バイク屋時代63 還暦を越えて

 2017年春。府中店の内外装の養生がもう少しで完了するというので、早々と引っ越しが始まった。
 狭い工場スペースには、道路側から順に、海藤、広田、大杉のピットが並び、それぞれの工具等々が配置されると、どう見ても窮屈そうである。この密な空間に、コミュニケーションのできない面々が入るのだから、先が思いやられる。
 中二階にある事務所の狭さもかなりなものだった。一段が恐ろしく丈のある階段を上がると、まずは来客用の丸テーブルが配置され、その奥が備品棚、そこから左へ事務机が三つ並び、一番奥が社長のディスクになった。総務スタッフの金村さん、のぶちゃん、そして社長が並ぶと、人いきれを感じる。閉所が苦手な人は、ここでの仕事は苦痛になるだろう。
 商談コーナーはちょうど事務所の真下になる。よってショールームの中ではここだけが天井付きで、何気に落ち着ける一角である。商談カウンターは調布からそのまま運んできたL字型のもので、やや窮屈だが、同時に二つの商談を行える。一番端は事務用として登録書類の作成などを行えるよう、脇には書類棚、小型プリンター、シュレッダーが並ぶ。最奥には横長の木製ディスクを置いて、顧客管理システムがインプットされたサーバーを設置した。
 ショールームは、元々倉庫だった荒い造りをうまく利用して、床のコンクリート打ちっ放しはそのままに、艶の出るコーティング処理を行うと、都会的な雰囲気が出て正解だった。ここにハーレーを並べると妙に映えるのだ。府中店はあくまでも中古車専門店なので、談話コーナーは最小に抑え、一台でも多くバイクを並べられるようレイアウトを考えた。
 二階へバイクを運ぶ際は、大型の業務用エレベーターを使う。重量の最大許容が1000kgなので、最も重いツーリングシリーズのウルトラでもへっちゃらだ。ただ、ウルトラはフルパニアケース装備で幅があるので、載せる際には慎重を期す必要があり、取り廻しになれたメカニックでないと難しい作業になる。二階は部品庫並びに預り車両の置き場が主な用途だが、ハーレー以外の下取車をここに並べてミニショールーム化し、これまで以上の販売増を狙った。それに伴いグーバイクのBF車両掲載台数枠も、三台から五台へと増やした。尚、西端にはスタッフのロッカーと休憩スペース、そして更衣室を設けた。
 店舗の北側にはトラックも置ける駐車場を完備。大崎社長とのぶちゃんの車は常駐とし、その他にも来客用として三台は駐車可能な広さを確保した。ただ、大家さんの話によると、ここに数人の若い輩がたむろすることがこれまで何回かあって、近所から苦情が出たことがあるらしく、念のために防犯カメラを設置した。新しい店にとってご近所さんとの良好な関係は、なによりも重要なことなのだ。

甲州街道側から見たモト・ギャルソン府中店

「なかなかいい店に出来上がったじゃない」
 大崎社長、ご満悦である。甲州街道側に巨大なハーレーの写真パネルを設置すると、中古バイクの店とは思えない高級感と専門店ムードが醸し出され、社長と同様、俺もこの店ならきっと売れると、オープンが楽しみになってきた。
「社長、それでも中古車はweb戦略が要になるんで、アップデートについては早急にマニュアル化しましょう」
 中古車はオンリーワンである。見つけた車両に価値観を覚えれば、どんなに遠方からでも問い合わせはやってくるものだ。そして従来のバイク雑誌掲載では、“在庫の鮮度”をアピールすることは到底不可能である。

 二〇一七年四月。府中店はめでたくオープンした。
 オープン後三か月は、認知が行き渡らず、やや目標を下回る成績だったが、三鷹店からの下取りが増えるにつれ、徐々に上向きになっていった。以前にも記したが、中古は売れ筋さえ手に入れば必ず売れるもの。逆を言えば、売れ筋の在庫不足が続けば閑古鳥が鳴く。
 ちなみにハーレー以外の売れ筋筆頭はやはり国産車。排気量を問わずなんでもよく売れる。ただし、下取で入荷したものに限った。人気故にオークションでは高くて買うことは難しく、仮に無理して落札してもお値打ちな販売価格は提示できない。

