笠取山・水源の森

 十月二十日(水)。紅葉の季節に合わせて、奥秩父は笠取山を歩いてきた。
 登山口は作場平口といって、中央道・勝沼ICを降りてから更に40km近くも走った山奥にある。大菩薩ラインを左へ折れると道は急に細く荒れてくるのだが、何とここから7kmも走らなければならない。対向車が来たら一体どれほどバックすればいいのかと、ハラハラドキドキの連続である。
 無事駐車場へ到着すると、意外や山奥の割には広く、きちっと整備されていた。ただ、車はPOLOを含めて5台しか見当たらないので、ずいぶんと余裕をもって駐車することができた。webで下調べをした際、<シーズンの土日などは、入りきれない車が路肩に列をなす>と記されていたので、これは意外だった。

 目の前にある登山口を通過すると、山道は驚くほどきれいに整備されていた。登山というイメージはなく、どこか公園の中にいるような環境が延々と続くのだ。そして、さすがに水源の森とあって、暫くは渓流に沿って歩く。せせらぎの音とマイナスイオンに包まれれば、足取りだって軽くなる。
 三十分もすると最初の分岐が現れた。一応、上りは一休坂経由、下りはヤブ沢経由と決めていたので、迷うことなく右手へ折れた。
 ややスリッピーな坂を超えると、広々としたミズナラの森に入った。紅葉がそろそろ始まったとはいえ、瑞々しい緑のシャワーは格別だ。これが初夏だったら感動ものだろう。
 大きなジグザクの道を過ぎると、新たなせせらぎと木の橋が現れる。美しい水の流れと原生林、そして青空に浮かんだ雲は否応なしに写欲をそそり、暫し立ち止まってはレンズを向けた。

 笠取小屋へ到着。スタートから二時間弱といったところか。
 広い前庭にはテーブルが配置され、南側も開けて眺めがいい。ただ、人影は少なく、しきりに動き回っている管理人と思しきおやじさんと、ハイカーはテーブルの脇に佇んでいる若い男性が一人だけのようだ。上着、パンツ、靴、そしてザックと、全て黒ずくめといういでたちのこの男性、まもなくすると、やはり真っ黒な一眼レフを肩に下げ、笠取山方面へ向かって歩き出していった。
 先回の北八ヶ岳から、食料はカロリー豊富な行動食のみにしていたので、小さなあんぱんを一つだけ口に入れ、体が冷える前に私も出発することにした。

 小屋の脇から始まる道を暫く行くと、その内視界が明け、西方面の山々が見えてくる。正面にちょっとした丘のようなものがあり、その頂上に先ほどの若い男性の姿があった。
 坂を上がるほどに、高原ともいうべき清々しい景色が広がっていく。思いっきり伸びをして大きく空気を吸い込んだら、たちまち体が軽くなってきた。
 丘には小さな石碑が立っていて、説明書きによると、ここから山梨市側に降った雨は笛吹川へ、秩父市側に降った雨は荒川へ、甲州市側では多摩川へと別れていくという。悠久の時の流れを感じる、なんともロマンチックな場所ではないか。

 更に進んで行くと、次第に笠取山の山容が明らかになってきた。そして頂上へ至る山道が真正面にはっきり見えてくると、“心臓破りの急坂”が大袈裟ではないことが分かる。特に頂上直下は垂直に近いのではと、ちょっと不安を覚えるほどだ。目を凝らすと、既に中腹辺りまで到達している若い男性の後ろ姿がはっきりと見えた。
 登り始めまできて頂上を仰ぐと、ややげんなりしたが、この好天の下だったらどれだけ素晴らしい眺めが待っているかと、期待感が膨らんだのも正直なところである。

 張り切って歩み出したものの、やはり残り1/3辺りまで来ると、立ち休みの連続となった。単に息が切れるだけではなく、上がっていくほど斜面がきつくなるので、場所によっては三点支持を強く意識する必要があった。それこそここで足を踏み外したら恐ろしい結果は避けられない。一歩一歩、慎重に、慎重に、、、である。
 頂上が目と鼻の先になると、空のデカさに圧倒され、覆いかぶさるような青の広がりに身震いする。

「いやぁ~、しんどかった!」
「お疲れさん」

 初めて男性に声をかけた。頂上に立つ者同士だから分かり合える自然な会話の始まりである。

「しかしすごい眺めですね!」
「僕はここ四回目ですが、これ、最高じゃないかな」
「ほんと、富士山がきれいすぎですよ」
「ですね。大菩薩嶺から南アルプスまではっきり見えますね」

