バイク屋時代47 人員過剰とS4Rs Testastretta

 大崎社長の行動には理解不能なことが時々出てくる。中でも闇雲に人を採用する悪癖は、時として店、そして会社の存続をも脅かす。

 社長が考え判断することなので口は挟めないが、人の採用は即固定費増へと繋がるので、適正人員、対象者の将来性等々を十分把握したうえで行うべきものだ。ところがメカニック希望者や、若くて見栄えのいい女性となると、誰との相談もなくその場で採用してしまう。
 ちょっと前にHDJが開催する経理講座があって、俺と武井くん、そして社長の息子である大崎茂雄の三人で参加した。担当店舗の財務諸表を持参し、それを経理のエキスパートと共に分析し、問題点を洗い出そうという内容である。参加は二十社を超え、会場は熱気に包まれていた。
 基礎の講義が終わり、休憩を挟んだ後、先生を交えて各社個々の分析が始まった。
 ある程度は予想していたが、
「ギャルソンさん、人件費がかなり吐出してますね。ややもすると他社の二倍は使っているかも」
 二倍とは驚きだ。「杉並店は赤字続きなんだよな~」は、社長の口癖であるが、そうなっている原因はあなたのいい加減な採用によるものですよと、声を大にして言いたい。こっちは一生懸命売っているのに、店長会議で毎度「赤字赤字!」と指摘されたら、当然いい気はしない。
 そもそもスターティングメンバーは、店長兼営業:俺、営業:ハラシ、工場長兼ドゥカティメカ:大杉、ドゥカティメカ:坂上、ビューエルメカ:柳井の四名にアルバイトの真理ちゃんである。もっとも今の売上ではこれでもやや多い。そんな状況下、社長の独断で採用した営業一名、メカ一名を、こともあろうに両名とも杉並店所属としたのだ。今の営業並びに工場売上げを倍にでもしない限り利益は出ない。
 まっ、その前に狭い杉並店では彼らの居場所がないか…
 新営業マンは、三十代男性の松生。味の素スタジアムで行われたHDJ主催の“アメリカンフェスティバル”に来場し、うちのブースでビューエルXB9Rの新車を買ってくれた。と、そこまではよかった。商談が成約し、社長と雑談に入ると、
「すみませんが、営業で採用していただけないでしょうか」
 吟味が必要な事案に対して大崎社長、買ってくれた恩義にほだされたか、「履歴書と面接は後日でけっこう」と、事実上の即決採用を告げてしまったのだ。しかも新車を買うほどビューエルが好きだということだけで、杉並店配属とした。
 もう一人のメカは、仙台赤門自動車学校の卒業予定者である奥留くん。仙台まで赴き、会社説明会を行った際に、一人だけ引っ掛かったのが彼。奥留くんはビューエルオーナーだった?こともあり、ハーレーではなくビューエルのメカをやりたいと履歴書に記していたし、また面接の際にもその旨を強く希望した。うちとしてはハーレーのメカが欲しかったが、あとで配置転換等々で調整すればいいと判断。
 実は奥留くん、一年ほど前に仙台の中古バイク屋でXB9Rを購入し、嬉々として峠道をぶっ飛ばしていたのだが、とある日に転倒。己の怪我は軽かったものの、残念なことにXB9Rは全損、残ったのは多額な残債だ。
 奥留くんは柳井につけて、徹底的にビューエルの整備ノウハウを身に着けさせた。新卒なので即戦力にはならないが、彼はこつこつと仕事をこなしていった。根っからの明るい性格もあり、店のメンバーたちみんなから可愛がられた。
 一方、営業の松生も懸命に働き、お客さんへの声掛けも積極的に行い、月に一台、二台と地道ながら実績を上げ始めた。ところが同僚となるハラシとどうにも馬が合わなく、ちょっとした言い争いが頻発し、ハラシの士気は見る見る下がっていった。
 こうし大所帯となった杉並店は、予測どおり大赤字を連発。営業マンが一人増えたからと言って、売り上げが伸びるわけもなく、それ以上に営業マン二人の不協和音が悪影響し、商談の成約率は下がる一方だった。
 そんなある日、珍しく大崎社長が来店するやいなや、小言の連発が始まる。
「木代くん、最近の値引き額だけど、ちょっとやり過ぎじゃないかな。1098はニューモデルなんだから、ここまで引くことはないだろう!」
 俺も分かっていた。しかし毎月の売り上げ不調に焦りが出てきたことが引き金になり、ハラシにも松生にも、成約優先の指示を出していたのだ。
「すみません。とにかく在庫をさばいちゃおうと思って…」
「わからないでもないが、これじゃ後々の為にならない」
「ここ二カ月は特にドゥカティの商談が激減してるんです」
「おれもそれなりに情報を集めてるけど、Tモータースあたりは大変だと思いうよ」
「でも先回のDJ会議の資料を見ると、登録台数はそれほど落ちてないですよ」
「いやいや、Mさんに聞いたよ。DJがストアに対してかなりな額の登録補助金を出してるらしい」
 意味のない数字“登録台数”。こいつに振り回され、真の現況や推移がまったく見えなくなり、業界全体を重苦しくしているのだ。
「そう言えば、松生に調布店異動の話をしたら、難色示したね」
 松生はスポーツバイクが好きだ。だからわかる。ハーレーには全く興味がないのだ。奥留にしても然り。だから言わんこっちゃない。あとからハーレー担当に振るなんて考えは、エゴ以外の何物でもないのだ。
 しかしそうなると、杉並店はどうなってしまうのか。人減らし以外に打開策はないものか…

