2024年・年末撮影会

 あけましておめでとうございます。
 本年も引き続き【西久保日記】をよろしくお願いいたします。

 写真仲間と行く恒例年末撮影会も無事終了、こうして新年をさわやかな気分で迎えることができたのも、ひとえにご先祖様のおかげと合掌。ブログを執筆しながら720mlボトルで五千五百円もする“八海山 純米大吟醸雪室貯蔵三年”なる高価な酒を舐めながら、二日間の足取りを整理するという幸せなひと時に浸っている。

黄金崎公園・馬ロック

 さて、年末撮影会は飽きもせずに毎度伊豆を回るので、東海岸を除けばかなりのレベルで行きつくした感がある。そうなると被写体もマンネリ化しがち。今回は“脚”をちょっぴり使って新ネタ探しにいそしんでみた。
 初日の十二月三十日には戸田峠の駐車場から金冠山へ登り、富士山をバックに西浦の海をおさめようともくろんだ。ところが富士山は厚い雲の中。最初は見えていた駿河湾も一気に湧いてきた濃い霧に視界が閉ざされてしまい、しばらく待ってはみたが、変化がないので西海岸へと降りた。ちなみに途中で車窓から富士山方面へ目を向けると、な、なんと、うっとりするほどその美しい姿を現しているではないか。

「昼飯さ、ずっと前に行ったことのある宇久須の中華屋にしよう」
「あそこ美味かったよね」
 国道136号から仁科峠方面へ左折するとすぐ左側にある店で、店主である元気で明るいおやっさんが印象に残っていた。小さな駐車場なので車を置けるか心配だったが、到着すると一台分だけ空いていた。さっそく店内へ入ると、記憶とは異なる空気感に戸惑う。ムードが暗く、いらっしゃい!の一声が聞こえてこない。調理場を見ると、仏頂面をさげたおやっさんが一人黙々と調理している。注文したタンメン二つが運ばれてきたとき、思い切って聞いてみた。
「おやっさん、なんかしんどそうじゃないですか」
「脊髄狭窄症と膝痛のダブルでさ、こんど二度目の手術なんだよ」
 どうりで。
「そりゃたいへんだね、とにかくお大事に」
 次に来た時の笑顔と元気に期待しよう。

 今宵の宿は宇久須の【漁火の宿 大和丸】。
 チェックインまで時間があったので、眼前に広がる港を散策してみた。持ち出した機材は“α6000+E 55-210mm F4.5-6.3 OSS”。
 毎度の強風が吹き荒れていたが、それを物ともせず、堤防には釣りを楽しむ人たちが多数集まっていた。若い家族連れも二組いて、子供たちはみなウキの動きに目が釘付けだ。
「わっ、すげー!」
 背後で男の子の声が上がった。ふり向けば彼のお父さんがなにやら釣り上げたらしい。近づいて覗き込むと、堤防釣りにしてはまあまあの大きさのカサゴである。
「これ、撮ってもいいですか」
「どうぞどうぞ」
 ぽっちゃりしたお母さんが笑顔で答えてくれた。堤防の車置き場に地元ナンバーが一台も見かけないので、ここにいる人たちのほとんどは帰省中の地元民かもしれない。

三浦歩道・三競展望台より

 大和丸へチェックイン。感じのいい女将さんと清掃の行き届いた部屋は好印象。その後、温泉、夕飯と続いても全く裏切られないレベルの高さ。
「これまでのところじゃ一番かもね」
 特に料理には恐れ入った。刺身の新鮮さは船宿だから当然かもしれないが、その他品々の調理レベルがとても高いのだ。一品の量は少なめにして、種類と数を多くしているから楽しみながら酒が進んでしまう。
「女将さ~ん、お燗もう一本!」
 この旅館、リピート間違いなしだ。

 二日目はさらに脚を使った。チェックアウト後は雲見まで行き、最近流行りつつあるロングトレールへ足を踏み込んだ。南伊豆ロングトレールの一区間、“三浦歩道”である。
 雲見から山間に入り、石部を経て岩地に至るものだが、全線を歩くほどの時間はないので、雲見から黒崎展望所までをピストンした。
 散歩道だと軽い気持ちで山へ入ると、痛烈なしっぺ返し。普通の登山道とくらべて整備がいまいち行き届いてないので、けっこう滑りやすい個所もたびたびあり、気軽なお散歩ってなわけにはいかない。ただ、霊廟や石切り場跡など、歴史を感じさせるポイントもあって興味は尽きない。肝心な駿河湾の眺めは、三競展望台と黒崎展望所の二か所から思う存分楽しめた。
 やや遅い昼食を仁科の“茶房ぱぴよん”でとると、最後の脚使いポイントである沼津の香貫山へ向かった。

