若い頃・デニーズ時代 11

「皆に紹介する。今日からうちでクックをやる槇君だ」
「槇です、よろしくお願いします」
「彼は29歳、所帯持ち、お子さんもいる。石澤君と木代は充分面倒を見るように」
「ました!」

それにしてもいけ好かない笑顔の持ち主である。口は笑っているが、目が笑ってない。
これは要注意人物の特徴であり、何か含むものがなければこの様な表情は作れないものだ。
背は低く釣り目で額が広い、おまけに髪型はオールバック。誰が見ても、どの角度から見てもまんまキャッチである。

「明日からは木代と組んで遅番をやってもらう」
「えっ!」
「何かあるのか?」
「い、いえ、何も、、、ました!!」

参った。最悪である。

「今日はクンロクで、石澤リードクックに基本を教えてもらうように」
「よろしくお願いします」

小金井北店のキッチンは、石澤さんを中心に、春日と私、そして元気のいいキッチンヘルプの面々でなかなか良好なチームワークを築いている。
そんな中、精神的にも頼りにしていた春日に転勤が決まり、よりによってその穴埋めにキャッチが入ってくるなんて、これは不運以外の何物でもない。

「じゃ、槇さん、さっそくフライヤーの油交換をやってみようか」
「ました」

二人がキッチンの奥へ入っていくと、さっきからこのやり取りを静観していた春日が口を開いた。

「おい、いい相棒ができたじゃないか」
「あははは、最高最高!」

春日の奴、小金井北店での勤務は今日までだから、好きなことを言ってくる。意識はとっくのとうに新店へ向いているから、こんなやりとりは他人事のように映るのだろう。

「俺も早いとこ異動したいよ」
「大丈夫、もうすぐさ。それにしても彼、癖がありそうだな」
「おまえもそう思うか」
「仲良しにはなれないタイプだね」

正直、憂鬱である。明日からマンツーマンでキッチン業務を教えていかなければならないと思うと胃が痛む。そもそも、この役は私より石澤さんの方がはるかに適役なのだ。なのに、なぜ加瀬UMは私にキャッチを押しつけたのだろうか。

「まっ、それはおいといてさ、新店じゃ頑張れよ!」
「うん、ありがとう。お前には世話になったな」
「同期の桜さ」

研修からずっと一緒だった春日とも今日を最後に離ればなれとなる。
正直寂しかったが、これを機に一本立ちできるような気もするし、一人前のクックへと成長する為には避けて通れない節目のようなものなのだろう。
槇さんの面倒であれこれと思い悩むより、未来を見据えた自分の立ち位置を一日でも早く作れるように、より多くの努力をつぎ込むべきなのだ。

新しい“相棒”との遅番業務が始まって、早くも2週間が経とうとしていた。
仕事の流れを掴むにつれ、槇さんは意外や活発な動きを見せるようになり、相変わらず目は笑ってないものの、MDやミスター達とも徐々に連携が取れるようになってきた。

「槇さんの作るシェフサラダ、すごくきれい♪」
「ありがとう」

褒めているのは、少々ぽっちゃり体形ではあるが、笑顔を絶やさない女子大生MDの井村さんである。口癖は“彼氏、欲しいなぁ~”だ。
彼女の言うように、槇さんの仕事は実に丁寧だった。プリパレーション(下ごしらえ)は何をやってもきれいに上げるし、すのこ磨きをやらせれば誰よりも汚れを落としていた。唯、慎重すぎるのか、時間が人一倍掛かるところにネックがあった。
シェフサラダは基本のトスサラダへ細切りにしたスライスチーズとハムをトッピングしたものだが、このチーズとハムを細切りするにもやたらと丁寧に行う為、きれいに切れても時間が掛かってしまう。確かに料理としてはお客さんに喜んでもらえるだろうが、先週末の繁忙時間帯では、ディッシュアップが大幅に遅れてしまい、クレームが出てしまったのだ。きれいな盛り付けとスピードはどちらも落とせない重要なポイントである。