 重なり合う山々の先に浮かぶ富士山には一つの遮蔽物もかからず、深い緑のグラデーションは富士山の美しい姿をこれでもかと持ち上げていた。暫しカメラを出すことも忘れ、俯瞰に没頭した。
 八月から六連荘で初めての山域にトライしているが、全てが違うし全てに頷けるものがあると、いまさらながら感心してしまう。同じ山でも季節を違えれば全く印象が変わるので、楽しみではあるが、やはり初というもの、冒険心を満たしてくれるし、良くも悪くもサプライズがあって、気持ちを前向きにしてくれる。
 百聞は一見に如かずとはよくいった。webから得られる情報は本当に有り難く、全ての計画の元となっているが、いざ行動を起こし、実際に五感で味わってみると、思いがけない発見が次から次へと現れて、その楽しさは計り知れない。

「山へはよく行かれるんですか」
「山は遅咲きなんです。十年ちょっと前から奥多摩を中心にちょくちょくかな」
「僕はとにかく歩くのが好きで、テントを背負って北から南へと、アルプスはほとんど歩き回ったし、瑞牆山から奥多摩駅まで何泊かかけて縦走したこともあるんですよ」
「へ~、そりゃ凄いな。じゃ、学生さん?」
「いえいえ、気が済むまで山を歩きたくなって、一度会社を辞めました」
「それって大事な決断だったと思うな。私のように年を取ってからじゃやれることも限られてくるから」
「年って、おいくつです?」
「六十七」

 一見登山者とは思えないいで立ちだったので、話を聞いてびっくりである。もう十年早く山の魅力に気がついていたら、これまでの何十倍ほどの感動を得られたかもしれない。若い気持ちと溢れる体力が羨ましく感じてしまった。

「それじゃ、僕はそろそろ」
「気をつけて」

 負けちゃいられない。
 今の私だって、やりようによってはこれからも様々な発見に出会えるかもしれないのだから。

 ヤブ沢と書くように、下山路はゴールまで沢に沿って伸びていた。ただ、渓谷は台風の影響か、そこらじゅう大小の倒木だらけで痛々しい眺めだったが、古い倒木にはびっしりと苔がむしていて、先日歩いた北八ヶ岳の苔の森を彷彿とさせた。
 日本は水の豊かな国であり、その水は世界一美味という。今回歩き回ったこの辺り一帯を“水源の森”と呼ぶが、まさに森は雨水を蓄え、きれいな水を作るのだ。

北八ヶ岳・池巡り

大河原ヒュッテ

 十月六日(水)。紅葉のチャンスを逃してはならぬと、数年ぶりとなる北八ヶ岳を歩いてきた。
北八ヶ岳には小沼が多く点在し、秋になれば鮮やかな色合いでハイカーを迎えてくれる。特に亀甲池、双子池は秘境感も十分あって、何度訪れても飽くことはない。
登山の起点は、蓼科スカイラインにある大河原峠駐車場。五時半過ぎに自宅を出発した。関越自動車道、上信越自動車道と順調に進み、下仁田ICで降りた。ここから一般道をひたすら一時間半走ってやっと装着。日帰り登山の距離的限界かもしれない。途中、上里SAで朝食をとったり、下道ではセブンで水と食料の買付やらと、なんだかんだで登山開始は十時近くになってしまった。

眼前に蓼科山。遠くには八ヶ岳連峰と南アルプスの山々

 大河原ヒュッテは蓼科山をバックに、燦々と降り注ぐ陽光の下にあった。森の色付きは申し分なく、昨年の瑞牆の森といい、ここのところ紅葉撮影はジャストタイミングが続いている。
今回は池巡りが目的であるが、最短ルートで回ると、三時間弱ほどのハイキングレベルで終わってしまうので、せっかく来たのだからと、蓼科山荘経由の大回りルートにトライした。登山地図で確認すれば、所要時間五時間弱とちょうどいい。

天祥寺原と蓼科山

 ところが歩き始めて早々に、蓼科山界隈の特徴を忘れていたことに気がつく。
― やっぱり最短ルートでいいかな…
と弱音が出る。特徴とは、殆どの山道がゴロゴロ岩でできていて、おまけに急峻で大きなステップだらけなのだ。つまりのことタフで且つ非常に歩きにくい。特に下りでは細心の注意が必要になる。足を乗せた岩がゴロッとくれば捻挫だってありうるのだ。佐久市の最高標高地点(2,380m)まで上がってきた時は、気温十五度以下なのに既に全身汗まみれ。それでも蓼科山荘へたどり着いたときはまだ余力があったので、休憩は入れず、そのまま天祥寺原へ下ることにした。