左から、ホンダ・レブル250、ヤマハ・セロー250、カワサキ・Ninja250

 人気の中心は250ccクラス。ホンダ・レブル、カワサキ・Ninja250、ヤマハ・セローは鉄板だ。このほか125ccクラスのスクーターも安定した人気があり、特にホンダ・PCX125、スズキ・アドレスV125は、グーバイクへアップしたとたんに問い合わせがあるほどだ。

ホンダ・PCX125とスズキ・アドレスV125

 二年前、俺もついに還暦を迎え、体力的にも気持ち的にもひとつの峠を越えたと自覚した。慣れた作業とは言え、ヘビー級のハーレーを押して歩くことは、次第にきつく思えるようになってきたし、お客さんとの結びつきも、共にバイクライフを楽しむ形から、杓子定規な顧客関係へと変わり、一抹の寂しさが否めない。最近では、もうひと踏ん張りしたら卒業かなと、ぼんやり考えることが多くなり、なんとなく人生の黄昏を感じるようになった。
 昨年はいろいろなことがあった。家族の一員として愛されたミニチュアダックスフントのロックが、十五歳を目前にして死んでしまい、心に空いた穴の大きさに愕然とした。そしてデジタル一眼の楽しさを教えてくれたニコン・D100が、愛用十三年目にして突如壊れてしまったのだ。相棒のたび重なる消失は、時の流れの速さを改めて気づかされると同時に、今後の生き方について考えるきっかけを与えてくれた。
 仕事はこれまで同様、生活の基幹であることに変わりはないが、プライベートのあり方を見直そうという意識が表れ始め、二年前より、この“西久保日記”で【デニーズ時代】の連載を開始した。そして約十年前から始めた山歩きも、この頃では多い時で毎週、少ない時でも最低月に一度は出かけるようになり、生活の比重を意識的に仕事とプライベートをイーブンにしようという思考が固まってきたのだ。

花見シーズン真っ盛り

2026-3-28 16:55 西久保公園

 春の兆し。空気に温もりを感じるようになり、気持ちが躍り出す。
 三月半ばまでは花粉症が辛く、野山へでかける元気は湧かなかった。それでも桜の季節が近づいてくるにつれ症状は和らぎ、アクティブになろうとしている自分がいた。春、夏、秋と、例年以上にカメラと共に行動半径を広めようと画策中である。

 二十七日(金)はバンドの練習があった。スタジオはいつも吉祥寺のスタジオペンタを使っている。春休みに入っているので、受付は若い子たちでごったがえしていたが、女の子がとても目立った。昔はせいぜいボーカルかキーボードくらいだったが、エレキギターやベースのケースを背負った女子が次から次へとエレベーターから吐き出されてくる。
「五階の502になります」
 三階から五階までが練習スタジオになっているが、五階を使ったのは恐らく初めて。それほど利用者が多いということだ。
 練習が終わって後片付けをしていると、
「うちの女房が吉祥寺に来ているんで、このあと予定がなければ昼飯でもどお?」
 ギターのYだ。今日は脚の調子が悪く、奥さんが車で迎えに来ているとのこと。
「奥さんと会うのは杉並店以来かな」
 Yはギャルソンの元同僚で、BUELLのメカニックをやっていた。
 昼食メンバーは、Y夫婦、ドラムのMちゃん、そして私の四名。

