若い頃・デニーズ時代 23

大卒の新人が、入社後たったの10ヶ月でマネージャー試験を受け、そして昇格していく。
私も含め、新卒達にとっては都合のいい流れだが、社会経験も少なく、殆ど学生と言っていい若者が店舗マネージメントを行なうというのだから、無理もない、仕事は試行錯誤の連続になる。
「使えないUMの下についたら最悪だぜ」と、ぼやくのは、同期で仲のいい井村。目下出世街道驀進中だが、とにかく頭のいい奴なので、細々なところまで目に付いてしまうのだろう。
そもそもUMITを指導教育する立場にあるUMやAMにしても、キャリアから考えればUMIT+α程度だ。よって井村のように“ハズレくじ”を引くことだって十分あり得るのだ。ところが悲しいかな上司は交換できないので、良いところだけを盗んで、あとは強い意志を持って自己研鑽を押し進め、一日でも早く正当なマネジメント能力を身に付けていくしかなかった。

ランチが終わり、ディナーへ向けての準備が始まる。コンディメントの補充からクリーマー作り、そしてケーキカットと、アイドルタイムに入っても忙しさは変わらない。この準備さえしっかりやっておけば、ディナーピークになっても何ら慌てることなくスムーズな対応ができる。逆に手抜きをすればそのしっぺ返しは大きい。
#3ステーションでテーブル磨きを行っていると、駐車場へ入ってきた白いスカイラインに目が留まった。
それは運転していた男の横顔に見覚えがあったからだ。
間違いない。彼は小金井北店で一緒にクックをやっていた槇さんだ。中間社員として入社してきて一緒に遅番を組んだ相方だから、しっかりと記憶に残っている。それにしても何用だろう。

「いらっしゃいませデニーズへようこそ」
「大丈夫、お客さんじゃないから」

入り口からバックヤードまでは#3ステーションの脇を通る。

「おおっ、木代、久しぶり!」

んっ、木代?!
なんだこいつ。俺を呼び捨てにするのか?!
この一瞬のやり取りで、槇が立川店の新しいUMITとして赴任してきたことを悟った。

「よろしくな!」

最悪である。
短い間だったが、小金井北店の遅番を彼と二人で切り盛りしていた頃は、それなりに上手くやっていた。いや、そう思っていただけかもしれない。尤も気に留めるような相方ではなかったので、浦和太田窪へ異動が決まった瞬間に奴のことは頭の中から消えていた。
それがここにきて、今度はあいつの指図を受けながら仕事をしなければならないとは、、、
正直これはいたたまれない。

この後、午後のスタッフミーティングで、添田UMから新任UMITとして槇が紹介された。
つり上がった目と含み笑い。以前と変らぬその風貌は直感的に水商売を想像させ、デニーズの持つ企業イメージとは相容れない下品さである。
自分じゃ格好がいいと思っているのだろうが、IYグループに於てピンカラーのYシャツはいただけない。

「新米マネージャーですが、よろしくお願いします」

皆の前で深々と頭を下げ、神妙さを演出しているようだが、横顔から滲み出てくる狡猾さは見逃さない。
これは是が非でもマネージャー試験に合格してUMITとなり、この忌々しい奴からおさらばせねば。
ところが、そんな我慢のならない槇が、立川店に顔見知りは私だけのようで、何かにつけて話しかけてくるから嫌になる。

