WBC 2026

 WBCは絶対に観たかったので、迷うことなくネットフリックスを契約した。どの試合も手に汗握る展開で、TVに釘付けの毎日は楽しかった。結果はベネズエラ初優勝で幕引きとなったが、欧州のチームやオーストラリアも格段に力をつけていて、もはや優勝候補という言葉は意味をなせてない。
 日本チームの試合を振り返ると“~れば~たら”の嵐になりそうで控えるが、やはりメジャー組の面々は、場慣れしているというか肝が据わっているというか、大舞台においても自身の力を思う存分出し切っていたように感じた。それを考えれば、岡本や村上も今年からメジャーでしこたま揉まれれば、今以上の力がつく筈だし、大活躍した阪神コンビの佐藤と森下は、これからさらに磨きがかかるのは間違いないから、次回は大いに期待が持てそうである。それと今は足踏み中だが、ドジャースの佐々木朗希は必ずチームの主力先発に成長すると信じているので、投手にも厚みが出るのではなかろうか。

 車で丸亀製麺の前を通ると、
「あののぼり、こく旨豚玉ぶっかけだって、おいしそう」
「帰り寄ろうか」
 午前中、ヨーカ堂での買い物につきあった。
「混むからお昼前だね」

 十一時半に車を入れると、すでに満車に近い。以前は安さゆえに利用していた方も多かったと思うが、物価上昇の波は丸亀製麺の価格にも影響が出ている。私の好きな“ぶっかけうどん”は並で440円だが、オープンしたころは280円だった。おおよそ十年ちょっとでこれだけ上がったのだ。実入りが上がれば何の問題もないが、年金暮らしには厳しい現実である。

昔の常連さんと

かぶら家 三鷹店にて

 三月十四日(土)。古いモト・ギャルソンの常連さん二人と酒を酌み交わした。
 Hさんとはちょくちょく顔を合わせるが、Oさんとは恐らく十数年ぶりだ。以前は日野に住んでいたが、会社の転勤で札幌へ引っ越していた。二人とも旧三鷹本店のお客さんで、ビッグツーリングは殆ど毎回参加の常連さんである。昔話に花を咲かせば、時の流れの速さに驚くばかり。
「Oさん、いくつになったの?」
「五十七です」
「へー、僕のいっこ下だったんだ」
 その当時、彼らは三十を少し超えたくらいの青年だった。
 現在二人ともバイクを所有していて、たまにちょい乗りで程度で楽しんでいるという。愛車はHさんがカワサキ、Oさんはホンダである。
 大昔、国産バイクに見切りをつけたとき、ずっと国産ユーザーだった彼らは、モト・ギャルソンに対してどのような思いを抱いただろう。決して好意的にはなれなかったはずだ。そんないきさつがあったにもかかわらず、あの頃の懐かしさを肴に酒を進められるのは、本当にありがたいことである。

花木流味噌の味噌ラーメン

「Oさん、ホテルはどこ取ってあるの?」
「昔のギャルソンの隣です」
 中町のリッチモンドホテルである。
「おれんちさ、そっち方面なんで、いっしょに帰るか」
「はい」
「腹減ってない? 〆でも食うか」
「ですね」
 花木流味噌三鷹店は今日も美味しくいただけた。

バイク屋時代61 オープンと閉店

 2015年2月。HD三鷹がオープン。見積もりをはるかに超える開店経費に、当初は暗澹たる雰囲気が流れていたが、そんな心配をよそに好調の波が延々と続いた。HDJが毎年評価する<全国ナンバーワンディーラー賞>を、オープン一年目で狙えるのではと店長である阿木の鼻息は荒い。スタッフ皆の頑張りが実ったのはもちろんだが、HDJが推進する新店舗規格に賛同しかねるディーラーが現れ始め、多摩地区の二店が更改を拒否、看板を返納したのだ。そのあおりを受けてHD三鷹の商圏は広がることとなり、車両購入、サービス関連共々、新規客が急速に増え始めた。これにより嬉しい悲鳴はいつしかただの悲鳴になり、オープン一年目を待たずしてスタッフの疲弊はピークに達した。特に工場のオーバーワークは著しく、納車や一般整備にクレームが出るほどの遅延が出るようになった。苦肉の策として、当面の間、一見客の受付を中止にし、既納客のカスタム依頼に対しても、純正パーツ以外の取付けはお断りとにした。これにより客離れも若干出てしまったが、対応としては致し方ないものだった。そして懸念はしていたが、離職が再び相次ぐようになる。

