関東の奥入瀬・照葉峡

照葉峡

“関東の奥入瀬”、それが照葉峡のキャッチだ。
数年前、バイクツーリングを頻繁に行っていた頃に見つけた渓谷で、危険な脇見運転までも誘発するその美しい流れは、一度写真撮影で訪れる価値ありと瞬時に感じたものだった。
奥利根ゆけむり街道に沿って延びる渓谷は、本場の奥入瀬と較べれば規模も画的深みも30%といったところだが、力感と美が強力に張り出す本家奥入瀬に対して、親しみやすい要素である、光、虫、花、臭いが心を和ませる照葉峡は、子供の頃の心象風景であり、汗を流して遊びに遊んだ夏を彷彿とさせたのだ。
岩にしがみつき川の流れを撮ろうとしたらレンズの上にトンボがとまり、茂みの中へ入り込めば草の臭いが全身を覆う。そして左岸の森には蝉時雨がわき起こり、ふと空を見上げれば、真夏の象徴である入道雲がむくむくと青空キャンパスを覆っていく。
これが無性に嬉しかった。

照葉峡の総延長は10km弱にも及ぶが、その間にこれといった駐車場はない。幅員に余裕のあるところを見つけては路肩に車を停め、そこから沢に降りるポイントを探すという地道なプロセスを繰り返す。注意しなければならないのは紅葉時期だ。赤や黄の見事な景観を撮ろうと、写真好きが休日平日問わず大挙押しかけ、数km走っても駐車スペースが見つからないなんてことが屡々起きる。

一旦車へ戻って水分補給をしようと道路へ上がっていくと、首からカメラを提げた年輩女性二人が、沢の様子を窺いながらこちらへと近付いてきた。
いきなり草むらの中から現れた私にちょっとびっくりした様子だったが、互いのカメラで同好の士と安心したか、

「あら、こんにちは。そこから下へ降りられるのですか」
「ええ、だけど足元が悪いから気をつけた方がいいですね」

彼女達は高崎市に住んでいて、古くからの写真仲間。持っていたデジイチが入門者向けのEOSKissだったので、写真を初めてまだ日が浅いと思ったら、既に20年を超えるキャリアがあり、つい最近になってフィルムからデジタルへと切り替えたとのこと。
人生の後半戦で仲間と趣味を楽しめるなんて、これ以上ナイスなことがあるだろうか。

炎天下の元、3時間に及ぶ照葉峡歩きはけっこう体にきつかったようだ。下流で見つけた日陰の駐車場ではついうとうととしてしまった。両サイドの窓とサンルーフを全開にし、山間の涼しい空気を車内へ流し込めば、これも無理のないことか。

海外 食事

birthday

50歳となった女房の誕生日を、娘夫婦といっしょに祝った。家族の誕生日会は恒例である。
今回は三鷹駅北口、TSUTAYA隣の地下1階『とれたて食堂』を利用した。メニューはどれも美味しくリーズナブルで、店内の雰囲気、スタッフの対応共々◎のイタリアンレストランだ。
特にピザチーズがしっかりした濃い味わいで、クリーミー且つふくよかな食感はちょっと癖になりそうである。
ワインのラインナップも多く、好きな人には絶対うけるはず。

2008年秋。バラク・オバマが第44代アメリカ合衆国大統領選に勝利したその時、ちょうどドゥカティのミーティングへ参加する為に、遙々イタリアのミラノへ来ていた。同業者仲間とホテルのTVの前に陣取り、これで歴史が変るかも?!と大いに盛り上がったことが懐かしい。
海外へ出掛けて印象に残るポイントは皆それぞれだろうが、食べ物はその最たるもののひとつに違いない。
食べ物の好き嫌いは殆どないが、唯一パクチー系だけは苦手としていて、タイへ旅した際に青さと臭さ満載のスープを出された時は、完全にギブアップした。
それと、味そのものではないが、香港のローカルな食堂街で、軒先に吊り下がる個体不明な無数の肉が目に入った時、途端に食欲が減退したことも印象に残っている。
その点、食に関してイタリア~ミラノは完璧だ。
日本人はもともとイタメシ好きだから、口に合わないわけがない。
到着した晩、宿泊ホテルのレストランでドゥカティジャパン主催の夕食会が行われ、イタリアンスタンダードと言うべきシンプルなフルコースをいただいた。
飲みやすいワインに始まり、メインの肉や魚は無論美味しかったが、何より驚いたのは前菜として出てきたリゾットだ。定番のチーズリゾットで、深みのある風味と滑らかな喉越しは、まじめにおかわりを頼もうとしたほどで、それまで<リゾット=おかゆ>程度の認識しかなかった私にとって正に驚きの発見であった。
翌日の昼食は、同室のYさんとミラノ中央駅に程近い大衆レストランでハウスワインとラザニアを食してみたが、これもさすが本場!と唸らせる味わい。いっしょにでてきたパンも実に香ばしく、これとワインだけで食は進んだ。
このミラノ行をきっかけに、お手製Peperoncinoの研究が加速したのだ。

教養と冷静さ

おかげさまで昨年めでたく還暦を迎え、そして早くも1年が経とうとしている。
“光陰矢のごとし”とはよく言ったものだ。
一般的な会社に勤めていれば、正に定年退職を果たし、ついに“リタイヤ”という文字が現実としてのし掛かってくるところだろうが、幸いなことに、老人でも己に鞭を打ち続けさえすれば就労させて貰える環境に甘んじている為、もう少々現役で突っ走ることが許されている。
但、1978年3月。代々木オリンピックセンターで行われた株式会社デニーズジャパンの新入社員研修が、ついこの間の出来事のように思い出される中、これはある意味、衝撃的な現実であるとも解釈している。

ー こんな長い間、一体俺は何をしてきたんだろう?!

過去に戻ることはできないから、“れば”、“たら”は口にしたくないが、あと二つまみの教養と冷静さを身につけていたなら、もう少々潤いと厚みのある人生を歩めたと思うことがある。

もともと内向的な性格の私は、いざ外へと目を向ける時、視野が狭まりがちになることが多く、どっしりと構えて俯瞰的に状況を見ることは今でも苦手としている。よって仕事もプライベートも初めてやることに成功した例しがない。
『君子危うきに近寄らず』
とても意味深いことわざであるが、私の場合、教養が足りないが為に“危うき”の実態をうまく掴めず、且つ冷静な状況観察ができないから、知らず知らずのうちに餌につられて危うきに脚を突っ込んだり、危うき自体に翻弄されてしまうことがある。そして気が付くと取り返しの付かないところに立たされ、最後は必ず大きなしっぺ返しを食らうのだ。
この流れは日常生活の中でも当てはまることが多々あり、ひとつひとつを思い出すたび、

ー 俺って、本当に馬鹿だよな…

と、溜息が出てしまう。
これまでの半生は、“身から出た錆”でむせ返るだけだったのかもしれない。

教養がないのは、努力ができないから。
冷静さに欠けるのは、先を急ぐから。

これを踏まえて、残された後半戦を、少しでも有意義にやれたらなと思っている。