バイク屋時代67 コロナ禍

 みきちゃんこと吉沢美紀は頑張り屋だ。府中店異動早々から積極的に動き始めた。
「商談カウンター周り、ずいぶんと汚いですね。整理整頓しちゃっていいですか」
「そりゃもう、助かるよ」
 登録書類の作成はみきちゃんのメインワークになるので、彼女が動きやすいように自由にやってもらった。書類ケースのドロアーには、きちんと見出しを張り、どこに何が入っているのか、だれが見ても一目瞭然である。印紙や切手を使いやすいように小箱に分けたり、登録依頼、登録完了、納車書類の置き場所も新たに設け、納車までの準備状況が誰でもわかるようにした。女性ならではのきめ細かい仕事だ。
「社長! 883の登録書類、ここに入れてください」
「そこになったの?」
「昨日の朝礼でみんなに伝えたじゃないですか」
「そうだっけ、ははは、OKOK」

2020-Harley-Davidson-Streetfighter

 システマチックに事を運ぼうとしても、大雑把の権現である大崎社長は、思うままに置いたり動かしたりして、いつの間にか自分だけが使いやすいように、ディスクの周りを変えてしまう。大雑把には間違いないが、社長は長年リウマチを患っているので、椅子から立ち上がるのが億劫になっているから、なんでも座ったまま手の届く範囲に物を置こうとするのだ。せっかくみきちゃんが書類置き場を整理しても、社長の周りだけはいつも雑然としている。
「それはそうと、みきちゃん、おれのボールペン知らない?」
「いつも使ってるやつですか?」
「そうなんだよ。さっきまであったんだけど」
「社長が座っているカウンターの下に、ペン類を入れる引き出しを作ったんです。これからはそこに入れてください」
「あ、そーなんだ、ありがとう」
「社長、胸のポッケに刺してあるのは違います?」
「えっ?! アッハッハッハ、ほんとだ」

2021-Harley-Davidson-Pan-America

 みきちゃんが府中に来てから、社長は何でも彼女に聞くし、頼むようになった。よほどかわいいのだろう。でも、その気持ち、何となくわかる。
「部長、ちょっとミニップ行ってきます」
 ちなみに“ミニップ”とは、ミニストップのこと。
「はいよ」
 すると社長、
「みきちゃん、牛乳買ってきて」
「は~い、いつものですね」

2021-Harley-Davidson-Custom

 ショールームにお客さん受けのよく、明るく快活な女性スタッフが一人いると、店の雰囲気はガラッと変わる。かなちゃんも笑顔がチャーミングだったが、バイクの運転免許証は持ってないし、それに主な仕事が裏方の事務だったので、お客さんと接する機会は少なかった。その点、みきちゃんは根っからのバイク好き。大型二輪免許を取得すると、お父さん所有のハーレー・ワイドグライドを譲り受け、休日には一人でもツーリングへ出かけていた。だからお客さんと話が合うし、商談になっても、ハーレーはどのようなバイクなのかを体験をもって話せるので、月に一台ほどなら成約も取れるようになった。それにしてもみきちゃん、小さな体で、ハーレーの中でも大型のワイドグライドを、よく乗りこなせるものだ。

2000-Harley-Davidson-FXDWG DynaWideGlide

 彼女が府中店勤務になってから、売上も徐々に上向き傾向となり、人を選ばない明るい性格が、メカと営業の橋渡し役としての役割を担ってくれ、スタッフ間のコミュニケーションが目に見えて円滑になってきた。これは思いがけない収穫だった。

