頭を抱える事態 その1

自宅のモッコウバラが今年もきれいに咲き出した。
小さな花弁の淡い黄色はとても可憐だし、蕾もこれまた可愛い形をしている。これまでには開花しない年もあって、そんな時は実にがっかりときたものだが、女房がガーデニングに詳しい近所の方に手入れの仕方を教わってからは、ちゃんと毎年開花するようになった。
うちの家族にとっては、満開の桜よりモッコウバラの開花の方が、よりリアルな春を感じるのだ。

しかし、今年の春はいつもの春とは大きく異なってしまった。
まさかコロナウィルスの脅威がこれほど拡大するとは思ってもみなかったし、恐らくこんな事態は世の中の誰一人として予測できなかったと思う。
何しろ新種のウィルスだから、どのような症状が出て、どのように広がり、はたまた終息にはどのような条件が必要なのか等々、皆目見当がつかないから厄介だ。見えない敵ほど怖いものはないし、これからも自粛と不安が生み出すストレスとの長い戦いが続くかと思うと、出るのは溜息しかない。
特に緊急宣言が出てからは、市民の意識も高まってきたのだろう、今は特別な状況なのだから、とにかく自粛しなければならないと。
好きな酒も飲みに行けず、伊豆へ撮影行と思っても、越境はモラルに反するなど、どうにもこうにも精神的ながんじがらめが厳しく、思うように身動きが取れないのが現況だ。
ところが、日本国民ってのは完全に平和ボケしてるから、こんな状況が長く続けば、拒否という形の反動が出ると思われる。
そもそも総理が出した緊急宣言の内容だって、健康維持のために、濃厚接触の恐れがない形での散歩やジョギングなら問題ないなどと言う、逃げ道までも設けてある緩い内容だ。これではウィルスの完璧な封じ込みなど望める筈もない。
政府は現在に至るまで、<ウィルスの封じ込み>と<経済崩壊>を天秤にかけ、それをお偉いさん方が日々戦々恐々と見つめ続け、バランスに狂いが出てくれば、「緊急宣言の対象を全国とする!」とか、「国民一人に対して10万円支給だ!」などと、まるでパッチワークとしか言いようのない“迷施策”を連発するのだ。
一日でも早く政府としての対策骨子を国民に示し、先の見通せる雰囲気づくりに努力をしなければ、しまいにはどっちつかずの弱体化した日本になる危険性だってある。総理は「必ずしやV字回復」というフレーズを良く発するが、今回はそんな生易しい状況ではない。


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