若い頃・デニーズ時代 28

通しを始めて一週間。さすがに疲れが溜まってきた。
ランチピークが終わり、アイドルタイムに入って一息つくと、猛烈な眠気が襲いかかり辛かった。
レジ金のカウントにもミスが連発し、一度目に合計が合わずとも、再度数えたらぴったりという、明らかに集中力が低下している兆候が出ていた。
昨今、労働環境の改善が大きくクローズアップされて久しいが、やはり疲弊した体や精神では絶対に良い仕事はできないし、それどころか生産性は確実に落ち、しまいには慢性化してしまう危険もあるのだ。

田無の従業員にもひととおり面通しができ、個性溢れる面々には歯ごたえを感じるところだったが、ひとりだけこの店特有の雰囲気を持たない、やや風変わりなバスヘルがいて、彼の仕事ぶりには何かにつけて目に留まった。
彼の名は堀之内 勝。田無店に限らず、バスヘルの殆どは大学生か高校生の男子と相場が決まっていたが、彼は私より2歳上の26歳だった。恐らく大学卒業後、何らかの理由で就職をせずにアルバイトだけで凌いでいるのだろう。
働きぶりはまじめを絵に描いたようで、他の従業員と無駄話をすることもなく、就業時間中は黙々と動き回り、ひとつひとつの作業を丁寧にこなしていく姿は、これまでどこの店のバスヘルにも見られなかったものだ。例えば、カウンターテーブルの下はバスタブ置き場になっているが、ここを通る時も、下げた食器が溜まっていないか、わざわざ指差し確認まで行っている。
ピーク時のフットワークも軽い。お客さんの動きを見ているから、バッシングがスムーズで、回転率の向上にも一役買っていた。
そんなある日、

「木代さん、聞いていいですか」
「なんです?」

いつも真面目そうな顔つきの堀之内さんが、更に神妙さを重ねている。

「外食産業は、これからどうでしょうか」

いきなりである。しかもアルバイトからの話題としては幾分硬い。

「堀之内さんは外食産業に興味があるんだ」
「そうなんですよ」
「デニーズに入りたいとか?」
「いや、他を考えてます」

詳しく話を聞けば、彼は外食産業に就職したいが為に、デニーズでアルバイトをしながら様子を窺っていたのだ。当時の外食産業はバブル景気に押されて、デニーズのようなファミリーレストランだけではなく、ファーストフードや居酒屋系なども恐ろしいほどの躍進を遂げ、特に東京近郊を車で流せば、ガソリンスタンドの数を超えるであろう飲食店の乱立に、誰もが眼を見張ったものだ。

「それじゃ立ち位置は変わるけど、お互い同業で頑張るってわけだね」
「いろいろとアドバイスをお願いします」
「いやいや、俺だって新米だぜ」

これから先、外食産業に身を置き切磋琢磨していきたいという熱い情熱が互いの共通点となってからは、マネージャーとアルバイトの関係が、いつしか同志へと変わっていった。
結局、堀之内さんは、3カ月後にデニーズを辞めると、大手清涼飲料水メーカー系のレストランチェーンへめでたく就職し、なんと約40年経った今でも交流が続いている。
人生の友とは、ひょんなきっかけから生まれるものだ。

堀之内さんがデニーズを去る頃、上西UMは他店へ異動していき、橋田AMがそのまま田無店UMへと昇格した。その間、アルバイトの入れ替わりも頻繁に発生、日を追うごとに鼻についていた田無店臭さが薄れていき、仕事の慣れも手伝って、毎日は充実した。
特に目に見えて変わったフロントの雰囲気は、新人DLの採用が大きく影響した。
まだ高校3年生だったが、笑顔には品があり、スタッフの誰とでも協調できる柔軟性を持ち合わせた逸材で、彼女がレジ脇に立つだけで店内はパッと明るくなった。
水沢慶子は決して美人というタイプではないが、愛くるしさと健康的な第一印象が多くの者達から視線を引き込んだ。

