バイク屋時代62 四人になったバイクフィールド

 勤め人にとって昼休みは特別なひとときだ。単に昼食を取るだけではなく、就業時間中に心身をリセットできる貴重なチャンスでもある。HD調布へ異動後、昼食はほとんど外食にした。財布に優しい配達弁当もあるが、お粗末な調理が口に合わず、二~三回試してやめた。それにさっきまで仕事をしていたディスクで弁当を広げるってのは、どうも…
 HD調布は京王線の飛田給駅に近いので、徒歩圏内に、すき家、バーミヤン、ロイヤルホスト、華屋与兵衛等々と飲食店がけっこう並ぶ。ある日すき家へ行こうと駅に向って歩いていると、居酒屋の“庄や”に、ワンコインランチを始めた云々のポスターが掲示されていたので、試しに入ってみた。正面のカウンター席に陣取りメニューを確認すると、本日のワンコインは“サンマの塩焼き”と記してあった。
「お決まりですか?」
「ワンコインで」
 まもなくして運ばれてきたお盆には、焼き立てのサンマと、ご飯、みそ汁、ミニサラダが載っている。これで税込500円はどう考えても安い。さっそくいただくと、味もまったく不満はないし、サンマの焼き方などはさすがに居酒屋クオリティ。もちろんたっぷりの大根おろしも忘れてない。勤務中でなければ冷酒が欲しいところだ。
 これがきっかけで、庄や詣でが始まった。週に三~四回も顔を出すと店員に覚えられ、いつしか常連扱いとなった。
「あら木代さん、今日はちょっと早いですね」
 ウエイトレスは三十代から四十代のお姉さんが中心だが、中には二十代と思しき、ぴちぴちな子もいる。この店の馴染めるところは、お姉さんたちの愛想のよさにつきた。
「これから約束の商談があるんだよ」
「繁盛してていいですねぇ」
 こんなやり取りでも、気分はずいぶんとリフレッシュする。事務所で黙々と冷えた弁当を食らうよりははるかにいい。
 しかし、お世話になり続けた庄やも、残念なことにあのコロナ禍のあおりを受け、ついには店じまいとなってしまった。あのお姉さんたち、元気でやっているだろうか。

ワンコインランチ 左から、チキンカレー、マグロ竜田揚げ、鶏唐揚げ柚子胡椒炒め、ブリかま

 BF所属となった海藤くんと広田くん。顔合わせをしたその日から、互いに嫌厭なムードを放ち始める。
「なんでそれほど?!」と思うほど相手を無視するのだ。言葉は交わさない、目線も合わせない。仕事はそれぞれきちんとこなしているので、一見問題はなさそうだが、工場としての生産性は間違いなく低い。陸運支局への“持ち込み”などは顕著な例。
 持ち込みとは、車両の持ち込み検査のことで、陸運支局へ検査対象車をトラックで運び、そこで検査ラインを通して合格を取得する一連の作業だ。新車並びに中古車の新規検査、継続車検、構造変更等々があり、調布店では、中古車新規検査と継続車検で週に何度か出かけている。ところが彼らは、互いに自分が担当する車両のみの持ち込みしかしないので、週に各々一台づつ、計二台の継続検査があると、普通はトラックに二台積んで一度で済むが、彼らは自分の分しか行かないので、トラックは週に二度出動することになる。これにはさすがの社長も腰を上げた。
「これは非効率ですよ」
 うつむいていた海藤くんが顔を上げた。
「どんな整備をしているかわからない他人の仕事ですよ。それで通らなかったら僕の責任になるじゃないですか」
「どんな整備って、、、互いにベテランメカでしょ」
 今度は広田くんが言い放った。
「いや、彼の整備は信用できないんで、僕も嫌です」
 
