ニコン 頑張れ!

DL

2月13日(月)。ニコンがハイエンドコンデジ【DLシリーズ】の発売を中止すると発表した。その理由は、「開発費増加と、市場の減速に伴う販売想定数量の下落を考慮し、収益性重視の観点から」とのことだが、これが耳に入った瞬間、「あのニコンが?!」と、驚きとも落胆ともつかない微妙な感覚を覚えたのは私だけではないだろう。老舗ニコンなるものが、新機種の開発費増加を見込めなかったとは不可解だし、況して発売前から“収益性重視”などのセリフが出てくるとは、実に“らしからぬ”ところだ。この発表は、絶えずカメラの未来を切り開き、斬新且つ意欲的な商品を世に送り出してきたトップブランドとしては首をかしげる内容であり、言い訳一辺倒とも捉えられるコメントからは、首脳陣の右往左往すら垣間見える。
但、こうは述べても私は大のニコンファン。製品には深い愛着と信頼を感じているし、何より単に撮るだけのカメラ遊びを、現在の西久保日記まで昇華させてくれたのは、ニコン製品のおかげだと思っている。
ニコンのカメラはこれまでに、D1、D100、D2H、D600、Nikon1V2、CoolPix5000、CoolPixS8000と使ってきたが、どれも基本性能に不満はなく、撮る楽しみはこの上ないものだ。何より使い慣れたインターフェースだから積極的に被写体を追え、切り取る画に対しては意図どおりに露出を決めることができる。
よって今さら他メーカーへと機材変更する気は毛頭なく、寧ろ私も含め、これまでのニコンファンが更に喜ぶ新機種の開発を積極的に進めていただきたいと願っている。
そしてその新機種に関しては、私なりの希望がある。

これまで長い間カメラ界を担ってきたのが“一眼レフカメラ”。ニコンを例に歴史を遡れば、1959年に登場したNikonFから現在に至り、それは58年にも及ぶ。各社それぞれの工夫はあるものの、レンズから入ってきた光はペンタプリズムを介してファインダーで確認、シャッターを押せばミラーが跳ね上がり、フィルムまたはイメージセンサーへストレートにぶつかり記録されるという流れはどこも同じだ。
画期的な構造であることは言うまでもないが、デジタル技術の飛躍的向上により、記録媒体がフィルムからイメージセンサーへと取って代わった現在、もともと“フィルムありき”で設計された一眼レフ方式は、そろそろ次世代へ向けて最適な進化を歩み出さなければならない時期に来ていると考える。
私が思うに、昨今のデジタル技術を巧に生かしているのは間違いなくミラーレス機であり、液晶モニターの高品質化によって、EVFが完全に実用化されたことで弾みがついたのだ。
そう、ある程度写真撮影に慣れた方だったら、どうしたってファインダーを使いたいものだろう。
特にじっくりと一枚の画を切り取ろうとしたり、動く被写体を追う時などには尚更そう感じる筈である。
コンデジやスマホのような背面モニターでは、見辛く不安定であり、そもそもイマジネーションが湧き辛い。だからEVFなるものを知ったとき、ヨドバシカメラへ馳せ参じ、ひとつふたつ手に取りチェックしてみたのだ。
ところがその頃のEVFは画面がざらついていたり、動的な追従性もイマイチと、未完成さは否めなかった。しかしNikonV2発売直後に同じくヨドバシカメラで実機をチェックすると、大幅な進歩が感じられ、ファインダーを覗きながら露出補正ができるという、一眼レフでは考えられない画期的な性能に、倍増するであろう撮る楽しさを予感させた。

