四月から五月にかけては毎週のように山へ入っていたが、その後梅雨入りを迎え、休みの日はほとんど自宅でごろごろ。読書やお絵かきも楽しいには違いないが、やはりこの季節はアウトドアで思いっきり体を動かしたいもの。そんな中、取得した休みの中日に晴れ予報が出た。
六月二十九日(木)。七座までクリアした秀麗富嶽十二景。今のところ全座登攀は考えてないが、小金沢山稜だけは興味が湧きたっているので、小金沢山、牛奥ノ雁ヶ腹摺山は、先回の大蔵高丸、ハマイバ丸の続きとして、近々に登ってみようと決めていた。
出発地点である湯ノ沢峠へ至る林道は、手前5Kmあたりから結構なダートとなり、POLOのハンドルを握る両手も汗ばんだ。やっとの思いで到着すると、駐車場に車は一台のみ。週末には満車~路駐と聞いていたので、やや拍子抜けである。
出発準備をしていると、途中で抜いたグレーのプリウスが上がってきた。乗っていたのは男性二人、女性一人の年配トリオ。皆口々に「寒い寒い」を連発しながらも、ザックを背負うと早々に出発していった。まっ、どうでもいいが、車を隣に停めながら、挨拶はおろか、目も合わせてこないのはどうしたものか。幸いなことに、行先は私と反対方面だったのでホッとした。
湯ノ沢峠からはいきなりの急登である。傾斜もきついが、山道が雨でぬかるみ、実に歩きにくい。ただ、先ほどの三人も口にしていたように、気温が低く、スタート直後からの汗だくだけは避けられそうだ。駐車した際、POLOの外気温度計を見たら17℃だった。地元武蔵野市が朝から30℃近いことを考えると、まさに天国。
急登が終わり樹林帯を抜けると視界が大きく広がった。白谷ノ丸である。雁ヶ腹摺山からの下山時に言葉を交わしたご主人が言っていた。「冬の時期ですが、白谷ノ丸には登山者じゃなくて、富士山を撮ろうとするカメラマンが大勢集まるんですよ」と。今は夏だが、このワイドな景観から容易に想像できる。脳裏には雪原の先にそびえる凛々しい富士山が浮かんだ。
黒岳を過ぎると、再び樹林帯歩きになったが、周囲は原生林なので飽くことはない。倒木がやたらと多いが、これが景観にアクセントを与え、寧ろ画になる雰囲気を作り上げている。そもそもこのコースは“甲州アルプス”の一区域なので、そのほとんどが尾根歩きであり、随所で東側や西側の山々、そして遥か遠くに広がる町並みを見下ろせるのだ。
登り始めてから約一時間。早くも腹が減ってきた。先ほどから胃のキュルキュルが止まらない。これは体調がいい証だ。おまけに心配の種である、右膝と右股関節の調子も今日はそれほど悪く感じられない。
数年前までは左膝の腸脛靭帯痛に悩まされ、下山時には十中八九症状が出るので、歩行時間が長くなるルートは意識して避けていた。ところがここ一年ほど、なぜか顔をしかめるような痛みは出ず、徐々に回復しているのだと勝手に納得している。ただ、それに代わる新たな問題も出てきた。前述した右側膝と股関節の違和感だ。一般の歩行に支障が出るほどではないが、一向に良くなる気配がなく、気になるところだ。
牛奥ノ雁ヶ腹摺山に到着すると、老夫婦が休憩中である。ご夫婦ともども七十代後半といったていで、第一印象は「よくぞここまで歩いてきたな」である。しかも、二人ともかなりな小柄。奥さんはどうみても150cmには満たないし、ご主人も160cmあるかないかだ。
「こんにちは」
「どうも」
「これからどちら方面へ行かれるんですか」
「大菩薩の方から来たんで、これから戻るんですよ」
ん? ん、ん、ん??
大菩薩が“峠”か“嶺”かは定かでないが、仮に上日川峠から歩きやすい林道を使い、介山荘経由でここまで来たとしても、彼らの脚ならどうしたって三時間以上はかかるはず。それを再び戻るというのだから、休憩を含めれば七時間を超える山行となる。
昨今、やたらと元気な年配ハイカーを見かけるが、このご両人も大したもの。この歳でこの体力と行動力。ぜひぜひあやかりたい。
小金沢山の頂上に到着すると、すぐにお湯を沸かし、好物の“カレーメシ”とホットコーヒーで一息入れた。静かな山頂からは、富士山をはじめとする甲州の山々が広く見渡せ、至上のひと時を独り占めである。