「俺がUMでさ、木代がUMITなら、いい店ができるんじゃないかな」

ふざけるな!
本当にむかつく男だ。

「おおっ、いいね。木代、ディッシュアップきれいだよ」

お前には言われたくない。そもそもあんたにきれいなディッシュアップを教えたのは俺だろが!
人の心知らずのやり取りが、来る日も来る日も続いていった。

槇の着任の少し前から、ミスターの仕事と並行して、時々クックの仕事も行っていた。
人員充足率の高い立川店のキッチンだったが、ディナーのKH二名が大学卒業を目前に控え、退職を希望してきたからだ。スタッフの殆どをアルバイトで構成しているデニーズでは、安定的な人員配置を維持することがUMに与えられた最大の職務であり、これができるとできないとでは、売り上げアップはもちろんのこと、店の雰囲気作りに大きな支障が出てくるのだ。
当然のことだが、人が足りなくなれば残った者への負担が大きくなり、度が超えれば楽しく仕事をすることさえ難しくなる。そしてこの状態が長く続けば“離職”の文字が頭をよぎるようになる。
まさに悪循環であり、下手をすると大量離職に発展することさえあるので、各職種、各シフトの充足度には絶えず気を配る必要があった。
アルバイトの多くを占めるのは、大学生、高校生。彼らはディナータイムの要である一方、中間試験、期末試験、そして前期試験、後期試験、更には卒業研究等々、学生にとって最大級の関門を定期的に控えている。悪いことに試験期間はどの学校でもほとんど同じ時期にあり、それは1週間から10日間ほど続く。いくら親デニーズ派のアルバイトでも、試験期間に仕事を入れる者は少ないので、店にとってはピンチの期間になるのだ。
しかしこんな時、優秀なマネージャーとそうでないマネージャーとでは、その対処に大きな差が付いた。
デニーズでは一日の営業スケジュールに対応すべく、マンニングレベルテーブル(略:マンニングテーブル)、すなわち人員配置表を作成するのだが、これの考え方というか、ハンドリングが各UMによって様々なのだ。
例えば、売り上げ予測を立て、ランチピーク(12:00~14:00)を確実にこなす為にはMDが4名必要だとしよう。つまりその4名を12時に出勤してもらい、14時に上がってもらうのだ。ところがちょっと考えたかを変えれば、12時から13時まで4名を、そして13時から14時まで新たに4名、つまり合計8名のMDを使ってもいいわけだ。現実は一時間だけ働いてくれるアルバイトはいないが、前述の試験期間などでは、「一時間だけでもいいから出られないかな」等と話を持ち込める。
X軸に正確な売り上げ予測を上げ、Y軸にはそれに対する適正配置を組んでいく単純な作業だが、これがサービスレベルを落とすことなく売り上げを伸ばす最良の方法となっていた。
せっかく求人募集を見て来てくれたのに、一日2時間しか働けない。試験期間は来られない。春から仕事なので2カ月だけ働きたい等々の話を聞いて、あっけなく不採用とするマネージャーがいるが、いつか必ず人出不足で窮地に追いやられることになるだろう。
頭数確保は基本中の基本なのだ。

若い頃・デニーズ時代 22

UMIT昇格試験の話を貰った途端、仕事へ対する姿勢に変化が起こり始めた。
目線はいつのまにか担当職からマネージャー職のそれに取って変わり、キッチンやフロントで発生する個々の問題だけではなく、店全体の調和も気にかかるようになってきたのだ。
この姿勢の変わり様は自分でも驚きだったが、組織に認められた喜びがそうさせていたことは明白であり、期待に沿うような働きぶりをしなければと、無意識のうちに頭を使っていたのかもしれない。
一方、生まれて初めて味わう評価される重圧は、“逆に転べば即アウト!”を匂わせるものであり、何度も何度も気を引き締めては、前に進める方法を模索するのであった。

その日、家を出ようとすると、合わせるように小雪が舞い降り始めた。
こんな日は決まってセリカ1600GTVのご機嫌が斜めになるので、儀式に手抜きはできない。三度ほどアクセルを踏み込み、1/4開度でセルをひねと、重いセルモーター音と共に“SOREXツインDOHC4気筒”が目を覚ました。
タバコ一本を吸い終える頃には暖機が終える。一時間弱の通勤時間は頭の切り替えにちょうど良かった。

到着すると既に稲毛さんが出勤していて、ソースを鍋に移しているところだった。デニーズの就労規定で早番は6:30~15:30と定められているが、これに合わせて出勤すれば、開店時刻の7時まで30分しかなく、準備に時間のかかるクック職は、10分、15分早めに出勤するのが常になっていた。

「おはようございます」
「寒い寒い。ぱらぱらっときているよ」
「このくらいだったら、バイクで来ちゃいますね」
「元気だな~」
「ところで、常川さんの行先が決まったみたいですよ」

そうか、昨日は社内メールの日だった。

「エンプロイに貼ってあります」

さっそく辞令を見ると、千葉の超繁忙店へ異動と同時にAM昇格だ。どうみても楽な職場とは言い難い。
新興住宅街が乱立し、ニューファミリーと称する住民が多く暮らす地区にある店はどこも大盛況で、千葉や埼玉では、“ピークが切れずにスノコが洗えない”などという問題までも噴出しているようだ。
年商トップ10入りする店のAMとくれば鼻高々だろうが、実際は劣悪な職場環境に翻弄され、これでもかと重いストレスが溜まっていくのが現状である。殆どの新店が、人手不足で泣いた浦和太田窪のような状態になっているという噂は、大方当たっている。

