夏の笠取山

 連日の猛暑には正直うんざりである。
 体力的にどうのこうのではなく、気持ちの方が萎えてくる。事実、まるで焼けたフライパンの上を歩いているような灼熱感は堪えがたく、その苦痛は人工の冷風でしか癒せないという、あまりの選択肢のなさに、途方もない絶望を覚えるのだ。
 そんな日々の中、以前から山トモのHさんと約束をしていた、笠取山登山を決行した。
 笠取山は奥秩父山塊に属する標高1,953mの山で、特に西側から登るド急登は“心臓破りの坂”と称され、初めて眼前に迫るその急坂を見上げれば、誰でも唸ること間違いなし。

 七月十二日(水)六時。三鷹駅前でHさんを乗せると、調布ICから中央自動車道へ入った。勝沼ICで降り、フルーツラインから大菩薩ラインへ。柳沢峠を通過ししばらく行くと、作場平へと通ずる細い道へ折れる。相変わらずの荒れた道だったので、慎重に進めていたが、それでも段差や穴では何度もハンドルを取られた。
「あっ、警備員がいますね」
 工事中看板の手前で一旦停車。ウィンドウを下げた。
「作場平へ行きたいんですけど」
「迂回路になりますが行けます」
 指示された右手へ延びる道へ入ると、更に幅員は狭くなり、おまけに急カーブが延々と続いた。しばらくすると、
「酔っちゃいました、、、」
 Hさん、どうもクネクネに弱いらしい。
 かなりな遠回りになってしまったが、無事に作場平の駐車場へ到着。予定より三十分遅れの九時スタートとなった。
 それにしても東京の猛暑がうそのようだ。POLOの外気温度計は23℃を示していて、出発準備をしていても、ひんやりとした空気感に包まれ汗は出ない。
「なんか東京との落差が大きすぎますね~」
 このまま登っていけばさらに気温は低くなる。

 素晴らしく整備された山道をゆっくりと進んだ。左手に沢が現れると、涼しさに拍車がかかり気持ちがいい。一般的に、同じ山道でも沢があるとないとでは、体感的に2~3℃ほど違ってくるものだ。最初の分岐から一休坂へ折れる。標識に“急坂”と書かれているが、それほどでもなく、ミズナラの森へ入ると、道はむしろなだらかになった。
 小さな橋をいくつか渡ると、今度は渓流を右手にし、急速に標高を稼いでいく。
「ここの道って変化があっていいですね」
 そうなのだ。笠取山登山は今回で二度目だが、下山路になる“渓流コース”も含めて、景観が単調にならず、且つ危険なところがほとんどないので、心行くまで山歩きを楽しめる。だから特に登山初心者の方にはおすすめだ。

「ここって水場ですか?」
 笠取小屋の水場に到着。上方へ目をやれば小屋の敷地が見える。滾々と流れ出てくる水は、量が豊富でとても冷たい。顔を洗ったら、あまりの気持ちの良さに疲れが吹き飛んだ。それぞれボトルに詰め込む。
 小屋のテン場で最初の小休止。トイレも使わせてもらったが、改築直後のようで、とてもきれいである。
「ここのテン場、使いやすそう」
 よく整備されていて、どこで張ってもほとんど地面は平らだ。雨天の際、山側から流れてくる雨水に対しても、それなりの側溝を掘ってあるので安心感もある。
「お昼どうします?」
「この先は落ち着いて休めるところがないから、笠取山の帰りにまたここで」

 “小さな分水嶺”までくると展望が大きく広がった。まさしく絶景という言葉に相応しい眺めだ。日差しは強いが、適度な風が頬を冷してくれるから、ついつい足を止め見入ってしまう。山っていいな~っと思える瞬間だ。
「ほら、こっち側に落ちれば多摩川、こっちだったら荒川だよ」
「へー、そーなんだ」
 それにしても誰だ。川の名前に趣味の悪いペンキ塗ったのは。

「うわーー、強烈ですね」
 心臓破りの坂が目の前にそびえる。そう、これからあれを登るのだ。途中までは何のこともない急坂だが、残すところ二割あたりまでくると、その傾斜は緊張感が漂うほどになる。当然トレポは使えない。足場を確認しながら一歩、一歩、一歩と慎重に上っていく。そのうちに大きな岩が頭上に現れ、最後のひと踏ん張りを終えれば、山梨百名山の頂上である。
「ここもすごい眺めですね!」
 残念なことに富士山の頂上付近は雲に覆われている。しかも夏空はくっきり感に乏しい。先回は紅葉狩りのシーズンだったから、雪を被った富士山がアンシャープマスクをかけた如く見えたものだ。
 頂上は狭く岩だらけなので、留まらずにもう一つの埼玉県側の頂上へと場所を移した。ところがここも狭く、突如不安を煽るような黒い雲が出始めてきたので、すぐに下山へと移った。何カ所かの岩場を乗り越え、右へと折れる急坂を下っていくと、小屋方面へ通ずる山道にでた。しばらく行くと多摩川の最初の一滴を見ることができる“水干”があったが、残念なことに、夏だからか完全に干からびていた。

 笠取小屋のテン場へ戻ると、待ってましたのランチ。もう腹がペコペコだったのだ。Hさんも私も、持参したメイン食は、日清食品のカレーメシ。二人ともカレーが好きだし、こいつはカップ麺と違って、完食すればスープが残らず、このような場所での使い勝手がいい。
 更に雲行きが怪しくなりつつあったので、食べ終わると、水場に立ち寄り、早々に下山とした。下山路はきれいな沢が続くヤブ沢。今にも朽ち果てそうな小さな橋を数えきれないほど渡らなければならないが、流れは本当にきれいで、ヤマメあたりが泳いでいるのではと、ついつい川へ目が行ってしまい、何度となく躓いた。

「もう、汗びっしょりですよ」
「こりゃ温泉行くしかないな」
 フルーツラインへ折れる手前に、日帰り温泉である“大菩薩の湯”がある。十数年前に一度だけ利用したことがあり、その際に記憶に残った湯量豊富は間違いなかった。名残惜しい感じもしたが、時間が押していたので、三十分間だけ利用とした。
 汗をかく時期の登山には、温泉必須。
 さっぱりとした体に持参した着替えを羽織れば、最高のピリオドが打てるってわけだ。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です