胃カメラ 再び!

youwakai

1月12日(火)。昨年の11月に行なった健康診断の結果、2年連続となる胃のポリープを指摘され、先ほど武蔵野陽和会病院で内視鏡検査を受けてきた。
さすがに3度目ともなると、緊張感、恐怖感共々だいぶ薄れ、気分的には余裕すら出てきたので、今回は鎮静剤であるドルミカム注射をキャンセルした。
しかし、意識がはっきりした状態でマウスピースをくわえたとき、さすがに体が強ばってくるのを覚えた。
それはそうと、今回は麻酔スプレーであるキシロカインの効き目が思わしくなく、内視鏡挿入の直前になって不安が広がった。とにかく喉が麻痺する感覚が浅いのだ。
3度目の担当である女医さんは、そんな自分の気持ちを察するはずもなく、淡々と説明を進めていったが、鎮静剤もなく麻酔の効き目も悪い状況下、この黒いホースを喉へ突っ込んだらどれほどのものだろうと、緊迫感が走った。

「はい、ちょっと苦しいかもしれませんよ」

―  おえっ!

きた===!
これまでに味わったことのない苦しさだ。ホースが喉をかすめるリアルな感触が伝わり、断続的に“おえっ”が襲ってくる。やはり麻酔の効き目が足りないのか。
しかしそのままカメラが胃まで進むと、次第に苦しさは和らいできた。時間と共に麻酔の効き目が上がってきたのか、はたまた慣れてきたのか、何れも定かでないが、モニターを観察する余裕が出てきたことは確かである。

「これですねポリープは。良性ですね」

先回見たものより小ぶりだ。

「カメラを上に向けます」

緩んだと指摘された噴門か。

「食道と胃の境がはっきり出ていますね。全く問題ないです」

なるほど。くっきりとピンクっぽい線が出ている。だとすると、噴門に多少の緩みがあっても逆流性食道炎の心配は無用ということか。

「十二指腸へ入ります。凄くきれいですね、ここも問題なさそうですね」

胃から十二指腸へ移ると壁面は“ひだひだ”に変る。色艶も健康そうだし、素人が見ても危なそうなものは見当たらない。

「はい、ここが胆汁や膵液の出るところです。ここもOK!」

胆汁や膵液ってのは十二指腸へ出るのだ。自分の体なのに知らないことだらけである。
この後もう一度胃の隅々をチェックして内視鏡検査は無事終了した。
苦しみのスタートで、どうなることかと不安だったが、終わってみれば女医さんの手さばきは鮮やかそのものだ。

「次回からバリウム検査はキャンセルして下さい。間違いなくこのポリープは毎回写って再検査になりますよ」
「やはりそうですか」
「健康保険が利きますから、年に一度はこうして内視鏡で診ていきましょう」

先回の内視鏡検査でポリープを確認したが、それは見ただけで判断できる良性だったので摘出は行なわなかった。しかしそのまま残っていれば毎度バリウム検査でひっかかるのは必至。この疑問を検査の前に女医さんへ伝えておいたのだ。
結果良好!
これで胃の総合健康管理の流れが見えてきた。

またまた続きです☆

若い頃・デニーズ時代 12

デニーズがイトーヨーカ堂内のインストアから郊外へ向かって本格的な多店舗攻勢をかけ始めた頃、その店舗スタイルは、ウェイトレスステーションのない“オープンキッチン”だった。
フロントの開放感はデニーズの大きな特徴として他社との差別化を図り、オレンジ色を主体とした明るい内装でアメリカンポップを演出、そしてスタッフの快活なグリーティングとコーヒーおかわり自由が、既存国内レストランの概念をぶち破ったのだ。
デニーズは何もかもが新しかった。
当時、コーヒーと言ったら喫茶店で飲むレギュラーコーヒーを指し、午後の一時、または洋食の後など、特別な時間に楽しむものだったが、デニーズのアメリカンコーヒーは、堅苦しいことなしに、“いつでも気が向いたときに何杯でも”をキャッチコピーとして着実に広がっていった。
その昔、アメリカ人は一日に10杯も20杯もコーヒーを飲むと聞いたとき、レギュラーコーヒーしか知らなかった私は、アメリカ人はなんて胃が丈夫なのだろうと感心したものだが、彼らが親しんでいる元祖アメリカンコーヒーは、焙煎が浅く、極めてライトタッチな飲み物だったのだ。単にレギュラーコーヒーを薄めただけだったら、とてもではないが何杯も飲むことなどできるはずもないし、況して食文化にはなり得ない。
幾種類にも及ぶ卵の焼き方、付け合わせのハッシュドポテト、トーストの上にローストビーフをのせたホットローストビーフサンド、マクドナルドのハンバーガーとは一線を画く手作りの味わいが人気を博したデニーズコンボ等々、デニーズレストランは、見て知って驚くアメリカ文化の固まりだったのだ。

