若い頃・デニーズ時代 27

「すげー! 木代さんの車って、ダルマっすか」

初出勤の日、車から降りると、自転車に乗った若い男が近づいてきた。

「もしかして、佐渡君?」
「ええ、よろしく」

小柄だが、髪はびしっとオールバック。馴れ馴れしさの中にも目つきは鋭く、挨拶に来店したときに感じた田無店の独特な雰囲気が彼からも染み出ていた。

「新米なんで、よろしく」
「じゃあ今日から通しってわけですか」
「へ~、よく知ってるね」
「もう2年もやってるんで」

そんなやり取りをしているところへ、白いカローラが入ってきた。一日だけ“通し”に付き合ってくれる橋田AMの出勤だ。
橋田さんには異動前からも色々とアドバイスをいただいていて、その第一印象も合わせて、実直さを強く感じていた。慣れない職場に頼りがいのある先輩がいるのは心強いものだ。それに田無店ムードに全く染まっていないところも何だか可笑しく、いかにも彼らしい。

「木代君、おはよう」
「おはようございます。よろしくお願いします!」
「たのむから今日一日でマスターしてくれよな」
「ました!頑張ります」

橋田さんには迷惑をかけられない。大まかでも今日一日で仕事の流れをつかまなければ。
早速事務所へ入り、金庫からドロアーを取り出すと準備金を数えなおした。手抜きをすると違算金が出たときに苦労するので、しっかり慎重に行なった。

「おはようございま~す」
「あっ、おはよう!」

早番の要と説明を受けたMDの塩原早紀だが、それにしてもあの茶髪、何とかならないものか。いくら上西UMが承諾しているからと言って、DMの目に留まれば間違いなく突かれるレベルなのだ。その辺、店としてはどう判断しているのか、一度橋田さんに聞いてみる必用がありそうだ。
レジにドロアーをセットすると、パン、野菜の納入が続き、その検品が終わると、次は社内メールが到着した。朝の準備が整い次第、メールバッグの中身に眼を通す。本部からの通達に確認漏れがあったらそれこそ大変だ。マネージャー職は、売上やコストの管理は無論のこと、本部の通達事項を正確に店舗スタッフへと伝えることも重要な仕事になっている。

「いらっしゃいませ、デニーズへようこそ!」

いよいよ開店か。
デニーズはチェーン店なので、どこの店へ行っても、同じ味、同じサービス、同じ品質をモットーとしている。しかし、所詮オペレーションは人がやるものだから、そこには必ず個性が加味される。特にフロントに充満する雰囲気は、スタッフ一人一人の持ち味が醸し出すものだ。
やや笑顔に乏しいが、塩原は実にてきぱきと動いた。特に朝というsituationには欠かせない要素だ。

「トースト、あと一つ出ます?」
「ごめん、いま出す」

KH佐渡との呼吸もバッチリだ。
カウンターと、2、3番ステーションはほぼ7割入っているが、乱れは全くなく、コーヒーお替りサービスも適時行われている。
時計を見ると開店からそろそろ1時間が経過し、ランチスタッフ達も、ひとりふたりと出勤してきた。

「塩原さん、ブレーク行っちゃおうか」
「はい、じゃ入ります」

塩原はバイトだが、基本的にフルタイムの早番でシフトを組んでいた。6:30出勤の15:30退社、拘束9時間実働8時間だ。デニーズではこの場合、午前中に15分の休憩1回と30分の食事休憩、そしてランチピーク後に2度目の15分休憩を入れる。ブレークとは15分休憩を指す。
その時だ。駐車場へ目をやると、ちょうど上西UMが車から降りてきたところだった。
相変わらず肩で風を切るような歩き方だが、妙にはまっているところが面白い。

「おはようございます」
「おっ、木代、頑張ってるか」
「はい!」

この後、4番ステーションでコーヒーを飲みながら、上西UMから今後の説明を受けた。

「まあ、全部橋田に任せてあるから」

その方がいい。生意気な発言になってしまうが、この人に細かなレクチャーは無理だと思った。なにしろ話すことやること全てがアバウトで、これまで幾人ものマネージャーたちから教わってきた<やらねばならないこと>、そして<してはならぬこと>等々の規範は彼に備わっていなかった。