2016-Harley-Davidson-CVO-Street-Glide

 HD調布時代に中途採用した営業マンの大島は、ガタイがよくて明るい男。入社以降は俺の下につけて若手営業マンとして頑張っていたが、三鷹店の人手不足を解消するために異動が決まった。彼も三鷹店の様々な噂は耳に入っていたので、通達後は見るからに元気がなくなっていた。
「社長の考えだからしょうがないですけど、大島のやつ、あっちにいかせて大丈夫ですかね」
「今は三鷹のスタッフの負担を考えてやらなきゃ駄目だろう」
 三鷹店の状況を直接見ているわけではないので確かなことは言えないが、スタッフの疲弊を作り出している要因には、なにか内部事情が関係しているように思えてならなかった。一見客を断ったり、クイックを予約にしてもらったりと、できる範囲で仕事量の調整は行っているのだ。
 
 トラックのパワーゲートを操作する音がしたので、工場へ行ってみると、大島が下取の中古車を押して裏庭へ並べているところだった。学生時代にラグビーをやっていただけあって、重量が370kgもある大型のストリートグライドを軽々と取り廻している。もっとも、力だけではああはいかないが。
「おはようっす」
「ご苦労さん。どうだい三鷹の方は」
 三鷹と発したとたんに表情が曇る。大崎社長が言っていたが、大島はよほど三鷹勤務が嫌なのか、社長と会うたびに、いつ調布へ戻れるのかと聞いてくるそうだ。
「忙しさは平気ですけど、なんかあそこ、居辛いんですよね」
「なにがそう感じさせるの?」
 口角を上げるも目は笑ってない。
「どうしても合わない人が二人ほどいるんで」
「誰」
「まっ、いいじゃないですか」
「よくないよ」
 あとからわかったことだが、どうも店長の阿木と先輩営業マンの下田に対して不満があるようだ。大島の言い分だけでは判断しかねるが、阿木は責任感が強く、自他ともに対しとても厳しい男だ。彼独特のストレートな物言いは、なにかと誤解を招く。それとなんにでも首を突っ込むところがあって、不足があれば自分でかたずけようとし、しまいには自滅するという傾向があるらしい。
 下田も阿木とやや似たようなところがあり、波長の合わない相手とは無意識に距離を置くタイプだ。
 一方大島はまじめによく働くが、やや甘ったれたところがあり、仕事であってもその中に人情やウイットを感じないと力を発揮できないという、手のかかる男だ。ただ、お客さん受けはよく、彼目当てに来店する既納客は多い。
「とにかく爆発する前に社長と腹割って話せよな」
「もう導火線に火がついてますよ」
「おいおい」

 そんな中、中古車店の引っ越し先にめどが立った。三鷹店の常連さんが経営している会社の倉庫スペースで、広さとしてはぎりぎりだが、二階部分も使えるらしく、部品庫の心配がなくなり、即契約へと駒を進めた。場所は調布店から甲州街道を西へ約1km行ったところ。間口は南向きで街道沿いとなる。先回の三鷹店、そして今回の中古車専門店と、店舗物件には驚くほど恵まれている。
 そしてこれを機に、大崎社長はドゥカティ正規ディーラーの看板を降ろすことを決めた。長らくドゥカティメカとして頑張ってくれた坂上健治は辞意を固め、家族と一緒に故郷の福島へ帰ることになり、店長の大杉くんも、既納客のフォローに一段落がつけば離職すると社長へ伝えたようだ。
 ドゥカティディーラーの立ち上げを共に汗した二人が去るという現況は、モト・ギャルソンの一時代が完全に終わったことを意味し、言葉にならない脱力感に包まれた。特に大杉くんは、吉祥寺店時代からずっと同じ店で働き、街の小さなバイク屋、大型店舗、そして輸入車の取り扱いと、会社の変革そのものを支えてきた同僚だったので、寂しさはひとしおである。完全にハーレー一色となった職場を改めて見回せば、俺自身、ここから去る日もそう先ではないなと、新たな人生に思いを馳せてしまう。