 この問題は結局解決することなく、延々と続く。このいがみ合いの原因は、当人たちの性格と相性にあるとは思うが、俺は社長の考えた“歩合制の給与”も原因の一つと考えている。そもそもうちの会社は、以前から給与の査定について何度ももめごとが起きている。スタッフ達の多くが査定基準の不明確さと給与の低さを訴えていて、これにより離職する者もいた。
 例えば営業職。営業マンのAくんがお客さんから注文書にサインをいただいた。この一台成約はAくんの手柄となるのだが、実はこのお客さん、先週来店していて、そのとき別の営業マンBくんの対応と説明がとても印象よく、検討してまた来ますと言っていたのだ。そして再来店した時、たまたまショールームにいたのがAくんだったから、Bくんとしてはトンビに油揚げをさらわれる形になり面白くない。このようなケースの場合はその都度社長のジャッジが入り、ポイントは五分五分だとか、Aくんのエンディングはなかなかよかったから、今回はAくんの手柄だとか、非常にあいまいな結末にしてしまう。当然ながら営業マンには毎月の売上目標が課されているので、納得がいかない場合は士気低下にもつながりかねない。
 BFの二人のメカについては、給料が歩合制になったことでさらに拍車がかかっていた。
 仮に海藤くんが整備したバイクを、広田くんが自分で整備したバイクと計二台、トラックに積んで持ち込みに行ったとしよう。持ち込みは回数並びに台数に対して手当がつくから、彼の給料には持ち込み一回分と車両二台分の手当として一万数千円が加算されるのだ。
 歩合制の給料計算方法については、大崎社長と何度も検討し合って作り上げたが、最初から完璧な形にするのは至難の業で、幾度となく改定を余儀なくされた。従業員にとって給料は最大の関心ごとだから、なんとか納得してもらわないとうまくない。
「部長、ちょっといいですか」
 サービスカウンターで、整備書類を作っていた広田くんから声がかかった。
「どした」
「なんで歩合制になったんですか」
 意外な質問だった。なぜなら、彼らの方から歩合制の給料にしてほしいと社長へ要望が上がっていたと聞いていたからだ。
「えっ? だってそれ、希望だったんだろ」
「いや、そんなこと言った覚えないです」
 このあと新藤くんにも聞いてみたが、彼からも同様の答えが返ってきてびっくり。社長に問い合わせると、
「いやぁ~、言ってたはずだよ、ふたりとも」
 曖昧さが滲み出て、どうもしっくりとこない。
「とにかく今のままで進めよう。問題が出てきたらその時考えればいい」
 社長お得意の〆である。

 つい先日、若干組織の体制が変わった。あらためてBFとモト・ギャルソンの関係を説明しておこう。
 これまでモト・ギャルソン、BF共に、代表は大崎社長だったが、今期からBFの代表は、社長の長女である山口信代が就任することになった。彼女は業務改革に前向きなので、これまで以上に無駄をなくした収益第一の体制が構築できそうだ。大崎一家との付き合いは長く、彼女が中学生のころから面識があるので、立派な大人になっても自然に「のぶちゃん」と呼んでしまう。
 BFのメンバーは、のぶちゃん、海藤くん、広田くん、そして俺の四名体制となり、毎月の厄介な仕事“給与計算”は、すべてのぶちゃんがやってくれることになり、とりあえずほっとした。
 メカの仕事のほとんどは、モト・ギャルソンからの請負という位置づけになり、売上の〇〇%がBFの取り分と定められた。中古車店に並ぶバイクはモト・ギャルソンの資産だし、車検、点検、修理、カスタムでの売上も、依頼主がほぼモト・ギャルソンの顧客だからだ。
 営業にしても、俺が店頭のハーレーを売れば、工場と同じく、決められたパーセンテージの手数料が収益となる。もちろんBFの資金によって仕入れた車両が売れればすべてBFの収益だ。

WBC 2026

 WBCは絶対に観たかったので、迷うことなくネットフリックスを契約した。どの試合も手に汗握る展開で、TVに釘付けの毎日は楽しかった。結果はベネズエラ初優勝で幕引きとなったが、欧州のチームやオーストラリアも格段に力をつけていて、もはや優勝候補という言葉は意味をなせてない。
 日本チームの試合を振り返ると“~れば~たら”の嵐になりそうで控えるが、やはりメジャー組の面々は、場慣れしているというか肝が据わっているというか、大舞台においても自身の力を思う存分出し切っていたように感じた。それを考えれば、岡本や村上も今年からメジャーでしこたま揉まれれば、今以上の力がつく筈だし、大活躍した阪神コンビの佐藤と森下は、これからさらに磨きがかかるのは間違いないから、次回は大いに期待が持てそうである。それと今は足踏み中だが、ドジャースの佐々木朗希は必ずチームの主力先発に成長すると信じているので、投手にも厚みが出るのではなかろうか。

 車で丸亀製麺の前を通ると、
「あののぼり、こく旨豚玉ぶっかけだって、おいしそう」
「帰り寄ろうか」
 午前中、ヨーカ堂での買い物につきあった。
「混むからお昼前だね」

