若い頃・デニーズ時代 81

処方されてた薬が効いたのだろう、一日休んだだけで谷岡は復帰した。顔色を見てもまだ全快とは言えそうにないが、快方へ向かっていることは確かなようだ。

「谷岡さんはデリケートなんやね」
「あたりまえやろ」
「ふふ、そんな感じには見えへんけど」
「なんやて!」

ふみちゃんとのテンポあるやり取りが復活して一安心である。
胃潰瘍騒ぎは心配だったが、オープン後の運営は至極順調で、これといった事件も起こることなく平穏無事な日々が流れていた。但、売上がやや目標を下回っていることが気になったが、まだ3カ月も経っていないのだから、これからがボリュームアップの正念場と捉えて頑張るしかない。
参考までに、目標は年商1.8億だが、現況は1.6億レベルの推移である。モーニングは弱く、ランチは12時~13時に集中、その後はしっかりとアイドルタイムが訪れる。ディナーは平日と週末の差が激しく、特に日曜祝日前は、日付が変わる頃まで満席に近い時もある。よって売上構成はディナー寄りになるので、ずいぶんと客単価に助けられている。

事務所でデイタイムのレジ上げを行ていると、電話が鳴った。受話器を取ろうと手を伸ばすと、フロントで先に取ってしまったようだ。<電話は待たせない!3コール中に!>がマニュアルであり、特にDL、MDには徹底してある。
間もなくすると、数少ないランチMDである主婦の川辺智子が走ってきた。

「マネージャー、お客様が出前してくれって」
「出前はやってないから断らなきゃ」
「言ったんですけど、そんなら店長出せっていわはって」

嫌な予感。

「お待たせいたしました。店長の木代です」
「ピザ2枚出前して欲しいんやけどな」
「それが出前はやってないんですよ」
「となりの近畿土木や。ご近所さんはだいじにせにゃあかん」

な、なに。近畿土木といえば、たしか西宮署の刑事が言っていた。経営者が暴力団の、、、
むむむ、、、難しい判断だ、、、

「わ、わかりました。わたしがお届けいたします。ご、ご近所さんですもんね」

変に話がごねると、何しろ隣だから、今後が不安だ。守代を払うわけではないから、この程度ならそれほどの支障はないだろう。
さっそくテイクアウトボックスに入れたピザをもって、マンションの2階にある事務所へ向かう。
狭く暗い階段を上がっていくと、

「デニーズです。おまたせしました」

そーっとドアを開けると、いたって普通の建築事務所だったのでまずは一安心。ディスクワーク中だった作業着姿の男性がこちらに視線を送る。事務所にいるのは2名の若い男性のみだ。

「おおきに。なんぼや」
「ミックスピザ2枚ですので、1,160円になります」

黒い札入れから出したのは2枚の千円札。お釣りを渡そうとすると、

「釣りはええよ。足代や」
「いやいやそれは」
「かめへんって」
「そ、そうですか、じゃ、おことばに甘えて」

あっという間のやり取りだった。雰囲気から変な裏はなさそうで、単純にピザが食べたいから持ってきてくれといった感じである。これを皮切りに何度となくは弱ってしまうが、私の直感からすれば、それも杞憂に終わりそうだ。
何事もなく店へ戻ってくると、

「店長、どうでした」

辻井がニヤニヤしながら聞いてきた。

「川辺さんが、店長一人で行かれたんで、心配やからと」

怪しい設計事務所ではなかったこと、脅しやゆすりなども一切なかったこと、だからといって今後も慎重な対応が必要なこと等々を伝えた。

「でもな辻井。また頼まれたら今度はお前が行けよな」
「ほんまですか!、ま、えーですけど」
「冗談冗談、俺がまた行くさ」

そう言えばつい最近、辻井は車を買い替えた。デニーズのマネージャー職にとって車は必須のアイテム。店舗の立地は殆どが郊外型であり、営業時間帯を考えても公共交通だけでは対応できない。
愛車はスズキのジムニー。小さいジープってな感じのお洒落な車で、若者を中心に人気沸騰中とのことだ。名前くらいは知っていたが、間近で見るのは初めてである。

「店長、乗ってみますか」
「じゃ、隣にのせてよ」

男二人を乗せたジムニーが店の近辺を疾走する。
乗り心地はお世辞にも良いとは言い難く、あまりに上下動が激しいので胃がムカムカしてくる。キャビンはとにかく小さく狭いので、運転している辻井の肩に触れそうだ。

