ツツジ・二俣尾“愛宕神社”

サービス業ゆえに10連休は無理としても、5月2日から4日間の連休を取って、読書、洗車、女房と買い物、そして庭木の手入れと、日頃あまりできないことを中心に過ごしてみた。
但、一日くらいは写真撮影を楽しみたいと、4日に二俣尾の愛宕神社へツツジの撮影に出かけてみた。
先月の18日に御岳山~日の出山を歩いた際、いつものように愛宕神社へと下山したのだが、既に一部のツツジが開花し始めていて、ゴールデンウイークまでには一度行ってみようと考えていたのだ。
たまたまだが、ここは2年前の同月同日にTくんと撮影を楽しんだところで、その艶やかさが強く印象に残っていた。

この日の青梅街道はよく流れ、渋滞らしきものは殆ど起こらず、途中の買い物も含めて所要時間1時間半で到着できた。狭い駐車場には既に5台の先客がいたが、何とか鳥居に一番近い場所へ入れることができた。ここはちゃんとした駐車場ではなく、あくまでも空き地なので、区画線も何もない。よって停め方が悪いと3台ほどしか入らない。
車を降りると、空いているベンチに腰かけて、買ってきたおにぎりで早速の腹ごしらえ。
坂をちょっと下ったところでは、地元の町内会か、20名あまりの人たちが集まり、ブルーシートを盛大に広げて大宴会が始まっていた。司会と思しき男性に目をやると、何やら表彰を行ているようである。名指しされた人が立ち上がり、皆に向かって頭をぺこぺこと下げると、その度盛大な拍手が巻き起こり、アルコールも入って場は大盛り上がりだ。

仲間同士であろうか、あたりを見回すとカメラを首から下げた年配者が5~6名ほどいて、しかも皆やたらと通っぽい機材を持っているではないか。年の頃70代後半だろうか、小柄で眼鏡をかけたご主人は、マミヤ645をこれまた高価そうな三脚に装着し、今まさにセッティングの真っ最中だ。
人が近づく気配に目をやると、日に焼けてひょろっとした年配男性がいきなり私の座っているベンチの端に腰かけた。
よく見るとキヤノン5Dを持っている。

「ここ、いいところでしょ。どちらからですか」

武蔵野市からだと伝え、愛宕神社は山歩きの際によく通るところなので以前から知っていたと言うと、

「それじゃ、塩船観音知ってます?」

名前だけは知っていたが、訪れたことはなかった。

「まだ時間早いし、この後ぜひ行ってみてください」

彼、徐にスマホを取り出すと、塩船観音で撮った写真をこれでもかと見せてくる。
親切心は分かるのだが、正直うっとうしい。
そろそろ撮影を始めようかと、車へカメラを取りに行けば、

「へ~、お洒落な車だな~、ドイツ車は塗装が良いって聞きますよね」
「色々と情報を教えてもらってありがとうございました」

このまま対応していたら日が暮れてしまう。
軽く頭を下げて、さっさと神社の石段へとんずらである。

若干ピークを過ぎていたが、毎度のことながら石段を包み込むように咲き誇るツツジは見事である。
赤、ピンク、白がうまい感じに配置され、何度見ても飽くことがない。
長い石段では二組の年配夫婦と年配女性ペア、そしてトレッキング姿の母娘が何度も足を止めては周囲を見回している。
本堂からは右手の斜面を降りて、石段を迂回するように下まで降りた。
下りて鳥居の脇にある集会所の周りに咲くツツジにレンズを向けていると、コンデジを持った年配男性が近づきざまに、

「この先に“ハンカチの木”があるのをご存知ですか」

一瞬のことでよく聞き取れなかったが、尋ねなおすと興味が湧いた。

「そこの道です。ちょっと行くとすぐ左側に見えてきます」
「それは面白そうですね。行ってみます。ありがとうございました」

実はその道、今しがた迂回した道だったが、斜面側に咲くツツジに見とれて気が付かなかったようだ。
再度向かうと、さきほど本堂で休憩していた年配女性ペアが向こうから歩いてきた。
にっこりとした視線が合うと、

「あそこに珍しい花が咲いてますよ」
「それってハンカチの木ですよね」

その木はひっそりと佇んでいた。目に艶やかなツツジ群を見た後では余りに質素な色合いなので、道のすぐ脇に立っているのに意識していないと見過ごしてしまう。
よく観察すれば、緑の葉と同じ形の白い花に黒っぽい球体がアクセントのように付いていて、正にツツジとは正反対の静かで清楚な雰囲気を漂わせている。
何度も訪れている愛宕神社でこの様な花を見られるとはラッキーである。これだけでも来たかいがあったというものだ。
最近やや疲れ気味だったので、今回の連休は自宅でくすぶっていようかと一時は考えたが、やはりそれでは見分が広がらない。
5Dに教えてもらった塩船観音。今度行ってみるか。

