
大崎社長の行動には理解不能なことが時々出てくる。中でも闇雲に人を採用する悪癖は、時として店、そして会社の存続をも脅かす。
社長が考え判断することなので口は挟めないが、人の採用は即固定費増へと繋がるので、適正人員、対象者の将来性等々を十分把握したうえで行うべきものだ。ところがメカニック希望者や、若くて見栄えのいい女性となると、誰との相談もなくその場で採用してしまう。
ちょっと前にHDJが開催する経理講座があって、俺と武井くん、そして社長の息子である大崎茂雄の三人で参加した。担当店舗の財務諸表を持参し、それを経理のエキスパートと共に分析し、問題点を洗い出そうという内容である。参加は二十社を超え、会場は熱気に包まれていた。
基礎の講義が終わり、休憩を挟んだ後、先生を交えて各社個々の分析が始まった。
ある程度は予想していたが、
「ギャルソンさん、人件費がかなり吐出してますね。ややもすると他社の二倍は使っているかも」
二倍とは驚きだ。「杉並店は赤字続きなんだよな~」は、社長の口癖であるが、そうなっている原因はあなたのいい加減な採用によるものですよと、声を大にして言いたい。こっちは一生懸命売っているのに、店長会議で毎度「赤字赤字!」と指摘されたら、当然いい気はしない。
そもそもスターティングメンバーは、店長兼営業:俺、営業:ハラシ、工場長兼ドゥカティメカ:大杉、ドゥカティメカ:坂上、ビューエルメカ:柳井の四名にアルバイトの真理ちゃんである。もっとも今の売上ではこれでもやや多い。そんな状況下、社長の独断で採用した営業一名、メカ一名を、こともあろうに両名とも杉並店所属としたのだ。今の営業並びに工場売上げを倍にでもしない限り利益は出ない。
まっ、その前に狭い杉並店では彼らの居場所がないか…
新営業マンは、三十代男性の松生。味の素スタジアムで行われたHDJ主催の“アメリカンフェスティバル”に来場し、うちのブースでビューエルXB9Rの新車を買ってくれた。と、そこまではよかった。商談が成約し、社長と雑談に入ると、
「すみませんが、営業で採用していただけないでしょうか」
吟味が必要な事案に対して大崎社長、買ってくれた恩義にほだされたか、「履歴書と面接は後日でけっこう」と、事実上の即決採用を告げてしまったのだ。しかも新車を買うほどビューエルが好きだということだけで、杉並店配属とした。
もう一人のメカは、仙台赤門自動車学校の卒業予定者である奥留くん。仙台まで赴き、会社説明会を行った際に、一人だけ引っ掛かったのが彼。奥留くんはビューエルオーナーだった?こともあり、ハーレーではなくビューエルのメカをやりたいと履歴書に記していたし、また面接の際にもその旨を強く希望した。うちとしてはハーレーのメカが欲しかったが、あとで配置転換等々で調整すればいいと判断。
実は奥留くん、一年ほど前に仙台の中古バイク屋でXB9Rを購入し、嬉々として峠道をぶっ飛ばしていたのだが、とある日に転倒。己の怪我は軽かったものの、残念なことにXB9Rは全損、残ったのは多額な残債だ。
奥留くんは柳井につけて、徹底的にビューエルの整備ノウハウを身に着けさせた。新卒なので即戦力にはならないが、彼はこつこつと仕事をこなしていった。根っからの明るい性格もあり、店のメンバーたちみんなから可愛がられた。
一方、営業の松生も懸命に働き、お客さんへの声掛けも積極的に行い、月に一台、二台と地道ながら実績を上げ始めた。ところが同僚となるハラシとどうにも馬が合わなく、ちょっとした言い争いが頻発し、ハラシの士気は見る見る下がっていった。
こうし大所帯となった杉並店は、予測どおり大赤字を連発。営業マンが一人増えたからと言って、売り上げが伸びるわけもなく、それ以上に営業マン二人の不協和音が悪影響し、商談の成約率は下がる一方だった。
そんなある日、珍しく大崎社長が来店するやいなや、小言の連発が始まる。
「木代くん、最近の値引き額だけど、ちょっとやり過ぎじゃないかな。1098はニューモデルなんだから、ここまで引くことはないだろう!」
俺も分かっていた。しかし毎月の売り上げ不調に焦りが出てきたことが引き金になり、ハラシにも松生にも、成約優先の指示を出していたのだ。
「すみません。とにかく在庫をさばいちゃおうと思って…」
「わからないでもないが、これじゃ後々の為にならない」
「ここ二カ月は特にドゥカティの商談が激減してるんです」
「おれもそれなりに情報を集めてるけど、Tモータースあたりは大変だと思いうよ」
「でも先回のDJ会議の資料を見ると、登録台数はそれほど落ちてないですよ」
「いやいや、Mさんに聞いたよ。DJがストアに対してかなりな額の登録補助金を出してるらしい」
意味のない数字“登録台数”。こいつに振り回され、真の現況や推移がまったく見えなくなり、業界全体を重苦しくしているのだ。
「そう言えば、松生に調布店異動の話をしたら、難色示したね」
松生はスポーツバイクが好きだ。だからわかる。ハーレーには全く興味がないのだ。奥留にしても然り。だから言わんこっちゃない。あとからハーレー担当に振るなんて考えは、エゴ以外の何物でもないのだ。
しかしそうなると、杉並店はどうなってしまうのか。人減らし以外に打開策はないものか…

