話は素直にありがたかった。

「いいか。これはあくまでも会社から発せられた辞令だ。お前の要望を考慮したものじゃない」

それから三日後。本部より正式な人事異動が発令される。
その内容を見ると、当たり前だが、単に私が出て行くだけではなく、ついに西條さん一人となってしまった
太田窪店のキッチンへは2名のクックが配属と記されていた。それにしてもオープンから2ヶ月余りで殆どのクックが入れ替わってしまうとは…

「寂しくなりますね」

ブレークに入った西峰かおるが、左手に持ったグラスを見つめながらつぶやいた。

「こればっかりはな、、、しょうがないって言えばそれまでだけど…」
「せっかく親しくなれたのに、みんないなくなっちゃうんだもん」

太田窪店オープンにあたり、がっちりとスクラムを組んだスタッフ達。この仲間だったらやれそうだと、湧き上がるやる気に体が熱くなったものだが、まさかこんな終局が待っていようなど夢にも思わなかった。

「落ち着いたら遊びに来るから、西峰さんも頑張ってね」
「は~い」

51096JA4QJL実際、寂しかった。
一方的だったかもしれないが、西峰かおるとはオープン当初から不思議に波長が合い、私にとっては頼りになる“相棒”だった。特にクックとMDの橋渡し役では嫌な顔をひとつも見せずに尽力してくれ、このことは明るい職場づくりの立役者として店の誰もが認めていた。
それに正直言うと、明るく笑顔が抜群の彼女にはちょっぴり“ほの字”だった。
今回の異動は心理的にずいぶんと揺れ動いたが、これは田岡RMからいただいた最後のチャンスと解釈し、その期待に応えるべく、次の職場へ向けて強制的に気持ちを切り替えていくのだった。

異動先は『立川店』。既に歴史のある三多摩地区の中堅どころだ。
新店とは異なる既存の環境に不安は隠せないが、突っ走る覚悟はできていたし、これを機に次のステップを狙おうと心に決めていた。
この夏、サザンオールスターズが『勝手にシンドバッド』でセンセーショナルなデビューを飾り、一気にスターダムへと加速。何を言っているのかわからない歌い方だったが、なぜが心にズキュンときて、日本のPOP界も変わっていくのだろうと強く感じた。

熊 被害相次ぐ!

5月30日(月)付けの読売新聞に、昨今の熊事情を紹介する記事が載っていた。
私も含め、山歩きや山菜採りなどを楽しんでいる方々にとって、熊は脅威なる存在の筆頭であるが、5月に入ってから全国各地で相次ぐ目撃情報が入ってきているというから心配になる。しかも複数の死傷者が出ていて不安は膨らむ一方だ。特に5月21日(土)、22日(日)に秋田県内でタケノコ狩りの為に山へ入った男性二人が死亡しているのが見つかった際、その外傷から、いずれもツキノワグマに襲われたものと断定されたのはショッキングだ。
岩手県で40年以上狩猟を続け、何度もツキノワグマに出くわした経験を持つ、大日本猟友会会長の佐々木洋平さんは、
「子供を連れた熊は特に警戒心が強く、猟師でも手に負えない時がある」
と警鐘を鳴らす。
ツキノワグマの体長は1.0m~1.5mほどだが、一般人が襲われたらひとたまりもないとのことだ。

熊の被害数は年ごとに大きく異なる。
日本ツキノワグマ研究所理事長の米田一彦さんによれば、熊のエサとなるブナの実(ドングリ)が、昨秋まれに見る豊作で、母熊の栄養状態が良く、今年は熊が親子で活発に移動するケースが多いとみられる。
米田さんは、
「夏から秋以降、成長した小熊が人を襲う恐れもある」と指摘した。
環境省や自治体は、入山時に対策を怠らないよう呼びかけている。
長野県軽井沢町で熊の追い払いなどを行うNPO法人ピッキオの田中純平さんは、
「普通なら熊が人間を避ける。鈴をつけるなどして自分の存在を知らせることが有効」と語った。

一方、紀伊半島や四国など五つの地域ではツキノワグマが減少傾向にあり、環境省のレッドリストで地域的に絶滅する恐れがありと言われている。特に四国のツキノワグマの生息数は10頭~数10頭と推測され、世界自然保護基金(WWF)ジャパンなどが保護のために正確な生息数調査を行っている最中だ。
島根県では熊の食害対策で、柿園が自治体などに連携して、熊が近づけない防除柵の設置などに取り組んでいる。
WWFジャパンの担当者は、
「人口減少や高齢化で、里山の田畑の管理が行き届かなくなり、山から下りてきた熊との遭遇が増えている」と指摘して、互いの領域を侵さないような共存策を考えたいと話している。

img006北海道に住む国内最大の陸生動物・ヒグマの動きも活発化している。
北海道庁によると、2006年度に511件だった目撃数は、2015年度に1,200件に膨らんだ。毎年のように人が襲われ、1989年~2015年の間に14人が死亡、20人が負傷した。
山の幸を求めて山奥に入った際に遭遇することが多く、事故の38%が山菜狩りの盛んな4~5月に、35%はキノコ狩りのシーズンである9~10月に集中している。
北海道庁は昨年12月、ヒグマの2012年度の推定生息数を10,600頭と発表したが、これは1990年度と比較して約1.8倍の増加になり、近年では市街地や幹線道路でも多々その姿を目撃するという。
多数のヒグマが生息する知床半島で自然ガイドをしている若月識さんは、昨年7月に地元の国道で人の乗った乗用車にヒグマがのしかかり、車体を揺らすというのを目撃した。体長1.6mの母熊で、付近には2頭の小熊がいたとのことだ。その後、乗用車が走り出すと3頭は森の中へと消えた。
15年間のガイド生活で始めて見る光景だったようだが、一部終始を目の当たりにした若月さんによると、乗用車の方からヒグマに近付いたように見えたという。
若月さんは、
「共存していく為に、人間はヒグマにプレッシャーを与える距離まで近付いてはならない」と語った。

6月にもなると山々の新緑は更に色濃くなり、開花する植物も一気に増えていく。
そう、待ちに待った夏山シーズンの到来なのだ。
しかし前述にある通り、山奥へ分け入ることは野生動植物の領域に足を踏み入れることであり、縄張りへの侵犯とも捉えることができる。
これを念頭に置き、周到な準備と真摯な気持ちをもって“おじゃま”しようではないか。

※以上は、5月30日読売新聞の記事より抜粋し記述した。

写真好きな中年男の独り言