 やっと訪れつつあった平穏な日々。ところが突如とんでもない環境が押し寄せた。
 コロナ禍である。
 全世界を震撼させたコロナ禍。感染者数・死者数、そして経済の落ち込みは欧州と米国が特に酷く、日本は先進主要国の中では比較的軽微だったが、コロナ後の経済回復については、他の先進主要国と比べて鈍化傾向にあり、最大の痛手は個人消費の大幅な落ち込みだった。これにより業種業態問わず、大きな痛手を被ることになる。
 そんな中でもバイク業界の落ち込みは比較的低く、国産の一部小排気量モデルなどは、予想を覆す需要を得られたのだ。
・密にならない遊び。
・感染リスクの小さいバイク通勤。
・在宅のチャンスを利用して運転免許証の取得。
 以上の要素がうまく絡み合い、特に通勤に使う125ccクラスのスクーターと、車検のない250ccクラスが、納入待ちになるほど売れ、自動車教習所は近年にない活況を示すなど、世の中の不況どこ吹く風であった。肝心のハーレー業界はどうかと言えば、どこのハーレーディーラーでも団体ツーリングは自粛の方向で一致し、チャプター活動は当面の間中止となった。ハーレーのツーリングモデルが売れなくなったのは、この影響もかなりあったのではと思われる。代替え商談の減少、高額車両の売上不調などで、厳しい商いを余儀なくされたが、全体感としては世の中の低迷ほどには至らず、相変わらずのスポーツスター人気に支えられ、なんとかコロナ禍を乗り越えることができたのだ。

オリジナルマスク 使い過ぎてややぼろぼろ

「暑い季節のマスクってのはしんどいな」
 常連さん二人がカウンター席を陣取り、先ほどから談話中。
「こんどフィット感のいいオリジナルマスクを売り出しますからお願いします!」
 みきちゃん、さっそく売り込みをかけている。
「へ~、いいね、買う買う」
「でも、美人にマスクはもったいないよぉ~」
「やだ、もう~~」

リンリンリン・女房とランチ

 近所にある古い平屋が、ついに解体となるようだ。足場が作られ、作業員の出入りが始まっている。
 小学一年生か二年生だったころ、よその敷地に忍び込む遊びが流行ったことがある。まさに不法侵入そのものだ。住人に気づかれないよう、敷地内をぐるりと一周するという他愛もない行為だが、音を立てないよう、忍び足で歩を進めるスリルは相当なもので、病みつきになった友達もいた。そういう私も、一時は侵入しやすい家を求めて町内を徘徊したものだ。当時は、周囲を壁でなく、生垣で囲む家が多くあり、手入れが行き届いてないところだと、子供が通れるほどの隙間ができていることがよくあった。そこが絶好の侵入ポイントになる。そう、この近所の平屋には、南側にぽっかりとおあつらえ向きな穴が開いていたのだ。

「ここから忍び込んだんだ」
「それ聞くの三回目」
 このお宅は駅へ向かう道筋にあるので、生垣の穴はしょっちゅう目に入った。手入れをしている様子はなく、この頃では生垣の役目は果たされず、丸見えのスカスカだった。
「それよりさ、なに食べる?」
「やっぱ中華かな」
「じゃ、あそこ行ってみるか。平沼園の交差点」
「中華なんかあったっけ?」
 “鳳龍”は、ほんとうにひっそりと佇んでいた。
 お昼ちょっと過ぎに入店したにもかかわらず、客は0。やや嫌な予感。
「いらっしゃいませ。どうぞそちらの席へ」
 出てきたのは七十代後半と思しき高齢男性。ほかにスタッフの気配はなく、ひとりで切り盛りしているようだ。
「ラーメンとチャーハンのセットと、味噌ラーメン、それと餃子ひとつお願いします」
「はいどうも」
 ご主人が厨房へ入り調理をスタートさせると、なぜか熊鈴のような音が鳴り始めた。
 なんのため? どうでもいいが、高周波のリンリン音がずっと鳴りっぱなしだから、うるさくてしょうがない。女房は平然とスマホを操作しているが、これには参った。
 料理はそれほど待たずに運ばれてきたが、鈴の音は止んだものの、頭の中では依然とリンリンリンが続いている。