春の西伊豆

春、桜と来れば、やはり西伊豆だ。
海、川、青空、そして富士山と絡む桜が見たくて、休日と好天がうまく合えば必ずと言って足を運んでいる。
今年は4月2日(火)に休みが取れ、天候も上々とのことで、手持ちのカメラ3台をPOLOに積み込み、午前5時に自宅を出発した。暗いうちから出かけるのは久しぶりなので、それだけで気分は高揚、ワクワクしてくる。
井の頭通りから環八へ出て東名高速に乗ると、ひたすら走って裾野で降りた。三島のデニーズで朝食をとるのはいつも通りだが、6時40分に到着できたのは珍しい。

車の多くなった下田街道から伊豆長岡三津線へ入って暫くすると、お気に入りの桜ポイント“小坂清水池”が見えた。東屋のすぐ脇に咲く一本桜は、池と周囲の常緑樹をバックに存在感を打ち出している。咲きっぷりも悪くなく、小休止を兼ねて本日一発目の撮影を行った。
カメラバッグはいつも助手席に置くようにしているので、気にかかるロケーションを見つけた時には、すぐに取り出すことができる。ここはD600+Nikkor24-120mmで決めてみた。スタンダードズームはファインダーを覗いてから構図を決められるので、使い勝手はこの上ない。近い将来、懐の具合と相談しながら、評判のSIGMA 24-105mm Artあたりを手に入れたいものである。

坂を下りきると待ってましたの内浦湾だ。
この海を見るだけでも、ここへ来て良かったなと思う。やはり子供のころに親しんだ駿河湾と伊豆は、生涯変わることのない心象風景だし、大海原越しにそびえる富士山の姿は、和みの極致と言っていいだろう。

シーパラダイスのトンネルを抜けた後、先回の年末撮影会で初トライした長井崎をぐるりと回った。
ここは内浦湾に突き出たヘソのような岬なので、視界が開けるところへ立てば、眼下には湾内の養殖生簀や長浜ヨットハーバー等々を一望でき、ワイド感ある景観を楽しむことができる。
長井崎で一番高いところにあるのが長井崎中学校。その中学校へ至る急坂を上り始めると、海側が桜並木となっていた。正に桜坂である。
校舎の脇を通った時、フェンスの隙間から中を覗き込むと、それほど広くはない校庭に体育の授業中だろうか、ジャージ姿の生徒達がたむろっているのが見えた。地元東京の中学校と較べれば何とも羨ましい環境である。
学校を一周する道路上では、7~8人の生徒たちが必死な形相でジョギングをしているが、ハーハーゼーゼーやったって、ここなら肺に入り込むのは潮風だけ。その点、皇居の周りを走っているランナー達は不憫である。何せ思いっきり濃い目の排気ガスを吸い込んでいるのだから。

抜けるような青空のもと、POLOは県道17号を軽快に走り続けた。
E46と較べるとロールが大きいので、クイックなコーナリングこそ望めないが、1200ccのくせにスポーツ性能はなかなかどうして侮れない。さすがWRCのベースマシーンだけのことはある。
標高が上がって、駿河湾越しの富士山が大きく姿を現すと同時に、右サイドに桜の木が目に入った。
急遽路肩に車を停めて辺りを見回すと、既に先客が3名ほどいるではないか。
早速NikkorにPLフィルターを装着し、道路を横断して海側へ移った。
ガードレールに乗るのは少々危険だったが、どうしても高さが足りないので恐々と足を掛けた。若しも海側へ落ちたなら、十中八九あの世行になりそうだ。
富士山で発生する雲が刻一刻と変化する中、大凡20枚を撮影。車へ戻ると一路松崎を目指した。

それにしてもこの県道17号線、これまでに一体どれだけ走ったことだろう。東京から離れた一区間としては異例の頻度ではなかろうか。この道から眺める全ての景色は完璧と言っていいくらい記憶されているし、訪れるたびに安堵を覚え、また、去る時には寂しさに包まれるという、私にとって特別なシーサイドロードになっているのだ。