 花見シーズン真っ盛りの吉祥寺の町は、どこもかしこも人でごったがえししている。時刻も昼過ぎだったので、飲食店を見つけるのは容易でない。目抜き通りは避けて一本西の二条通りに入ると、角の二階にあった中華料理店【China Dining 麗】に空き席を見つけた。
「ランチがあるのね」
 四種類のランチコースがあり、2,000円から2,200円とまあまあお手頃。三人は共に“国産特製黒酢酢豚”、私はおすすめと記してあった“しっとり蒸しのよだれ鶏”を注文する。まもなくすると前菜が運ばれてきて、横長のプレートには、トマト甘露煮、ザーサイ、テリーヌ、中身餃子の揚げ物、平面のサラダが並び、どれもおしゃれで味もGoo。次は三種の小籠包。熱々のスープが飛び出し、火傷に注意。さらに熱々だったのが薬膳スープ。体に染み入る。お待ちかねのメインは蒸し鶏と五穀米のご飯。蒸し鶏は山椒が効いていて、痺れる辛味が残る。そしてデザートに杏仁豆腐と胡麻饅頭。これで税込2,000円は、文句なしに安い。

バイク屋時代62 四人になったバイクフィールド

 勤め人にとって昼休みは特別なひとときだ。単に昼食を取るだけではなく、就業時間中に心身をリセットできる貴重なチャンスでもある。HD調布へ異動後、昼食はほとんど外食にした。財布に優しい配達弁当もあるが、お粗末な調理が口に合わず、二~三回試してやめた。それにさっきまで仕事をしていたディスクで弁当を広げるってのは、どうも…
 HD調布は京王線の飛田給駅に近いので、徒歩圏内に、すき家、バーミヤン、ロイヤルホスト、華屋与兵衛等々と飲食店がけっこう並ぶ。ある日すき家へ行こうと駅に向って歩いていると、居酒屋の“庄や”に、ワンコインランチを始めた云々のポスターが掲示されていたので、試しに入ってみた。正面のカウンター席に陣取りメニューを確認すると、本日のワンコインは“サンマの塩焼き”と記してあった。
「お決まりですか?」
「ワンコインで」
 まもなくして運ばれてきたお盆には、焼き立てのサンマと、ご飯、みそ汁、ミニサラダが載っている。これで税込500円はどう考えても安い。さっそくいただくと、味もまったく不満はないし、サンマの焼き方などはさすがに居酒屋クオリティ。もちろんたっぷりの大根おろしも忘れてない。勤務中でなければ冷酒が欲しいところだ。
 これがきっかけで、庄や詣でが始まった。週に三~四回も顔を出すと店員に覚えられ、いつしか常連扱いとなった。
「あら木代さん、今日はちょっと早いですね」
 ウエイトレスは三十代から四十代のお姉さんが中心だが、中には二十代と思しき、ぴちぴちな子もいる。この店の馴染めるところは、お姉さんたちの愛想のよさにつきた。
「これから約束の商談があるんだよ」
「繁盛してていいですねぇ」
 こんなやり取りでも、気分はずいぶんとリフレッシュする。事務所で黙々と冷えた弁当を食らうよりははるかにいい。
 しかし、お世話になり続けた庄やも、残念なことにあのコロナ禍のあおりを受け、ついには店じまいとなってしまった。あのお姉さんたち、元気でやっているだろうか。