その時ディッシュアップカウンターに近付いてきたのは、そのクレームをもらってしまった当事者、大学生であるミスターの近藤君だ。

「槇さん、もうちょっと早く上げてくださいよね」
「この間はごめんな、頑張るからさ」

近藤君はアルバイトながら責任感が強く、MDの井村さんと同じく遅番シフトには欠かせないメンバーである。2年間も続けているので小金井北店ではもはや古株だ。

「そんなねちねち言わなくてもいいじゃない」
「ねちねちなんて言ってないよぉ~」

ちょっとのことでも言い合いになるこの二人だが、それぞれ満更でもないムードを持っているのは周知のこと。若い人達の多いデニーズでは、恋の花咲くことも屡々なのだ 。

「木代さん、びしびし鍛えてください」
「遠慮しないですよ」

こっちにも満更でない遅番チームが生まれようとしていた。

若い頃・デニーズ時代 10

デニーズへ入社した1978年は、すかいらーく、ロイヤルホストなど、競合他社も本格的な出店攻勢を掛け始めていた頃で、業績はどこもうなぎ登りであった。
デニーズは首都圏の地固めはもちろんのこと、北関東や東海地区までへも出店エリアを広げ、各社のドミナント戦争は凄まじい様相を呈していた。
春日が話していた新店オープンに伴う人事異動の話はいよいよ現実味を帯び、いつマネージャーに呼ばれるかと、気が気ではない日々が続いた。

そんなある日のこと、遅番で出勤してきた春日が含み笑いで私へ相づちを打つと、
いきなり放ったのである。

「俺の行き先、決まったようだ」
「異動か?!」
「ああ」

言い切った後の意気揚々とした表情が何だか眩しく感じた。

「どこ?」
「蒲生だ」

案の定、埼玉地区である。

「そりゃ寂しいな」
「おいおい、感傷に浸っている暇はないぜ。どのみちおまえもそろそろだ」
「まあね」

クックの仕事には大部自信が付いてきたので、その辺の心配はなかったが、新店という環境下、しかも未知のメンバーとうまくやっていけるかどうかは、大いに不安だった。
新店へ行けばトレーニーの立場はない。1クックとして構成され、大きな責務を背負うことになるのだ。

一週間後。社内メール便に春日の辞令が入っていた。

“蒲生店ショートオーダークックを命じる”

エンプロイエリアに張られた一枚の辞令は、緊迫感を発しながら私に語りかけてくる。

ー お前ももうすぐだってことね、、、

「木代さんも行っちゃうんですか」

食い入るように辞令を見ていたせいか、いつの間にか傍にいたMDの久光さんに気が付かなかった。

「びっくりした==!」
「そんなに驚かないで下さいよ」

口は半開き、茫然自失とした顔をしてたんだろうな、、、格好ワル、、、

「いなくなったら寂しい?」
「なにそれ!」

ちょっと鎌をかけてみたが、どうやら空回りだったらしい。

「そうなんだ、俺もそろそろ異動だよ」
「社員さんは大変ですね。でも頑張らなきゃ♪」

全くその通りである。
異動はしんどいが、新店ならば身につけた実力を発揮しやすいし、評価もされやすい。横一線で並んだ同期達に差をつける絶好のチャンスになるかもしれないのである 。但、この頃では夢の中にまで辞令がちらついてくる始末で、ともかく大きなプレッシャーになっていたことは間違いない。

春日の小金井北店での仕事が残り二日間と迫ったある日、突然キッチンへ入ってきた加瀬UMが皆に告げた。

「明日から中間社員が一人入ってきます。皆で良くフォローするように」

春日の後釜だろうか?!

「ました!」

中間社員とは中途採用の正社員のことである。
昨今の急激な出店ペースで絶対的な人員が不足しているのか、本部は中間社員を積極的に採用しているようだ。新人の私でさえ人手が足りないなと感じるほどだったので、全社的な状況は相当に切羽詰まっていたのだろう。
多くの中間社員には前職があり、しかも接客業や飲食業出身が多いから、入社後の戦力化には新卒ほど時間が掛からない。これは会社にとって大きなメリットになっただろうが、我々学卒組にとっては難儀の種でもあったのだ。
彼らの多くは年齢的に年上であり、レベルの大小こそあれ実社会経験を持っている。ところが加瀬UMは後輩として指導しろと言ってくるからやり辛い。

ー あ~、、どんな奴が入ってくるのやら、、、

若い頃・デニーズ時代 9

デニーズで働くアルバイト達は皆それぞれ生き生きとやっていた。
アルバイトでありながら積極的に仕事をこなし、正社員との隔たりを感じさせないその働きぶりは見事の一言。これほどのMotivationを喚起する根源は一体どこから生まれるのだろうかと、無い頭をひねって考えたこともあったが、要するに職場が楽しいと思えなければ、これだけ小気味の良い動きを発揮することはできないはずだ。