「ずいぶんとハードな車だな」
「あは、ほんまにいいおもちゃですわ」

2号線から迂回して店へと向かう。
軽自動車だが、けっこうな加速力だ。

「楽しみですね、お子さん」
「だな。まだ実感が湧かないけどね。ところで辻井はどうなの、結婚」
「まだまだです。でも、ええ子いたら考えますけどね」

モテモテ男だから話にも余裕がある。
大凡15分間のドライブを終えて店に戻ると、MDの宮内啓子がなにやらバックヤードのドアのところから早く早くと手を振っている。

「お電話で~~す!」

駆け足で事務所へ飛び込み、受話器をとった。

「木代さん? 沼津です。今日から病院へ入ります」
「そうですか」
「麻美は元気だから心配しないで」
「よろしくお願いします」

麻美のお義母さんだった。
いよいよだ。ついに生まれるのだ。自分としては何にもできないので、とにかく頑張って無事に生んでくれとひたすら願うしかない。
DMには既に話してあるので、生まれたら何はともあれ沼津へ向かおう。

若い頃・デニーズ時代 80

開店準備は順調に進んでいた。
ランチのフロントメンバーに若干の不足が出ていたが、その他の充足率は概ね問題のないレベルにあり、トレーニングの成果もきっちりと上がっていた。
一方、プライベートの方も、麻美のおなかの子は順調に育ち続け、2月に入ったら出産準備で沼津の実家へ戻ることになっていた。公私双方からプレッシャーが掛かるが、考えてみればそれは大きな楽しみでもあるのだ。

オープン2日前の20時頃。仕事を終えてエンプロイで寛いでいるのは、谷岡、宗川、そして私の3名。

「タイミングばっちりだな。この時期のオープンならハチャメチャにはならないだろう」
「ゴールデンウィークまでには万全な体制を作りましょう」
「これが正月前だったらきつかったでしょうね」

年末年始、ゴールデンウィーク、旧盆休みは、地方の店舗にとって普段の1.5倍から2倍近くまで売上が上がる三大書入れ時だ。スタッフがまだ育ちきれないオープン直後にこのようなピークに突入すれば、まともなサービスができないどころか、クレームの嵐にもなりかねず、そうなれば店の評判はがた落ちとなり、これを取り戻すには大変な労力と時間が必要になる。

ー ピンポ~ン

「誰だ、こんな時間に」
「納入業者じゃないよね」

宗川が難しそうな顔をしながら裏口のドアに手をかけ、そっと開くと、

「店長おるか」

宗川を押しのけるように侵入してきたのは男二人。誰が見ても普通の人たちではない。
一瞬にして高田馬場の悪夢を思い出した。

「私が店長ですが」
「あんたか。これからいろいろと大変やろな」
「はは、なんとか」

本物の迫力に血の気が引く。
一歩後ろに下がっている、子分と思しき若い男の暴力的な視線が、今にも噛みつくぞとばかりに我々に注ぐ。

「なんかあったらいつでも相談にのるさかい、まあ、とりあえず花こうてや」

やはりきたか、、、いわゆる“守代”だ。
弱気になれば、後で手が付けられなくなるのは明白。ここはしっかりと断らなければ。

「すみません。そういったものの購入は本部からきつく禁じられているんです、、、」
「そんなん店長のポケットマネーでかまへんねん」
「いや~、、、そ、それも、、、」
「わかったわかった、また来るわ」

名刺を一枚渡されると、不思議なくらいにあっさりと帰っていった。

「なんですか今の? めっちゃこわいわ~」

谷岡の顔が異常に強張っている。
改めて名刺をじっくり見てみると、金色の菱がしっかりと印刷されているではないか。これはまぎれもなく山口組の代紋だ。

「山口組とは、またずいぶん本格派ですね」
「しょっぱなから頭いてえな」

日本〇〇同盟の佐々木を思い出していた。背が高く蛇の目を持つ陰湿な男。何度も繰り返し店に来ては、金出せを繰り返した。帰るときは必ずレジ台のガムやキャンディーを鷲掴みにしてポケットに入れる。もちろん代金など払ったことはない。
あのムカムカイライラした日々が再び訪れると思うと、正直萎える。

「ここは皆で団結して店を守りましょうよ」
「ありがとう。DMにも報告入れとく」

宗川の一言は心強い。救われる思いだ。そもそもあんな輩に大切な店を踏みにじられたらたまったもんじゃない。
何事も最初が肝心、これは身をもって経験したこと。目白署の刑事に言わせれば、一度でも金品を差し出したり甘い顔をしたら最後、ケツの毛まで抜きに掛かるのがやくざ。怖くても勇気を奮い、毅然とした態度を守り続けなければ、それこそ最悪の結果を招いてしまうのだ。