「20番テーブル2名様お願いします」

このグリーティングひとつでフロントには爽やかな空気が流れるのだ。

「いい子が入ったね」

カウンター席の常連さんが、笑みを浮かべながら彼女の動線を追う。

「彼女のおかげで店の雰囲気が明るくなりました」
「昔からさ、美人は得なんだよ」

美人が得かどうかはさておいても、実際、笑顔と容姿のいい女性スタッフがいれば、それだけで店が活気づき、常連さんの表情も穏やかになる。
容姿の善し悪しで女性の価値を量れば、それは差別発言となってしまうだろうが、一昔前のスチュワーデスやコンパニオン、そしてキャンギャル等々を思い起こしてもらえれば、その場の付加価値を上げる最良の要因になっていることは理解いただけるであろう。国際線の機内に美人スチュワーデスが3人もいれば、たとえそれが長旅であろうと、一服の清涼剤となって疲れや苛立ちを緩和してくれるのだ。
かわいい女性スタッフの効能はまだある。
それはお客さんの満足だけではなく、男子スタッフの働きぶりにも多大な影響を及ぼす。
ある日のエンプロイテーブルでは、

「水沢さんが来てからさ、店が明るくなったような気がするよ」
「だよな、俺もそう思う」
「仕事やってても、なんか楽しいじゃん」
「おっ、気があんの?」
「俺なんか相手にされないよ」

大学生のKHとバスヘルが、目をらんらんとさせながら語りあっている。
そこへブレークだろうか、LCの豊田さんが乱入してきた。

「お前たち何馬鹿言ってんだよ」

いつもの大げさでまじめくさった口調である。

「女性は気立てだよ」
「なんすか、それ?」
「気立てもわからないの、しょうがないな」

実におっさん臭い。

「気持ちの優しい性格のいい人のことだよ」
「へ~~、さすがっすね!」
「でも俺なんか、やっぱかわいくないとグッとこないかな」
「まっ、それは男だからわからないでもないけど、、、」

なんだなんだ。いつも偉ぶってるLCが、大学生にやられているではないか。

季節は初夏を迎え、交通量の多い新青梅街道沿いとは言っても、気持ちのいい空気感がしっかりと店全体を覆っていた。
エアコンをきかせた店内より駐車場へ出た方が清々しく、久々に植木への散水と駐車場の清掃に精をだしてみた。
店の前を行き来するおびただしい車から発せられる走行音。ところがその走行音の中に割って入ってきた野太いエキゾーストノート。瞬間的に振り向くと、真っ赤でグラマラスな車が目前に現れ、その威嚇的ともいえるフォルムに目線はくぎ付けになってしまった。

若い頃・デニーズ時代 27

「すげー! 木代さんの車って、ダルマっすか」

初出勤の日、車から降りると、自転車に乗った若い男が近づいてきた。

「もしかして、佐渡君?」
「ええ、よろしく」

小柄だが、髪はびしっとオールバック。馴れ馴れしさの中にも目つきは鋭く、挨拶に来店したときに感じた田無店の独特な雰囲気が彼からも染み出ていた。

「新米なんで、よろしく」
「じゃあ今日から通しってわけですか」
「へ~、よく知ってるね」
「もう2年もやってるんで」

そんなやり取りをしているところへ、白いカローラが入ってきた。一日だけ“通し”に付き合ってくれる橋田AMの出勤だ。
橋田さんには異動前からも色々とアドバイスをいただいていて、その第一印象も合わせて、実直さを強く感じていた。慣れない職場に頼りがいのある先輩がいるのは心強いものだ。それに田無店ムードに全く染まっていないところも何だか可笑しく、いかにも彼らしい。

「木代君、おはよう」
「おはようございます。よろしくお願いします!」
「たのむから今日一日でマスターしてくれよな」
「ました!頑張ります」

橋田さんには迷惑をかけられない。大まかでも今日一日で仕事の流れをつかまなければ。
早速事務所へ入り、金庫からドロアーを取り出すと準備金を数えなおした。手抜きをすると違算金が出たときに苦労するので、しっかり慎重に行なった。

「おはようございま~す」
「あっ、おはよう!」

早番の要と説明を受けたMDの塩原早紀だが、それにしてもあの茶髪、何とかならないものか。いくら上西UMが承諾しているからと言って、DMの目に留まれば間違いなく突かれるレベルなのだ。その辺、店としてはどう判断しているのか、一度橋田さんに聞いてみる必用がありそうだ。
レジにドロアーをセットすると、パン、野菜の納入が続き、その検品が終わると、次は社内メールが到着した。朝の準備が整い次第、メールバッグの中身に眼を通す。本部からの通達に確認漏れがあったらそれこそ大変だ。マネージャー職は、売上やコストの管理は無論のこと、本部の通達事項を正確に店舗スタッフへと伝えることも重要な仕事になっている。