亀甲池へ向かう道

― こんなに急坂だっけ?!
下りのラストには水なしの河原歩きまである、一瞬の油断もならない急降下が続く。気も使うが大腿筋の稼働率100%なので、大げさではなく、池巡りのまえに膝が笑い出しそうだ。ところが蓼科山は人気の山。この激坂を下りきるまでに八名のハイカーとすれ違う。その中には明らかに七十歳を超えている男性三人組がいた。汗が噴き出した顔面には苦悶の表情だけだ。黙々と上っていく彼らのガッツを見ると、これしきの山歩きで弱音を吐いたら罰が当たると、ふんどしを締めなおす。

亀甲池

 天祥寺原まで降りてくると、その素晴らしい紅葉風景に疲れも吹っ飛ぶ。本当にいいタイミングてきたものだ。ちなみに新しいDeuter にはヒップベルトにポケットが付いていて、GRデジタルがうまい具合に入る。だから被写体を見つけたら、サッと取り出して撮影できるのだ。一面のクマザサ野原の上に浮かぶ蓼科山や北横岳が望める天祥寺原は最高のハイキングポイント。
少し歩くと亀甲池への道標が見えてきた。以前、亀甲池を訪れたのは盛夏だったから、その違いが大いに期待できそうだ。

苔の森

 しばらく上りが続くが、そのうちに平たんな道となり、ここでも紅葉を愛でながらの歩きを楽しめた。
前方にちらりと水面に反射する光が見えた。待っていたのは怖いほどの静けさだ。池の周囲に十五、六人のハイカーで賑わっていた記憶とは全く異なる、まるで静寂の画のようだ。もちろん色付いた木々もあるが、それより広い水辺にただ一人佇む贅沢な時間に、瞬きをすることも忘れていた。
そのうち日の傾きに気がつくと、否応なしに気分は急く。カロリーメイトとポカリでパワー充填。双子池へ向かう。

雄池・双子池

 北八ヶ岳は白駒池周辺を代表とする苔で有名だが、亀甲池と双子池の間に広がる苔の森も素晴らしい。大小の岩と木々が作り出す特異な景観は、まさに自然が作り出したアートといった趣で、できれば腰を据えて撮影したいところ。ただ、今日は時間がない。次回があればぜひ時間を取りたい。

双子池に到着すると、午後の様相はさらに深まっていた。
池の周囲はキャンプエリアになっていて、色とりどりのテントが十張り近く立っている。今頃のテント泊は最高だろう。嫌な虫も少ないし、気温もちょうどいい。しかも池の畔というSituationがなんともたまらない。ヒュッテの前まで来ると雄池が見える。池の周囲は鮮やかな黄色と赤に彩られ、それは見事のひとことに尽きた。ここも時間をかけてレンズを向けたかったが、ささっと三、四枚だけ撮って、最後の目的地である双子山を目指して出発した。

双子山は大河原峠からのアクセスは容易だが、ここ双子池からは急登を強いられる。今回のルートの最後の上りだけあって、体力的にはしんどい。歩み出すと一度引いた汗が再び滴り落ちてきた。しかしこの坂、どこかと雰囲気が良く似ている。頭をひねってみると、二年前に歩いた根子岳から四阿山の上り返しにそっくりだ。急斜面は深いクマザサに覆われていて、山道は大きなステップと太い木の根が多く、よっしゃと気合を入れながら一段一段上がっていく感じなのだ。背後から来た四十代と思しきカップルに、いとも簡単に抜かれてしまうが、とてもではないが追尾していくスタミナは残ってない。体と脚に鞭を入れ、最後の上りをクリアしていく。
暫くすると鬱蒼とした樹林帯の先に青空がちらつき始めてきた。頂上は目と鼻の先だ。

双子山山頂

 三百六十度の視界は想像以上だった。パノラマとはこのような景観をいうのだろう。特に浅間連山へは遮蔽物がなく、ダイナミックな眺めが広がっている。時間は押していたが、この絶景を端折って下るわけにはいかない。カメラを手に持つことも忘れ、ただひたすら眺め続けた。較べることではないが、普段歩く奥多摩とはあまりにスケール感が違い、改めてここは八ヶ岳なのだと実感した。