「ねえ、稲毛さん。ここに出ている槇さんって知ってる?」
「今度うちに来るUMITですか」
「そうそう」

常川さんの後釜である。
どこかで聞いたことのある名前だったが、同期生以外の情報は分からないことが多く、況して人不足の折、人事部も積極的に中途採用を行なっていたので、たまに食材調達で近隣の店へ行ったときなど、たびたび知らぬ顔に出会すのだ。
ちょっと見、年齢、風格共々、本部のクックアドバイザーと思って挨拶をしたら、

「今日から働くことになりました○○です」

なんて答えが返ってきてびっくり。
同期のひとりは、新人が入ってきても殆どが年上なので、使い辛くてしょうがないとぼやいていた。確かにこれも難しい問題だ。デニーズは店舗オペレーションの全てをマニュアル化していると豪語するが、どのページを見開いても、“部下が年配者の場合の指導法”なんていう項目は見当たらない。しょうがないのでUMに相談しても、そのUM自身が中途社員より年下だから、的を得るアドバイスが返ってくることは殆どない。それより、スタッフ達とのより良いコミュニケーション構築には、地道な手探りによる経験の積み重ねこそが一番の近道と徐々に分かってくるものである。

「おはようございます」

岡田久美子が出勤してきた。大学の後期試験が終わり、3月末まではたっぷり時間があるとのことで、もっぱらこの時期は早番をやってもらっている。

「あら~、常川さん、異動なんですね。でも次の店がここでは可哀そうみたい」

デニーズのアルバイトには、やたらと社内事情に詳しい者が多い。

「辞令は命令。しょうがないさ。それよりAM昇格なんだからめでたいんじゃないの」
「木代さん、本当にそう思っています?」

ちょっとぐさりときた。
人手不足の現況を身を持って体験してきた者には、容易に異動後の生活を察するところ。それでも今の自分にとって、UMITの上を行くアシスタントマネージャー、つまり副店長という職位には、何事にも遮蔽されない光を感じてしまう。

「AMをやらせてもらえるなら、どこへでも行きまっせ~」
「やだぁ、うそ~」

うそ~と言われても、昇格はサラリーマンとして生き抜いていくための唯一の道。棘だろうが突き進むしかないのだ。
まっ、それは置いといて。
今度来る“槇”というUMITはどんな男なのだろう、、、
平穏を絵に描いたような立川店に波風が立たなければいいが。

この冬は暖冬なのか、2月に入ったというのに積もるほどの降雪はまだ一度もない。但、毎年私立高校の受験期になるとまとまった雪が降ることが多いので、ピークはこれからだと思うが、冬独特の鉛色の空も数えるほどであり、日々乾いた晴天が続いていた。

若い頃・デニーズ時代 21・入社後10ヶ月目

日を追うごとに身につくフロント業務。お客さんからオーダーを取ってキッチンへ依頼するところまでは誰でも同じだが、その後の段取りには奥深さがあり、個人差が大きく反映される。要点を押さえ、それにスピードが加味できれば、駆けずり回ること必至の週末ディナーピークだって怖くない。
・ドリンクは食前か食後か
・速攻第一のビール、スープ、サラダ
・必須!テーブルチェック ~ コーヒーサービスと中バスでお客さんの様子伺い
・デザート作りのタイミング等々
この辺のポイントが分かってくると、接客レベルを保ったまま受け持ちステーションの回転を向上させ、その結果チェックの枚数が増えて売り上げUPにつながっていく。
もちろんノウハウを蓄積していけば、MDに対して生産性の高い教育ができるし、強いリーダーシップもとれる。更にこの勢いでチームワークも良くなれば言うことなしだ。

「ビールは真っ先に持っていくんだよ。FFやOリングの注文があれば、それはおつまみだから、キッチンに言って早めに出してもらうんだ」

この辺のニュアンスは、お酒を飲まない女子学生には分からない。

「21番のJランチ、そろそろ終わりだろ?! このタイミングでデザートのアイスをお持ちしていいか訊いてくるんだ。子供は待てないよ!」
「カウンター2番、中バス! 新聞広げるのに邪魔そうだろ」
「18番、そろそろ終りだから、中バスお願いね」

“中バス”とは中間バッシングの略称で、お客さんがいるテーブルへ行き、空いたプレートや器を下げてくることである。
帰った後のバッシングが容易になるし、人によっては席を立つきっかけになることもあるのだ。