「いらっしゃいませ、デニーズへようこそ!」

いよいよ開店か。
デニーズはチェーン店なので、どこの店へ行っても、同じ味、同じサービス、同じ品質をモットーとしている。しかし、所詮オペレーションは人がやるものだから、そこには必ず個性が加味される。特にフロントに充満する雰囲気は、スタッフ一人一人の持ち味が醸し出すものだ。
やや笑顔に乏しいが、塩原は実にてきぱきと動いた。特に朝というsituationには欠かせない要素だ。

「トースト、あと一つ出ます?」
「ごめん、いま出す」

KH佐渡との呼吸もバッチリだ。
カウンターと、2、3番ステーションはほぼ7割入っているが、乱れは全くなく、コーヒーお替りサービスも適時行われている。
時計を見ると開店からそろそろ1時間が経過し、ランチスタッフ達も、ひとりふたりと出勤してきた。

「塩原さん、ブレーク行っちゃおうか」
「はい、じゃ入ります」

塩原はバイトだが、基本的にフルタイムの早番でシフトを組んでいた。6:30出勤の15:30退社、拘束9時間実働8時間だ。デニーズではこの場合、午前中に15分の休憩1回と30分の食事休憩、そしてランチピーク後に2度目の15分休憩を入れる。ブレークとは15分休憩を指す。
その時だ。駐車場へ目をやると、ちょうど上西UMが車から降りてきたところだった。
相変わらず肩で風を切るような歩き方だが、妙にはまっているところが面白い。

「おはようございます」
「おっ、木代、頑張ってるか」
「はい!」

この後、4番ステーションでコーヒーを飲みながら、上西UMから今後の説明を受けた。

「まあ、全部橋田に任せてあるから」

その方がいい。生意気な発言になってしまうが、この人に細かなレクチャーは無理だと思った。なにしろ話すことやること全てがアバウトで、これまで幾人ものマネージャーたちから教わってきた<やらねばならないこと>、そして<してはならぬこと>等々の規範は彼に備わっていなかった。

「じゃあ俺はこれから銀行へ行ってくる」
「ました。行ってらっしゃい」

売上金を銀行へ入金する業務はマネージャーの仕事である。当日の売上金は必ずその翌日に入金しなければならず、それも午前中と決められていた。土日分はまとめて月曜日に、そして正月やGW分は売上額が多くなるので、まとめることはなしにナイトデポジットを使って、やはり翌日入金と決まっていた。

「いってきま~す」

はっ? 何だ今の?
上着を羽織った塩原早紀が上西UMについて出て行ったではないか。まさか銀行入金へMDを連れて行くのか?!

「上西さんは、いつもああなんだ」

知らぬ間に傍へ寄っていた橋田さんが、辟易とした表情を隠さずにつぶやいた。
公私混同は明かであり、あんなことを続けていたらスタッフ達に示しがつかないだろう。見方によっては、“所帯持ちと独身女性の怪しい関係”と勘ぐられても致し方ない。
上西さんはUMであり、田無店の最高責任者だ。その彼に新米マネージャーの私がとやかく言うのはおかしなことかもしれないが、どう考えてもモヤモヤが残ってしまう。

ランチピークが終え、ひと段落すると、初のマネージャー業務で緊張していたのだろう、少々疲れが出できた。橋田さんからオペレーションステートメントの説明を受けていても、やたらとあくびが出てくる始末なのだ。店の経営状態を示す書類を前に大あくびはご法度なので、何とかこらえるのだが、これが辛かった。
オペレーションステートメントとは、ある一定期間の、売り上げ、管理可能利益、税前利益等々が明記された店の成績表であり、もちろんUMの人事評価はこの結果が大きく反映する。特に管理可能利益をつかさどる、フードコスト(食材原材料費)、レイバーコスト(人件費)、ノーイングコスト(食材以外原材料費)の3大コスト管理はシビアに見られ、中でもレイバーコストは人事生産性の管理と共に、UMの力量が試される。
田無店の従業員数はUMも含めて社員5名、パートアルバイト17名の計22名。社員5名分の人件費は固定費だが、パートアルバイト17名分の人件費は管理可能費、つまりコントロールができるということだ。
仕事評価や貢献度に向上が見られる者に対しては時給をアップしていくが、その逆のパターンで、作業に落ち度やむらがあったり、基本的な出退勤に問題がある者に対しては、出勤スケジュールから徐々に削っていく。
更には長年貢献の高時給者に対しても、評価に向上が見られなくなったら、非情だが、同じく徐々に出勤数を減らしていくのだ。