狩野川河口と沼津港

 朝に一度は弱まった風が、時を刻むごとに強さを増し、香貫山へ到着した頃にはほとんど台風並みとなっていた。
「ここでこれじゃ、展望台までいったらすげーだろーな」
 弱気に傾く気持ちに鞭を打ち、1Km先の展望タワーを目指して歩き出す。
 到着するとこんな荒れたコンディションなのに、タワーにはカメラを構えた人が三人もいた。さすがに人気撮影ポイントだ。我々もカメラごと倒れそうになる三脚を気にしながら、一瞬風が弱くなるタイミングを狙ってシャッターを切り続けた。陽が落ちるほどにシャッター速度は遅くなり、ますますぶれやすくなる。これまでの経験から成功率は10%からいいところ20%。一時間近く粘り、気がつくとタワーには私たち二人と若い男性一人だけになっていた。なんとなしに親近感がわき、声をかけた。
「どちらからですか?」
「東京です」
 足立区から来た彼は三十歳独身。写真好きで、時間を見つけては国内津々浦々でシャッターを切っているという。
「じゃ、いっしょに下までもどりましょう」
 100%のコンディションに恵まれることがない年末撮影会であるが、もう二十年近く続いている長寿イベント。足腰がスムーズに動くうちはやり続けたいものだ。

◆写真ギャラリーへ

漁火の宿 大和丸
〒410-3501
静岡県賀茂郡西伊豆町宇久須202−97

バイク屋時代 17 Vespa 2

 いぶかる社長に無理やり頼み込み、ふたたび怪しい業者へビンテージ第二弾を依頼。おおよそ一か月後に追加の三台が到着した。一度目の印象がよかったので、皆で意気揚々と開梱を始めたが、車体があらわになっていくにつれ、先回と様子が違うことに気がついた。上部がすべて開くと吉本くんの視線が“中身”に張りついた。
「やられたか……」
 木枠から出てきた車体には、ベスパに詳しい者ならすぐに気がつく異変があった。オリジナルにかなり手が加えられていたのだ。ラリーと称する車体のレッグシールドが5㎝以上も削り取られていて妙に幅が狭く、これではベスパの持つ美しいラインが台無しである。その他の二台も意味不明なところに穴が開いてたり、おそらくカンペだろうが、質の悪い塗装が施されていたりと、商品にするにはかなりな手間と費用がかかるのは一目瞭然である。
 事の顛末を社長へ報告すると、
「だから危ないって言ったんだよ……とにかく輸入業者へ連絡してなんとかクレームにしよう」
 返品こそ叶わなかったが、社長の強い押しで、仕入れ価格をかなり下げてもらうことには成功した。これで最低限の加修を施し、なんとか販売していくしかない。
「今後ビンテージの扱いは一切禁止。いいね!」
 吉本くん、今度ばかりは平身低頭である。

