十月二十日(水)。紅葉の季節に合わせて、奥秩父は笠取山を歩いてきた。
登山口は作場平口といって、中央道・勝沼ICを降りてから更に40km近くも走った山奥にある。大菩薩ラインを左へ折れると道は急に細く荒れてくるのだが、何とここから7kmも走らなければならない。対向車が来たら一体どれほどバックすればいいのかと、ハラハラドキドキの連続である。
無事駐車場へ到着すると、意外や山奥の割には広く、きちっと整備されていた。ただ、車はPOLOを含めて5台しか見当たらないので、ずいぶんと余裕をもって駐車することができた。webで下調べをした際、<シーズンの土日などは、入りきれない車が路肩に列をなす>と記されていたので、これは意外だった。
目の前にある登山口を通過すると、山道は驚くほどきれいに整備されていた。登山というイメージはなく、どこか公園の中にいるような環境が延々と続くのだ。そして、さすがに水源の森とあって、暫くは渓流に沿って歩く。せせらぎの音とマイナスイオンに包まれれば、足取りだって軽くなる。
三十分もすると最初の分岐が現れた。一応、上りは一休坂経由、下りはヤブ沢経由と決めていたので、迷うことなく右手へ折れた。
ややスリッピーな坂を超えると、広々としたミズナラの森に入った。紅葉がそろそろ始まったとはいえ、瑞々しい緑のシャワーは格別だ。これが初夏だったら感動ものだろう。
大きなジグザクの道を過ぎると、新たなせせらぎと木の橋が現れる。美しい水の流れと原生林、そして青空に浮かんだ雲は否応なしに写欲をそそり、暫し立ち止まってはレンズを向けた。
笠取小屋へ到着。スタートから二時間弱といったところか。
広い前庭にはテーブルが配置され、南側も開けて眺めがいい。ただ、人影は少なく、しきりに動き回っている管理人と思しきおやじさんと、ハイカーはテーブルの脇に佇んでいる若い男性が一人だけのようだ。上着、パンツ、靴、そしてザックと、全て黒ずくめといういでたちのこの男性、まもなくすると、やはり真っ黒な一眼レフを肩に下げ、笠取山方面へ向かって歩き出していった。
先回の北八ヶ岳から、食料はカロリー豊富な行動食のみにしていたので、小さなあんぱんを一つだけ口に入れ、体が冷える前に私も出発することにした。
小屋の脇から始まる道を暫く行くと、その内視界が明け、西方面の山々が見えてくる。正面にちょっとした丘のようなものがあり、その頂上に先ほどの若い男性の姿があった。
坂を上がるほどに、高原ともいうべき清々しい景色が広がっていく。思いっきり伸びをして大きく空気を吸い込んだら、たちまち体が軽くなってきた。
丘には小さな石碑が立っていて、説明書きによると、ここから山梨市側に降った雨は笛吹川へ、秩父市側に降った雨は荒川へ、甲州市側では多摩川へと別れていくという。悠久の時の流れを感じる、なんともロマンチックな場所ではないか。
更に進んで行くと、次第に笠取山の山容が明らかになってきた。そして頂上へ至る山道が真正面にはっきり見えてくると、“心臓破りの急坂”が大袈裟ではないことが分かる。特に頂上直下は垂直に近いのではと、ちょっと不安を覚えるほどだ。目を凝らすと、既に中腹辺りまで到達している若い男性の後ろ姿がはっきりと見えた。
登り始めまできて頂上を仰ぐと、ややげんなりしたが、この好天の下だったらどれだけ素晴らしい眺めが待っているかと、期待感が膨らんだのも正直なところである。
張り切って歩み出したものの、やはり残り1/3辺りまで来ると、立ち休みの連続となった。単に息が切れるだけではなく、上がっていくほど斜面がきつくなるので、場所によっては三点支持を強く意識する必要があった。それこそここで足を踏み外したら恐ろしい結果は避けられない。一歩一歩、慎重に、慎重に、、、である。
頂上が目と鼻の先になると、空のデカさに圧倒され、覆いかぶさるような青の広がりに身震いする。
「いやぁ~、しんどかった!」
「お疲れさん」
初めて男性に声をかけた。頂上に立つ者同士だから分かり合える自然な会話の始まりである。
「しかしすごい眺めですね!」
「僕はここ四回目ですが、これ、最高じゃないかな」
「ほんと、富士山がきれいすぎですよ」
「ですね。大菩薩嶺から南アルプスまではっきり見えますね」
重なり合う山々の先に浮かぶ富士山には一つの遮蔽物もかからず、深い緑のグラデーションは富士山の美しい姿をこれでもかと持ち上げていた。暫しカメラを出すことも忘れ、俯瞰に没頭した。
八月から六連荘で初めての山域にトライしているが、全てが違うし全てに頷けるものがあると、いまさらながら感心してしまう。同じ山でも季節を違えれば全く印象が変わるので、楽しみではあるが、やはり初というもの、冒険心を満たしてくれるし、良くも悪くもサプライズがあって、気持ちを前向きにしてくれる。
百聞は一見に如かずとはよくいった。webから得られる情報は本当に有り難く、全ての計画の元となっているが、いざ行動を起こし、実際に五感で味わってみると、思いがけない発見が次から次へと現れて、その楽しさは計り知れない。
「山へはよく行かれるんですか」
「山は遅咲きなんです。十年ちょっと前から奥多摩を中心にちょくちょくかな」
「僕はとにかく歩くのが好きで、テントを背負って北から南へと、アルプスはほとんど歩き回ったし、瑞牆山から奥多摩駅まで何泊かかけて縦走したこともあるんですよ」
「へ~、そりゃ凄いな。じゃ、学生さん?」
「いえいえ、気が済むまで山を歩きたくなって、一度会社を辞めました」
「それって大事な決断だったと思うな。私のように年を取ってからじゃやれることも限られてくるから」
「年って、おいくつです?」
「六十七」
一見登山者とは思えないいで立ちだったので、話を聞いてびっくりである。もう十年早く山の魅力に気がついていたら、これまでの何十倍ほどの感動を得られたかもしれない。若い気持ちと溢れる体力が羨ましく感じてしまった。
「それじゃ、僕はそろそろ」
「気をつけて」
負けちゃいられない。
今の私だって、やりようによってはこれからも様々な発見に出会えるかもしれないのだから。
ヤブ沢と書くように、下山路はゴールまで沢に沿って伸びていた。ただ、渓谷は台風の影響か、そこらじゅう大小の倒木だらけで痛々しい眺めだったが、古い倒木にはびっしりと苔がむしていて、先日歩いた北八ヶ岳の苔の森を彷彿とさせた。
日本は水の豊かな国であり、その水は世界一美味という。今回歩き回ったこの辺り一帯を“水源の森”と呼ぶが、まさに森は雨水を蓄え、きれいな水を作るのだ。