V2 α7

良く出かける山歩き。しかし、大きく重い一眼レフは何かと負担が大きいもの。かと言ってスマホでは記録レベルを越えられない。そんな中、小型で一眼レフ並みの撮影操作が可能なV2に、この上ない魅力を感じたのだ。
入手すると、先ずは試しに近所を流れる玉川上水周辺をスナップして歩いた。
首から提げても重量を感じることがなく、これなら山で使えると実感、直近の休日には鎌倉へ出かけて、神社仏閣を中心に様々なSituationで撮影を行なった。
データの書き込み速度と、ファインダーを覗いた時に自動ONとなるEVFの立ち上がりが遅いことにはややストレスを感じたが、操作全般は非常に分かり易く、寺を二ヶ所も回る頃には、自由自在に被写体を追うことができるようになった。
さて、肝心な画像データは、インチセンサーと言うことで過大な期待はしていなかった。ところがRAWデータをPhotoshopで現像してみると、ボケ味にやや癖があることを除けば、描写力、色味等々、予想よりレベルは高く、特に色味の自然さはこれまでのニコンの流れを汲むものであり、今後も安心して画作りに愛用していけると確信した。
Nikon1はインチセンサーを採用し、そのサイズに特化した小型軽量な1Nikkorとの組み合わせで、コンパクト且つ高性能なミラーレスシリーズとなっている。ひいき気味に言わずとも、いつでもどこでもサッと出してサッと撮れる真のオールラウンダーであることに間違いない。しかし、敢えて意地悪く評論すれば、“どっちつかず”と言った答えもあり得るだろう。
悲しいかな、日本国内市場においては、いまだに性能第一主義がまかり通っているようで、その辺の立ち位置にある商品の評価は極めて低く見積もられるもの。
「センサー、画素数は大きいほど魅力的。連写は速いことに越したことはなく、フォーカスポイントも多い方がいいに決まってる」とこんな感じ。
ミラーレスに対しても、「フルサイズは少々大袈裟だとしても、インチじゃ小さすぎ。せめてAPS-Cは欲しいところ」となる。
こんな風潮があるから、Nikon1は実に厳しい戦いを強いられているのだ。
実際に所有し使っている身としては、オールラウンダーとしての基本性能はライバル達と十二分以上に張り合えると思っているので、あとはニコンが如何にしてその良さを世のカメラ好きへアピールするかに掛かっている。ところがニコンは、何故か連写性能ばかりを前面に出し、コンパクトミラーレスとしての極めて高い総合性能を殆ど打ち出していないのが現況だ。それどころか、最新のニコンイメージングを開いても、Nikon1へ直接リンクできるアイコンは見当たらないし、やっとたどり着いても、抽象的なキャッチばかりで、本質を説明する文言はどこにも明記されていない。

ここでニコンへちょっぴり物言い。
フラッグシップであるD5は、今後も最先端技術を余すことなく投入し、ニコンそして日本のカメラの代表選手として君臨させて欲しいが、その他の一眼レフは思い切って全機種廃止にし、その代わりにFマウントを用いた新たなミラーレス機の開発を進めてもらいたいのだ。これがニコンと言うブランドの維持も含めてベストな方向だと思っている。
手始めには、FXミラーレス一機種、DXミラーレス一機種といった感じで十分だ。
見方によっては、まんまSONY・α7のパクリと言えそうだが、そのSONYこそが最も生産性の高く、分かりやすい商品ラインナップを揃えている。そもそもニコンのラインナップは無駄が多すぎて的が絞れない。

さて、DLシリーズへ戻そう。
ニコンが総力を挙げ創意工夫したであろう、究極のコンパクトデジタル機は、「画はレンズで決まる」という基本に準じ、なんとNikkorの高級版と同じく、ナノクリスタル技術を投入したゴージャスなつくりをアピールした。これはニコンファンならずとも大いに興味を引いたポイントである。
それなのに、突如湧き出た発売中止のニュース。
確かに「市場の減速に伴う販売想定数量の下落を考慮」は一理あるかもしれない。但、これを言わしめた理由の中に、イメージセンサーにインチを採用したことが弱腰へと繋がったのではと推測する。
特にDL24-85に与えられたキャッチコピー「日常を作品に変える解像とボケ」と「これが一眼に迫る描写力」は、やや苦し紛れと捉えられても致し方ない。そもそもインチにとってきれいなボケと描写力は最も不得手な仕事なのだ。
恐らく当初はイメージセンサーにAPS-Cを使いたかったのだろう。しかしそうすれば販売価格は跳ね上がり、発売開始後すぐに消えてしまったCoolPix Aの二の舞いになると判断したに違いない。
コンデジと言えども、高級機を謳うニューモデルに、インパクトの欠けるインチを採用したのは苦渋の決断だったろうが、前述の如く、消費者というものは、極めて高いハードルを要求してくるのが常であり、メーカーは絶えず1年後の市場を的確に予測できるよう、マーケティングリサーチには一層の予算と手法を投入していかなければならないのだ。