モト・ギャルソン吉祥寺店

 一方、バイク雑誌に掲載した【モト・ギャルソン コンプリートベスパ】の広告は予想以上の反響があった。当初はいくら改善改修した完璧なベスパを謳っても、メーカーの希望小売価格より高い販売価格などというものを、はたして消費者が受け入れるか不安だった。世の中、値引きなしでバイクを買うなんてことはありえない状況にあった。ところが、電話問い合わせや実際に来店してきたお客さんと話をすると、コンプリートベスパの高評価はもちろんだが、具体的な給油方法のレクチャーや、特に【乗り方教習実施しています】の文言に惹かれて興味が湧いたとの声が予想以上に多く、バイクに乗るのは初めて、または50ccのスクーターだったら乗ったことがある等々、大半が超初心者だった。
 運転操作について言えば、ベスパは一般の国産スクーターのようなオートマチックではなく、発進には半クラッチ、加減速には変速操作と、普通のバイクとまったく同じなので、排気量100cc以上のベスパ100やET3に乗るなら自動二輪免許保持者だから問題はないが、最も問い合わせの多かった50sは、実地試験不要の原付免許か普通乗用車免許があれば法規上は運転可なので、たいがいの人たちは二輪操作未経験だ。案の定、販売が始まってみると、50s購入のお客さんのほぼ全員が乗り方教習を希望した。“乗り方教習実施しています”のキャッチが当たったのは嬉しかったが、その分納車の際には恐ろしく手間がかかる。交通量の比較的少ない裏路地へ連れて行っての教習になるが、公道なのでまったく車が来ないなんてことはありえず、非常に神経を使う仕事になったのだ。
「そうそう、もっとゆっくり離してね」
 十六歳の女の子の顔は強張り続けている。
 おっと、またまたエンスト。
「じゃ、いったん路肩へ寄せてからエンジンかけよう」
「う、動きません、、、」
「さっきも言ったでしょう、ギアをニュートラへ入れなきゃ」
「は、入りません、、、」
「ちょっと前へ押し出す感じで、スナップきかせて」
 バイク操作を一から教えるのは容易でない。
 なんとか発進ができるようになっても、新たに冷や汗をかく。
 なにも指示しなければずっと一速で走り続けるのだ。だから並走しながら、
「二速へ上げて!」、「はい三速!!」ってな感じで指示を出さなければならない。
「はいはい、いいよいいよ、そのままそのまま!」
 三速まで入ったはいいが、眼前には早くも交差点が近づいてくる。
「ブレーキ!ブレーキだよぉ!」
 ベスピーノのブレーキ操作は独特だ。恐ろしいことだがフロントは殆ど効かないので、いかにリアを上手に使うかがポイントだ。
「OK、OK!」
 なんとか止まったところまではよかったが、またもやエンスト。
「止まる直前にクラッチ握って一速へもどさなきゃって言ったでしょ」
「は、はい、、、」
 こんなやり取りが、毎週末延々と続くのだった。
 しかし苦労のかいあってか、ベスパの売り上げは順調に推移し、新車販売台数は開始から一年を待たずして、全国で三番目に入るペースへと成長した。ちなみに一位は専業店のホノラリー、二位は神奈川県の丸富オートである。


 しかもこの空前のぺスパブームに乗るように、大手出版社であるBBC BOOKSより、ベスパのすべてを紹介する【VespaFILE】という本が刊行されることになり、その取材先のメインとしてモト・ギャルソン吉祥寺店が選ばれたのだ。スタンドのかけ方から簡単な操作法に関しては俺、メンテナンスに関しては吉本くんが担当した。取材と写真撮りに半日以上も要し、どのような本に仕上がるのかとワクワクである。
 この頃になると店の雰囲気にちょっとした変化が生じてきた。来店客にモッズ風が多くなり、峠帰りのつなぎ姿の常連さんとバッティングしたりすると、絵柄のアンマッチングが甚だしい。
 いったいこのバイク屋、なにをメインに売っているのか? 

生活に“縛り”

 あっという間である。定年退職してから一年がたった。
 歳をとると月日の流れが速く感じるというが、私の場合、仕事人生を卒業したとたんに加速がつき始め、いささか怖いほどだ。
 現役時代を思い起こせば、仕事に問題を抱え、床に入っても頭の中で危惧がぐるぐると回り続け、なかなか寝付けないなんてことが度々あった。それが胃に穴が開きそうなほどのが厄介事だったりすると、「重いなぁ…..」との溜息と共に、目には見えないストレスが、肩にざわざわっとのしかかってくる様が良くわかり、鳥肌が立ったこともある。それでもひとたび出勤すれば、様々な手立てを使って解決していくのだが、そのプロセスがたまらなく一日一週間を長く感じさせ、大きな心労になった。
 当然、現役を引退しても悩み事や考え事は次々と現れる。ただ仕事上の厄介事とは根本的に毛色が異なるので、一応今のところは平穏な毎日である。そもそも仕事に就くということは、生活に様々な“縛り”が発生するということであり、多くの方々にとってこれはストレスの根本要因になっていると思われる。
 膝と股関節の具合がイマイチ、歌詞が覚えられない、写真ネタが拾えない、しわが増えた、寝室と女房の部屋のエアコンがダブルで釈迦りそう、畳のうち替えかフローリング化か…..
 まっ、到底ストレスとはなりそうもない些末な事例だが、あきれるほどに続いている。

写真好きな中年男の独り言