 まずはチャーハンを食した。恐ろしくしょっぱい。塩の量をミスったとしか思えない。ラーメンは何の変哲もない味。餃子は不思議に甘く、なんだろうと中身を確認すると、コーンが入っていた。女房に目をやれば、黙々と食している。
 ん~~~、ご主人、熊鈴と塩の味しかしないチャーハンは、きつかったよぉ~~

久々の山歩き

古里の丹三郎登山口

 やはり山の空気は旨い。実に五か月半ぶりとなる山歩きを楽しんできた。
 これほど間が開いたのは、年々酷くなる鼻の調子と、今一歩完調に届かない右膝がストップをかけていたからだ。それでも膝は毎日のジョギングでだいぶ鍛えられたようで、痛みの出方は確実に小さくなった。
 歩いてきたのは馴染みのコースで、古里にある丹三郎登山口から、大塚山、御岳集落、日の出山、吉野梅郷と周るもの。距離は15km近くあり、休憩も含めてスタートからゴールまで六時間半を要する行程だ。久々の山歩きにはちょっときつめだが、熟知したコースなので安心感がある。

大塚山へ至る尾根は新緑が眩しい

 五月二日(土)。JR青梅線古里駅前のセブンイレブンを午前八時ジャストに出発。万世橋を渡るとき、空を見上げれば雲一つない青空が広がっていた。この日を選んだのは、ウェザーニューズで降雨率「0」、快晴を確認したからだ。相変わらず吉野街道には多くのダンプカーが行きかい、咳き込むほど埃っぽい。

大塚山山頂

 登山口脇にあるトイレで用足しを済ませ、森に分け入ると、空気感がガラッと変わった。国道からまだそれほど離れてないのに、静けさに包まれる。日射がないので気温も低い。すでに汗を吸っていた下着があっという間に冷たくなる。

おにぎりを食したら、うとうとと…

 マイナーなコースはGW中でもハイカーが少なく、森を独り占めである。一時間ほどで尾根に出ると風が強い。風速は7mを越えているだろう。山道には多くの落枝が散乱し歩き辛い。と、その時、左側にザザッと大きな音がし、見れば幹が5㎝、長さ4mほどの枝が落ちてきた。この先は頭上にも注意を払う必要がありそうだ。
 大塚山に到着すると、風は大分弱まっていたので、最初の休憩を取ることにした。チョコレートパンと鮭のおにぎりを食したが、体調がいいせいか全然足りた感じがしない。しかし残りは牛肉のおにぎり一個のみ。ポカリをがぶ飲みしてごまかした。食後、ややうとうとしてくる。

御岳集落より東を望む

 御岳集落へ出ると、それまでの静けさが一変。高尾山に次ぐ人気の山域とあって、人、人、人と物凄い賑やかさ。ここも外国人観光客は多い。御岳神社と日の出山方面を分ける分岐手前の坂は、舗装路だが傾斜がきつく、これまでの疲れが足にきたのか、お喋り花盛りの若い女の子のグループに、いとも簡単に抜かれてしまう。やはり若さは強い。東京都心方面がくっきりと見渡せ、しばしカメラを構える。

道端の花

 日の出山へ向かう尾根道に入ると、再び静寂がもどってきた。ずいぶんと前から宿坊が飼っている可愛らしいヤギ。今日も元気そうでなによりだ。
 整備された山道はとても歩きやすく、適度な風が体を冷やしてくれ、なんとも気持ちがいい。後方から賑やかな喋り声が近づいてきたので振り向くと、高校生と思しき女の子三人組である。皆、似たようなキャップをかぶり、小さなリュックにスエットパンツといういで立ち。GWに仲良し同士でハイキングを楽しもうというところか。笑顔が弾けている。