 そんな中、ドゥカティがモンスターのニューバージョンを発表した。その名も“S4RSテスタストレッタ”。
 現行モデルのS4Rも高い人気を誇り、ドゥカティの屋台骨を支える重要な役目を果たしてきたが、今度のはそれを上回る仕上がりだ。エンジンは999で、足回りをOHLINSで固めている。S4Rはエンジンが996なので、強力なトルクは恐怖をも感じる立ち上がり加速を見せるが、ライテクのある人ならまだしも、一般ライダーでは持て余す。それに対し999のエンジンは飛躍的に使いやすいセッティングになっていた。すべての加速域で暴力的なところがなく、スロットルの開度に従いパワーが出てくるから、どのようなレベルのライダーでも積極的に開けられるところが大きな進化ポイントだ。そして目を見張るのは、強力な制動力。ラジアルマントのBremboキャリパーは、これまで経験したことのない強力かつ安定した制動力を発揮。伊豆スカだったら、どれほどスピードを出しても不安なくコーナーへ突っ込める優れもの。もちろん杉並店でもすぐに試乗車を用意し、販売強化を図った。ただ、下ろしたては当たりがでてないので、ぎくしゃく感が目立ち、試乗したときの印象はあまり芳しいものではない。最低でも1000Km以上の馴らし運転が必要だ。
 てなことで、直近の木曜に伊豆箱根を走り回り、最低でも積算距離を500Kmまで伸ばしてくることにした。仕事とはいえ、実に楽しみである。

「店長、明日は馴らしですか?」
「うん、伊豆あたりへ行こうかと思って」
「ぼくも一緒に行っていいですか?」
「ああ、もちろん」
 XB9Rの松生である。彼は愛車を大切にしていて、いつもピカピカだ。先日もXB9Rのプロジェクターヘッドライトの暗さがどうにも気に入らないようで、大枚をはたいてHID化した。XB9Rのヘッドライトは本当に暗く、新規登録時はなんとか通っても、継続車検時ではほぼ50%、“照度不足”で落とされる。

戸田港にて

 当日は絶好のバイク日和。伊豆の西海岸をひたすら南下し、戸田で休憩の後は宇久須まで足をのばしランチにした。以前から一度食してみたかった宇久須名物の小鯖寿司である。その名を広めたのは“三共食堂”。R136から一本海側へ入ったところなので、探すのにちょっと時間がかかった。新鮮で弾力のある身に生姜とネギとがうまく絡まりあい、瞬く間にごちそう様。つま楊枝をくわえながら、お茶をずるずるやっていると、