そんな中、ドゥカティがモンスターのニューバージョンを発表した。その名も“S4RSテスタストレッタ”。
現行モデルのS4Rも高い人気を誇り、ドゥカティの屋台骨を支える重要な役目を果たしてきたが、今度のはそれを上回る仕上がりだ。エンジンは999で、足回りをOHLINSで固めている。S4Rはエンジンが996なので、強力なトルクは恐怖をも感じる立ち上がり加速を見せるが、ライテクのある人ならまだしも、一般ライダーでは持て余す。それに対し999のエンジンは飛躍的に使いやすいセッティングになっていた。すべての加速域で暴力的なところがなく、スロットルの開度に従いパワーが出てくるから、どのようなレベルのライダーでも積極的に開けられるところが大きな進化ポイントだ。そして目を見張るのは、強力な制動力。ラジアルマントのBremboキャリパーは、これまで経験したことのない強力かつ安定した制動力を発揮。伊豆スカだったら、どれほどスピードを出しても不安なくコーナーへ突っ込める優れもの。もちろん杉並店でもすぐに試乗車を用意し、販売強化を図った。ただ、下ろしたては当たりがでてないので、ぎくしゃく感が目立ち、試乗したときの印象はあまり芳しいものではない。最低でも1000Km以上の馴らし運転が必要だ。
てなことで、直近の木曜に伊豆箱根を走り回り、最低でも積算距離を500Kmまで伸ばしてくることにした。仕事とはいえ、実に楽しみである。

「店長、明日は馴らしですか?」
「うん、伊豆あたりへ行こうかと思って」
「ぼくも一緒に行っていいですか?」
「ああ、もちろん」
XB9Rの松生である。彼は愛車を大切にしていて、いつもピカピカだ。先日もXB9Rのプロジェクターヘッドライトの暗さがどうにも気に入らないようで、大枚をはたいてHID化した。XB9Rのヘッドライトは本当に暗く、新規登録時はなんとか通っても、継続車検時ではほぼ50%、“照度不足”で落とされる。

当日は絶好のバイク日和。伊豆の西海岸をひたすら南下し、戸田で休憩の後は宇久須まで足をのばしランチにした。以前から一度食してみたかった宇久須名物の小鯖寿司である。その名を広めたのは“三共食堂”。R136から一本海側へ入ったところなので、探すのにちょっと時間がかかった。新鮮で弾力のある身に生姜とネギとがうまく絡まりあい、瞬く間にごちそう様。つま楊枝をくわえながら、お茶をずるずるやっていると、

「店長、実はお話があるんです」
なんとなく、予感めいたものは感じていたが…
「どした?」
「急なんですが、今月いっぱいで退職したいんです」
「社長に言われたことが引っ掛かってるの?」
「それもありますが、実家の仕事を継ぐことになったんです」
話を聞けば、決意は固く、奥さんの了解も取れてるようだ。そう、彼は半年前に結婚していた。
「そっか、残念だけどしょうがない。じゃ、今日は走りおさめだな」
「はい! これまでいろいろとありがとうございました」
松生と一緒に走るのもこれが最後。
「よっしゃ、ゲロが出るまで走ろうぜ」
「OK!」
宇久須から松崎、そこから婆娑羅峠~下田街道~修善寺と進み、冷川ICから伊豆スカへ乗る。そこから箱根峠までの40Kmを一気に走り抜けた。
馴らし中だったので、大きく回転を上げることはできなかったが、エンジンの伸びの良さと、足回り、ブレーキの秀明さは十分体感できた。リッターバイクを感じさせない軽さは、積極的なコーナリングを生み出し、特に右手の人差し指一本でジャックナイフできそうな制動力は、もはや感動的ですらあった。
こんな騒動から一年後。社内キャリアでのターニングポイントが突如訪れた。