そんなある日、事務所に呼ばれると、加瀬UMからついに異動の話が出た。

「決まったよ。浦和の新店だ」
「埼玉ですか…」

覚悟はしていたが、いざ東京を離れるとなるとちょっと寂しい。最初はどうなるかと心配していた槇さんとのコンビネーションも今ではいい感じで息が合い、平日のディナータイムなら二人でほぼ完璧にこなせるようになっていたのだ。

「通えない距離じゃないけど、オープン作業で何かと大変だろうから、入寮の手続きも取っておきなさい」
「ました」

異動先である新店の名称は【浦和太田窪店】。
浦和競馬場の東側を通る産業道路沿いだ。全く不慣れな地だったのでロケーションは想像もつかない。

「店長は井上さんという、結構厳しい人だぞ」

まいった。脅かさないで欲しい。

「だけど直接の上司は西條といって、うちの石澤も一目置く優秀なリードクックだから、きっといい経験ができると思う」
「ところでオープンはいつですか?」
「ちょうど1ヶ月後かな。寮は準備できてるから、次の休みにでも様子見兼ねて、寝具だけでも運んでおけばいい」
「分かりました。行ってみます」

何とも急な話である。

「これは準備会議の予定も載っているオープニングマニュアルだ。しっかり目を通しておくように」

めくってみると新店の地図やスタッフの面々、そして事前会議の予定が目次付きでびっしりと羅列してある。特にノーイングの搬入からキッチンのセットアップまでは、タイムテーブル形式で綿密なスケジュールが組まれていて、読み進めれば新店オープンの大変さが現実味を帯びて伝わってきた。

その日帰宅すると、すぐに愛用の首都圏地図を開いて浦和太田窪店の位置と行き方を調べた。
井の頭通りから環八へ入り、そのままオリンピック道路を進んで笹目橋を渡り、右折して蕨市を通過すると産業道路へぶつかるので、そこを左折すれば建物が見えてくるはずだ。
交通量によってまちまちだが、恐らく所要時間は1時間前後を見なければならないだろう。十数分で到着する今の小金井北店を考えると、通勤に掛かる負担増は計り知れない。やはり寮生活になってしまうのだろうか。

加瀬UMに言われたとおり、直近の休みに浦和太田窪へ行ってみることにした。既に走行距離12万kmを突破している愛車セリカ1600GTVは、快調にオリンピック道路を疾走し、1時間弱で完成間近の新店へと到着した。
駐車場の一番奥へ車を入れて店へ向かうと、業者のトラックとは別に、誰のものか、母屋の脇にヤマXS750が停まっていた。人気のバイクである。
裏口のドアを開き、そっと中を覗いてみたら、何やらシンクの前でクックが作業を行なっている。

「おはようございます」

突然の声掛けに驚いたのか、そのクックは肩をすくませながらゆっくりと振り返った。

「なんだよ、びっくりするじゃねーか!」
「すみません!今度お世話になる小金井北の木代です」

訪れた経緯を説明すると、彼はそれまでの強ばった表情から急に人なつこいニヤケ顔へと変った。

「そっか、俺は西條です。よろしく」
「リードクックの西條さんですね。こちらこそよろしくお願いします」

加瀬UMから聞いていた“優秀なクック像”とはやや異なる第一印象だが、その優しい笑顔は人を包み込み引き寄せた。神経質で暗い人だったらどうしようと心配していたので、先ずはほっと一息。店を統括するのはもちろんUMだが、職場環境に於て直属長の存在は大きい。
年齢は小金井北の石澤リードクックよりひとつ上というから、私と較べれば二つ年下だ。

「寮へ行くと同僚になる村尾さんがいるはずだよ」
「ありがとうございます。寝具を持ってきたんで、すぐに行ってみます」

店の裏手にある寮は住宅街のど真ん中で分かり辛く、見つけるのに苦労した。迂回やらUターンやらで、歩けば5分もかからないところを車で10分以上も右往左往してしまったのだ。
袋小路へ車を停めると、布団袋を担いで階段を上がった。
見たところ、各階一世帯のアパートは築10年というところか。