宿坊のヤギ

 日の出山へ到着するころには気温もだいぶ上がってきた。案の定、山頂は人で溢れかえっている。ここは見晴らしが抜群なので、平日でもハイカーが多い。ざっと数えても三十名に迫る勢いだ。残った最後のおにぎりを食しながら、暫しの休憩にした。
 隣に座った若い男性二人組。その言葉からチャイニーズ系だと思うが、新しいGOPROやらニコンの高級ミラーレスやら、なにかといいものを持っていて、いでたちにも品がある。間違いなく富裕層のインバウンドだ。そんなことを考えながらも、「おにぎり、あと一つ多く買っときゃよかった~」と、情けない溜息が出た。
 南方面には丹沢山系が見渡せ、今年こそはは歩いてみたいと強く思った。

日の出山山頂

 急坂を下り終え、梅野木峠までの道のりは、それこそ人影は皆無。多くのハイカーは御岳のケーブルカーを利用しているので、日の出山から戻るか、もしくは人気スポット“つるつる温泉”へ寄るため南へ降りる。東へ降りる人たちは、間違いなく梅郷経由で日向和田へ向かうはずなので、距離がかなり長くなってしまい、登山好きな人たち以外はほとんど見なくなる。

愛宕尾根入口の崩落個所

 梅郷と愛宕尾根を分ける分岐まで来ると、ずいぶんと山の様相が変わっていた。愛宕尾根方面は数年前に起きた大規模な崩落で、山道は通行止めとなっていたが、その崩落周囲を広範囲に伐採したようで、山肌がよく見える。山道は跡形もなく、単なる斜面と化していた。再びここに山道を通したとしても、その頃はさすがに山歩きを卒業しているだろう。

日向和田側の御岳山登山口

 日向和田駅のホームに上がると、どっと疲れが出てきた。久しぶりだったので脚がすでに筋肉痛を起こしている。帰宅したらすぐに風呂に浸かり、さっぱりしたところでギンギンに冷やしたビールで止めを刺す。考えただけで身震いが起きる。
 暫くすると青梅行の電車が滑り込んできた。流れる車窓を見てびっくり。まるで通勤ラッシュ時のようだ。それもほとんどがハイカー。これがGWなのか。

バイク屋時代66 定年退職が目前になって

「明日のファーストツーリング、天気はよさそうだから楽しみですね」
 ファーストツーリングとは、モト・ギャルソンで初めてハーレーを購入いただいたお客さんのみが参加できるイベント。常連客がわんさか集まるチャプターツーリングは、特に初心者の方には敷居が高く感じられるではと、大崎社長が考案したのだ。
「今からドキドキしてます」
 一か月前に三鷹店でXL883Nを購入いただいたN海さんは、まだうら若いキュートな独身女性。練馬の自宅マンションはバイクの駐車がNGだったので、致し方なく実家に置いていた。しかし乗るたびに東村山の実家へ取りに行かねばならず、不便を感じていた。そんな矢先、うちのバイク預かりサービスがスタートすると、契約者第一号になってくれたのだ。
「さっきやってみたからわかると思うけど、コンテナから出すとき段差があるから気をつけてくださいね。とりあえず明日はツーリングに引率する長野くんに来てもらうよう言ってあるんで」
「よかった、それなら安心です」

2018-Harley-Davidson-Iron-1200

 そして翌日。
 朝食にしようとコーヒーを入れていたら携帯が鳴った。手に取るとのぶちゃんからだ。
「はい、おはよう」
「大変です! コンテナにN海ちゃんのバイクが入ってないんです」
 どうしたのだ、メカの二人には伝えていたはずだ。
「一番近い海藤さんへ連絡して、大至急店へ向かってもらってます」
 コーヒーだけ飲むと、俺も早々に店へ向かった。
 海藤くんが駆け付け、二階からN海ちゃんのXL883Nを降ろすと、バタバタしながらも長野くんが先導して、ツーリングチームを追いかけようとスタートした。
 絶対にあってはならない不手際が起きてしまった。
 朝礼を延長して、皆で事の顛末を検証すると、俺も含めて、他人任せの風潮が露見した。
 誰がN海さんのバイクをコンテナい入れるかを具体的に決めておらず、とりあえずメカ二人に向けて頼んでおいたものの、店のスタッフ全員が「誰かがやってくれただろう」、「入れただろう」という意識でいたことが、このような結果を招いてしまったのだ。いずれにしても、夕礼時に確認をとっていればこんなことは起こらなかったはずだ。幸いなことにファーストツーリングは大成功に終わり、参加者の満足度も高く、N海さんも笑顔で戻ってきてくれた。しかし、この一件から店のほころびと俺自身の去就を意識するようになった。

