Vespa(ベスパ)というバイクをご存じだろうか。1953年公開の映画“ローマの休日”では、オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックがベスパに乗ってローマの町を駆け抜け、そのシーンが話題となった。
1979年に公開された映画“さらば青春の光”では、モッズスタイルの若者の象徴的な乗り物として強烈にアピール。そう、ベスパはイタリア生まれの“元祖スクーター”なのだ。
ちなみに工場長の吉本くん、この映画“さらば青春の光”にかなり影響を受けたと思われる。
社長に呼ばれたので仕事帰りに三鷹店へ寄ると、前置きなしに「吉祥寺店でベスパの取り扱いを始めようと思ってね」との一声。詳しく聞くと、なにやら吉本くんの押しの一手に社長が屈したようなのだ。店長である俺をスルーしての話なので、ちょっとカチンときたが、うちの会社はとにかく組織運営が希薄な社風なので、似たようなことには屡々遭遇する。ただ、どのような経緯があったにせよ、一従業員の趣味的な要望をビジネスとして受け入れたことは驚きだ。
ベスパの取り扱いを始めるにあたり、目玉商品としてビンテージ車両を店頭へ並べることも決まっていた。そのために素性の知れない輸入業者から決して安価とはいいがたい、スタンダード、GS等々の人気ビンテージ車両を仕入れるとのこと。支払いはすでに済んでいるようだが、これが悪徳業者だったらどうするのか。これも社長得意の「スタッフの自主性を重んじた」ということだろうが、間違いなくリスクは大きい。
一方、新車の仕入れ先になる銀座の成川商会とは、具体的な取引方法の打ち合わせを吉祥寺店で行った。
「はじめまして、成川商会の塚田です」
40代後半と思しき担当営業マンの塚田さんは、親しみやすい笑顔が印象的だった。車体、部品、オプション品のマージンとそれぞれの発注方法、最後に車体クレーム時の対応等々の説明が順序よく行われた。
「ギャルソンさんのような販売力のある会社に扱ってもらえて、ほんと、期待してます」
揉み手である。
「いやいや、流行にちょっと乗ってみようかなってね」
「またまたぁ~、実力が他とは違います」
「まあ、うちだけの売り方ってのも考えてますけど」
「えっ? それはどのような」
「企業秘密」
成川商会を介して売ることになったベスパは、本国イタリアではとうの昔に発売終了となっているベスピーノというビンテージモデルが中心になる。なんとベスピーノは日本市場だけのために継続生産するというのだ。現行モデルはモダンなスタイルで、残念ながら日本国内での注目度は低い。
ベスピーノは、映画“さらば青春の光”に出てくるビンテージベスパのディテールを承継する、いわゆる古き良き時代のデザイン。エンジンは2サイクルだが、給油の際、入れたガソリンの量に合わせて、その都度2サイクルオイルをガソリンタンクへ注ぎ入れる混合ガソリンタイプになる。日本国内の製品でこの方法を使っているのは、モトクロッサーなどの“コンペティションモデル”のみ。ホンダ・Dioやヤマハ・JOGなど一般的なスクーターを始め、市販2サイクルモデルは全て2サイクルオイルタンクを持つオートループタイプで、エンジンシステムが自動的にガソリンと2サイクルオイルを混ぜてくれるのだ。
「じゃ、とりあえず、50S、100、ET3を各一台ずつ入れますよ」
「ありがとうございます!」
モデル名称の通り、50Sは50cc、100は100cc、そしてET3は125ccという排気量になる。
塚田さんに豪語した“うちだけの売り方”。これに関しては、ベスパを十二分に研究していた吉本くんが秘策を持っていた。
ベスピーノの発売は1960年代と非常に古く、設計はまさに前時代的なもの。それを日本からのオーダーにより、再び当時の仕様そのままで製造する。当然期待できる需要が見込まれたからこそ発生したプロジェクトであり、渋谷を中心に広まったモッズブームの影響はそれだけ大きかったと言えよう。その波は吉祥寺の町にも押し寄せ、“さらば青春の光”から飛び出てきたようなモッズパーカーを羽織り、首にはハルシオンのゴーグルを提げている若者達をあちこちで見かけるようになった。
このブームに便乗し大きく飛躍したのがホノラリー(Honorary)と称するベスパ専門ショップ。噂によればその昔、渋谷のモッズ族にホノラリーというグループがあって、そこのメンバーがベスパビジネスを起業しようと、グループ名と同名のショップを立ち上げたらしいのだ。いずれにしても、<ベスパ=ホノラリー>という公式ができあがるほど東京界隈では有名になっていたので、後発となる我々モト・ギャルソンとしては当然“策”は必須だった。
吉本くん考案の秘策とは、ベスパの前時代的な設計からくる数々の使いにくさやトラブルを全て改良し、誰でも安心して乗れるベスパを標榜するというもの。
ベスピーノの主な問題点は以下である。
1. クラッチならびにシフトの操作が重く渋く、どちらもワイヤーが切れやすい。
2. ブレーキが甘い。
3. エンジンカバーが走行中に脱落する。
以上を改良し、出来上がった車体を“モト・ギャルソンコンプリートベスパ”と称し、販売価格は新車価格に30,000円を上乗せする。
そもそもベスパのワイヤー類は、現行他車に使われているものとは比較できないほどの低品質。鉄製でしなやかさがなく、また錆びやすいので、アウターとの抵抗が生じ、重いとか渋いとか、数々の問題が出てくるのだ。これを国産モトクロッサーに採用されているステンレス製をベスパの寸法に合わせて作ってもらい、交換&調整することにより数段滑らかな操作性を得るというもの。
ワイヤーの試作品が納品されたので、さっそく組み付け操作してみると、驚いたことに別物へと変貌した。
「これ、全然違うね」
「でしょ」
試乗すればさらに一目瞭然。とにかく操作系がスムーズ。まるで国産メーカーが作ったベスパ?のようである。軽く握れるクラッチ、前後に小気味よくカチッカチッと入るシフト、利かないブレーキもレバー&ペダルタッチが向上したためにコントロールが容易になった。この改良による“差”を多くのユーザーにアピールできれば、ホノラリーに対して一矢を報いることができるかもしれない。
さっそく成川商会の塚田さんへその旨を伝えると、すごく興味を持ってくれ、
「すぐに広告掲載した方がいいですよ!」
と、逆にはっぱをかけられた。うちの雑誌広告を手掛けている広告代理店“アース企画”へは既にすでにその旨を伝えていて、打ち合わせのアポも取ってあった。
この他、オリジナルワイヤーの正式発注や店内レイアウトの変更に追われ、あっという間にひと月が経とうとしていた。
「きたよビンテージが!」
一刻も早くショールームに並べなきゃと、はやる気持ちを抑え、皆で木枠をトラックから降ろして開梱作業にかかった。
「おおっ、あんがいまともじゃん」
「これ、スタンダードだけど、まあまあオリジナルだね」
配達された三台のコンディションはおおむね良好で、スタッフ一同胸をなでおろした。外国から仕入れるビンテージバイクなんてものは、博打以外の何物でもない。
「これだったらもっと欲しいな」
ええっ?!、いいのかな、そんなに入れ込んで、、、
実は、吉本くんのこの一言。余計だった。