2010-HarleyDavidson-SportsterForty-Eighth

 15年前の2011年3月11日(金)14時46分18秒。
 この時俺はHD調布の二階総務部にいた。突然の強い揺れをうけて、社長ディスク脇の本棚が倒れそうになり、慌てて押さえた際に眼下のショールームを見下ろすと、展示車両がゆらゆらと揺れている。
「バイクやばいな!」
 大声を出すと同時に、武井くんが階段を駆け降り、展示台に乗ったバイクを押さえた。しばらくすると商談カウンターにいた社長が二階に上がってきて、安堵の表情を見せた。
「よかったよ、お客さんのバイクが倒れなくて」
 展示車両が倒れた場合は店舗保険の対象になるが、預り車は対象外なのだ。定期点検で預かった百万円ものカスタムを施したバイクを考えればぞっとする。しかしハーレーは車重があって重心が低く、しかもサイドスタンドをかけた状態ではかなり傾くから、揺れにはけっこう耐えた。これは発見だった。あとで聞いた話によると、近くのBMWモトラッドでは、センタースタンドで展示していた車両二台が倒れてしまったらしい。
「この状態じゃ商売にならないから、今日は解散にしよう。すぐにご家族と連絡を取ってください」
 社長に言われるまでもなく、皆必死に携帯を操作している。
「だめだ、全然つながらない」
「あたしも駄目です」
 そんな中、女房の携帯へは二度のトライで繋がった。たいがいのスタッフの携帯はFOMAだったが、俺は依然MOVAを使っていたのだ。少数派だったから回線が空いてて繋がりやすかったのかもしれない。
「今どこにいる?」
「もう会社出て青梅街道を歩いてる」
「わかった。とにかく四面道まできて、そこで待機してて」
 当時、女房のパート先は新高円寺にあったのだ。
 すぐに着替えて自転車を出した。俺は杉並店勤務の頃から通勤に自転車を使っていた。退職まで延べ十七年間、ひたすらペダルを漕ぎまくった。

 甲州街道はすでに交通量が増え始めていた。天文台通りを上がって東八通りに出ても同じ状況だった。こんな時の自転車は機動力がある。歩道を含めてどこだって走れるから、渋滞なんて関係なしだ。
 自宅へ到着すると、すぐに車を出した。井の頭通もそうだが、下りの交通量は急速に増えている一方、上りはそれほどでもなく、女房を荻窪まで迎えに行くにも問題はないと判断したのだ。案の定、青梅街道も上りは動いていたが、下りは早くも強烈な渋滞が始まっていた。目を見張ったのは、溢れかえる歩道上の徒歩帰宅者。初めてはっきりとクライシスを感じ取れた。
 八丁の交差点に近づくと、ガードレール脇にたたずむ女房の姿を発見。クラクションを鳴らす。
「おつかれ」
「ありがとう」
 ハンドルを左に切り、桃井の住宅街へ分け入る。この辺は杉並店勤務時代に掌握しつくしたところだ。ひんしゅくではあったが、一方通行は無視してひたすら住宅街を突き進んだ。途中、青梅街道を横断して善福寺に入り、同じく住宅街をあみだくじのように車を走らせた。帰宅は十九時過ぎと、思いのほか早かった。ちなみに、うちの娘の職場は水道橋にあるのだが、当時彼氏だった今の亭主が車で迎えに行き、連れて戻ってきたのは、日が変わった二時過ぎだった。

 店は翌日から開けたが、当然ながら商談客など来るわけもなく、整備仕事だけを黙々と進めた。ところが物流が止まった影響で、ガソリンスタンドに燃料が届かず、すぐにトラックの燃料タンクは底をつき、立川の車検場へ行くこともままならない。近所のガソリンスタンドが再開後も、燃料を求めた車が長蛇の列を作り、数時間待ちが常態となった。
 揺れが落ち着くと同時にTVのスイッチを入れたが、スタッフ達と一緒に見た津波の恐ろしい光景は、今でも鮮明に思い出すことができる。