2018-Harley-Davidson-Forty-Eight-Special

 満六十五歳を迎え、前期高齢者の仲間入りを果たすと、フィールドジャパンを定年退職。同時に嘱託社員としてモト・ギャルソンに再雇用となった。給料は大幅にダウンしたが、本年から年金支給が始まったので実入りは殆ど変わらず、おまけに勤務が週に四日ほどになったことで、生活に対する考え方が徐々に変わって行ったのだ。
 そもそも数年前から、生活の比重を意識的に仕事とプライベートをイーブンにしたいという思いがあったが、新たな就業環境は、イーブンからプライベート重視へと一気に押し上げた。
 休日はほぼ連休で取っていたので、一泊撮影旅行へ出かけても、写真編集に没頭できる日が丸々一日残る。このような状況下では、様々なプランが次から次へと浮かぶもの。ただ、行動には金がかかるので、やみくもに遠出はできないが、読書や山歩きに割ける時間は、これまでとは比較にならないほど増えた。
 遊びばかりに興じているようだが、もちろん仕事は誠意をもって行っている。収益を上げ、お客さんには喜んでもらおうと、日々努力しているつもりだ。しかし、“片手間”という言葉はニュアンス的に好きではないが、どうもこの頃は、プライベートへ趣きが移りつつあり、仕事が片手間に思えてきているのは否めない。
 考えてみれば、今の仕事に就いて三十年以上が経っている。俺は前々から大崎社長に言っていた。
「社長、俺は七十になる前に辞めます」
「木代くんが七十か、、、早いもんだね。俺もさ、あと一~二年で会長職に引き下がろうと思っますよ」
 最近、社長からこのような黄昏話がよく出るようになった。ずっと脇で社長の仕事を見てきたから、その苦労の大きさはわかっているつもりなので、そろそろ好きなゴルフや、サックスの演奏三昧になってもいいのではと思っていた。入社以来、社長の人柄に惚れて頑張ってきた俺だから、感化されるように人生の最終章へ目が向いてしまうのだ。
 府中店には店長職を置かない。形として大崎社長が代行しているが、リーダーシップは取らず、スタッフ各々の良心に委ねているのが実情だ。元々うちは組織ばった運営が苦手であり、“長”の名が付く役職の仕事ぶりを第三者が見れば、びっくりすると思う。府中店は良い意味でも悪い意味でも、自由奔放でいかにも“モト・ギャルソン”と感じる職場の臭いを放っている。反面教師ではないが、HD三鷹は、スタート時点からそれを是正しようと、店長の阿木が孤軍奮闘した。しかし周囲は組織の在り方をあまり理解していないスタッフで固められていたため、歪が生じ、挙句の果てには離職が出たり、はたまた真面目一本である阿木自身が胃潰瘍で倒れるなど、なかなか思うようには行ってない。
 そんなほころびが出てきても、いつの間にか俺は他人事のように見るようになっていた。