 十一時半に車を入れると、すでに満車に近い。以前は安さゆえに利用していた方も多かったと思うが、物価上昇の波は丸亀製麺の価格にも影響が出ている。私の好きな“ぶっかけうどん”は並で440円だが、オープンしたころは280円だった。おおよそ十年ちょっとでこれだけ上がったのだ。実入りが上がれば何の問題もないが、年金暮らしには厳しい現実である。

昔の常連さんと

かぶら家 三鷹店にて

 三月十四日(土)。古いモト・ギャルソンの常連さん二人と酒を酌み交わした。
 Hさんとはちょくちょく顔を合わせるが、Oさんとは恐らく十数年ぶりだ。以前は日野に住んでいたが、会社の転勤で札幌へ引っ越していた。二人とも旧三鷹本店のお客さんで、ビッグツーリングは殆ど毎回参加の常連さんである。昔話に花を咲かせば、時の流れの速さに驚くばかり。
「Oさん、いくつになったの?」
「五十七です」
「へー、僕のいっこ下だったんだ」
 その当時、彼らは三十を少し超えたくらいの青年だった。
 現在二人ともバイクを所有していて、たまにちょい乗りで程度で楽しんでいるという。愛車はHさんがカワサキ、Oさんはホンダである。
 大昔、国産バイクに見切りをつけたとき、ずっと国産ユーザーだった彼らは、モト・ギャルソンに対してどのような思いを抱いただろう。決して好意的にはなれなかったはずだ。そんないきさつがあったにもかかわらず、あの頃の懐かしさを肴に酒を進められるのは、本当にありがたいことである。

花木流味噌の味噌ラーメン

「Oさん、ホテルはどこ取ってあるの?」
「昔のギャルソンの隣です」
 中町のリッチモンドホテルである。
「おれんちさ、そっち方面なんで、いっしょに帰るか」
「はい」
「腹減ってない? 〆でも食うか」
「ですね」
 花木流味噌三鷹店は今日も美味しくいただけた。

バイク屋時代61 オープンと閉店

 2015年2月。HD三鷹がオープン。見積もりをはるかに超える開店経費に、当初は暗澹たる雰囲気が流れていたが、そんな心配をよそに好調の波が延々と続いた。HDJが毎年評価する<全国ナンバーワンディーラー賞>を、オープン一年目で狙えるのではと店長である阿木の鼻息は荒い。スタッフ皆の頑張りが実ったのはもちろんだが、HDJが推進する新店舗規格に賛同しかねるディーラーが現れ始め、多摩地区の二店が更改を拒否、看板を返納したのだ。そのあおりを受けてHD三鷹の商圏は広がることとなり、車両購入、サービス関連共々、新規客が急速に増え始めた。これにより嬉しい悲鳴はいつしかただの悲鳴になり、オープン一年目を待たずしてスタッフの疲弊はピークに達した。特に工場のオーバーワークは著しく、納車や一般整備にクレームが出るほどの遅延が出るようになった。苦肉の策として、当面の間、一見客の受付を中止にし、既納客のカスタム依頼に対しても、純正パーツ以外の取付けはお断りとにした。これにより客離れも若干出てしまったが、対応としては致し方ないものだった。そして懸念はしていたが、離職が再び相次ぐようになる。

2016-Harley-Davidson-CVO-Street-Glide

 HD調布時代に中途採用した営業マンの大島は、ガタイがよくて明るい男。入社以降は俺の下につけて若手営業マンとして頑張っていたが、三鷹店の人手不足を解消するために異動が決まった。彼も三鷹店の様々な噂は耳に入っていたので、通達後は見るからに元気がなくなっていた。
「社長の考えだからしょうがないですけど、大島のやつ、あっちにいかせて大丈夫ですかね」
「今は三鷹のスタッフの負担を考えてやらなきゃ駄目だろう」
 三鷹店の状況を直接見ているわけではないので確かなことは言えないが、スタッフの疲弊を作り出している要因には、なにか内部事情が関係しているように思えてならなかった。一見客を断ったり、クイックを予約にしてもらったりと、できる範囲で仕事量の調整は行っているのだ。
 