若い頃・デニーズ時代 25

入社して1年が経とうとしていたが、相変わらず外食産業の活況ぶりに衰えはなく、デニーズはもとより競合他社の出店ペースもこれまでにない高水準を推移していた。この状況を維持向上させる為には、計画に則った「採用」と「教育」が必須であり、先ずは、正社員、アルバイト問わず、必要最低限の頭数を確保することが大前提となっていた。
私の同期入社は大卒80名、高卒20名の計100名。ところが新年度、つまり次年度の定期入社の予想数はその倍近くまで膨れあがっていると聞き、近々に発表されるであろう、大規模な出店計画とそれに伴う人事異動が容易に予測できた。
しかし、この流れに最も注視すべきことは、浦和太田窪店のような、新店に頻発する【劣悪な職場環境】である。
オープンから大凡一ヶ月間は本部や近隣店舗から応援が出るので、不慣れの中にも店としての体裁を守れるが、その間にアルバイトスタッフの採用と教育が滞ってしまったら、それは一大事だ。
サービスレベルの低下で客足は遠のき、スタッフ達には適正生産性以上の仕事を強いるので、いとも簡単に離職へと繋がってしまう。
特にキッチンヘルプの育成は重要なポイントだ。フロントスタッフと違って、厨房内で一端の仕事をマスターするまでには多くの時間を要するので、新店スタート時点で、モーニング~ランチ要員2名、ディナー要員で3名ほどの人員確保は不可欠だ。但、仮に確保ができたとしても、スケジュールに乗っ取ったトレーニングや、不足のないコミュニケーション等々を心掛け、皆が気持ちよく働けるキッチン作りに励まなければ、やはり離職続出の危険性が出てくる。

「木代さ~ん、マネージャーが事務所へ来てくれって言ってました」
「ほい、ありがとう」

水谷智子が寒さに顔をしかめながら、バックドアから身を乗り出している。
春まだ遠く寒さは厳しいが、スノコ磨きをしているとうっすら汗ばんでくる。

クック帽を棚に置き事務所へ出向くと、先客がいた。何と槇さんだ。
二人呼ばれて何の話しだろうか。少々緊張した。

「先ずは木代。来月から田無店でUMITだ」

きた、きた、きた、きた、ついにきたぁ===!
マネージャー昇格だ。
憧れの“赤ジャケ”を羽織れる!
こぼれる笑顔を押さえることができない。
しかも自宅から近い田無店とは、なんてラッキーなんだ。

「嬉しいです、頑張ります!」

デニーズではマネージャー職からユニフォームはブレザーとなり、UMとAMが黄色、そしてUMITは赤である。ネクタイは指定のものを使うが、シャツとズボンは自前というところが、担当職とはひと味違う大人びた感じになり、グッとくる。

「しかしさ、UMは上西さんといって怖い人だから大変かもよ~」
「当たって砕けろです」

そんなことはどうでもいい。マネージャへと昇格できるその事実だけで十二分なのだ。

「木代、やったじゃん」
「ありがとうございます。ところで槇さんは?」
「俺は“新店”だよ」
「そりゃ凄い! おめでとうございます」

槇さん、新店メンバーなんだ、、、
悔しいけど結構評価されているのだろう。

「どこですか、その新店とは?」
「碑文谷だ」

噂に出ていた都心店である。予測年商も3億を超え、千歳船橋や髙田馬場と肩を並べる店として注目を浴びている。そこへ抜擢されることは名誉であるが、人員確保とトレーニングが思うように進まなかったときは、壮絶な地獄と化すだろう。

「おおっ、やりましたね」
「まっ、やりがいはありそうだ。お前も頑張れよな」

槇さんが立川店へ赴任してきた当時、私を狙い打ちするかのような横柄な態度に我慢ができず、誰が見てもわざとらしいほどに彼を避けてきたのだが、私がマネージャー試験に合格すると、何故か手のひらを返すように、今度は槇さんが私を敬遠するようになったのだ。
しかしこれによって、互いの間に絶妙な距離感を作ることができ、若干だが連携にもスムーズさが加味されたように思う。
考えてみれば、もともとウマの合わない二人だから致し方ないが、誰であっても多くの仕事仲間と切磋琢磨すれば摩擦は起こりえるものだし、単純な好き嫌いをいちいち気にしていたら平穏な日々など訪れてくる筈もない。

キッチンへ戻ってプリパレを始めても、ニヤケが止まらない。こんな時は怪我に注意だ。マネージャー試験に合格したときも、浮かれすぎて作業に集中できず、レモンカットの際にペティーナイフの刃先で左人差し指を刺してしまったのだ。