「まっ、今のことはおいといて、明日は朝からプリパレだな」

谷岡の顔に別の緊張が走る。

「オープニングマニュアルだとかなり多めなようですが」
「かまわない。ロスのことは考えなくていいよ。それより品切れは絶対NGだ」
「ました!」

オープン日は金曜日だが、当然この特別な日は平日も祝日も関係ない。このご時世、平日でも絶対にごった返す。
売上予測が難しい新店に対しては、本部からオープニングマニュアルが提供されていて、パン類や青果の発注量から、日替わりランチ、ピザ、クレオール等々プリパレ量や、ステーキ、ハンバーグ、パティーの解凍量まで、事細かな数量が記載されている。

「そうそう、オープン日にはスーパーバイザーの三頭さんも急遽来ることになったんだ」

スーパーバイザーとは、全店クックの頂点に立つ役職であり、主な職務は新メニューの開発並びにクッキングマニュアルの管理だ。谷岡からすればまさしく雲上の人。

「へー、嬉しいけど緊張しますね」
「三角さんもそうだけど、東京から来てくれるんだからありがたいよな」
「頑張らないと怒られちゃいますね」
「あはっ、ま、そんなところだ」

この仲間達となら、なんとか行けそうだと確信。
急にオープンが楽しみになってきた。

若い頃・デニーズ時代 79

市役所、警察署、保健所と回ってきたが、西宮市は官公庁が駅前エリアに集中しているので、短時間で用事を済ませることができた。
興味深かったのは市役所。入り口を抜けロビーに入ると、正面の壁にはずらりと日本酒の樽が展示してあり、ここが日本一の酒処【灘酒】の本拠地であることがよく分かった。私は大の酒好きなので、剣菱、菊正宗と聞いただけで涎が出てきてしまった。
次に出向いたのは警察署。担当の方から飲食店に於ける最近の暴力団がらみの事件について色々と情報を聞いていると、突然ドアが開き、二人のごッつい男が並んで入ってきた。見ると手錠で繋がれているではないか。
一瞬考える。「どっちが刑事?」。御両人、それだけ人相が極めて悪い。互いに無表情のまま事務所を通り抜けると、入口とは反対側にあるドアを開き入っていった。
気が付けば、ついつい見入っていた。

「お店の東隣に土建屋があるんですがね、そこの経営者は山健組系の暴力団なんですわ」

そしてこのストレートな説明で目線が戻る。
ここの警官、我々をビビらせて楽しんでいるのか?!

「隣ですか、、、そうですか、、、なんか注意することあります?」

DMが神妙な顔つきで尋ねると、

「特にないですが、何かあったら連絡ください」

でた、でたでた。警察官の決まり文句。ブスッとやられたら連絡できないだろうに。
何かが起こらないようにするのが警察の仕事。しかし彼らが動き出すのはいつだって何かがあってからなのだ。
一応名刺交換をして西宮警察署を後にしたが、頼りにできるかどうかは怪しいところ。

「あれっ、お久しぶり!」
「今回はあんまり長くいられませんけど、よろしくお願いします」

店に戻ると本部トレーニングの三角冴子女史が新人MDのトレーニングにかかりっきりだった。
立川錦町オープンの際でもずいぶんとお世話になり感謝々々である。
UM時代の彼女は色々と悩みも多かったようだが、本部付のトレーニングへと部署が移ってからは生き生きとした仕事ぶりを発揮している。
西宮中前田での仕事は急遽決まったとのこと。

「みんな覚えがいいんで、あと3~4日も頑張れば何とかやれそうね」

黒縁の眼鏡をかけた高校生と思しき小柄なMDが真剣な眼差しでテーブルのワックスがけを行っている。

「いつもありがとうございます。三角さんが来てくれれば鬼に金棒ですよ」
「そんなことないけど、辻井さんが頑張ってるから安心よ」
「え? 辻井ってUMITの?」
「そう。彼、教え方がとても上手なの」
「へ~」
「というか、彼ってなかなかの二枚目じゃない、だから女の子達からの受けが良くて、みんな素直に従っているっていう感じかな」
「彼、独身ですよ、あぶないなぁ~」

確かに辻井はハンサムである。スレンダーで背も高く、一見クールな印象を受けるが、笑うと八重歯が見えて180度イメージが変わる。大概の女性はこの笑顔にやられてしまうだろう。
一方、もう一人の相棒である宗川UMITはその正反対ともいえるキャラ。小太りで背が低く、ちょっとブルドックのような厳めしい風貌を持つ。辻井より半年間だが先輩になるので、なにかと彼に対して、あれやっとけ、これ先にかたずけろと、顎で使う傾向があるが、輪を大事にし、誰に対しても分け隔てない対応をするところは信頼感ありだ。
その宗川は食器備品等々の棚卸中。オープニングリストとの照らし合わせである。