標高2,223.8m

 人の気配を感じて振り向くと、大河原峠の方からピンクやブルーのウェアをまとった若い女性三人組がちょうど上がってきたところである。案の定、全員感嘆の連呼だ。
「すごーい!」
「ねえねえあそこ!町が見える!」
「絶景絶景!」
その気持ち、わかる。
「こんにちは」
「こんにちわぁ!!」
この時間から上がって来たということは、今夜は双子池ヒュッテに泊まるのだろう。夕暮れ時、そして朝靄がかかる双子池が見られると思うと、素直に羨ましい。

浅間連山とパラボナアンテナ

 風が冷たくなってきた。素晴らしい景色に後ろ髪をひかれつつ下山することにした。
急峻で岩だらけの山道、シラビソの森、豊かな苔、ひっそり佇む神秘的な池、そしてでっかい空とでっかい景色。久々の北八ヶ岳は、これでもかと“らしさ”をアピールしていた。

裏高尾

高尾山山頂展望台

 ―山歩きでも始めてみようか。
 東京近郊在住の方がこう考えたら、最初に思いつくのは高尾山ではないだろうか。幾度となくマスコミに紹介されるほど人気が高く、アクセスも上々。おまけにケーブルカーありということで、経験と体力に合わせたコースがチョイスできるところが着目点だろう。もともと人気の山ではあったが、二〇〇七年にミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで3つ星評価を得られてからは、人気観光地へと様変わりし、週末ともなれば大勢の人たちで山が埋め尽くされるようになった。これはこれで素晴らしいことだが、私の考える山歩きの楽しさといえば、やはり静かな森の中で自然に触れることに尽きる。
 ということで今回は高尾山も含めて、比較的ハイカーの少ない裏高尾を歩いてみようと計画を練ってみた。

 九月二十九日(水)。七時半に出発。旧甲州街道脇にある日影沢キャンプ場を目指した。
 到着すると平日なのにほぼ満車。少々焦りながらスペースを探し回ると、ラッキーなことに進入禁止の看板前に一台分だけ空いていた。最近の山歩き、駐車場にはついている。
 さっそくキャンプ場脇から“いろはの森コース”に入った。ここを使うと高尾山頂上まで最短で行けるが、高尾山の登山コース紹介にある〇号路等々とは異なる完全な山道であり、頂上まではひたすら上りが続く。

白い花

 頂上に到着すると強烈な太陽光に晒され、それまでの薄暗い樹林帯に慣れた目には少々きつい。半袖シャツは既に汗でびっしょりだが、気温自体はさほど高くなく、風が通るととても気持ちがいい。茶屋脇のテーブルに陣取り、麦茶で喉を潤す。
「ここ空いてますか」
 気がつくと真正面に年配の男性ハイカーが立っていた。
「どうぞどうぞ」
 見れば七十過ぎか、真っ黒に日焼けした顔が健康的だ。
「今日はいい天気ですね」
「明日から崩れそうなんで、きてみました」
「はは、私も同じです」
 予報によれば、明日から台風十六号の影響が出てくるとのことだ。三連休をずっと自宅に籠るのはやりきれないので、本当に今日は来てよかったと思う。アップルパイとエナジードリンクでカロリー補給をすませると、次のピークである城山へと向かった。
 今回の目標は高尾山、城山、小仏峠、景信山と裏高尾の縦走にある。長丁場だが、この頃連荘で山を歩いているせいか、体がしっかりと山慣れしていて不安はない。
 高尾山頂上からは延々と下りが続いた。この先登り返しは最低でも二度あるはずだから、気合を入れなければ。

 さすがにこの界隈は山道整備が行き届いている。殆どの坂は木の階段になっていて、スリップの危険も少なく、初心者でも安心して歩くことができる。ただ、意外や階段は上りも下りも足に負担がかかるので、私はあまり好きではない。アザミや野菊がいたるところに開花していて、夏の終わりをアピールしているようだ。