「さっきの、聞きましたよ」

いつの間にかシンク脇に水谷智子が立っていた。

「もうエンプロイで広まってま~す」
「おいおい、早いねそれは」

悪い気はしない、今回は特に。
知っている同期生の中でも、二人、三人とUMIT昇格の情報が入っていたので、正直なところ気持ちに焦りはあった。そんなタイミングでの昇格話だから嬉しさもひとしおなのだ。

「社員の人はすぐにいなくなっちゃうんだから」

水谷智子が放ったこの一言が、今のデニーズを如実に表している。
社員は落ち着く暇もなく、次から次へと店を渡り歩かなければならない。連発する新店オープンは会社成長への布石であり、それ自体、社員であれば受け入れるべきことなのだろうが、その身を劣悪極まる労働環境へ置けば、よほどの志を持っている者でさえ何度も心が折れてしまうのだ。
如何にしてマネージャーとしてのMotivationを保ち続けるか?!
新たな挑戦が始まろうとしていた。

1969年・京都

湯呑

写真にある湯呑は、私が中学3年生の時、修学旅行で京都へ行った時に清水寺で購入したものだ。
中学生の小遣いで手に入るレベルなので、品物自体はたかが知れているが、その作りの渋さと楷書の凄みに目が止まり、殆ど衝動買いだったことを思い出す。
清水寺のみやげ物通りは人いきれが凄く、その活気は多くの観光客を呑み込む勢いがあった。店頭に目をやれば、並ぶ様々な品物が煌びやかな光を放ち、幾度も歩を止めさせようと迫ってきた。

「お~い、木代!行っちゃうぞ!」
「あ、うん、わかった」

やはり百聞は一見にしかずである。訪れる先々にそびえる古い建築物の迫力は正に想定外。友人に呼ばれ、はっと気が付けば、一心に金閣寺を狙う自分がいるではないか。
そう、この修学旅行では、親父からカメラを借りて、生涯初となる写真撮影にトライするという心躍る副題があった。神社仏閣や古都の町並み、更にはそれをバックに、友達や好きだった女の子等々を被写体にしたらさぞかし楽しいだろうと期待は膨らんだ。

「フィルムの端をこの隙間に差し込んでさ、半周回したら蓋を閉じる。そしてこいつをちょっとだけ回してフィルムをピッと張るんだ」
「ふぅ~ん」
「空撮りを2回やったら準備OK」

カメラを手渡されるとき、親父からフィルムの装填と取り出し方を中心に色々と説明があった。
しかし話の最後の方は殆ど聞いておらず、とにかく操作をしたくて、居ても立ってもいられなくなったのだ。

ishi_ore

夢にまで見た清水の舞台。そこから眺める景観は想像してたものよりややしょぼかったが、古都の香りは十二分に伝わってきた。よっしゃ、ここで一枚撮るかと意気込んでファインダーを覗けば、肉眼で見た広がりはみじんも感じられず、がっかり。いきなり写真撮影の難しさにぶち当たってしまう。

「木代のカメラ、随分とマニアックだな」

振り向くといつの間にか写真部に所属している新藤が傍にいた。自他共に認める写真好きだけに、彼が首から下げているカメラは人気機種のミノルタである。

「よくわかんないけど、古いやつみたい」
「うんうん、そんな感じだ」

後から分かったことだが、親父から借りたカメラはレンジファインダー式で、当時すでに主流となっていた一眼レフが出現する以前の機種であり、恐らく私が生まれる前のものと思われた。しかし、新藤の持つのっぺりしたデザインのミノルタと較べると、いかにもカメラらしい雰囲気を放っており、そんなところがマニアックと言わせるポイントなのかもしれない。
そう、うちの親父、カメラのことは余り詳しくない。

「だいたいね、シャッター速度は1/250辺りでいいと思うよ」
「わかった、そこはいじらない」

こんなアバウトなやり取りだったが、私もカメラはちんぷんかんぷんだっただけに、操作方法はそんなものでいいと思った。それより被写体を見つけてシャッターさえ切れれば、それで充分満足なのだ。

この修学旅行を機にカメラや撮影に興味が向きだしたのは言うまでもない。
何枚撮りかは忘れたが、ネオパンSSを確か4~5本程用意し、それを全て撮り尽くし、期待に胸を膨らませて商店街にあった写真屋へ持っていった。

写真好きな中年男の独り言