ワンコインランチ 左から、チキンカレー、マグロ竜田揚げ、鶏唐揚げ柚子胡椒炒め、ブリかま

 BF所属となった海藤くんと広田くん。顔合わせをしたその日から、互いに嫌厭なムードを放ち始める。
「なんでそれほど?!」と思うほど相手を無視するのだ。言葉は交わさない、目線も合わせない。仕事はそれぞれきちんとこなしているので、一見問題はなさそうだが、工場としての生産性は間違いなく低い。陸運支局への“持ち込み”などは顕著な例。
 持ち込みとは、車両の持ち込み検査のことで、陸運支局へ検査対象車をトラックで運び、そこで検査ラインを通して合格を取得する一連の作業だ。新車並びに中古車の新規検査、継続車検、構造変更等々があり、調布店では、中古車新規検査と継続車検で週に何度か出かけている。ところが彼らは、互いに自分が担当する車両のみの持ち込みしかしないので、週に各々一台づつ、計二台の継続検査があると、普通はトラックに二台積んで一度で済むが、彼らは自分の分しか行かないので、トラックは週に二度出動することになる。これにはさすがの社長も腰を上げた。
「これは非効率ですよ」
 うつむいていた海藤くんが顔を上げた。
「どんな整備をしているかわからない他人の仕事ですよ。それで通らなかったら僕の責任になるじゃないですか」
「どんな整備って、、、互いにベテランメカでしょ」
 今度は広田くんが言い放った。
「いや、彼の整備は信用できないんで、僕も嫌です」
 
 この問題は結局解決することなく、延々と続く。このいがみ合いの原因は、当人たちの性格と相性にあるとは思うが、俺は社長の考えた“歩合制の給与”も原因の一つと考えている。そもそもうちの会社は、以前から給与の査定について何度ももめごとが起きている。スタッフ達の多くが査定基準の不明確さと給与の低さを訴えていて、これにより離職する者もいた。
 例えば営業職。営業マンのAくんがお客さんから注文書にサインをいただいた。この一台成約はAくんの手柄となるのだが、実はこのお客さん、先週来店していて、そのとき別の営業マンBくんの対応と説明がとても印象よく、検討してまた来ますと言っていたのだ。そして再来店した時、たまたまショールームにいたのがAくんだったから、Bくんとしてはトンビに油揚げをさらわれる形になり面白くない。このようなケースの場合はその都度社長のジャッジが入り、ポイントは五分五分だとか、Aくんのエンディングはなかなかよかったから、今回はAくんの手柄だとか、非常にあいまいな結末にしてしまう。当然ながら営業マンには毎月の売上目標が課されているので、納得がいかない場合は士気低下にもつながりかねない。
 BFの二人のメカについては、給料が歩合制になったことでさらに拍車がかかっていた。
 仮に海藤くんが整備したバイクを、広田くんが自分で整備したバイクと計二台、トラックに積んで持ち込みに行ったとしよう。持ち込みは回数並びに台数に対して手当がつくから、彼の給料には持ち込み一回分と車両二台分の手当として一万数千円が加算されるのだ。
 歩合制の給料計算方法については、大崎社長と何度も検討し合って作り上げたが、最初から完璧な形にするのは至難の業で、幾度となく改定を余儀なくされた。従業員にとって給料は最大の関心ごとだから、なんとか納得してもらわないとうまくない。
「部長、ちょっといいですか」
 サービスカウンターで、整備書類を作っていた広田くんから声がかかった。
「どした」
「なんで歩合制になったんですか」
 意外な質問だった。なぜなら、彼らの方から歩合制の給料にしてほしいと社長へ要望が上がっていたと聞いていたからだ。
「えっ? だってそれ、希望だったんだろ」
「いや、そんなこと言った覚えないです」
 このあと新藤くんにも聞いてみたが、彼からも同様の答えが返ってきてびっくり。社長に問い合わせると、
「いやぁ~、言ってたはずだよ、ふたりとも」
 曖昧さが滲み出て、どうもしっくりとこない。
「とにかく今のままで進めよう。問題が出てきたらその時考えればいい」
 社長お得意の〆である。