「こんにちは」

ペンキの剥げた手摺りや、ひびの入ったモルタル外壁等々、それなりの生活感が染みついている。

「だれ?」
「小金井北の木代です」

黒縁の眼鏡と鷲鼻、そして華奢に見える体つきが、神経質な第一印象を醸し出していた。

「どうも」
「布団、こっちへ置いていいですかね」

仕切は襖だけ。ここは寝る以外に使えそうもない。

「村尾です。よろしく」
「ここを使うのは俺と村尾さんだけ?」
「そうゆうことかな」

それにしても表情に欠ける男だ。
これから色々接するうちに分かってくるところもあるだろうが、何となく取っつきにくい感じを受ける。いっしょのシフトは組みたくないタイプだ。しかし新店オープンにはチームワークこそが重要。新しいスタッフとは当たって砕けろの精神でコミュニケーションを計らねば。
5日後に迫った完全移動。
この際こまかいことは考えず、やるべきことを一生懸命やるだけだ!

2015年・年末撮影会

浄蓮の滝

一昨年末の話になるが、
二日間の撮影会が無事終了して、帰路につく車内では

「来年こそは伊豆じゃないところへ行こうよ」
「ですね。色々考えましょう」

と、盛り上がっていた。
ところが今回も宿泊先には伊豆を選んだ。
もちろん宿を決めるには、色々と考えもした。何といっても東京から近いし気候も温暖、それに私もTくんも海の幸が大好物、更には殆どの地区で温泉にありつけるという好条件を敢えて変更することもないし、違う場所へは年末撮影会ではなく、新たなイベントを作って行けばいいとの結論に達したのだ。
よって今後も迷わず年末は伊豆になる。

待ちに待った決行日。しかし三日前に突然起きた腰痛で、コンディションは今までになく低調。膝を上げようとすると左臀部に強い痛みが走り、靴下を履くこともままならない。車に乗る際も、お尻をシートの奥深くまで密着させ、背筋をぴんとしていなければ座っているだけでずきずきする。
幸い歩くことにそれほどの苦痛はなく、年を締めくくる恒例の撮影会とあって、ここは気合いを入れて決行としたのだ。

「去年は俺の足、今年は木代さんの腰ですか」
「まったく困ったもんだね」

快適に流れる東名高速。約1年前に十数万km乗ったノアからジムニーに代替えしたTくん。二人分の撮影機材と荷物を載せると後部スペースは満杯になる。しかしこのジムニー、その軽敏な機動力で撮影会を大いにフォローしてくれたのだ。

裾野ICで降りて三島市街まで進むと、ファミリーレストランのデニーズで朝食をとった。
Tくん和定食、私はフレンチトースト。朝に甘いものを摂らないと体が目覚めないのだ。アメリカンコーヒー3杯と共に腑に落とせば、ぽかぽかと芯から温まってきて頭もすっきりとしてくる。
腰痛のせいと言う訳ではないが、今回は重量級のD2Hを家に残し、普段撮りに重宝しているV2と18-200mmを装着したD100をチョイス。V2のスナップ力がいつもの撮影会に変化をもたらすのではと、期待が高まった。
この後、下田街道へ入っても車の流れが良かったので、トイレ休憩も兼ねて、手始めに“天城・浄蓮の滝”で初っ端の撮影を行うことにした。
早朝にもかかわらず駐車場は八分ほどが埋まっていて、準備をしている間にも観光バスが到着、団体客が降りだしてきた。
入口からは長い石段を下りていく。滝壺周辺には記念撮影を行おうと人集りができている。下流へ目をやると鱒釣りに興じている人も数名ほどいた。
係の人が生簀から鱒をタモですくってはバケツへ移し、これを川まで降りて放流している。これなら楽勝で釣れるだろう。
ここを初めて訪れたのは、確か学生の頃にセリカGTVを手に入れた頃だったから、浄蓮の滝は既に40年もの長い間、伊豆の観光メッカとして親しまれていることになる。
名瀑は永遠だ。

「ああーしんど!」
「息が上がるぜ、この石段」

下田の町

この後、我々は一気に下田を目指した。
腰の鈍い痛みは相変わらずだったが、滝壺までの往復を歩いても何ら問題は起きなかったので、気分はずいぶんと楽になった。これで躊躇なく動き回れる!