「じゃあ俺はこれから銀行へ行ってくる」
「ました。行ってらっしゃい」

売上金を銀行へ入金する業務はマネージャーの仕事である。当日の売上金は必ずその翌日に入金しなければならず、それも午前中と決められていた。土日分はまとめて月曜日に、そして正月やGW分は売上額が多くなるので、まとめることはなしにナイトデポジットを使って、やはり翌日入金と決まっていた。

「いってきま~す」

はっ? 何だ今の?
上着を羽織った塩原早紀が上西UMについて出て行ったではないか。まさか銀行入金へMDを連れて行くのか?!

「上西さんは、いつもああなんだ」

知らぬ間に傍へ寄っていた橋田さんが、辟易とした表情を隠さずにつぶやいた。
公私混同は明かであり、あんなことを続けていたらスタッフ達に示しがつかないだろう。見方によっては、“所帯持ちと独身女性の怪しい関係”と勘ぐられても致し方ない。
上西さんはUMであり、田無店の最高責任者だ。その彼に新米マネージャーの私がとやかく言うのはおかしなことかもしれないが、どう考えてもモヤモヤが残ってしまう。

ランチピークが終え、ひと段落すると、初のマネージャー業務で緊張していたのだろう、少々疲れが出できた。橋田さんからオペレーションステートメントの説明を受けていても、やたらとあくびが出てくる始末なのだ。店の経営状態を示す書類を前に大あくびはご法度なので、何とかこらえるのだが、これが辛かった。
オペレーションステートメントとは、ある一定期間の、売り上げ、管理可能利益、税前利益等々が明記された店の成績表であり、もちろんUMの人事評価はこの結果が大きく反映する。特に管理可能利益をつかさどる、フードコスト(食材原材料費)、レイバーコスト(人件費)、ノーイングコスト(食材以外原材料費)の3大コスト管理はシビアに見られ、中でもレイバーコストは人事生産性の管理と共に、UMの力量が試される。
田無店の従業員数はUMも含めて社員5名、パートアルバイト17名の計22名。社員5名分の人件費は固定費だが、パートアルバイト17名分の人件費は管理可能費、つまりコントロールができるということだ。
仕事評価や貢献度に向上が見られる者に対しては時給をアップしていくが、その逆のパターンで、作業に落ち度やむらがあったり、基本的な出退勤に問題がある者に対しては、出勤スケジュールから徐々に削っていく。
更には長年貢献の高時給者に対しても、評価に向上が見られなくなったら、非情だが、同じく徐々に出勤数を減らしていくのだ。

「お~い木代ちゃん、さっきからMDが無駄話してるよ。注意しなきゃ」

私のことをからかうような言い回しは、リードクックの豊田さんだ。年齢は確か私より5~6歳上で、どこかの調理師学校で教師をやっていたらしい。しかし、入社で言えば後輩にあたり、もちろん職責においても私の下にある。それなのに対面早々から“木代ちゃん”だ。
マネージャーと言ったって新米の青二才と決めつけているのだろう。体こそがっちりしているが、額がやや上がり気味の典型的な老け顔。牛乳瓶の底のようなメガネがそれを倍増させている。

独特な雰囲気と個性派面々が集う田無店。
これからどのような展開が待っているのだろう。

隔年開花

“一丁目の花”と呼んではばからないモッコウバラが、今最盛期を迎えている。町内のあちこちで見ることのできるその可憐な黄色の花弁は、気分を和ませ、桜とはまた違う季節の変わり目を感じさせてくれる。
個人的に大好きな花だけに、我が家の庭にもしっかりと根付いているのだが、その我が家のモッコウバラは、不思議なことに隔年でしか開花しない。たまたま昨年だけは例外で、2年連続の開花を楽しめたが、案の定、今年は蕾の一つも形成されることがなく、今も枝葉のままだ。
webなどで調べると、<まったく咲かない>、<咲が悪い>等々の事例は多く見つかるが、隔年でしか咲かないという記事はこれまで見かけたことがなく、モッコウバラの開花はソメイヨシノ以上の楽しみになっているので、何とかして対策方法を探し出そうと思っている。