 つい先日、若干組織の体制が変わった。あらためてBFとモト・ギャルソンの関係を説明しておこう。
 これまでモト・ギャルソン、BF共に、代表は大崎社長だったが、今期からBFの代表は、社長の長女である山口信代が就任することになった。彼女は業務改革に前向きなので、これまで以上に無駄をなくした収益第一の体制が構築できそうだ。大崎一家との付き合いは長く、彼女が中学生のころから面識があるので、立派な大人になっても自然に「のぶちゃん」と呼んでしまう。
 BFのメンバーは、のぶちゃん、海藤くん、広田くん、そして俺の四名体制となり、毎月の厄介な仕事“給与計算”は、すべてのぶちゃんがやってくれることになり、とりあえずほっとした。
 メカの仕事のほとんどは、モト・ギャルソンからの請負という位置づけになり、売上の〇〇%がBFの取り分と定められた。中古車店に並ぶバイクはモト・ギャルソンの資産だし、車検、点検、修理、カスタムでの売上も、依頼主がほぼモト・ギャルソンの顧客だからだ。
 営業にしても、俺が店頭のハーレーを売れば、工場と同じく、決められたパーセンテージの手数料が収益となる。もちろんBFの資金によって仕入れた車両が売れればすべてBFの収益だ。

WBC 2026

 WBCは絶対に観たかったので、迷うことなくネットフリックスを契約した。どの試合も手に汗握る展開で、TVに釘付けの毎日は楽しかった。結果はベネズエラ初優勝で幕引きとなったが、欧州のチームやオーストラリアも格段に力をつけていて、もはや優勝候補という言葉は意味をなせてない。
 日本チームの試合を振り返ると“~れば~たら”の嵐になりそうで控えるが、やはりメジャー組の面々は、場慣れしているというか肝が据わっているというか、大舞台においても自身の力を思う存分出し切っていたように感じた。それを考えれば、岡本や村上も今年からメジャーでしこたま揉まれれば、今以上の力がつく筈だし、大活躍した阪神コンビの佐藤と森下は、これからさらに磨きがかかるのは間違いないから、次回は大いに期待が持てそうである。それと今は足踏み中だが、ドジャースの佐々木朗希は必ずチームの主力先発に成長すると信じているので、投手にも厚みが出るのではなかろうか。

 車で丸亀製麺の前を通ると、
「あののぼり、こく旨豚玉ぶっかけだって、おいしそう」
「帰り寄ろうか」
 午前中、ヨーカ堂での買い物につきあった。
「混むからお昼前だね」

 十一時半に車を入れると、すでに満車に近い。以前は安さゆえに利用していた方も多かったと思うが、物価上昇の波は丸亀製麺の価格にも影響が出ている。私の好きな“ぶっかけうどん”は並で440円だが、オープンしたころは280円だった。おおよそ十年ちょっとでこれだけ上がったのだ。実入りが上がれば何の問題もないが、年金暮らしには厳しい現実である。

昔の常連さんと

かぶら家 三鷹店にて

 三月十四日(土)。古いモト・ギャルソンの常連さん二人と酒を酌み交わした。
 Hさんとはちょくちょく顔を合わせるが、Oさんとは恐らく十数年ぶりだ。以前は日野に住んでいたが、会社の転勤で札幌へ引っ越していた。二人とも旧三鷹本店のお客さんで、ビッグツーリングは殆ど毎回参加の常連さんである。昔話に花を咲かせば、時の流れの速さに驚くばかり。
「Oさん、いくつになったの?」
「五十七です」
「へー、僕のいっこ下だったんだ」
 その当時、彼らは三十を少し超えたくらいの青年だった。
 現在二人ともバイクを所有していて、たまにちょい乗りで程度で楽しんでいるという。愛車はHさんがカワサキ、Oさんはホンダである。
 大昔、国産バイクに見切りをつけたとき、ずっと国産ユーザーだった彼らは、モト・ギャルソンに対してどのような思いを抱いただろう。決して好意的にはなれなかったはずだ。そんないきさつがあったにもかかわらず、あの頃の懐かしさを肴に酒を進められるのは、本当にありがたいことである。

花木流味噌の味噌ラーメン

「Oさん、ホテルはどこ取ってあるの?」
「昔のギャルソンの隣です」
 中町のリッチモンドホテルである。
「おれんちさ、そっち方面なんで、いっしょに帰るか」
「はい」
「腹減ってない? 〆でも食うか」
「ですね」
 花木流味噌三鷹店は今日も美味しくいただけた。

写真好きな中年男の独り言