2018 Harley-Davidson Milwaukee-Eight 117 Engine

 ある日、社長に呼ばれた。
「三鷹の吉沢がね、バイクの営業をやりたいって店長に相談したらしいんだ」
「いいじゃないですか、前向きで」
 “みきちゃん”こと吉沢美紀は、弱冠二十代のシングルマザー。アパレル担当を任されていて、十分な実績を残している。三鷹店では常連さんたちに絶大な人気を誇るアイドル的存在。
「でもバイクを売りだしたらアパレルまで手が回らなくなる」
 ハーレーはアパレルの年間仕入れも厳しいノルマを設定してあり、達成できなければホールバックマージンに影響が出る。
「そこでさ、こっちの小田佳奈美と入れ替えにしようと思うんだ」
 小田佳奈美、通称“かなちゃん”は、府中店で営業アシスタントをやっている。メイン業務は登録書類の作成だが、たまに経理の仕事もやらされている。童顔で愛想もいいが、売込みをするような押しはなく、おっとりとした性格の持ち主だ。
「じゃ、かなちゃんをアパレル選任に?」
「うん」
「できますかね~」
「彼女に聞いたら、意外や前向きで、一度やってみたいと思ってたそうだ」
 そんなわけで早々に人事異動が行われた。
 さっそくバイク営業のレクチャーを始めようと、みきちゃんを呼んで色々と話を始めたのだが、やや様子がおかしい。なぜバイクを売りたくなったのかを深堀していくと、意外な真相にぶち当たった。
「三鷹の雰囲気がどうにも合わないから、府中店に行かせてくださいって専務に談判したんです。そしたら翌日に社長が来て、真剣にバイクを売るならのんでもいいって言われたんです」
 これには驚いた。何が合わないのかとさらに深堀したら、具体的な名前こそ出さなかったが、一~二名の男性スタッフの言動がどうにも我慢できなかったらしい。彼女はけっこう気が強いのだ。
 それにしても三鷹店の職場環境には、いろいろと問題がありそうだ。

季節は進む

東京都水道局 境浄水場

 早いもので、完全リタイヤしてからそろそろ三年が経とうとしている。
 これまで長き間、悩みや心配事など、その大半は仕事に関連するものだった。ならば退職後はさぞかし穏やかな毎日になるだろうと期待した。なるほど、確かに頭痛が起きるほどの悩みはなくなったが、この手の類が完全に消え去るわけもなく、仕事から解放された生活が日常となるに従い、これまであまり気に留めなかったことへ意識が向き始めた。それは、体調不良が及ぼす気持ちの浮き沈みである。加齢に対する不安が、仕事に代わる厄介事として浮上してきたのかもしれない。

 ここのところ、疲労、思わしくない便通、頻尿、鼻のムズムズが、日々のリズムを狂わせている。
 疲労に関しては、回復の鈍さが気になるところ。しかも軽度の筋トレで筋肉痛や関節痛が生じるのだ。自由気ままな撮影行脚に浸ろうという矢先だけに困ったものだ。今年に入ってまだ一度も山歩きをしていないのは、第一に花粉症の悪化だが、抜けない怠さも気持ちを押し下げる要因になっている。
 行動する体力を維持するために励行しているジョギング。毎日3Km走っている事実は、大きな気持ちの支えになっているが、疲労が残った状態で走っても楽しくないし、また鍛錬にもならないような気がする。

庭に咲く花

 日々何より楽しみなのは“晩酌”。野菜の煮物を肴に、きりっと冷えた日本酒を味わうひと時は、心から寛げるひと時。しかし腹の調子が悪くなれば、酒は飲めなくなる。特段腹に悪いものを食べてはないし、暴飲暴食など一切ない。なのに、月に一度ほど軟便になったり、腹のゴロゴロが止まらなくなる。さらにこの症状が旅行へ出かけた際に起これば、もう最悪。
 知らない土地をカメラ片手に歩き回り、その日の締めとして、地元の飲み屋で地のものを肴に一杯やる。これ以上の目的は望んでないのに、いきなり腹の調子が悪くなれば、旅のすべては泡となる。
 強靭な腹が欲しい。

 ジョギングコースにツツジが鮮やかに咲き誇っている。桜からツツジへと季節は進む。

写真好きな中年男の独り言