「マネージャー! 寮の近くが凄いことになってますよ」
「なんだ、どうした」
クックの辰吉が、出社早々興奮気味だ。
「昨日の晩なんか、踏切の周りにすごい数のパトカーや救急車で、今も報道がわんさか集まってますよ」
なんとこの騒動こそ、世の中を震撼させた【朝日新聞阪神支局襲撃事件】だったのだ。
1987年5月3日(憲法記念日)午後8時15分。「赤報隊」を名乗る犯人が起こした一連のテロ事件のひとつで、当時支局で勤務していた3名の記者の内、一人が死亡、一人が指を2本も失う重傷を負った。
その後5月6日には、時事通信社と共同通信社の両社に「赤報隊一同」の名で犯行声明が届き、
・われわれは本気である。すべての朝日社員に死刑を言いわたす
・反日分子には極刑あるのみである
・われわれは最後の一人が死ぬまで処刑活動を続ける
と、それは殺意むき出しの内容だった。
独身寮とこの阪神支局は僅か100mしか離れてなかったので、辰吉はもちろんのこと、この夜を徹しての大騒動で、大金も住吉店の鈴木も眠れたものではなかっただろう。
そして物騒ぎな事件は、あろうことか、まだまだ続いたのだ。
朝日新聞阪神支局襲撃事件からひと月ほど経った晩。
仕事を終え、自宅マンションで寛いでいると、電話が鳴った。
「はい、いつもお世話になっております……、パパ、お店から」
受話器を受け取ると、宗川がいきなり早口でまくし立ててきた。
「大変です!マネージャーがピザの出前をした事務所が」
「事務所のなにが大変なんだよ」
「襲撃されたようです」
「えっ?!襲撃?!」
「どうやら他の組が殴り込みをかけたらしいです」
近畿土木は山健組系の暴力団がバックなので、十二分ありうる話だ。しかし殴り込みとは、まるでやくざ映画そのものではないか。
「拳銃の発射音も聞こえたって、野次馬が言ってました」
拳銃とは恐ろしい。朝日新聞社襲撃といい、この界隈、一体どうなっているのだ。
「店に被害は?」
「それはありません」
「わかったご苦労さん。それじゃきっちり閉めて上がってください」
「ました」
翌朝出勤すると、スタッフ間では、やはり“殴り込み”の話題で持ちきりになった。
聞くところによれば、人的被害はなかったものの、事務所自体はけっこう派手にめちゃくちゃにされたらしい。
スタッフ達の話を聞いていると、そのめちゃくちゃ具合がやたらと気になってきた。
現場が引けたらちょいと様子をうかがいに行ってみようと、ピザボックス等々の小道具も用意して、性懲りもなく頃合いを待つことにしたのである。
そして意外や早く、その頃合いがやってきたのである。
事件の翌日には立ち入り禁止のテープだけを残して警察は引き上げ、完全に無人となったのだ。
それではと、夕暮れを待って事務所のあるビルへ近付いた。
「こんばんわ~、ピザをお持ちしました~」
夜の帳が降り始めているにもかかわらず、2階にある事務所の窓は真っ暗だ。人のいる気配は感じられない。
足を忍ばせ階段を上がっていくと、半ばあたりに張り巡らせた立ち入り禁止のテープが邪魔をしてそれ以上は進めない。一度はくぐろうとも考えたが、余りに大人げないので、持参した懐中電灯の光を頼りに、目を凝らし奥を観察してみた。
まず、ドアのガラスはすべて割れて吹っ飛んでいた。そこから先は懐中電灯の光量では少々頼りなげで、はっきりとは確認できなかったが、ディスクの上にあった書類やファイル入れ、そして電話機が見当たらない。以前ピザを届けた際には、ごく普通の事務所然としていたので、この差は大きいと思う。
拳銃の球が当たった跡が見られればと、更に目を凝らしたが、この暗さでは無理そうだ。しかし、噂のとおり、かなりめちゃくちゃにされたことは容易に想像できた。
<やられたらやり返す>
ヤクザの世界ではごく当たり前の流れなので、この一件を発端に組対組の抗争が始まることも危惧されたが、物騒な事件は幸いにしてこれが最後だった。
新店オープン2日前の20時頃。突如店に訪れ、守代を要求してきた輩たちも、あれから音沙汰はないし、隣の事務所もいつの間にか平常を取り戻しているようだ。
恐ろしいことはもう勘弁してほしいし、これからも平穏が続いてくれることを祈るのみである。
「マネージャー」
ランチピークが引け、完全にアイドルタイムへ入った頃、MDの宮内啓子がクリーマを作りながら話しかけてきた。
「3番テーブルのお客様、最近よくご来店されてますが、マネージャー、知ってます?」
「なに、知ってるって?」
「こないだの土木事務所、あそこやってる組の親分さんです。お会計の時、ちらっと札入れを見たら、すごい厚みでした」
「へぇ、そうなんだ」
「連れてる小さい女の子はお孫さんらしいですよ」
「ああ、わかった。たまに奥さんも一緒だよね」
「そうです」
実はオープン当初より、21時過ぎからラストまでの時間帯に、その筋と思しきお客さんの来店がちょくちょくあった。夏になると上着はノースリーブかTシャツ一枚になるので、刺青がこれでもかと周囲を圧迫する。
「うわっ、モンモンやで、怖いわ~~」
「しっ===、聞こえるよぉ!」
そんな輩が2名ないし3名で来店すれば、店内には緊迫感が漂うし、彼らのテーブルだけが周囲から大きく浮き上がる。但、具体的な悪さは一切なかったので、腫れ物に触るようなことはあえて避けたが、店の雰囲気に与える影響を考えればばうんざりした。
ところがだ、その組長がお孫さん連れで来店するようになってから、不思議と刺青の輩が寄り付かなくなったのである。
たまたま偶然だろうが、余りにもタイミングがドンピシャだったので、何某かの力が働いたのかと、勘ぐってしまった。
「コーヒーのお替りいかがですが」
「あん、もうええわ」
「お孫さんですか、可愛いですね。実は私も4月に初めての子供が生まれて、娘なんです」
「そりゃおめでとう」
正体を知ってしまえば、なるほど迫力がある。しかし、知らずに接したなら、どこにでもいる優しいお爺ちゃんだ。