大塚山~御岳山

ミツバツツジ

4月15日(金)。今年一発目となる山歩きを楽しんだ。古里から大塚山~御岳山と上っていき、頂上の集落で一服の後は、大楢峠経由で鳩ノ巣へ下るというコース。
標高1000mにも満たない御岳山だが、ケーブルカーを使わずに、麓から出発すれば立派な山歩きになる。
流れ出る汗、悲鳴を上げる腰と脚、、、
なまった体には少々ハードだが、一方、疲れ果てた精神には、一服の清涼剤となるところがGoo☆

澄んだ空気を目いっぱい吸い込める芽吹きの森はこの上なく爽快である。眺望は樹林越しになるが、咲き始めたミツバツツジがとても可憐でついつい見とれてしまい、気がつけば大塚山山頂へと到着した。
見回すとざっと数えて15~6名のハイカー達が休憩中だ。それまでの静けさが嘘のような活況ぶりである。
ここは御岳ケーブルカーの頂上駅から目と鼻の先という立地が影響してか、いつ訪れても賑やかだ。
但、団体でワイワイやるのは大いに結構なことだが、メンバーの中の50歳代と思しき3名のご婦人が、頂上とそれほど離れていない藪の中で、堂々と用足ししている姿には唖然とした。おまけに寸前で半ケツを見てしまうところだったのだ。
とにかくおばさんのお尻はいただけない。

愛機Nikon1・V2は、山中ずっと肩に掛けていたが、全く重量を感じさせなかった。
だから山行でのシャッターチャンスには滅法強く、更に今回はトレポなしと決めていたので、絶えず両手が空き、カメラを構えるまでは一瞬である。
ところが御岳の山々、新緑に向けて様々な樹木の芽吹きが始まってはいるが、全山緑一色にはまだ早く、大塚山の尾根筋あたりは山肌が出ていて寒々しい。ミツバツツジ以外には目ぼしい開花が見当たらず、被写体探しは難こうした。
渓流でもあればバリエーションも広がるだろうが、あいにくルート上にはごく小さなせせらぎしかなく、それも水量が乏しくて題材にするには無理があった。

足慣らしが第一目的だった今回の山歩き。
よく歩く日の出山コースよりも更に短かい全長を設定したのに、何と下山の途中から左膝が疼き始めた。
急峻な瑞牆山でもびくともしなかったのに、冬場を越しただけで元に戻ってしまうとは何とも情けなくなる。仕方がないが、夏山シーズンに向けて、あと2~3回はこうした足慣らしを行う必要がありそうだ。

人生確かに一度きり

4月4日から放映がスタートした、NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』。ここでは早くも父親の竹蔵さんが放つ数々の名言が話題となっている。
中でも、

「当たり前にある毎日でも、それはとっても大切な一瞬の積み重ねだと思っています。そしてそれは、いつ失うことになるか分からない。明日かも知れないし、一年後かも知れない。」

胸にジーンとくる台詞である。
ひと昔前だったら恐らく何も感じない一節だろうが、昨今では、「今日の後に今日はなし」、「歳月人を待たず」、「光陰矢の如し」等々の意味合いに対し、妙に過敏になる自分がいるのだ。
治る気配のない右手甲の打撲痛。年始から引きずる腰痛。右目の違和感。軽い筋トレにも喘ぐ体。不調の続く鼻…
緊急を要する怪我や疾病はないものの、加齢による体全体のへたりは明らかに進行しており、昨年歩き回った山々を思い出しては、今年も同様に楽しめるのか?!などと、しょうもない不安に駆られることもあり、
情けないが、これまでの人生には存在しなかった“初の変化”に対し、真摯な姿勢で対峙する時がきたと感じている。

【人生一度】
祖父の放った一言だ。
初孫だった所為か、とても可愛がられていたので、晩年になっても二人で良く会話を楽しんだものだが、その中で彼は「人生は一度しかないから、好きなようにやった方がいい」と幾たびも語っていたことを思い出す。
但、若い頃はそんな重みのある言葉も右から左で、心に留まるようなことはなく、寧ろ老人の回顧に浸るつぶやき程度にしか感じなかった。ところが若かった私も歳を重ね、こうして体力の衰えがはっきりと自覚できる年齢になると、何の抵抗もなくその意味合いが体に入ってくるのだ。

ー そう、人生確かに一度きり。

と。
今時の還暦はまだまだ若造。何にだってトライできるし、必要最低限の体力も残されている。しかし人生のピリオドが現実味を持って視野に入ってくるのもこの頃なのだ。

謎多し

空自機不明

4月6日(水)午後2時半頃。鹿児島で航空自衛隊の小型ジェット機が行方不明になった。
この事件はYaHooニュースにも、そして読売新聞4月7日(木)朝刊の一面にもでかでかと載っているのだが、記事を読み進めていくと、何やら次々と謎が出てきて、この先の動向が無性に気になってくる。

操縦桿を握っていた機長は40歳代の3佐。Topの空将から数えて5番目に位置する幹部であり、どう考えても相当な操縦経験と技術がある筈だ。おまけに副操縦士も乗っていたとのこと。
この他にも、機上で整備や無線を担当する専門の隊員までが乗り込んでいて布陣としては完璧だ。

消息を絶った小型ジェット機は、40年間も製造改良を続けているベストセラー機で、航空自衛隊では飛行点検機(航法施設検査機)として運用されており、これは航空航法設備などの動作点検を行うことが目的らしく、自動飛行点検装置なるものも搭載している。

当時の気象状況は山に一部雲がかかる程度で、視界は悪くなかったという。もちろん雨や風に関する注意報や警報は出ていなかった。

とにかく、隊員全員の無事を祈るだけだ。

写真好きな中年男の独り言