 トラックのパワーゲートを操作する音がしたので、工場へ行ってみると、大島が下取の中古車を押して裏庭へ並べているところだった。学生時代にラグビーをやっていただけあって、重量が370kgもある大型のストリートグライドを軽々と取り廻している。もっとも、力だけではああはいかないが。
「おはようっす」
「ご苦労さん。どうだい三鷹の方は」
 三鷹と発したとたんに表情が曇る。大崎社長が言っていたが、大島はよほど三鷹勤務が嫌なのか、社長と会うたびに、いつ調布へ戻れるのかと聞いてくるそうだ。
「忙しさは平気ですけど、なんかあそこ、居辛いんですよね」
「なにがそう感じさせるの?」
 口角を上げるも目は笑ってない。
「どうしても合わない人が二人ほどいるんで」
「誰」
「まっ、いいじゃないですか」
「よくないよ」
 あとからわかったことだが、どうも店長の阿木と先輩営業マンの下田に対して不満があるようだ。大島の言い分だけでは判断しかねるが、阿木は責任感が強く、自他ともに対しとても厳しい男だ。彼独特のストレートな物言いは、なにかと誤解を招く。それとなんにでも首を突っ込むところがあって、不足があれば自分でかたずけようとし、しまいには自滅するという傾向があるらしい。
 下田も阿木とやや似たようなところがあり、波長の合わない相手とは無意識に距離を置くタイプだ。
 一方大島はまじめによく働くが、やや甘ったれたところがあり、仕事であってもその中に人情やウイットを感じないと力を発揮できないという、手のかかる男だ。ただ、お客さん受けはよく、彼目当てに来店する既納客は多い。
「とにかく爆発する前に社長と腹割って話せよな」
「もう導火線に火がついてますよ」
「おいおい」

 そんな中、中古車店の引っ越し先にめどが立った。三鷹店の常連さんが経営している会社の倉庫スペースで、広さとしてはぎりぎりだが、二階部分も使えるらしく、部品庫の心配がなくなり、即契約へと駒を進めた。場所は調布店から甲州街道を西へ約1km行ったところ。間口は南向きで街道沿いとなる。先回の三鷹店、そして今回の中古車専門店と、店舗物件には驚くほど恵まれている。
 そしてこれを機に、大崎社長はドゥカティ正規ディーラーの看板を降ろすことを決めた。長らくドゥカティメカとして頑張ってくれた坂上健治は辞意を固め、家族と一緒に故郷の福島へ帰ることになり、店長の大杉くんも、既納客のフォローに一段落がつけば離職すると社長へ伝えたようだ。
 ドゥカティディーラーの立ち上げを共に汗した二人が去るという現況は、モト・ギャルソンの一時代が完全に終わったことを意味し、言葉にならない脱力感に包まれた。特に大杉くんは、吉祥寺店時代からずっと同じ店で働き、街の小さなバイク屋、大型店舗、そして輸入車の取り扱いと、会社の変革そのものを支えてきた同僚だったので、寂しさはひとしおである。完全にハーレー一色となった職場を改めて見回せば、俺自身、ここから去る日もそう先ではないなと、新たな人生に思いを馳せてしまう。

2010-HarleyDavidson-SportsterForty-Eighth

 15年前の2011年3月11日(金)14時46分18秒。
 この時俺はHD調布の二階総務部にいた。突然の強い揺れをうけて、社長ディスク脇の本棚が倒れそうになり、慌てて押さえた際に眼下のショールームを見下ろすと、展示車両がゆらゆらと揺れている。
「バイクやばいな!」
 大声を出すと同時に、武井くんが階段を駆け降り、展示台に乗ったバイクを押さえた。しばらくすると商談カウンターにいた社長が二階に上がってきて、安堵の表情を見せた。
「よかったよ、お客さんのバイクが倒れなくて」
 展示車両が倒れた場合は店舗保険の対象になるが、預り車は対象外なのだ。定期点検で預かった百万円ものカスタムを施したバイクを考えればぞっとする。しかしハーレーは車重があって重心が低く、しかもサイドスタンドをかけた状態ではかなり傾くから、揺れにはけっこう耐えた。これは発見だった。あとで聞いた話によると、近くのBMWモトラッドでは、センタースタンドで展示していた車両二台が倒れてしまったらしい。
「この状態じゃ商売にならないから、今日は解散にしよう。すぐにご家族と連絡を取ってください」
 社長に言われるまでもなく、皆必死に携帯を操作している。
「だめだ、全然つながらない」
「あたしも駄目です」
 そんな中、女房の携帯へは二度のトライで繋がった。たいがいのスタッフの携帯はFOMAだったが、俺は依然MOVAを使っていたのだ。少数派だったから回線が空いてて繋がりやすかったのかもしれない。
「今どこにいる?」
「もう会社出て青梅街道を歩いてる」
「わかった。とにかく四面道まできて、そこで待機してて」
 当時、女房のパート先は新高円寺にあったのだ。
 すぐに着替えて自転車を出した。俺は杉並店勤務の頃から通勤に自転車を使っていた。退職まで延べ十七年間、ひたすらペダルを漕ぎまくった。