松崎の街に入り、とりあえず那賀川の桜並木を眺めてみようと、宮の前橋を左折した。桜のピンクと菜の花の黄色は、いかにも春らしいコントラストを見せるものだ。更に道路を挟んだ北側には広大な花畑が広がっていて、山吹色、青、紫、白と、色彩の乱舞を見ることができるのだ。

― おっ? 桜、だめじゃんか。

遠目からも様子がおかしかったが、近くに来てみれば桜並木の開花はかなり遅れていて、どう見ても七分咲きと言ったところだ。疎らな開花では並木として絵にならない。それではと花畑へ目を移すと、こちらもがっかり。なぜか植え付け面積がこれまでと較べて極端に小さくなっていて、広大とはとても言い難い。
こんな状況で駐車代500円を払うのも悔しいので、見切りをつけて港へと向かった。

相変わらず静かで人通りも殆どなく、典型的な田舎の街並みといった様相はいつも通り。
D600を肩に掛け、那賀川の河口付近からスナップを開始した。特に那賀川河口周辺はポイントが多いので、念を入れて歩き回ったが、やはりここの桜も開花は八分止まりで、満開でしか見られない豊かな表情は乏しく、正攻法の撮り方では画になりそうになかった。但、空気感は十分春だったので、その辺を捕らえようと、更に目を凝らして被写体を求め歩いた。
まあ、できの良し悪しは別としても、こうして松崎の街を歩くのはとても楽しく、何度訪れても一つや二つほどの発見があるところが何ともGooである。
今回も那賀川と岩科川の合流近くに小さな祠を見つけたのだが、その脇にある桜の木が覆い被さるように枝を伸ばしていて、いかにも漁港松崎らしい雰囲気を放っているのだ。町内には漁の安全を願って建てられた祠が数多くみられるが、次回をそのような生活と一体化している様々なものを追ってみるのも面白いと思った。
そして松崎は“なまこ壁”が有名だが、これをうまく撮影するのは意外と難しいものだ。
相手が壁だけに、単純に撮るとベタな感じになってしまうし、昼間では漆喰の露出が難しく、ややもすると白飛びがちになり、被写体のディテールがうまく表現できなかったりする。ところが、あそび島(キャンプ場)の隣にあるなまこ壁の立派な屋敷の脇を通りかかると、対岸の一本桜が目に留まり、一瞬でコラボができると直感、趣のある一枚をゲットできたのだ。
こんなことがあるから散歩スナップはやめられない。

ふと腕時計を見ると13時を回っていた。
いつものことだが、撮影に夢中になると空腹すら忘れてしまう。
こんな楽しい一日、また探していこう。

墓参り

3月21日(木)。彼岸の中日ということで、墓参りへ行ってきた。
墓参りはいつも親父と二人でいくのがここ数年の常だったが、親父も御年94歳となって、体のいたるところにガタが出始めてきた。特に膝の具合が一年ほど前から悪化していて、近所の形成外科に通ってはいるものの、歳のせいだろうか今一歩結果が出てこない。
境内の駐車スペースから墓地までは上り坂になっていて、無理をして転んでもしたらそれこそ命取りになることもあり得るので、正直なところ一人で行った方が気は楽だ。但、これまで少々の不調を抱えていても、頑固一徹に「行くぞ!」と意気込んできた親父なのに、元気のかけらもない表情で、「行って来てくれるか」と頼まれた時には、時の流れは残酷なものだとつくづく感じた。
老化は万人に訪れる不可避なもの。しかし実際に衰えていく親を目の当たりにすれば、気分はどうしたって萎えるものだ。

墓は菩提寺である八王子の大仙寺にある。
目と鼻の先には有名な上川霊園があるが、そことは正反対の静けさと歴史を感じさせる趣が特徴だ。初めて訪れた時に、「秋には栗がいっぱい拾えるぞ」と親父が誇らしげに言っていたのを思い出す。
今回は一人なので、久々にじっくりと掃除を行ってみた。うちの墓は墓地の鳥羽口にあるので、手入れが悪いとやたらと目立ってしまうのだ。
春はそれほどでもないが、秋の彼岸は骨が折れる。夏の間に増殖した雑草をむしり取るだけで結構な時間が掛かるし、作業を邪魔する無数の蚊には心底辟易する。

花を差し替え、線香をあげた後に、持参したV2を持って境内と周辺を少しばかり歩いてみた。
国道から100m山間に入っただけだが、喧騒とは無縁の静けさに包まれる。旗日でもそれは変わることがなく、雲の合間から射す柔らかい日差しが春の訪れを感じさせた。
親父には何とか良くなってもらい、秋の彼岸には再び一緒に訪れたいものだ。