「店長、実はお話があるんです」
 なんとなく、予感めいたものは感じていたが…
「どした?」
「急なんですが、今月いっぱいで退職したいんです」
「社長に言われたことが引っ掛かってるの?」
「それもありますが、実家の仕事を継ぐことになったんです」
 話を聞けば、決意は固く、奥さんの了解も取れてるようだ。そう、彼は半年前に結婚していた。
「そっか、残念だけどしょうがない。じゃ、今日は走りおさめだな」
「はい! これまでいろいろとありがとうございました」
 松生と一緒に走るのもこれが最後。
「よっしゃ、ゲロが出るまで走ろうぜ」
「OK!」
 宇久須から松崎、そこから婆娑羅峠~下田街道~修善寺と進み、冷川ICから伊豆スカへ乗る。そこから箱根峠までの40Kmを一気に走り抜けた。
 馴らし中だったので、大きく回転を上げることはできなかったが、エンジンの伸びの良さと、足回り、ブレーキの秀明さは十分体感できた。リッターバイクを感じさせない軽さは、積極的なコーナリングを生み出し、特に右手の人差し指一本でジャックナイフできそうな制動力は、もはや感動的ですらあった。

 こんな騒動から一年後。社内キャリアでのターニングポイントが突如訪れた。

体調不良 その1

 九月下旬のとある日、朝から鼻水が止まらない。もともとアレルギー性鼻炎もちなので、季節の変わり目で頻発することはよくある。なんの疑いもなく鼻炎の常備薬を手に取った。ところが夕方になると怠さと悪寒が出始め、念のために熱を測ってみると37.8℃もある。十月一日~二日は楽しみにしているデニーズOB会初の一泊旅行が控えているし、なにより幹事を買って出ていたので休むことなど到底できない。すぐに床に入り回復へ万全を期した。

 翌朝も熱は下がらず、大事を取って一日安静にして過ごす。ところが昼食前に検温すると36.9℃と下降傾向を示し、気のせいかなんとなく体も軽い。これは回復へ向かっているのだと自己判断、普段の生活に戻った。ただ、朝目覚めたときから酷い腰痛が起き、家の中を歩くにも一苦労。これには参った。

 OB会の一泊旅行は実に楽しく、おかげさんで腰痛以外はなんのトラブルも起きなかった。
 旅行から戻って十月三日。相変わらず腰痛は続いていた。
「ねえパパ、前に病院でもらった湿布があるんだけど、貼る?」
 風呂上がりにこれを貼ってもらうと、冷たさがスーッと広がってとても気持ちよく、その晩はぐっすり眠れ、おまけに翌朝目が覚めると、ずいぶん痛みが引いていた。

 回復へと向かっているのだと頑なに信じていたところ、十月五日の夕方に再び怠さを覚え、検温してみると37.4℃。
「なんだかぶり返したみたい」
「早く寝れば」
 翌朝目覚めると、体が重くなんとなく熱っぽい。ちょっとは下がったが、体温は依然と36.8℃あり、微熱でもこれほど長く熱が下がらないのはこれまでに経験がない。ちなみに平熱は36.4℃ほどだ。どこか深刻な状態にあるのではと不安になり、西久保三丁目にあるK医院で診てもらうことにした。

「なんでしょうね、とにかく血液検査をしてみましょう」
 解熱剤をもらうほどの高熱でもなく、微熱の原因もわからないので、薬は処方されなかった。
 怠い体に鞭を打つだけか…
 翌日午後三時。K医院へ検査結果を問い合わせた。
「肝機能の数値が軒並み悪いんですよね」
「考えられる病気は?」
「これだけじゃなんとも、雑多なウィルスが入っちゃったのかな」
 このドクター、なんとも歯切れの悪い男だ。どのような目星をつけているのかまったく伝わってこないし、詳細に説明した症状に対して、どのように考えているのかもわからない。
「この数値、たまたま上がってしまったかもしれないんで、念のためもう一度やりましょう」
「結果が変わらなかったら?」
「まあ、とにかく採血しましょう」
 熱は下がらないし、肝臓の異常値が変わらないのは気になるところ。ここは素直に指示に従った。実はこのドクター、次回来院までに熱は下がり、怠さも解消してるだろうと安易に予測していたのだ。

 十月十五日。血液監査の結果を聞きに来院すると、
「どうです、怠さは取れましたか?」
「まったく。熱も下がりませんね」
「えっー、そーなんだ… ぼくにはわからないな」
「それより血液検査は?」
「数値は悪いままですね」
 これには落胆。となると十中八九肝臓にトラブルが発生しているということだ。
 ついに来たか、年貢の納め時。断酒である。
 果たしてアルコール抜きで私は生きていけるのか…
「紹介状を書きますので、他の病院を当たってもらえますか」
 鼻っからそのつもりだ。このドクターを相手にしてたら、肝臓うんちくの前に精神がプッツンときそうだ。
「だったら紹介先を武蔵境の日赤にしてください」
 長い戦いが始まりそうである。

