
みきちゃんこと吉沢美紀は頑張り屋だ。府中店異動早々から積極的に動き始めた。
「商談カウンター周り、ずいぶんと汚いですね。整理整頓しちゃっていいですか」
「そりゃもう、助かるよ」
登録書類の作成はみきちゃんのメインワークになるので、彼女が動きやすいように自由にやってもらった。書類ケースのドロアーには、きちんと見出しを張り、どこに何が入っているのか、だれが見ても一目瞭然である。印紙や切手を使いやすいように小箱に分けたり、登録依頼、登録完了、納車書類の置き場所も新たに設け、納車までの準備状況が誰でもわかるようにした。女性ならではのきめ細かい仕事だ。
「社長! 883の登録書類、ここに入れてください」
「そこになったの?」
「昨日の朝礼でみんなに伝えたじゃないですか」
「そうだっけ、ははは、OKOK」

システマチックに事を運ぼうとしても、大雑把の権現である大崎社長は、思うままに置いたり動かしたりして、いつの間にか自分だけが使いやすいように、ディスクの周りを変えてしまう。大雑把には間違いないが、社長は長年リウマチを患っているので、椅子から立ち上がるのが億劫になっているから、なんでも座ったまま手の届く範囲に物を置こうとするのだ。せっかくみきちゃんが書類置き場を整理しても、社長の周りだけはいつも雑然としている。
「それはそうと、みきちゃん、おれのボールペン知らない?」
「いつも使ってるやつですか?」
「そうなんだよ。さっきまであったんだけど」
「社長が座っているカウンターの下に、ペン類を入れる引き出しを作ったんです。これからはそこに入れてください」
「あ、そーなんだ、ありがとう」
「社長、胸のポッケに刺してあるのは違います?」
「えっ?! アッハッハッハ、ほんとだ」

みきちゃんが府中に来てから、社長は何でも彼女に聞くし、頼むようになった。よほどかわいいのだろう。でも、その気持ち、何となくわかる。
「部長、ちょっとミニップ行ってきます」
ちなみに“ミニップ”とは、ミニストップのこと。
「はいよ」
すると社長、
「みきちゃん、牛乳買ってきて」
「は~い、いつものですね」

ショールームにお客さん受けのよく、明るく快活な女性スタッフが一人いると、店の雰囲気はガラッと変わる。かなちゃんも笑顔がチャーミングだったが、バイクの運転免許証は持ってないし、それに主な仕事が裏方の事務だったので、お客さんと接する機会は少なかった。その点、みきちゃんは根っからのバイク好き。大型二輪免許を取得すると、お父さん所有のハーレー・ワイドグライドを譲り受け、休日には一人でもツーリングへ出かけていた。だからお客さんと話が合うし、商談になっても、ハーレーはどのようなバイクなのかを体験をもって話せるので、月に一台ほどなら成約も取れるようになった。それにしてもみきちゃん、小さな体で、ハーレーの中でも大型のワイドグライドを、よく乗りこなせるものだ。

彼女が府中店勤務になってから、売上も徐々に上向き傾向となり、人を選ばない明るい性格が、メカと営業の橋渡し役としての役割を担ってくれ、スタッフ間のコミュニケーションが目に見えて円滑になってきた。これは思いがけない収穫だった。
やっと訪れつつあった平穏な日々。ところが突如とんでもない環境が押し寄せた。
コロナ禍である。
全世界を震撼させたコロナ禍。感染者数・死者数、そして経済の落ち込みは欧州と米国が特に酷く、日本は先進主要国の中では比較的軽微だったが、コロナ後の経済回復については、他の先進主要国と比べて鈍化傾向にあり、最大の痛手は個人消費の大幅な落ち込みだった。これにより業種業態問わず、大きな痛手を被ることになる。
そんな中でもバイク業界の落ち込みは比較的低く、国産の一部小排気量モデルなどは、予想を覆す需要を得られたのだ。
・密にならない遊び。
・感染リスクの小さいバイク通勤。
・在宅のチャンスを利用して運転免許証の取得。
以上の要素がうまく絡み合い、特に通勤に使う125ccクラスのスクーターと、車検のない250ccクラスが、納入待ちになるほど売れ、自動車教習所は近年にない活況を示すなど、世の中の不況どこ吹く風であった。肝心のハーレー業界はどうかと言えば、どこのハーレーディーラーでも団体ツーリングは自粛の方向で一致し、チャプター活動は当面の間中止となった。ハーレーのツーリングモデルが売れなくなったのは、この影響もかなりあったのではと思われる。代替え商談の減少、高額車両の売上不調などで、厳しい商いを余儀なくされたが、全体感としては世の中の低迷ほどには至らず、相変わらずのスポーツスター人気に支えられ、なんとかコロナ禍を乗り越えることができたのだ。

「暑い季節のマスクってのはしんどいな」
常連さん二人がカウンター席を陣取り、先ほどから談話中。
「こんどフィット感のいいオリジナルマスクを売り出しますからお願いします!」
みきちゃん、さっそく売り込みをかけている。
「へ~、いいね、買う買う」
「でも、美人にマスクはもったいないよぉ~」
「やだ、もう~~」
