店長でさえ20歳代後半という若さ溢れる職場環境は、各シフト問わず活気に溢れていて、学校とはまた違う青春群像といった趣がある。私自身もエンプロイテーブルでMDやバスヘル達と歓談をしているときなど、一瞬職場であることを忘れてしまう錯覚にとらわれることも屡々であった。
男だけのマンダムな学生生活を5年間も過ごしてきた身には、MDとのオーダーのやり取りだけでもわくわくするし、たまに湧き出す黄色い声の嵐には意味もなく顔が崩れてしまうのだ。

「MDの久光さん、可愛い子だな」

いきなりの一言に振り返ってみると、そこには一週間ほど前に人事異動でやってきたリードクックの石澤さんが、にやついた顔でフロントへ視線を向けていた。

「彼女、好みなんですか?!」
「先輩をからかうなよ」

石澤さんは上司だが、ひとつ年下である。高校を卒業すると調理師学校へ進み、その後、街の洋食屋を経てデニーズへ入ってきたそうだ。そんなことから、包丁の研ぎ方等は当たり前の如く巧で、彼にアドバイスを受けながら研いだ包丁は抜群に使い易く、感動するほどだった。
そう、あのプリンだって、彼が作ると殆ど失敗がない。
中背痩せ形で、時々厳しい眼差しでキッチン全体を舐めるようにチェックする、シビアで取っつきにくい面も持っていたが、きちんとした料理人のスキルを持っている彼からは、デニーズだけで育った上司からは得られない多くのことを学んだ。

「久光さんって、ぴちぴちの高二ですよ」
「だよな。俺だってまだ二十歳そこそこなのに、彼女見てると年齢のギャップを感じるよ」

久光さんは美人というタイプではないが、丸顔でくるくると動く大きな目がとてもチャーミング。女子高生を絵に描いたようなその雰囲気は、当然、店の人気者である。

「ところでさ」
「はい?」
「MDには気をつけろよ」

いきなり飛び出した言葉に戸惑った。

「なんですか、それ?」
「次から次に若くて可愛い子が入ってくるからさ、歯止めが利かない男は必ず問題を起こすんだ」

これには感ずるものがあった。
常時10名そこそこの在籍がある年頃の女の子。その内の半分ほどが1年以内に入れ替わっていくのだから、女性への耐性が不足している男性にはかなり手厳しい環境と言える。
例えば、久光さんに一目惚れしても、後から更に好みの女の子が入ってくる確率は非常に高く、あれもこれもとちょっかいを出して、気が付けばトラブルに発展してしまう男性スタッフは、アルバイトのみならず正社員にも大勢いるとのことだった。
ファミリーレストランは当時の女子大生、女子高生にとっては人気のアルバイト先だったので、致し方ないと言ってしまえばそれまでだが、健康な男性だったら楽しくも苦悩する職場であることに間違いはない。

「特に所帯持ちだったら悲惨だよ、、、」
「で、ですね」

女は魔物、綺麗な花には棘がある、か。

「木代さん

突然の呼びかけに振り向くと、いつのまにか久光さんがディッシュアップカウンターの前にきていた。

「なに?どうしたの?」
「なんか真剣な話、してましたよね~」
「そ、そんなことないよ、仕事の話さ」
「顔に嘘って書いてある」

これ以上はないと思われる満面の笑顔が久光さんらしい。これにやられちゃう男は少なくない筈だ。

「それより久光さん、そろそろ“締め”をやる時間だよ」
「いやだ、はぐらかしてる~」
「そんなんじゃないって」

さっきの石澤さんの話ではないが、ついこの前まで大学生をやっていたのに、既に女子高生の乗りにはついて行けない自分に気が付く。
しかし、このついて行けない感覚も裏返せばくすぐったくも楽しいもので、これも一種のやる気の元だと真剣に思えてくるから可笑しくなる。アルバイト達の生き生きとした働きぶりも、この辺の絡みが大きく影響しているのだろう。

「木代さんって、案外照れ屋なんですね」
「おいおい、勘弁しろよ」

リーチインの影からにやけた表情で、石澤さんがさっきからこっちの様子をうかがっている。
そして両手をメガホンのように頬へ当てると、久光さんに聞こえないような小さな声で、

「おいっ! もてるな木代!」