2022年・春一番

 二〇二二年三月五日(土)。東京に春一番が吹き荒れた。タイミングとしては昨年より一カ月ほど遅いという。思い起こせば昨年は記憶に残るような暖冬だった。雪は一度も降らなかったし、自転車通勤で指や耳が痛いなんてこともなかった。

町内には梅の木を植えている家が多く、三鷹駅までの道々では可憐な白や紅色が目を楽しませてくれる。午後から吉祥寺へ出掛ける用事があったので、一時間ばかり早く家を出て、井の頭公園で“春”でも撮ってみようと、RXをショルダーバッグに入れた。このRX、基本的な画質がいいから、使い慣れるとかなり強力な武器になる。山歩き専用とは決めつけず、町中スナップにも積極的に使っていきたい。

 自転車に鍵をかけようとしたら、突風が巻き上がった。砂埃が目に入り、痛みで涙が溢れだした。たまらず公衆トイレへ駈け込み目を洗う。異物はとれたが、今度は痒みと鼻水が襲ってきた。まぎれもない花粉症の症状だ。コロナ禍でマスクを常用しているせいか、今シーズンはこれまで気になる症状は出なかったのだが、やはり気温の上昇に伴って、花粉の飛散量が多くなれば、薬に頼らざるを得ないようだ。たしか昨年処方されたルパフィンとモンテルカストが五日分ほど残っていたはずなので、今夜からさっそく服用しよう。

 池の周りは相変わらず賑やかだ。とにかく人波が凄く、井の頭公園にコロナ禍はみじんも感じられない。腕時計を見ると、ちょうど午後一時を回ったところ。のどが渇いたので、いせやでビールでもやるかと、七井橋を渡った。案の定、石段へ近づくと列ができている。いせやに入りたい人たちの長い列である。ざっと見ただけでも十数人はいるようだ。開店から一時間たってもこの状況。いやはや大繁盛である。何気に店内を覗いてみると、酒好きがぎゅうぎゅう詰めになって大盛り上がり。いさぎよくあきらめて再び池へと踵を返した。

 石段を下りていくと、案内板の前に人だかりができている。なんだろうと近づいてみると、二、三人の絵画好きが自分で描いた絵を持ち合って品評会のようなことをやっている。それを見物しようと更に五、六人が取り囲んでいるのだ。私もその中へ入り込み、腕自慢たちの作品を眺めてみた。
 井の頭公園にはイーゼルを立て、本格的に絵を描いている年配者をよく見かける。絵は好きな方なので、そんな人を見つけると決まって近づき、数分ではあるが鑑賞していく。作品は軒並み素晴らしく、ついつい見ってしまう。最近絵を描くことがちょくちょくあるが、このレベルに到達するには時間がかかりそうだ。
 七井橋の東側ではスワンボートがひしめき合っている。それにしてもすごい数だ。今時期からソメイヨシノの満開までは貸しボート係は大忙しだろう。

 弁天橋まで歩いてくると、日差しが暖かく感じられる。いつの間にか風が弱まっていたのだ。目の前のベンチが空いたので、すかさず陣取る。池の周囲は椅子取りゲームの真っ最中だ。バッグから文庫本を取り出し、暫しの読書タイムを楽しんだ。樋口有介著・「ぼくと、ぼくらの夏」だ。登場人物の一人である、美人教師の村岡先生のマンションはここから目と鼻の先。気がつけばストーリーの中へ浸かり込んでいた。

 そろそろリチャードの散歩へ行かなければと、重い腰を上げた。弁天橋を渡って井泉亭の方へ歩いてくと、カメラを構えた十人ほどの人たちが目に入る。皆一斉に弁財天の方へレンズを向けているが、一体何を撮っているのだろう。彼らのすぐ背後まで近づくと、右脇にいた年配女性が、「ほらほら、みえた!あそこあそこ!」と噴水を指さしている。なるほどね、眼の前にある二基の噴水がつくる虹を狙っているのだ。確かに虹は被写体として興味深いものだが、眼の前のごく小さな虹に、我も我もとこれだけの写好きが集まるのも、妙なことだ。虹よりも、むしろそれを撮ろうとしている面々の方に被写体として面白味を感じてしまった。


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