バイク屋時代46 ドゥカティ国際会議とEICMA

 ドゥカティスーパーバイクのフルモデルチェンジが噂される中、二〇〇七年モデルとして発売される“1098”が、イタリアはミラノで行われたドゥカティ国際会議にて公開された。この会議には俺が参加した。各国から集まったディーラースタッフの期待に満ちたまなざしを目の当たりにし、こんどのはイケる!と確信した。難しいことなしに、ぱっと見がカッコイイのだ。999のように好き嫌いが出るデザインではない。
「木代さん、これ、売れると思います?」
 前の席に座っているO社長が振り向いた。やけに真剣なまなざしである。
「俺は売れると思います。これが駄目なら、レプリカ自体が飽きられてきたってことになるんじゃないですか」
「ですよね。私も久々に売れる商品が出たって感じてますよ」

 今回の国際会議は、同じミラノ市内で行われている世界最大の二輪車ショー【EICMA・エイクマ】に合わせて開催したようで、後日、日本から来たメンバー全員は、ほぼ半日をかけて会場を見て回った。圧倒的な規模は、幕張メッセで行われるモーターショーの上をいくもので、ヨーロッパの二輪文化を肌で感じることができた。自転車展示場にはなんとトラックコースまでが作られていて、プロフェッショナルライダーによる迫力あるデモ走行には目が釘付けになった。もちろんホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキのブースも回ったが、展示車両は断トツに多かったものの、活況はそれほど感じられず、盛り上がっていたのは、やはり地元のドゥカティや、BMW、そしてKTMのブースである。中でも、KTMブースにはGP250の契約ライダーになった“青山博一”を招き、トークショーが行われ、プレスだけでも三十名以上が押しかけ、人の輪が切れることはなかった。
 一応ハーレーダビッドソン&ビューエルのブースも覗いてみたが、閑古鳥が鳴いていた。ヨーロッパの二輪車嗜好がよくわかるところだ。

2024年のEICMA・ドゥカティブース

 この度のミラノ行。EICMAをはじめ自由時間のほとんどを、株式会社KのM社長に、金魚のフンの如くくっ付いて回った。ドゥカティ並びにKTMの売上日本一に輝くM社長は海外出張が多く、特にミラノは十数回訪れたことがあるそうで、右だろうが左だろうが、新宿、渋谷並に熟知している。おまけに今回は部下二人のお供付きと豪勢だ。
「あれ! 木代さんじゃないですか」
 通路の方から声が飛んできた。振り向くと、吉祥寺店でベスパを扱っていた頃、大変お世話になった成川商会の塚田さんがこっちを向いて手を振っている。
「うわ~、久しぶりです~、EICMAとなるとやはりお仕事ですか?」
「そーなんですよ」
「自分はミラノ初めてなんで、M社長に案内してもらってるんです」
「会場は物凄く広いんで、時間をかけて見て回ってください」
「ありがとうございます」
 塚田さんの言ったとおり、本当に広い。あれもこれもと目についたブースへ足を運んでいると、時間はいくらあっても足りはしない。すでに疲れが出てきて、脚は棒のようだ。
 前方へ目をやると、M社長が男性二人と何やら話し込んでいる。近づいてみると、
「あらら、木代さん、 久しぶりです」
 これにはびっくり。ちょっと前までDJの営業部長をしていた笹澤さんである。その隣には金髪、小太りの、外人年配男性がにこやかな笑顔を振りまいている。
「木代さん、外人の彼はKTMジャパンのミッシェル社長です」
 なるほど、ということは笹澤さん、DJを辞めた後、KTMへ入ったんだ。
「去年KTMの売り上げが日本一になったんで、お祝いってことでミッシェル社長が今夜一席作ってくれたらしいよ」
 M社長がにこやかに説明してくれた。
「そりゃ素晴らしい、ぜひ楽しんできてください」
「木代さんも来れば」
「え? 俺なんか、行っていいんですか?」
 すると笹澤さんが、
「大歓迎ですよ、KTMの売り込みはしないから安心してください」

