
2017年春。府中店の内外装の養生がもう少しで完了するというので、早々と引っ越しが始まった。
狭い工場スペースには、道路側から順に、海藤、広田、大杉のピットが並び、それぞれの工具等々が配置されると、どう見ても窮屈そうである。この密な空間に、コミュニケーションのできない面々が入るのだから、先が思いやられる。
中二階にある事務所の狭さもかなりなものだった。一段が恐ろしく丈のある階段を上がると、まずは来客用の丸テーブルが配置され、その奥が備品棚、そこから左へ事務机が三つ並び、一番奥が社長のディスクになった。総務スタッフの金村さん、のぶちゃん、そして社長が並ぶと、人いきれを感じる。閉所が苦手な人は、ここでの仕事は苦痛になるだろう。
商談コーナーはちょうど事務所の真下になる。よってショールームの中ではここだけが天井付きで、何気に落ち着ける一角である。商談カウンターは調布からそのまま運んできたL字型のもので、やや窮屈だが、同時に二つの商談を行える。一番端は事務用として登録書類の作成などを行えるよう、脇には書類棚、小型プリンター、シュレッダーが並ぶ。最奥には横長の木製ディスクを置いて、顧客管理システムがインプットされたサーバーを設置した。
ショールームは、元々倉庫だった荒い造りをうまく利用して、床のコンクリート打ちっ放しはそのままに、艶の出るコーティング処理を行うと、都会的な雰囲気が出て正解だった。ここにハーレーを並べると妙に映えるのだ。府中店はあくまでも中古車専門店なので、談話コーナーは最小に抑え、一台でも多くバイクを並べられるようレイアウトを考えた。
二階へバイクを運ぶ際は、大型の業務用エレベーターを使う。重量の最大許容が1000kgなので、最も重いツーリングシリーズのウルトラでもへっちゃらだ。ただ、ウルトラはフルパニアケース装備で幅があるので、載せる際には慎重を期す必要があり、取り廻しになれたメカニックでないと難しい作業になる。二階は部品庫並びに預り車両の置き場が主な用途だが、ハーレー以外の下取車をここに並べてミニショールーム化し、これまで以上の販売増を狙った。それに伴いグーバイクのBF車両掲載台数枠も、三台から五台へと増やした。尚、西端にはスタッフのロッカーと休憩スペース、そして更衣室を設けた。
店舗の北側にはトラックも置ける駐車場を完備。大崎社長とのぶちゃんの車は常駐とし、その他にも来客用として三台は駐車可能な広さを確保した。ただ、大家さんの話によると、ここに数人の若い輩がたむろすることがこれまで何回かあって、近所から苦情が出たことがあるらしく、念のために防犯カメラを設置した。新しい店にとってご近所さんとの良好な関係は、なによりも重要なことなのだ。

「なかなかいい店に出来上がったじゃない」
大崎社長、ご満悦である。甲州街道側に巨大なハーレーの写真パネルを設置すると、中古バイクの店とは思えない高級感と専門店ムードが醸し出され、社長と同様、俺もこの店ならきっと売れると、オープンが楽しみになってきた。
「社長、それでも中古車はweb戦略が要になるんで、アップデートについては早急にマニュアル化しましょう」
中古車はオンリーワンである。見つけた車両に価値観を覚えれば、どんなに遠方からでも問い合わせはやってくるものだ。そして従来のバイク雑誌掲載では、“在庫の鮮度”をアピールすることは到底不可能である。
二〇一七年四月。府中店はめでたくオープンした。
オープン後三か月は、認知が行き渡らず、やや目標を下回る成績だったが、三鷹店からの下取りが増えるにつれ、徐々に上向きになっていった。以前にも記したが、中古は売れ筋さえ手に入れば必ず売れるもの。逆を言えば、売れ筋の在庫不足が続けば閑古鳥が鳴く。
ちなみにハーレー以外の売れ筋筆頭はやはり国産車。排気量を問わずなんでもよく売れる。ただし、下取で入荷したものに限った。人気故にオークションでは高くて買うことは難しく、仮に無理して落札してもお値打ちな販売価格は提示できない。

人気の中心は250ccクラス。ホンダ・レブル、カワサキ・Ninja250、ヤマハ・セローは鉄板だ。このほか125ccクラスのスクーターも安定した人気があり、特にホンダ・PCX125、スズキ・アドレスV125は、グーバイクへアップしたとたんに問い合わせがあるほどだ。

二年前、俺もついに還暦を迎え、体力的にも気持ち的にもひとつの峠を越えたと自覚した。慣れた作業とは言え、ヘビー級のハーレーを押して歩くことは、次第にきつく思えるようになってきたし、お客さんとの結びつきも、共にバイクライフを楽しむ形から、杓子定規な顧客関係へと変わり、一抹の寂しさが否めない。最近では、もうひと踏ん張りしたら卒業かなと、ぼんやり考えることが多くなり、なんとなく人生の黄昏を感じるようになった。
昨年はいろいろなことがあった。家族の一員として愛されたミニチュアダックスフントのロックが、十五歳を目前にして死んでしまい、心に空いた穴の大きさに愕然とした。そしてデジタル一眼の楽しさを教えてくれたニコン・D100が、愛用十三年目にして突如壊れてしまったのだ。相棒のたび重なる消失は、時の流れの速さを改めて気づかされると同時に、今後の生き方について考えるきっかけを与えてくれた。
仕事はこれまで同様、生活の基幹であることに変わりはないが、プライベートのあり方を見直そうという意識が表れ始め、二年前より、この“西久保日記”で【デニーズ時代】の連載を開始した。そして約十年前から始めた山歩きも、この頃では多い時で毎週、少ない時でも最低月に一度は出かけるようになり、生活の比重を意識的に仕事とプライベートをイーブンにしようという思考が固まってきたのだ。