小仏城山

 一丁平の展望台へ到着すると、灰色の雲が青空を隠し始め、気温が急降下。若干だが風も出てきたので、汗でぬれたシャツが冷たくなり、薄ら寒くなってきた。
 周りを見回すと何人かのハイカーが小休止しているが、これまで歩いてきた山々で見かける人達とはちょっと人種が異なることに気がつく。先ず圧倒的に平均年齢が高い。若いカップルや家族連れもいないことはないが、七割方は高齢者だろう。そして高尾山というSituationからか、ハイカーのいで立ちが全体的に軽い。登山よりはハイキングといった装いで、ザックも小さいし、トレポを持っていても一本、靴はスニーカーまたはそれに近いものだ。もっともそういう私もザックはDeuter の15L だし、ズボンはジーンズ、靴も7年前に購入したColumbiaのハイキング用である。これほど気軽に歩ける山なのに、景色はいいし、コースも様々だから、人気があって当然なのだ。そして多数を占める高齢者達だが、登山の目的は恐らく健康維持ではなかろうか。単に体を動かしたいのであれば刈寄山のピストンでも十分だが、ここには味自慢の茶店もたくさん出てるし、その日のコンディションに合わせてコースも選べる、そして単独で歩いていて不慮の事態に陥っても、周囲は人だらけなので安心感がある。

 六十代後半ともなると体力低下は避けられない。臼杵山で張り切り過ぎて膝痛を起こした後はさすがに考えて
しまい、これからは膝に対し負担の少ない歩き方に徹底しようと念頭に置いた。
 上りでは絶えず軸足に重心を置いて、やみくもに大腿筋を使わせないこと、下りでも同じく軸足に重心を置き、膝にかかる衝撃を最小限に減らすのだ。これを楽な山行である霧ヶ峰から始めてみた。
 霧ヶ峰周回コースはもともとアップダウンが少ないので、どれほどの効果が上がったか体感はできなかったが、なんとなくやり方というか、絶えずこのようにに歩くのだという感覚はつかめた。これを生かして次の浅間嶺にトライすると、頷けるような効果が出た。浅間嶺もそれほどハードなコースではないが、山歩きには違いない。下山してみれば膝痛は一度も起こらなかった。ただ、頻繁に山へ入ると足も慣れてくるので、このレベルなら特に歩き方を意識しなくともトラブルは出ないのだが、それとはまた異なる安定感もしっかりと確認でき、松生山ではなく、もっと先の山までピストンしても平気だったのではという余裕も沸いたほどだ。この勢いに勇気づけられて訪れたのが今回の裏高尾である。

小仏峠から相模湖と中央自動車道

 城山山頂も大勢のハイカーで賑わっていた。茶屋もあるが週末ではなかったからか営業はしていない。ふと、右側のテーブルに目をやると、一丁平で見かけた三十代と思しき女性がストーブを出してお湯を沸かしている。彼女の歩くペースはわずかに私を上回っていて、途中の長い上り坂でパスされてしまい、時と共にその後姿は小さくなていった。やや悔しかったが、今回は歩き方の徹底も目的のひとつだったので、引きずられずにマイペースを守った。その際、まじまじと観察したわけではないが、きりっとした切れ目と通った鼻筋、そしてきれいに染め上げた栗色の髪と、一人で山歩きをする女性には珍しく、際立つ容姿を持っていた。ただ、ザックや登山靴は使われた感があって、初心者ではなさそうだ。
 その彼女、ザックの中から小さな袋とコーヒーミルを取り出すと、さっそく取っ手を回し始めた。女性ハイカーは、こと山食に関して凝っている人が多い。わざわざパスタを茹でたり、サラダを作ったりと、男性陣とはひと味もふた味も違った山の楽しみ方である。
 お湯が沸くと丁寧にドリップしている。ここまでは漂ってこないが、きっといい香りなのだろう。マグカップを口へ運び、一口飲んだ後の満足そうな横顔が何とも美しい。
 あまり見とれていると、誤解されそうなので、おにぎりひとつを頬張った後、縦走最後のピークである景信山へと向かった。

景信山

 城山から延々と下ってくると小仏峠に到着。景信山への上りが始まるのはここからだ。小仏峠はJR中央本線の小仏トンネルの真上に位置し、景信山の北側には馴染みの刈寄山が目と鼻の先にある。広場の真正面から山道が三方に分かれていて、左へ行くと相模湖、右へ行けば小仏バス停、そして景信山へは真ん中の急坂を上っていくのだ。
 木々の間から相模湖と中央自動車道がよく見える。

 これでもかと上りが続いた。しかし山道の整備が行き届きているので歩きやすい。とにかく一歩一歩進めば難しいことはない。この辺りまで来ると人影もまばらになり、静かな山歩きに浸れた。それにしてもさっきまでいた城山山頂の活況が嘘のように思われる。
 コーヒーを飲んだ後、彼女はどの辺りを歩いているのだろうか。ちょっとばかり気になった。
 
