エレキバンド・その13・マイエレキ

communication細いネック、低い弦高、抱えやすいボディー。お気に入りの道具は練習を楽しく且つ効率化させる。
手に入れたマイエレキはネックの形状がしっくりと左手に馴染み、指にストレスを感じさせない。それまで難儀だったパートも楽にこなせるようになり、また、滑らかなフィンガリングを可能にしてくれたりと、練習の時点から広がる可能性を予感させた。

滑り出しは順調だったマイエレキ。しかし、使い慣れていくと長所ばかりではなく欠点も目に付くようになる。
ある程度は予想していたが、元々の作りが陳腐な為、肝心な部分に不満が出てくるのだ。ノーブランドだから多くは望めないが、ピックアップの出力が低く、ディストーションを効かせるような演奏ではブースターの助けが必要なこと。ノイズが耳に付くこと。盛大なハウリングが頻繁に出て、酷い時には体の向きを変えられないこと。ネックの重さに対してボディーが非常に軽く、ストラップを使った時のバランスが良くない等々。そして後から分かったことだが、一見テレキャスの一枚板ボディーが、開けてみれば何とセミアコ構造だったのだ。
ダブルコイルの付いた知人のエピフォンと比較すると、弾きやすさは“上”であっても、アンプからはき出される音の厚みでは完敗だ。但、デザイン的にはフェンダー・テレキャスターが大好きだったから、何とかこいつを使いこなして欠点を埋めてやろうと、高校生らしい若い闘志は沸きに沸いた。

ー くそっ! 学祭でやってやる!

当時はロックバンドのムービーがそれほど一般的ではなかったので、テレビの音楽番組でレッドツェッペリンのPV、“コミニケイションブレイクダウン”を観た時は本当にぶっ飛んだ。
低く構えたテレキャスを弾くジミー・ペイジの姿は、今までに見たことのないかっこよさ。あの映像は強烈な記憶として脳裏に刻まれ、特にテレキャスのボディーに張ってあった黒い丸のステッカーが不思議と強く印象に残った。

「ツェッペリンいいよね」
「良く聴くよ」

清水はドラムができる。そして最近のロックもよく知っている。
いっしょにバンドをやろうと既に話が進み、他のメンバーも近々に決まりそうだ。
北川はギターを弾くし、鴨志田はベースができると言っていた。

「学祭にエントリーするロックバンド、今のところ2組だって」
「先輩達?」
「いや、一組は一年らしいよ」

この情報は刺激になった。
おちおちしていられない。動き始めなければ!

エレキバンド・その12・高校進学

ファーストアルバム1970年。高校へ進学すると自分を取り巻く音楽環境は一変した。
新しくできた友達の中には、ギターを弾いたり、既にバンド活動も行なっている者が結構いて、彼らと話をするだけで多くのTipsを得られ、特にギターの演奏方法とアンプのセッティングについてはかなり参考になるものがあった。
さすが一学年だけで450名がひしめく日本大学第二高等学校(日大二高)だけのことはある。
そんな頃、毎年9月末に開催する文化祭では、ロック、フォーク合わせて4~5組のバンドがステージに立つことを知り、バンド結成はおろかマイエレキもない現実なのに、なぜか焦りに似た、地に足が付かない妙な気分に取憑かれてしまったのである。

ー 今すぐにバンドを結成しても本番まで半年もないのか…

但、日大二高は建前としての校則は厳しかったものの、キャンパスはいつも大らかで自由な気風に満ち溢れ、バンド活動へ対してもこれといった具体的な規制はなく、そんな諸々が“文化祭デビュー”を実現しようとする気持ちを大きく後押しした。

ー よっしゃ、やるか!

本格的な音楽活動を始めるには、マイエレキがなければ話にならない。
進学早々の身ではあったが、ここは一日でも早くエレキギターを手に入れたかったので、細々と溜め込んできた購入資金を懐に忍ばせ、親には内緒で週末の楽器探しをスタートさせた。

ギターの選択には悩ましい現実があった。もちろん可能であれば、ピーター・グリーンの使っているギブソン・レスポールや、ジミー・ページが格好良くかき鳴らすフェンダー・テレキャスターが欲しかったが、当時の価格で20万円、30万円もする楽器は大人にだって高嶺の花であり、況して高校生では逆立ちしたって手に入るものではない。
現実は2万円の軍資金で何とかいい一本を探すことしかない。
先ずはクラスメイトの仁藤に付き合ってもらい、秋葉原へと出掛けてみた。

当時の秋葉原は正しく電気の街で、改札を出て周囲を見渡せば、目に入るのは電気器具屋と電気部品店のみ。食べ物屋ですら見つけるのは難しい。

「目星はつけてあるの」
「大通りを渡って細い路地に入ると小さな楽器屋があるはずだ」

因みに仁藤はフォークギターを欲しがっていた。

間口が狭く、店内もやや薄暗らい古めいた楽器屋のショーウィンドウには、どの角度から見てもまんまテレキャスターという、黒いボディーにトレモロアームの付いたスタイリッシュな一台がスタンドに掛けられ飾ってあった。