つるつる温泉・大多摩湯めぐり

 今年の花粉症は辛いものがある。だだ洩れの鼻水が夜になれば鼻づまりに変わり、口呼吸を余儀なくされて喉が痛みだす。体もだるく、花粉症とわかっていても、風邪に罹ったのではと疑いたくなるような症状がここ数日続いている。年寄りは花粉症になりにくいと聞くが、とんでもない、年々症状は悪化している。
「温泉に浸かってすきっとしようよ」
 鼻をかむ回数が増えてきた女房、目が赤く鼻声だ。
「いくか、花粉源に近い奥多摩の温泉へ」

パノラマ食堂・つるつる温泉

 三月六日(金)。ちょうど一年ぶりになる“つるつる温泉”へ行ってみた。温泉で疲れを癒し、帰宅したらリチャードの散歩、夕方からはWBC台湾戦を酒の肴に晩酌を楽しむ。ナイスな一日になりそうだ。

 ここの温泉は三度目になるが、露天風呂に入ったのは今回が初。それほど大きくない湯舟が二つだけなので、いつも満員だった。
 檜の湯船はほぼ正方形で、縁に頭を乗せて体を伸ばせば、つま先が体面の縁についてサイズのあんばいがいい。少しづつ動く雲を見ながらの入浴は身も心もリラックス。昼食までの一時間はあっという間だった。
 先回の“瀬音の湯”と同様、真まで温まった体はなかなか発汗が止まらない。
「ほんと温まるね」
「汗がすごくて、水分補給しないとやばいほどだよ」
 冷たいほうじ茶が体に染み渡った。
 女房は好物の天丼、私はとろろ定食を注文した。疲れがたまっていたのか、かき揚げの玉ねぎの甘みがとても美味しく感じた。

 お土産コーナーで、中村酒造の“千代鶴 特別純米 奥多摩”を見つけ即購入。晩酌にきりりと冷やしていただいたが、あきる野の清水を使っているからか、東京の酒は体に馴染み、シシャモをあてに酌が止まらない。
「おおっ、やったぁぁぁ!、大谷満塁ホーマーだ!!」

病院をはしごする

 スギ花粉の飛来が本格化してきた。鼻の不調は相も変わらずだが、今年はこれに目の強い痒みが加わり不快でしょうがない。先日、夜中に尿意で目が覚めたら恐ろしく目元が痒く、いけないとはわかっていたが我慢できずにごしごしと擦ってしまった。朝起きて手洗いの鏡を見ると充血が酷く、まるでドラキュラの目のようになっていた。この痒みはなかなか回復せず、鼻水も負けじと漏れっ放しで、最悪の一日となってしまた。こんな時、トラブルは続くもの…

 首から上に弱点の集中する私。鼻のてっぺんにできた“かさぶた”が、三月ほど前から徐々に盛り上がり始め、いつの間にかイボのようになってしまった。痛くも痒くもないが、箇所が箇所だけに、絶えず視界に入って鬱陶しい。これ以上大きくなるのは避けたいので、近所にある<武蔵野皮膚科クリニック>で診てもらった。
「イボの一種でしょうね。液体窒素で処置します」
 マイナス200℃近くもある液体を患部へ塗布、凍結させて原因ウィルスを死滅させるのだ。イボもかさぶたもウィルスの仕業のようで、こいつを殺さない限り、下から次から次へと盛り上がってくるらしい。
「目を瞑ってください。ちょっと痛いですよ」
 冷気が顔面に近づいてきたと感じた瞬間、刺すような痛みが患部に広がった。なるほど結構な痛みである。
「イツツ!」
「もうちょっとなんで辛抱してください」
 処置から約十日経ったら再度ドクターに診せて、完治または追加処置の判断をするという。このブログを書いている時点であまり変化はないので、恐らくまた凍結地獄を見ることになるだろう。

 昨年の十一月に眼科検診を受けた際、特段問題はなかったが、目の中心部の血流が悪いと指摘され、三か月ほど間を置いたのちに、精密な緑内障の検査を行うことになった。
 凍結地獄の翌週に<武蔵野眼科>で診てもらうと、幸いなことに網膜に異常はなく、緑内障の疑いは晴れた。
 今日もこれから<三鷹もろほし耳鼻咽喉科>へ花粉症の内服薬と痒み止めの目薬をもらいに行かねばならず、病院のはしごは続いている。

写真好きな中年男の独り言