2024年のEICMA

 ミラノは、まるで町中すべてが世界文化遺産ではなかろうかと思うほど美しい。石畳の道、歴史を感じる家屋や街灯など、まるで映画のワンシーンのようだ。ミラノドゥオーモ駅の階段を上がりきった真正面にそびえるのがミラノドゥオーモ大聖堂。一歩中へ足を踏み入れると、宗教芸術の極みというべき世界に包み込まれ、暫し圧倒される。
「これは見事ですね~」
「初めて見た人は誰だってびっくりするんじゃないかな」
 この後ショッピングモールへと足を進めるが、ここがまたシック。モール全体で色彩が統一されていて、けばけばしさや安っぽさが一切感じられない。入ってすぐ正面にあるLouis Vuittonのショップなどは、モールに溶け込んでいるかのようだ。
 ぐるり時計回りで歩いていると、カフェ街にでた。どこの店もテラス席はほぼ満席で、そこで寛いでいる人たちが、これまた絵になる。
「そろそろ時間なんで、レストランへ向かいましょうか」
 右も左もわからない俺の目には、さっさと歩き進むM社長の後ろ姿が眩しく映る。
 夜のとばりが落ち始めた石畳の道を十分ほど行くと、前方に明るく輝くショールームが目に入る。
「あれ、フェラーリのショールームですよ」
「へー、イタリアですね。それにしてもセンスのいい展示だな」
「その右隣がレストランです」

 こんな機会がなければ、一生来ることはないだろうと、なんだか緊張してきた。
 店内に入ると、満面の笑顔をたたえるスタッフが二階へと案内してくれた。個室が並び、そのうちの一つのドアを開くと、
「お待ちしてました。お疲れ様です」
 入口でミッシェル社長と笹澤さんが迎えてくれたが、他にもテーブルの向こう側に若い男性と女性がいる。
「紹介します。今年度からKTMのエースライダーを務めている“青山博一”さんと、隣の美女は彼の秘書の中山さんです」


 おおっ!EICMAで見かけたあのGPライダーの青山博一が同席とは、こいつはびっくり。彼の一印象は、笑顔がまぶしい好青年。隣の中山さんは、知的な色香が漂う実に魅力的な女性だ。GPライダーともなると、こうして美人の秘書までつけられるんだなと、うらやましくなる。ミシェル社長、笹澤さん、M社長の三人は、アルコールが進むほどにビジネスの話で盛り上がっていたので、これはチャンスと、青山さんへ色々と質問をしてみた。
 チームから出るギャラと広告収入は、年二回に分けて支払われるとのことだが、その時点の為替を考慮の上、円建て若しくはドル建てをチョイスしているようだ。中山さんはなかなか頼もしいパートナーなのだ。
「広告と言えば、先日タイヤメーカーの撮影があったんですが、ものすごい寒い日なのに、いきなり膝を擦るシーンを撮りたいなんて無理難題を押し付けてきたんです」
 気温が低ければ、当然タイヤも冷えているわけで、いかにサーキットとは言えどもグリップ力は殆ど無いに等しい。これでフルバンクしたらさすがの青山さんでもすってんころりんである。
「すぐには無理ですよって言ったら、時間がないなんて反論されちゃって」
 GPライダーのこんな裏話が、しかも本人の口から聞けるなんて…
 牛肉メインの料理が続き、デザートには生ハム&メロンが出た。この時とばかりに、出された料理はすべて平らげ、高級そうに見えたワインは、ほぼ一人で一本近く開けてしまった。
「木代さん、お酒強いんですね」
「いやいやお恥ずかしい」
 ドゥカティ国際会議とEICMA視察、ミラノ観光とすべてが美味しいイタリアンフード。そして何より青山さんとおしゃべりができたこと。こんな充実した日々を味わえるのは、今後の人生にもそうそうないだろう。
 楽しい時間はあっという間に過ぎた。レストランを出るとき、顔を真っ赤にした笹澤さんが近づいてきて、耳元でささやいた。
「KTMの話、大崎社長にぜひぜひお伝えくださいね」
「は、はい…」

 後日談になるが、このイタリア行にはニコンD100を持参し、張り切って二百枚以上撮りまくったのだが、うっかりしたことにそのデータを入れたMOディスクを紛失してしまう。自分自身、本当に情けなくなった。

デニーズOld Boy’s 西伊豆一泊旅行

「一回ぐらいさ、温泉でも浸かって一泊でやりたいよな」
 定例の飲み会で、ふとYOさんが呟いた。
「伊豆だったらけっこう詳しいから、計画立ててみるか」
 てなことで、いつものメンバーは十月一日~二日の一泊二日で、伊豆を堪能してきた。