 甲州街道はすでに交通量が増え始めていた。天文台通りを上がって東八通りに出ても同じ状況だった。こんな時の自転車は機動力がある。歩道を含めてどこだって走れるから、渋滞なんて関係なしだ。
 自宅へ到着すると、すぐに車を出した。井の頭通もそうだが、下りの交通量は急速に増えている一方、上りはそれほどでもなく、女房を荻窪まで迎えに行くにも問題はないと判断したのだ。案の定、青梅街道も上りは動いていたが、下りは早くも強烈な渋滞が始まっていた。目を見張ったのは、溢れかえる歩道上の徒歩帰宅者。初めてはっきりとクライシスを感じ取れた。
 八丁の交差点に近づくと、ガードレール脇にたたずむ女房の姿を発見。クラクションを鳴らす。
「おつかれ」
「ありがとう」
 ハンドルを左に切り、桃井の住宅街へ分け入る。この辺は杉並店勤務時代に掌握しつくしたところだ。ひんしゅくではあったが、一方通行は無視してひたすら住宅街を突き進んだ。途中、青梅街道を横断して善福寺に入り、同じく住宅街をあみだくじのように車を走らせた。帰宅は十九時過ぎと、思いのほか早かった。ちなみに、うちの娘の職場は水道橋にあるのだが、当時彼氏だった今の亭主が車で迎えに行き、連れて戻ってきたのは、日が変わった二時過ぎだった。

 店は翌日から開けたが、当然ながら商談客など来るわけもなく、整備仕事だけを黙々と進めた。ところが物流が止まった影響で、ガソリンスタンドに燃料が届かず、すぐにトラックの燃料タンクは底をつき、立川の車検場へ行くこともままならない。近所のガソリンスタンドが再開後も、燃料を求めた車が長蛇の列を作り、数時間待ちが常態となった。
 揺れが落ち着くと同時にTVのスイッチを入れたが、スタッフ達と一緒に見た津波の恐ろしい光景は、今でも鮮明に思い出すことができる。

つるつる温泉・大多摩湯めぐり

 今年の花粉症は辛いものがある。だだ洩れの鼻水が夜になれば鼻づまりに変わり、口呼吸を余儀なくされて喉が痛みだす。体もだるく、花粉症とわかっていても、風邪に罹ったのではと疑いたくなるような症状がここ数日続いている。年寄りは花粉症になりにくいと聞くが、とんでもない、年々症状は悪化している。
「温泉に浸かってすきっとしようよ」
 鼻をかむ回数が増えてきた女房、目が赤く鼻声だ。
「いくか、花粉源に近い奥多摩の温泉へ」

パノラマ食堂・つるつる温泉

 三月六日(金)。ちょうど一年ぶりになる“つるつる温泉”へ行ってみた。温泉で疲れを癒し、帰宅したらリチャードの散歩、夕方からはWBC台湾戦を酒の肴に晩酌を楽しむ。ナイスな一日になりそうだ。

 ここの温泉は三度目になるが、露天風呂に入ったのは今回が初。それほど大きくない湯舟が二つだけなので、いつも満員だった。
 檜の湯船はほぼ正方形で、縁に頭を乗せて体を伸ばせば、つま先が体面の縁についてサイズのあんばいがいい。少しづつ動く雲を見ながらの入浴は身も心もリラックス。昼食までの一時間はあっという間だった。
 先回の“瀬音の湯”と同様、真まで温まった体はなかなか発汗が止まらない。
「ほんと温まるね」
「汗がすごくて、水分補給しないとやばいほどだよ」
 冷たいほうじ茶が体に染み渡った。
 女房は好物の天丼、私はとろろ定食を注文した。疲れがたまっていたのか、かき揚げの玉ねぎの甘みがとても美味しく感じた。

 お土産コーナーで、中村酒造の“千代鶴 特別純米 奥多摩”を見つけ即購入。晩酌にきりりと冷やしていただいたが、あきる野の清水を使っているからか、東京の酒は体に馴染み、シシャモをあてに酌が止まらない。
「おおっ、やったぁぁぁ!、大谷満塁ホーマーだ!!」

写真好きな中年男の独り言