「これ、いいかも」
「どう見てもテレキャスだよ」

初っ端から大物にヒットした感じである。
早速店に入って話を聞くと、ノーブランドだがつい最近発売された製品で、軽くて弾きやすく、何より本物のフェンダーそっくりなので人気が出ているとのことだった。
値段も12,000円で予算以内に収まる。まだ一軒めだったが、マイエレキを喉から手が出るほど欲しかった自分には、もはや冷静な判断はできなかった。

「これ、下さい」

衝動買いである。
ソフトケースはサービスでもらった安物だったが、それに入れた“テレキャス”を提げて秋葉原の街を歩けば、なんだかいっぱしのバンドマンになったようで楽しくてしょうがない。
当然だがこの日から新たなギターの猛練習が始まったのである。

エレキバンド・その11・初演奏

woodstock四畳半に3人の男と楽器。この圧迫感にゾクゾクッときた。

「へっへっへっへっ…」

ドラムをセットしながらIが意味不明な笑いを漏らしている。
いつものことだが、気色の悪い奴だ。
傍ではゴメスが慣れない手つきでベースのチューニングを始めた。
アンプは一台しかないので、ゴメスの隣に私のシールドを差し込む。アンプに近付くと独特な真空管臭さが漂い、ムードはとてもエレキ。
アコースティックで健全な雰囲気のフォークバンドとはここが異なる。

「なんでもいいから、やろっ」

Iが急かす。
彼は“待てない男”なのだ。

「とりあえず、グリーン・オニオンでいくか」

グリーン・オニオンはブッカーTのInstrumental ヒット曲。多くのバンドやプレイヤー達がカバーしていて、非常にシンプルな3コード進行はアドリブの練習にも最適。
ダンダダダーダー、ダンダダダーダー、ダンダダダーダー、を延々と繰り返すだけだが、ピーター・グリーンやマイク・ブルームフィールドを耳にタコができるくらい聴き続けてきた自分には、この3コードが耳に入ると、ぎこちないがそれに合わせて自然に指が動くようになっていた。
やはり聴くことは何よりも大事なレッスンだ。
色々なフレーズを頭にたたき込んでおくと、いつか必ず自分が奏でるアドリブのデータベースとなって生きてくる。
音楽理論に疎く譜面も読めない私には、音楽をパターンとして覚える手段しかなかった。

ゴメスに単純この上ないベースラインを教えていく。彼は少々ギターをかんでいるので、すぐに覚え、慣れてくると抑揚まで付け始めた。コードはAだ。

「ちょっと合わせてみよう」

ついに生まれて初となるエレキ演奏が始まった。
近所への迷惑を考え、ずいぶんと音量は絞っていたが、それでもアンプで増幅したギターとベース、そして生のドラムが混ざり合った瞬間、言いようのない快感が駆け巡り、鳥肌までが立ってきた。
アンプは増幅器だが、単に生音を大きくするだけではなく、エレキ独特の音へと変化させる機能にポイントがある。後日Iが調達してきたエフェクター、“ファズ”と“ワウワウ”は、ストレートなギター音をロック風に変える優れもので、これをきっかけに独自の音作りにも意識が向くようになる。
ファズを使った演奏を楽しんでいると、何気にロック音楽の某が分かったような気分になるから不思議だ。

ー これだよ、これがエレキバンドなんだ!

これまで指の皮が厚くなるほどチョーキングの練習を続けてきたが、生音だとイマイチその効果を実感することができなかった。ところがこうしてアンプを通すと、伸びやかな音がはっきりと出てその変化に酔いしれる。
エレキギターとアンプの組み合わせは想像を超えるインパクトだった。ここを機とし、練習はできる限りアンプを使うようになっていく。
ギターばかりに現を抜かす馬鹿息子を前に、両親は辟易と心配の繰り返しだったことだろう。

「ボリューム下げなさい!!」
「分かった分かった」

中学校3年生、夏のことだ。

santana woodstockちょうどこの頃アメリカでは、伝説のロックフェスティバルとして今日に語り継がれている、“Woodstock Music and Art Festival”が開催され、何と40万人の観客を動員した。正にアメリカ音楽史に残る歴史的なイベントと言えよう。
デビュー版を一度聴いただけで大ファンとなった“サンタナ”も参加しており、当時のロックミュージック界の盛り上がりを実感した。
そして時代はロック黄金期の70年代へと突入する。
様々な個性を持ったバンドが続出、また素晴らしい内容を持った新譜もマシンガンの如く発表され、高校受験という人生の大関門を眼前にして、厳しい気持ちの切り替えに喘ぐ、悩ましい毎日の繰り返しだった。

この年、日本の歌謡界では、内山田洋とクール・ファイブがデビュー曲“長崎は今日も雨だった”をひっさげて登場し大きな話題となった。
今でもカラオケに行くと必ず歌う大好きな曲だ。

「おいっ、最高だったな!」
「いいね、またやろう」

充実感と驚き。3人の紅潮する頬をふと思い出した。