若い頃・デニーズ時代 47

「こんどさ、吉祥寺に店ができるみたいだ」
「へぇ~、木代さんがやるんですか」
「まさか、俺には回ってこないよ」

月に1~2度だったが、伊坂文恵とは立川の居酒屋で取り留めのないお喋りを楽しんだ。
彼女といると不思議にほっとするようなところがあって、いつも誘いは私からだったが、断られたことは一度もなく、互いを必要としている意識は日を重ねるごとに固まっていった。

「それより、何かうまいもんでも食いに行きたいな」
「おごってくれます?」
「あはは、いくらでも」

外食産業は週末が勝負である。もちろん我がデニーズも例外ではない。
よってこの世界に入った後は、学生時代の友人と会う機会を逸してしまった。そして根っからの酒好きな私にとって車通勤はアフターファイブの楽しみを与えてくれなかった。
UMになってからは早番が中心になり、毎朝5時に起床すると、6時半までに店へ入り、ほぼ17時過ぎまで働いて帰宅するというパターンの繰り返しになった。
この頃からだったかもしれない、一人で楽しめる趣味として写真を始めたのは。
休みは当然平日にしか取れないので、どこへ出かけても空いている点だけはウェルカムだった。
キヤノンAE-1と三脚を愛車セリカ1600GTVに載せ、よく一人で出掛けたものだ。 富士五湖や箱根方面には何度も足を運び、山中湖越しの富士山や色づき始めた箱根仙石原のススキなどから、大いに写欲をそそられたものだ。
撮影がヒートアップしてくれば当然レンズが欲しくなり、立て続けに高価な純正FDレンズを3本手に入れ、休みがくるのが待ち遠しかった。
それともう一つ。
この夏にヤマハ発動機が発売したRZ250というオートバイがやけに気になるようになったのだ。
もともとオートバイは好きだったが、高校三年の冬にちょっとした事故で怪我を負ってからは、何となく距離を置くようにしていた。ところが鮮烈と言っていいスペックを身に纏ったRZは、オートバイの持つ魅力をこれでもかと放ち続け、物欲はFDレンズと共に、大きく大きく膨れ上がっていくのだった。
但、オートバイはレンズのようにポイと買える値段ではなかったし、更にはヘルメット、グローブ、ジャケット等々も手に入れなければならない。だが、どう考えても手元の資金が足らず、ここは一旦ペンディングしかないと己に言い聞かせ、苦しかったが我慢することにした。
しかし、今後通勤途上などでRZを見たなら、欲求はさらに高まってくるだろうし、バイク雑誌を読み進めれば我慢の限界を超えてしまうかもしれない。
つくづく思うが、物欲とは本当に恐ろしいものだ。

「何考えてるんですか」
「え?ああ」

彼女と会っている時でも、何気にRZのことを考えてしまう自分も怖い。

「バイク?」
「いやいや」

見抜かれている。物欲も怖いが女の勘も恐ろしい。

RZのことはさておき、吉祥寺店が入るパーキングビルを一度見ておこうと、買い物ついでに吉祥寺へと出掛けてみた。
吉祥寺には南北に走る三つのメインストリートがある。
東急デパートやパルコがある吉祥寺通り、古くからのメイン商店街であるサンロード、そして今回のパーキングビルが建った近鉄通りだ。
吉祥寺は発展途上にあるので、新店には大きな期待が掛ったが、近鉄通りに位置するという一点だけが引っ掛かった。なぜならここは賑やかさの中心から少々離れたエリアだからだ。若者向けのお洒落な店が次々とできているのは、近鉄通りの西側から、サンロード~吉祥寺通りの西側までで、反面、新店のできるこの界隈は、戦後から今日に至るまで、イメージの悪い歓楽街として知れ渡ってきた。今でも近鉄デパートの裏側には怪しいキャバレーやソープランド、そしてラブホテルがこれ見よがしに乱立している。
しかしこのエリアにも変化の波が打ち寄せるという噂があるので、今後は期待できるかもしれない。
それにしても、こうして人いきれを強く感じる繁華街に身をおくと、やたらと新鮮味を覚えてしまうのにはびっくりだ。基本的に混み合うところは嫌いな筈だが、毎日毎日自宅と職場の往復を車でやっていれば、知らぬうちに人恋しくなり、雑踏の刺激を求めてくるのだろう。そう、電車に乗っても同じように感じてしまう。

せっかくのの吉祥寺なので、昼飯でも食ってこうと、馴染みのラーメン店「さくらい」へ寄ってみた。
ここは学生時代から良く通った店で、何を注文しても絶対に裏切られない調理の総合力が売りだ。ラーメンは醤油、味噌、塩と一通りあるが、私はここの味噌バターが何よりのお気に入りだった。ラーメンだけではなく、チャーハンや餃子を食しても、定番中の定番たる味わいに唸ってしまう。

「味噌バターください」
「へい!」

相変わらず活気があったが、以前のメンバーは誰一人見当たらない。これはちょっと寂しかったし、以前の味が出てくるのかと不安になる。
しかし煙草を一本吸い終えたころ、変わらぬ盛り付けの味噌バターが目の前におかれて一安心。

「おまち!」

早速スープからいただく。
相変わらず火傷に気を付けなければならないほどの熱々さが嬉しい。
実はそれほど腹が減っていたわけではなかったが、さくらいの味は箸を全く止めなかった。変わらぬ風味と懐かしさであっという間に完食。
デニーズの食事に慣らされた舌には、何よりの刺激なのだ。

「こんにちは。これ、お願いします」

あれからメール便が来るたびに佐々岡や藍田とバッグの隅々までチェックしたが、残念ながら吉祥寺店の新情報は送られてこなかった。連発する新店オープンの中にあって、吉祥寺店は久々のビッグニュースであり、当然ビジネス規模は大きい。東京、特に多摩地区のUMだったら興味津々間違いなしだ。

「マネージャー、電話です」

西岡みのりが事務所に顔を見せた。

「どちら様?」
「今田DMです」

一体何用だろう。

「おはようございます」
「おはよう。電話じゃ詳しいことは言えないけど、異動の準備をしておけ」
「えっ、異動って、ここはまだ1年も経ってないっすよ!」
「そんなのどうでもいいんだよ。とにかく明日行くわ」

何だってこのタイミングで俺なんだ。皆で力を合わせてやっと店が軌道に乗ってきたのに。
まさか東京地区から飛ばされるんじゃ?!
若しも千葉や北関東だったら、まじめに考えるぜ。
避けたいパターンばかりが頭の中でぐるぐると回り続けた。そんな時、スタッフの顔を見回すと無性に悲しい気分が込み上げてきた。異動でお別れだから悲しいのではなく、一国一城の主としてスタッフと共に汗水かいてきたUMの俺が、上から余りにも軽く扱われていることに、悔しいやら腹が立つやらで悲しくなるのだ。

くそぉぉぉ!!
俺はお前らの手駒じゃねえ!!!


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