近所の玉川上水を散歩すれば、新緑のはざまに様々な花の開花を目にすることができる。
リチャードもしきりに鼻をぴくつかせ、心なしか動きにも弾みがついているようだ。

春・野川公園

 
4月6日(木)。春本番を思わせる暖かさにじっとしていられなくなったのか、

「ねえパパ、リーちゃん連れて野川公園へ行こうよ」

普段、余り動きたがらない女房でさえ、この開放感には負けたようだ。それにロックと違ってリチャードは車に乗せてもおとなしいから、どこへでも連れていける。
定期的に通院治療しなければならないおふくろの送り迎えが済んだ午後、トイレバッグとD600を持って車へ乗り込んだ。
女房の膝に座ったリチャードは、動く車窓の景色をひたすら追っている。こんな時、犬は何を思い巡らせているのだろうか。

平日でも花見客が大挙していると予想したが、意外や公園の駐車場はガラガラ。正に肩すかしである。
公園が好きなリチャードは、車から降りた途端に強くリードを引き出した。嬉しくてしょうがないのだ。
売店手前には満開直前の桜が連なり、 大勢の人々が思い思いのスタイルで楽しんでいる。

「あっ!わんちゃんだ!さわりたーいぃ」

保育園児だろう、ちっちゃな男の子二人が、怖々と近づいてきたが、びびりーのリチャードはひたすら距離感を保つ。子供たちも必死に追いかけてはみたが、その内に様子を見ていたお母さんに呼ばれ、残念そうに戻ていった。
風はやや強かったが、冷たさはなく、空気感はまさしく春。思わずリチャードと駆け足すれば、すぐに汗が滲みだしてきた。公園の解放感はやっぱり気持ちがいい。

「写真、撮るんでしょ」
「そうだね」
「リーちゃんと売店のところにいるから行ってきたら」

東八道路に渡す陸橋手前に花壇があり、赤と黄のチューリップが今が盛りと咲き誇っていた。
ここから北側を眺めると、やや被写体に乏しい印象を受けたので、陸橋は渡らずにそのまま道路沿いを進むことにした。すると間もなくして連なる桜が見えてくる。
広場からかなり離れているからだろう、さすがにここでビニールシートを広げている人は見当たらない。誰にも邪魔されず桜を狙うには最高だが、残念なことに、今日時点での開花度は8割ほどで、たわわと言うまでのボリューム感にはまだ達していない。
何と言っても、桜の撮影タイミングは満開に限るのだ。
こう述べるとあたかも桜撮影が得意といった印象を受けるだろうが、実は、被写体としての桜はあまり好きではない。季節の花の代表選手だから、カメラやスマホを持っている方々なら、開花すれば最低でも一枚は撮るだろう。しかし真剣になって作品作りにトライするとなると、これが悩ましいほど難しい。
桜単体ではベタになりやすく、見栄えをアップしようとすれば、どうしても人や神社仏閣、川の流れ、ライティング等々の脇役が欲しくなる。しかし、この組み合わせはそう簡単に見つかるものではないのだ。
まっ、写真はあまり難しく考えても面白くないし、考えればいい画が切り取れるというものでもないので、肩の力を抜いてあくまでも楽しみ第一で行っている。

更に風が強くなったのか、木々のざわつきが耳に付きはじめた。若干だが気温も下がってきたようだ。
西の端、いこいの広場まで来たので、そろそろ女房とリチャードの待つ売店へと引き返すことにした。
コンクリートを避けて、選んで土の上を歩いた。スニーカーから伝わる感触がなんとも心地よく、すぐに山歩きを連想させ、シーズンまでもう少しと、無性に心が浮き立ってきた。
今年こそはテン泊で一杯やらねば。

売店が見えてくると、私に気付いたリチャードが、しきりにしっぽを振りながらこちらを見ている。

「お疲れさん。桜餅食べる?」
「おっ、うまそう」

ちょっぴり塩味の葉っぱが、甘いあんこと相まり、いかにも春らしい味わいが口の中一杯に広がっていった。

写真好きな中年男の独り言