 景信山へ到着。頂上にはたくさんのテーブルやベンチがあり、人気の山であることがうかがえた。ワイワイと話声を発している若い五人組が今まさに出発するところである。その左側には太った女性が腹ばいになって本を読んでいる。更にその近くには年配夫婦二組が食事中だ。
 ここからの眺めもなかなかだ。百八十度の展望が広がっている。ただ、空気感は既に午後の気配であり、時計を見れば十三時を回っていた。ゴールまでは膝に厳しい下り坂が続くので、なんとなく気持ちが落ち着かない。これまでアップダウンを幾度も繰り返しているから、ダメージは間違いなく溜まっているはずだ。いつもの痛みが出たら最悪の下山となる。十二分に下半身のストレッチを行った後、早々に出発した。

冷や汗トラバース

 景信山からの下山は今回のハイライトとなった。
 歩き始めから急降下と呼ぶにふさわしい下りが続いた。ちょうど奥多摩は愛宕尾根の下りのようだ。意識して膝に負担をかけぬよう大腿筋で軸足を支える。歩き始めは路面が良かったので気持ち的には楽だった。しかも殆どのハイカーは小仏バス停へ向かうので、距離はあったが前にも後にも人の気配を感じ、なんとなく心強い。
 しばらく下っていくと右側に道標が見えた。ベンチが設置されていて、ずいぶんと年を取った男性がぽつんとひとり休憩中だ。右へ下ると小仏バス停、そしてまっすぐ行くと、今回の計画ルートである高尾の森作業小屋経由の小下沢林道へ至る道だ。右は開けた明るい道、一方こちらは鬱蒼とした森の入口といった感じで、おまけに、<滑りやすい下り坂>、<熊出没>と、注意書きまで張ってある。他の方と同じに右へ下り、小仏バス停からさらに旧甲州街道をひたすら東に歩けば、POLOが待つ駐車場へは戻れるはず。
 一瞬心が揺れたが、ここまで計画通りに進んでいるし、なにより体調がいい。ということで迷いを捨て、一心となって直進した。

 勾配はこれまでより急になり、一瞬の気も抜けない。背の高い草が道を覆い隠していて、ついつい足元の確認がおろそかになる。慎重に下っていても、ヅルっときてハッとすること屡々だ。それにしても長い。地図で確認すれば小仏峠から景信山ほどの距離しかないのに行けども行けども景色が変わらない。見通しが良くないので、稜線からどれほど下ったかも検討がつかない。道幅はどんどん狭くなり、ブラインドを左に回り込むと、岩が道を塞ぐように山側から延びていた。岩は滑りやすいので、ここをトラバースするには注意が必要だ。滑ったら最後、谷まで止まらない。恐る恐るクリアして更に下っていく。そのうちにせせらぎが聞こえてきた。谷に向かっているのだろう。暫く行くと小さな渓流が現れた。ここからは流れに沿う道になる。ゴロゴロした岩は濡れているので更に滑りやすい。気合を入れて慎重に進む。

清流

 おかげで心配した膝痛は起こる気配もない。ただ、急な下りの連続だから、腿と脹脛がパンパンになって悲鳴をあげていた。座って休憩できるようなところを探したが、どこにもそんな場所はなかったので、そのまま座り込む。ちなみに小仏バス停の分岐からは、ずっとひとり旅。
 五分ほど休んだ後、再び歩き出す。やや傾斜が緩んでくると、周囲を観察するゆとりが生まれてきた。この川沿いの道、なかなかのPhotogenicである。紅葉真っ盛りにでもなれば、腰を据えて撮影してもいいのでは。そんなことを考えていると歩も軽くなり、そのうちに前方が開けてきて、待ち望んだたっぷりした太陽光が射してきた。前方に見えるのが高尾の森作業小屋である。ここにもいくつかのテーブル、ベンチが置かれていて、一眼レフを持った年配男性と、老年夫婦が休憩中だ。あとはひたすら林道を歩き、中央自動車道とJR中央本線を潜ればそこがゴール。どっと安心感が溢れ出た。

 毎回初めてのルートを選んでいるのは、湧いてきた自信それとも冒険心なのか。わかっていることは、年を取ったこと。年を取れば残る人生は必然的に短くなる。しかもカメラを片手に野山を歩き回れる精神と体を考えれば、あと幾ばくも無いことに気がつく。要は自分で自分の尻を叩き始めたことなのだろう。
 以前のブログにも記したが、<今できること>と<今楽しむことが可能なこと>は大きな鍵なのだ。