「ラッキー!」
「しかし、こんなとこに来るのは俺たちだけじゃないんだね~」

下田公園の狭い駐車場に空きは一台のみだった。
我々はすぐにカメラを持ち出し、なだらかな坂を上がっていった。
進むほどに港の全景が露わになっていく。
遊歩道から見下ろす下田の町は、こぢんまりとしたローカルさがとてもPhotogenicで、できれば一度ここから夜景を狙ってみたいと思う。

「あれ? シャッターが降りない。Err表示が出てうんともすんとも言わないよ」
「やばいじゃないですか!」

D100を購入以来初めてのトラブルである。
冷静になって観察するとピントマークが出ていない。Sモードではピントが合わないとシャッターが降りないようになっているので、すぐにCモードに切り替えて再度押し込むと何もなかったようにきれいに降りた。
次に再度Sモードへ戻してみたが、問題なくピントマークも出てシャッターも降りる。
18-200mmとの相性?、ファームウェア?!、バッテリー?!、接点不良?!
色々頭を巡らせたが、ちょっと嫌な感じが残ってしまった。
一時間少々の撮影を終えると、町中に場所を移して食堂を探した。時刻はちょうど12時を回った頃だし、歩き回っているから余計に腹が減るのだろう。

「石廊崎に着くまでの間に浜がいくつかあるんで、下見兼ねて寄っていこう」
「いいっすね!」

下田から先は海が全く見えないエリアとなる。山間部に入ったような感覚に陥るが、実は左方数百メートルには海があるのだ。そのせいか大昔は知る人ぞ知る穴場的ビーチが点在し、旧盆中の海水浴でもビーチにはずいぶんなゆとりがあったのを覚えている。

「多々戸浜の看板だ。そこ左だよ」
「了解」

細くなった道を進むとすぐにビーチへと出た。

「サーファーだよ」
「ほんとだ」

凪ってはいたが、見れば十数人のサーファーが波待ちをしている。駐車場には四駆を中心とした車がたくさん並んでおり、ここがサーファーズパラダイスであることが容易に分かった。テントも数張り、そしてキャンピングカーもいるところから、年末年始をサーフィン三昧で過ごす人達も少なくないのだろう。
私はサーフィンはやらないが、この明るいビーチを見渡していると、なんだかとても楽しそうに思えてくる。
この後、二つの浜へ寄って下見を敢行。それぞれの良さや趣を確認した後、今宵の宿『忠屋』を目指した。

サーファービーチ

「道、めっちゃ狭いですね」
「浜辺の町の特徴だ」

国道から逸れて弓ヶ浜の住宅街へ入ると道はたちまち狭くなり、まるで迷路に入ったような感じになった。
しかしここでもジムニーはスイスイ。これがノアだったらけっこう気を遣いそうなレベルなのだ。

「あそこだ、その左の」
「ちょうど駐車場だね、了解!」

この車庫入れも普通の車ならちょっと慎重になるが、ジムニーはいとも簡単に入っていく。

「こんにちは、予約している木代です」
「はーい、どうもいらしゃい!」

50歳手前ほどであろうか、笑顔の優しい女将さんが何やら桶を抱えて現れた。

「これ、夕飯に出しますよ」

徐に桶の中身を引っ張り出した。

「うわっ、タカアシガニだよ」
「すっげー!」

昨年の撮影会で宇久須漁港へ寄った時に水揚げされていた、深海性のどでかいカニである。

「よかったら持ってみてください。なかなかチャンスはありませんよ」

お言葉に甘えて甲羅を掴んで持ち上げると、案の定ずっしりとくる。

「一杯全部お出しします」
「こりゃ酒が進みそうだ」
「楽しみー♪」

チェックインの後、荷物を整理しながら早速ワンカップを開けて乾杯だ。
いつもながら旅での酒は染み入るうまさを感じてしまう。

「これ飲んだら浜へ行こう」
「ですね、もう夕陽が出そうですよ」

カメラバッグから余り考えずにD100を取りだし電源スイッチをオンにすると、

「まいった、またErrがでた」

ところが何気にシャッターボタンを押してみたら、鈍いレリーズ音の後にErrが消えたのだ。

「こりゃ使わない方がいいかも。諦めてV2に替えよう」
「撮影はできるけど、実は俺のD2X、CFのアクセスランプが消えないんですよ」
「機械は自然治癒しないから、修理に出すしかないな」
「お互い、うんと修理代が掛かるようなら、考えものですね」

忠屋

12年間使ってきたD100。壊れても不思議ではない耐用年数だが、今までひとつのトラブルもなかっただけに信頼感の低下は否めない。これを機に新たなメイン機種選びも本腰が入りそうだが、FXはたまたDX、悩みの種が再燃しそうだ。

浜に出るとちょうど薄い赤みが帯びだした頃だった。ベストタイミングとはこれのこと。D100が使えないので望遠は諦めるしかないが、その分高感度に強いV2で景色を切り取ってやろうと今一度ISO設定を確認する。
そうこうしているうちに赤みはその照度と彩度を上げていき、浜辺ならではの鮮やかな赤があたりを覆いだした。いつものことだが、この光景を目の当たりにすると沼津の千本浜を思い出す。
少年だった頃、青年だった頃、そして今でも変わることのない閃きだ。