浄蓮の滝にて

 集合場所は三鷹北口のニッポンレンタカー。おまかせで用意されていたのは、トヨタのヤリス。でっかい大人が四人も乗りこんで、排気量1000ccは果たして走るのかと、やや懐疑的だったが、そこはトヨタ車、最後の最後まで頑張って走ってくれた。ただ、加速に関しては、一般道、山道、高速それぞれ十分とは言い難く、キックダウンのタイミングも早くて、ややストレスが溜まった。
 東名を裾野で降りて、デニーズ三島北店でランチ。なんと女性スタッフがメンバーのIさんと面識があり、話が盛り上がる。私より数段若く、しかも定年まで働いていた彼なら、まだまだ既存店に知り合いが残っているのだろう。

 雲行の悪さに回復の兆しは見えず、スタートから延々と小雨が降り注いでいたが、ここまで来たら観光だよ!と、天城は“浄蓮の滝”へ行ってみた。数日前から腰痛が酷く、急で二百段もある長い階段は、さすがに応えた。
「すごいな~、でかい滝だね」
「おれ、ここって初めてだよ」
 それでもメンバーの反応はまんざらでもなく、ホッとする。
「しかしこの階段、シンドイな…」
 みんなの息が上がっている。
 途中、東名で事故渋滞に巻き込まれ、一時間以上のロスタイムがあったので、この後は婆娑羅峠経由で宿へ直行した。

  今宵の宿は、昨年末の年末撮影会で利用した、宇久須の【漁火の宿 大和丸】。
 料理とコスパの良さでは群を抜き、一発でファンになったところだ。
「温泉、料理、ぜぇ~んぶ最高!」
「静かなところがいいよね~」
「なんてったって、目の前が海ってのは癒されるな」
 部屋に戻ってからもおしゃべりと酒は進み、結局床に就いたのは午後十一時を回っていた。

宇久須港にて

 翌日は奥石廊のユウスゲ公園まで足を進め、大海原を眺めた。あいにく富士山は雲に隠れていたが、南伊豆の海岸線と、遠くにかすむ伊豆七島の島影は、日常にはない胸のすく眺め。
「こりゃ絶景だ!」

ユウスゲ公園にて

 下田を経由して天城を上り返し、修善寺からは縦貫道に乗って一気に沼津へ。ラッキーなことに沼津港の無料駐車場に空きがあり、車を置くと、人気海鮮店“丸天”でランチにした。昔の暗くてごみごみした感じもよかったが、今は明るく、テーブルも余裕ある配置で、ゆっく落ち着いて食事を楽しめた。注文した天丼は、タレにやや甘みが足りなかったが、イキのいい素材で美味しくいただけた。

 あっという間の二日間であったが、やはり一泊という旅程は、親睦を深めるにはいい仕事をする。
 大変おつかれさまでした。

長生きくらべのできる相手

 自宅玄関前の彼岸花が今年も健気に開花、その美しい姿を披露してくれた。
 植物の持つ生命力ってのは、飛びっ切りのものだ。もしも地球が最終章に陥ったなら、最後の最後まで生き続けるのは恐らく植物だ。“大賀ハス”のトピックスを鑑みれば如実である。二千年前のハスの実が発芽、そして見事に開花したなんて、すでに驚きを越えてロマンチックが大爆発。

 彼岸花の球根の寿命は十年から二十年と言われているが、うまく分球が進めばそれを越えて毎年目を楽しませてくれる。
 ふと可笑しなことを考えた。私と玄関前の彼岸花は、どちらが先に息絶えるだろうかと…
 長生きくらべのできる相手だと認識すれば、友人のように思えてくるから笑える。
 彼岸花は寿命が近づくと、球根の活力低下が起き、その結果、花が小さくなる、色が薄くなる、咲かない年が出てくる、などの変化が表れるようだ。ただ、似たような症状でも、日照不足、過湿、根詰まりなどが続くことによって起きる“疲弊”が原因になることもあり、こんなところは人間となんら変わらない。
 ここまで考えが及んでくると、翌年の開花に興味が向く。地下でスタンバる“球根くん”は、果たして元気にやっているだろうか、はたまたどこかの飼い犬が球根の真上でおしっこを振りまき、困ってないだろうかと、妙な心配をするようになるのでは…

写真好きな中年男の独り言