刈寄山・初夏へ向かって

 朝夕はまだ冷え込みが残るものの、日中は温い空気を感じることが多くなってきた。山は確実に初夏へ向かって変化の真っ最中だろう。その変化を思い浮かべれば、無性にこの目で見たくなり、馴染みの刈寄山を歩いてきた。
 4月15日(木)。朝から抜けるような青空が広がっていた。
 久々の山歩きだったが、首を傾げるくらいに体調は良く、息切れもそれほど感じることなく快調なスタートを切れた。予想通り山中は新緑のオンパレード。特に原生樹ここにありと、濃緑色の杉の樹林帯の中にあって瑞々しい緑を発していた。開花の種類はまだまだ少ないが、緑の中に見つける赤や白の可憐な花弁は心を和ませる。
 
 今回は珍しい登山者達と遭遇。北側の斜面を上っていくと、尾根の方から賑やかな話声が聞こえてきた。やがて先頭の若い男性の姿が現れると、その後ろから20数名のちびっ子たちがついてくるではないか。すれ違うところまで来ると彼らは元気がいい。次から次へと「こんにちは!」、「頑張ってください!」の声をかけられた。

 「遠足かい?」
 「いしよせ山に行ってきました」
 「そりゃ名前が違うよ。刈寄山だ」
 「ぎゃはははは」

 あとで引率の先生に聞くと、五日市の小学校6年生達で、延期延期でやっと開催できた遠足だそうだ。6年生3クラス全員の参加で、下山後も学校までは引き続き徒歩だという。この元気にはかなわない。

体に鞭を入れよう。一時でも気持ちは晴れる。

緊急事態宣言発令で好きな居酒屋にも行けず、はたまた越境しての撮影行もままならぬ状態が続き、誠にクソ面白くない毎日である。おまけにこの頃では親の介護が生活を圧迫するようにり、精神、体共々、好調とはいえない。

< 体に鞭を入れよう。一時でも気持ちは晴れる >

てなことで、馴染みの刈寄山を歩いてきた。

森に分け入ると、どこを見回しても完全な冬枯れだ。
鳥のさえずりは一度たりとも耳にしなかったし、昆虫の気配も全くといって感じない。おまけに風がほとんどなかったので、気味が悪くなるほど静かである。
ただ、私が勝手に名付けている“展望台”からの景色は、相変わらず心を和ませてくれた。今回も富士山は見えなかったが、山々が織りなす壮大な景観だけで十分に満足できるのだ。

どこを見回しても落葉色

良くなったり悪くなったりの膝。突如痛みだす腰。更には湿度の低下でズルズルが増した鼻と、シャキッとしない毎日が続き嫌気がさす。しかもこのようなイライラを加齢のせいにし始めた自分が情けない。

― 山の空気でも吸いに行くか。

冬直前の刈寄山は、どこを見回しても落葉色だった。
紅葉のピークはとうに過ぎていて、荒れ果てた景色がどこまでも続き、その荒涼感は重い。目を凝らせば花も見つけられるが、生命感は希薄だし、昆虫の姿がない森に咲く花からは、寂しさしか感じられない。
落葉を踏みつつ、静かな山歩きも悪くはないが、やはり新緑の頃の生命感あふれる山の方が私は好きだ。

西側が大きく開ける斜面に出た。
鬱蒼とした樹林帯歩きから一転して、ワイドな景観が広がり、何度訪れてもここに立つと爽快な気分に包まれる。群生するススキは今が見ごろ。穂に反射する太陽光がやけに眩しく、斜面を黄金色に染めていた。

今日の収穫は、膝も腰もまだまだ大丈夫!が分かったこと。
普段、階段を上る時に出る僅かな痛みや違和感は全くといって出ないし、頂上直下の急坂に取り掛かっても、余力さえ感じたのだ。

「カップ麺も、山で食うと上等な味だね」

先客である70歳前半と思しきご主人が楽しそうに話しかけてくる。
刈寄山には既に20回以上登っていて、若い頃には幾度も北アルプスへ挑戦した山好きだそうだが、現在は健康維持のために低山歩きを続けているらしい。

「しかし寒いな。次に来るときはダウン持ってこなきゃ」

低山といってもスカイツリーより高いのだから寒いわけである。しかも風が出てきた。
ウィンドブレーカーを羽織ったが、汗を吸ったアンダーが体温を奪っていく。
だけどこのキューっとくる寒さは、山にいることをリアルに感じて意外に好きかもしれない。