「どうだい、進んでるかい」
「単純作業なんで疲れましたよ」
「谷岡と一緒に一服すれば」

LCの谷岡は汗だくになってグリル板磨きをやっている。彼は堺市出身なので、KHの指導等々には大阪弁がガンガン飛び交う。やや神経質な面もあるが、明るくて面倒見がいいから、LCには向いているかもしれない。

「そんならお言葉に甘えて一服もらいます」
「ふみちゃん、一緒に一服しよ」

ふみちゃんとは女性KHの中村史子。20代後半の独身だ。ややがっしりとした体つきで、如何にも体力がありそう。動きは機敏で仕事の覚えも良く、谷岡は既に頼りにしているようだ。
先日も彼が既存店である池田店に連れて行って、ランチの実戦を体験させたのだが、3名体制でのフライヤー前なら八割方こなせたという。
因みにオープンの際のヘルプメンバーは、その殆どが池田店と神戸住吉店から来てもらえるとのことだ。

新年を迎え、開店日が目前と迫ったある日。関西事務所の鈴木さんから電話があり、以前約束していた神戸巡りへ行こうと誘われた。開店したら当分息抜きはできないので即お願いした。

「おはようございます」

ノック音で振り返ると、鈴木さんが事務所の前に立っているではないか。
さっそく連れだってバックから出ると、眼の前にはIYグループの社用車が停車していた。珍しげに見ていると、

「やっぱり軽はいいですよ。小回り抜群だから」

乗り込むと鈴木さんの肩に触れそうである。山手幹線へ出て西へ進んだ。

「まずは高級住宅街の芦屋でも見学しましょうか」
「芦屋は東京でも知名度ありますよ」
「一昨年かな、芦屋の六麓荘ってところで、お嬢様誘拐事件があって、マスコミが町中の様子を全国ネットで報道したから知ってる人も多いんじゃないですかね」
「しかし六麓荘って聞くと、傾いたアパートを連想しますね」
「いやいや、アパートじゃなくて地名です。しかも金持ち揃いの芦屋の中でもぴか一のエリアで、ダイエーの中内社長も住んでるとか」

六甲山へ向かって広がる丘陵地帯が芦屋の高級住宅街なのだが、最近では海側の一部エリアにも高級化の波が押し寄せているという。聞くところによれば、丘陵地帯へ住もうと思ってもただの金持ちでは町会からNGが出るらしい。由緒と名声がなければ許可が下りないというから驚いてしまう。

「あそこにスーパーありますよね、あれ、いかりスーパーって言って、芦屋の奥様の御用達ですよ」

なるほど、建物の壁に錨のモニュメントが張り付けてある。
駐車場を見渡すと、ずらりと高級車のベンツやBMWが並んでいる。私の地元にある三浦屋もこんな感じだ。

「さすがにいい車ばかりですね」
「でもね、BMWでも3シリーズだと、芦屋のカローラって呼ばれちゃうらしいですよ」

坂を上がっていくと、なるほど唸るばかり。どの家も敷地は広く、デザイン料だけでも相当するだろうと思われる豪華で洒落た邸宅ばかりなのだ。家の向きによっては、テラスや庭から大阪湾が一望できる素晴らしいロケーションを持っている。

「街中見て、何か気が付きませんか」

鈴木さんがちょっとにやつきながら問いてきた。

「なんだろう、ゴージャスなところだとは思うけど、、、」
「電柱がないんですよ、ここは」

なるほど。だから整然とした感じがするのか、

「町の美観維持のために、電線は全て地下ケーブルにしたんです」

ところどころに見かける小さく細い電柱は電話線とのこと。ここの住人はそこまでして芦屋の威厳と品格を保っているのだ。まさに浮世とはかけ離れた別世界である。
ところがそこから数分走ってまたまたびっくり。

「ここが松下幸之助の家です」
「いや~~広いですね。芦屋の邸宅も凄いけど、ここは別格だ」
「その立派な門も、勝手口ですよ」

壁沿いを走るだけでその内側は見えないが、敷地の広さは優に1,000坪を超えるだろう。
東京に住んでいても、わざわざ田園調布や成城へ見学に出かけたことはないので、ゴージャスさの比較はできないが、関西のお金持ちの志向がちょっぴり分かったような気がした。

この後は、阪急、JR、阪神の関係式を実地検分した。
実は、西宮地区はJR中心の東京とはやや異なる街作りが見られる。
東京だったら鉄道の中心は当然JR。そして巨大都市は必ずJRの主要駅を中心に発展する。これに対し西宮地区はまさに正反対の様相を呈していたのだ。
引っ越してきた当初などは、JR西宮の駅前を車で2度も通ったのに、駅舎の存在に全く気がつかなかった。何故かJRとはとても思えないほど寂れていて、北を走る阪急、そして南を走る阪神と比較すると悲しくなるほど。恐らく関東と関西では町の生い立ちが根本的に異なるのだろう。