ブレークを取りにエンプロイテーブルへ行くと、BHの山江君が出勤していた。彼は東京経済大学の2年生。明るい性格で、自他とも認めるバイク好きだ。つい先日、スズキの“マメタン”を手に入れ、かなりご機嫌。

「木代さん、なんか最近、ミスターの方が似合うようになりましたね」
「微妙なこと言うな」
「いやいやまじめにバッチリっすよ」

眼がやたらと細くて、笑うと本当に筋のみだ。

「今度マメタン貸してくれよ」
「おっ、いいっすよ」
「冗談冗談。こかしたら殺されそうだもんな」

立川店は職種問わず大学生のアルバイトが揃っている。反面、高校生はMDが一名のみと珍しい。恐らくこれが立川店独特の落ち着いた雰囲気を作り出しているのだろう。

「そう言えば、稲毛さんも新しいバイクを買ったらしいですよ」
「へぇ~、彼もバイク好きなんだ」
「買ったのホンダの400ccですよ!」
「本格的だな。俺も買っちゃおうかな」
「えっ~、木代さんはかっこいいダルマを持っているじゃないですか」
「あはは、まあね」

稲毛さんは唯一の社員クックで、且つリードクックも任されている。すらっとしたイケメンで、笑った時に出る真っ白な八重歯がなんとも爽やかだ。唯一の高校生MDである水谷智子は彼の大ファンで、はたから見てもメロメロは隠せない。
その彼女が出勤してきた。

「山江さん、おはようございます」
「おっ、智ちゃん。今の話聞いてた?」
「稲毛さん、新しいバイクが来たら、私を真っ先に乗せてくれるって言ってました」
「やったじゃん!」

どこの店へ行っても、バックヤードではこの手の話が花盛り。若い男女がこれだけ集まっているのだから当然と言えば当然だ。
水谷智子は小柄でスレンダー。しかも顔が小さく均整がとれているので、大概の男なら振り向いてしまうだろう。幼い顔立ちとのアンバランスも魅力的だ。

「その前にさ、俺の後ろに乗ってみてよぉ」
「けっこうで~す」

山江君、もしかすると水谷智子にほの字かもしれない。しかしライバルが稲毛さんではきつそうだ。
その時、バックヤードの通用口脇にあるマネージャールームのドアが開いて、添田UMが誰かを捜すように顔を突き出した。

「おっ、木代いた」
「なんですか?」
「もうすぐ人事の本田さんが来るんで、3ステ開けとくように」
「ました」

人事の本田さんとは、新入社員研修の際に一度話をしたことがある。とても快活な方で、つまらない質問に対しても、はっきりとした話し方で丁寧に教えてくれるところが印象に残っている。
それにしても人事部が来店とは何事だろう。恐らく異動絡みと思うが、私は数ヶ月前にここへ来たばかりだし、稲毛さんに至ってはまだ1ヶ月少々。よく考えればUMの添田さんだって赴任して半年である。では、立川店で在籍が一番長い社員といえば、、、
そうだ、UMITの常川さんだ。AM昇格は既に確定しているから、近々にどこかの店へ異動してイエロージャケットを羽織るのだろう。
この流れが正しければ、常川さんの後釜について添田UMへ何らかの通達があるのかもしれない。但、マネージャーが替われば店のムードやスタッフの結束にも影響してくるので、ちょっと不安だ。
しかし、いくら東京地区の出店ペースが他県と較べて低いと言っても、関東全体でこれだけ店が増えているのだから、エリアの枠を越えて人事異動が行なわれるのは誰にだって分かる。

本田さんと添田UMは、笑顔も交えながら既に30分近く話し合っていたが、コーヒーのおかわりでテーブルへ近づくと、

「木代、どうだフロント業務は」
「もう殆どOKですし、MDの指導も徐々に慣れてきました」
「そうか。今、添田さんとも話していたが、来月辺りにUMITの試験を受けてみないか」
「えっ!? いいんですか?」
「マネージャーになりたくないの?」
「とんでもない!」

大感激である。今でも良く覚えているが、実際にUMITへ昇格したときよりも、この一言を受けたときの方が何倍も心が躍った。同期生の中でも、二人、三人と昇格試験を受けたというニュースを耳にしていたので、正直なところ少々の焦りを感じていたのだ。
普段の働きようが評価を受け、本部人事まで伝わっていたのだ。

「添田UM、本田さん、本当にありがとうございます!」
「良かったじゃない」

この春、新しい展開が始まりそうである。