「お~い木代ちゃん、さっきからMDが無駄話してるよ。注意しなきゃ」

私のことをからかうような言い回しは、リードクックの豊田さんだ。年齢は確か私より5~6歳上で、どこかの調理師学校で教師をやっていたらしい。しかし、入社で言えば後輩にあたり、もちろん職責においても私の下にある。それなのに対面早々から“木代ちゃん”だ。
マネージャーと言ったって新米の青二才と決めつけているのだろう。体こそがっちりしているが、額がやや上がり気味の典型的な老け顔。牛乳瓶の底のようなメガネがそれを倍増させている。

独特な雰囲気と個性派面々が集う田無店。
これからどのような展開が待っているのだろう。

若い頃・デニーズ時代・番外編

<デニーズ>1号店20日で閉店 4世代で通う客「寂しい」
ー 毎日新聞 3/18(土) 9:32配信 ー

意味深長なニュースである。
デニーズ1号店である上大岡店のオープンは1974年。既に43年の月日が流れたわけだ。そして久々に聞く上大岡店の名は、アメリカンムード満点だった頃のデニーズを思い出すきっかけになった。
記事内には当時のメニュー写真も載っていて、その懐かしさに暫し釘付けである。

パンケーキを筒状に丸めて3本。これは“ピッグインナブランケット”という一品。
丸めた中身はスパイシーなポークリンクソーセージ。パンケーキのことをブランケット、つまり毛布と称したいかにもアメリカらしい雰囲気を感じるメニューだ。
ソーセージが入っているのにメープルシロップで食べるの?!と、当初は首を傾げたものだが、いざ賞味すれば、これが意外にいけた。アメリカンテイストからアメリカ文化を感じた一瞬だ。
その手前は“和風オムレツ”。人気メニューの代表格で、スタッフうけも抜群。二個の卵にカットしたポークリンクソーセージ、長ネギ、ほうれん草、そして醤油を少々たらし、軽く合わせてから、バターで焼き上げる風味豊かな一品。ご飯のおかずにも最高である。
和風オムレツの隣は定番中の定番“フレンチトースト”。普通の食パンを使いながらも、焼き上がりにホイップバターとメープルシロップを絡めれば抜群の味わいへと変貌。個人的に大好きなメニューだ。
そしてコーヒーの隣は“ストロベリーパンケーキ”。
アメリカ直輸入のストロベリーソースがたっぷりとかかった素材自慢の一品。甘さ控えめのソースはパンケーキとの馴染みが良く、飽きのこない味わいがナイス。
そもそもデニーズのパンケーキはクオリティーが高く、当時日本国内にも展開していたアメリカのパンケーキ&ワッフルのチェーン店「アイホップ・IHOP」の看板商品と較べても、勝るとも劣らないテイストがあった。ふわふわで風味高いのはアイホップのパンケーキ。これに対し、焼き面の香ばしさと食感の良さから、ホームメイドを強く感じさせたのがデニーズのパンケーキだ。
そんなデニーズの個性的なメニューも、競合各社との熾烈な競争からか、「全てのニーズへ対応しよう!」とばかりに、ラーメンや和食のモーニング等々、ポリシーから外れた商品であっても積極的に取り入れ続け、気が付けば看板商品と独自性は消え失せ、挙げ句の果てには、何ら他社と変らぬ平凡なメニュー構成へとすり替わっていたのである。
正直なところ、「麺・丼・膳」はデニーズに必用だろうか?!
レストランでは目の前に置かれた料理を単に食する行為だけでなく、その店の雰囲気も味わいつつが利用客の一般的心情。アメリカンチックなレストランで、クラブハウスサンドやフレンチトーストを賞味するすぐ隣のテーブルで、辛み味噌の香りを強烈に放った担々麺をずるずるっとやられたら、どの様な気分に陥るだろう。
昨今では海外旅行も一般的になってきて、一度くらいならハワイやグアム辺りを訪れたことのある方は多いと思う。その旅先で馴染みのDenn’yロゴを見かけ、本場のデニーズを体験したなら、日本へ戻って近所のデニーズへ入ったとき、誰しも微妙な違和感を覚えてしまうだろう。
昔懐かしの“デパート食堂”ならまだしも、デニーズはアメリカからやってきたレストランシステムなのだ。