宿へ戻ると何はともあれ温泉へ、

「温まるぅ~~~」
「このお湯ちょっとしょっぱいよ」
「ほんとだ、塩分が入ってるんだ」

きれいな浴室で湯量も豊富。腰の痛みが少しでも楽になればと、ゆっくり時間を掛けて湯船に浸かった。
そしてお待ちかねの夕食。
予想を上回る立派な品々に思わず笑みがでてしまう。
タカアシガニ一杯、3種の刺身、穴子の煮付け、土瓶蒸し、天麩羅3種、サザエの壺焼き、なます、イカ塩から、漬け物、炊き込み御飯等々、盛り付けも鮮やかで、とても民宿の料理とは思えない。

「うまっ!いけます穴子!」
「刺身もぷりぷりだよ」

徐にタカアシガニを掴むと、足をボキッ!
太い身が出てきたら、それにカニミソをたっぷりとつけて口へと運ぶ。

「くぅ~、、たまらん」

ガンガン酒が進む。

「もしかして、いままでで一番ゴージャスじゃないかな」
「かもね」

座敷座りは腰にきつかったが、料理の美味さに一時忘れたほど。
こうして今宵は盛り上がっていった。

二日目は朝からどんよりとした雲に覆われ、今にも雨が落ちてきそうな空模様。
但、女将さんがついこの間、浜で靄を見たと言っていたので、駄目元でいってみることにした。
頭の隅に若干のアルコールが残っていたが、飲んだ量にしては体調が良い。
表へ出ると路地裏はきりりとした空気に包まれ、身も心もしゃっきとしてきた。

「出てますよ靄が!女将さんが言ってたやつだ!」

量は多くないが、海水の温度が高い為か、海面遠くまで靄が立ちこめている。
その光景は幻想的であり写真好きには堪らないところだが、周囲の風景がややベタであり、それだけではもうひとつ物足りない感じがした。
それにしてもこの景色、望遠側不足は致命的である。
Tくんに目をやれば、沖に向かって一心不乱にシャッターを切っているではないか。タムロン16-300mmの威力発揮だ。
弓ヶ浜は自分にとって思い出多きところでもある。
中学生の頃、家族4人で海水浴へ来たのを皮切りに、大学生になると、付き合っていた彼女とロングドライブで訪れたし、バイクツーリングでも何度となく寄ってはこの大海原を眺めてきた。
一番好きな海岸は沼津の千本浜。そして2番目はこの弓ヶ浜になる。

アロエの花

二日目は西海岸の下見が主になった。
面白い町風景はないかと、それまで深く見て回らなかった港町を南から順にチェックしていったのだ。
先ずは青野川を渡って石廊崎漁港へ。
自然の入り江を利用した漁港には、他では見られない独特の景観がある。また石廊崎クルーズ船の発着港でもあるので、観光客の姿もけっこう目に付いた。

「上がってみる?」
「取りあえず行ってみましょうか」

ここには石廊崎灯台へ至る遊歩道がある。過去に何度か石廊崎を訪れたことはあるが、出発点はここではなく、港の西の山側にある駐車場から逆に下っていくルートを使ってきた。
ゴールは同じでも歩く道が違うので何かしらの発見があるかと、期待しつつ歩き始めたが、めぼしいものは見つからず、気が付けば灯台が目と鼻の先であった。

「朽ち果ててるな」

80年代始め頃までは人気観光地であった石廊崎。その昔は石廊崎ジャングルパークと称するテーマパークまであり、調べれば年間70万人を越える観光客で賑わっていたようだ。それが今では完全閉鎖により無人と化し、周囲に点在した土産物屋や飲食店の朽ち果てた姿が侘びしさを誘っている。
それでも岬の神社まで足を運ぶと、そこそこの観光客を目にすることができ、だったらこの様な廃墟は一日でも早く取り壊した方が石廊崎の好印象保持の為にも必要ではないかと思ってしまう。

入間、妻良、子浦と立ち寄り、その後は仁科の馴染みの定食屋『パピヨン』で昼食を取った。

「二日間って早いっすね~」
「楽しいことはあっと言う間さ」

戸田港では駿河湾越しの富士山を狙い、ラストは沼津の千本浜で本年最後の夕陽をじっくりと味わいつつ切り取った。
大勢の人達が真っ赤な夕陽を浴びながら、ここで行く年来る年の感慨を味わうこの一体感は、なんとも心安らぐ一時であり、それは第二の故郷・沼津へ対する郷愁が大きく関与していることは間違いない。

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