バイクという乗り物は、一般的な車(四輪車)とくらべると格段に趣味性が濃い。
車屋へは何らかの用事がなければ出向くことはないが、バイク屋は違う。親しくなった店員やお客さん同士のコミュニケーションを求めて、“常連”と称する馴染み客がびっくりするほど訪れてくる。特に週末ともなればその数はおびただしく、彼らを相手にすることで一日が終わってしまうことも屡々だ。
「あれ、新人さん?」
どこから見ても俺より年下。なのに、なれなれしい。
おっといけないいけない、彼はお客さんだ。
「入ったばっかりなんでよろしくお願いしますね」
「なに乗ってんですか?」
「RZ250」
「へ~、渋いな、僕はFZRだからおんなじヤマハだ」
こうして話がうまく噛み合えば、初対面のお客さんとでもバイク談義に花が咲く。こんなことが何度か繰り返されると、彼は用がなくても俺とのおしゃべり目当てで来店するようになり、車両の代替えに至れば、いの一番に相談を持ちかけてくる。
自分の常連さんが少しずつ増えていくと、営業マンとして店内でより強力に幅を利かせることができ、精神面でも快適な職場環境が得られるのだ。
俺の常連さん第一号は、ホンダ・シャリ―に乗っていた奥村くんだ。
ちょくちょく店へ顔を出していたが、特段用事があるようには見えず、いつも一人寂しく談話コーナーで雑誌を読んでいた。ある日なんの気なしに声をかけると、ぽつりぽつりと好きなバイクや乗ってみたいバイクのことを語り始めた。
年齢は二十六歳で北海道出身とのこと。痩せていて眉毛が薄く、やや病的な雰囲気が漂うが、会話が進んでいくとなかなかウィットもあって、根は明るい青年かもしれない。
「木代さんのRZ、売ってくださいよ」
「はぁ?!」
いきなり飛び出した話に最初は冗談かと思ったが、詳しく聞けば以前から欲しくて欲しくてしょうがなく、大手中古車店のレッドバロンにも当たってはいたが、めぼしいものが見つからず半ば諦めていたという。ところが思いもよらず身近なところにRZが現れたので、物欲が急上昇したらしい。
「俺のは勘弁してくれよ。もう少し乗りたいからさ」
「店員がそんな古いの乗ってたらだめだめ」
どこかで聞いたことがあると思ったら、“古いの乗ってたらだめ”は大崎社長の口癖だった。常連さんってのは、スタッフの会話を聞いてないふりして実はよく聞いている。
モト・ギャルソンの主たる販売商品は新車である。お客さんに新車を勧める立場にいる販売員が、旧車に乗って喜んでいるようでは格好がつかないというのが社長の言い分だ。
モト・ギャルソンには社内販売規定が設けられていて、スタッフがバイクを購入する際には幾分お得な価格が用意されるが、原則は新車のみ。どうしても中古車が欲しい場合は、社長と下山専務に相談し、二人の許可が得られれば可能となる。規定としてはずいぶんと緩いが、このあんばいがいかにもモト・ギャルソンらしい。
ケースバイケース、しょうがない、とりあえず、ペンディング等々の文言が日常頻繁に飛び交っている職場は、当初とてつもなく違和感を覚えた。
「飲み物買ってくるけど、なにがいい?」
「じゃ、コーラ」
奥村くんの頭の中は既にRZ欲しさでいっぱいだろう。できればなんとか望みをかなえてあげたいが、新車じゃないし在庫もない。しかも古いモデルを社長に探してくれとは頼みにくい。だが、相談しなければ先へは進まない。
「RZなんかだめだめ、納車してすぐ壊れるよ」
「重々承知で」
「クレームになるな」
「その件もしつこいほど説明してますから」
「そうか、しょうがないな。それだけ言うなら、当たってみるか」
「すみません、お願いします」
社長に頼んでから数日後のことだった。ラッキーにも、支店のひとつであるギャラリーⅡに下取としてRZ250が入荷したというのだ。
モト・ギャルソンは三店舗を展開していた。俺が勤務する<三鷹店>、吉祥寺の女子大通りにある<吉祥寺店>、そして武蔵野女子学院正門近くの中古車専門店<ギャラリーⅡ>だ。
電話をとるとギャラツー(ギャラリーⅡの通称)店長の江藤さんだった。
「木代くんのお客さんがRZ欲しいんだろ。入ったよ」
江藤さんは一見すると“その筋の人”に見える。てかてかなスキンヘッドと額にはえぐい古傷、さらに体型はあの手の人たちにありがちながっしり形なので、普通の人なら確実に引く。
「ありがとうございます。助かります」
「午後にそっちへ行く用事があるから持ってくよ」
昼食が終える頃、トラックが到着。降ろしたばかりのRZをじっくりと観察した。
「ものはそんなに悪くないだろ」
一見きれいだし、大きな傷や凹みも見当たらない。前後タイヤもまあまあ残ってるし、エンジンのかかりも問題なしだ。なにしろ奥村くんが買う車両なので、俺としても慎重になる。
「あれ~、これ、ちょっと怪しいなぁ~」
いきなり背後から声が降ってきた。振り向くとメカニックの海藤がRZをまじまじと観察している。
「距離が12,000kmでこのチェーンとスプロケの減り方は不自然だな。これ、交換しないと売れないですよ」
なるほど、メカニックの視線である。走行距離に対して消耗部品の状態をチェックしているのだ。中古車のオーソリティーと豪語していた江藤さんは、先ず事故車かどうかの確認として、ハンドルストッパーを見なきゃだめだと力説していたが、消耗品と走行距離との相関関係も重要なポイントになるってことだ。新車と違って中古車は個々の扱い方が違うので難しい。
モト・ギャルソンへ入社する前の話をひとつ。
弟と二人で上野へ遊びに行ったとき、有名なKモータースの前を通ると、発売されたばかりのスズキ・GSX-Rの中古車が展示されていたので、足を止めて眺めていると、
「極上でしょ! ほかを探してもまずないですよ」
小太りの店員がいきなり近づいてきて売込みが始まった。
「いやいや見てるだけだから」
言ったとたんに笑顔が消え、店の奥へと引っ込んでしまう。まっ、こんな対応の店員はこの辺じゃ珍しくないので、それはどうでもよかったが、このGSX-R、よく見るとフレーム側のストッパーがない。しかも削り取ったようにきれいになくなっている。ぱっと見は新車然だが、どう考えても事故車だ。
これが、極上ね……
「この減り方だと、本来どのくらい走ってるの?」
「メンテの状態にもよるけど、20,000Kmは越えてるんじゃないかな」
それが正しければ、これはメーターを改ざんして距離をごまかしていることになる。
「オークション物だったら、ほとんどがこんな感じっすよ」
「でも江藤さんがこれは下取車だって」
「へー、じゃ、江藤さんがちゃんと見ていれば、下取り価格は安いはずだな」
下取車査定となるとまだまだ未知の領域。これから覚えなきゃならないことは山ほどありそうだ。