なかざき・女房とランチ

天丼セット 1,600円

 歳のせいだろうか、ここ数年でずいぶんと涙もろくなってきた。
 先日もJ:COMオンデマンドで鈴木恭平主演の『下剋上球児』を観ていたら、あまりに泣けるシーンが連発し、鼻はズルズル目は真っ赤、いやはや感動の嵐にもまれすぎて心底へとへとになった。動物もの、師弟愛、恋愛等々には特に弱く、共通する“一途”というキーワードは、思い描くだけでたちまち涙腺は不安定になる。
 “歳のせいで…..”を調べてみると、<老化によって大脳の前頭葉に機能低下が起こったことで、感情抑制が十分にできなくなった>とする学説がある一方、<歳を重ね経験豊富になったことにより、相手への共感に基づいた涙もろさが起きやすくなっている>という見方もあるらしく、どちらも自分に当てはまるようでくすぐったい。

「たまにはお蕎麦食べに行かない」
「いいけど、どこ?」
「NTT通り」
「三丁目?」
「うん」
 まっ、いいか。女房へついて行こう。
 リビングは東向きなので、朝から冷え込みエアコンをフルに回していたが、表へ出るとけっこうな日差しがあり、三谷通りを越えるころから体がポカポカしてきた。
 お目当ては【なかざき】を屋号とする手打ち蕎麦の店だった。


「いらっしゃいませ」
 ずいぶんと歳の行ったおばさんが出てきた。
「あたし、トマト蕎麦。パパは?」
「じゃ、本日のおすすめ」
 天丼ともり蕎麦のセットだ。それにしても女房のやつ、変わったものを注文する。
「お蕎麦は温かいのも出せますが、いかがします?」
「冷たいので」
「はいかしこまりました」
 ちょうどお昼時で、店内はほぼ満席である。15分ほど待つと料理が運ばれてきた。
「トマト蕎麦、ちょっと味見してみる?」
 トマト蕎麦はつけ麺で、出汁を口に含むとトマトベースのエスニック風味。蕎麦と一緒に食してみると、意外やイケる。一見すると普通の蕎麦屋だが、なかなか斬新なメニューを開発する。
 そうこうしてると本日のおすすめが目の前に置かれた。まずはパーツで味見をしてみる。蕎麦つゆ ~ 深い味わい、文句なし。麺 ~ 蕎麦の風味満点。天丼 ~ 揚げ方最高の天ぷらと絶品の天つゆ。これだけ満足度の高い店が近所にあったとは……
まさに脚下照顧か。

バイク屋時代 15・RZ+TZR

 RZの車体にTZRのエンジンを載せる。そしてどうせ載せ替えるなら、足回りも強化してカスタムバイクを作っちゃおう!
 こんな大胆な話がオーナーである奥村くんを通り越し、吉祥寺のメカニック二人で盛り上がるという、ややおかしな展開になった。ちょっと心配になり、その旨を奥村くんへ伝えると、
「いいっすね!」
 と、あっけない。
 この後、渋る社長に頭を下げて、奥村くんのRZの件をなんとかクレーム対応で進めてくれるようお願いしたのは言うまでもない。

「ほーらやっぱり壊れたじゃない」
「すみません。 なんとかこの件、フォローをお願いしたいんですが」
 おでこをテーブルに擦り付けて得られた結果は、
 その壱:TZR250の事故車を奥村くんに8万円で買ってもらう。
 その弐:組み立ておよび加工工賃、並びに工材は全て会社負担。
 その参:この作業に費やする時間は1日1時間までとする。
 ただ奥村くん、さすがに8万円の負担には難色を見せたので、それではと、再度社長を訪ね、頭を下げてその旨を伝えると、
「しょーがないな、まったく……」
 嫌みはたっぷりと言われたが、なんとか5万円にまけてもらうことができた。
「あとはこじれないようにちゃんとやっておくこと、いいね」
「社長、あ、ありがとうございました」

吉祥寺店の面々

 RZ改造計画の概要は、事故車のTZRからエンジン、フロント並びにリアの足回りを取り外し、RZへ移植するというものだが、実際にやるとなるとこれが容易ではない。RZのフレームに移植パーツの“受け”を作る段からつまづき始め、作業は一向に進まない。なんとか装着できたとしても強度的にそのまま使うには無理がありそうなので、フレームの強化も行わなければならないだろう。
 フロントサスを取り付ける際に、あらためてRZとTZRのフロントフォークを見比べてみたのだが、
「RZのって、こんな細かったんだね。ガンマ50とあんま変わんないかも」
 250ccクラスにしては怖いほど貧弱である。
「TZRのつけてそのまんまフルブレーキしたら、フレーム曲がっちゃうじゃないの」
 同様なことはスイングアームの取付け部でも考えられたので、この二カ所についてはパイプを溶接して補強することにした。溶接は吉本くんが行うが、スイングアームのサスペンション取付け部だけは高度なアルミ溶接の技術が必要になる。幸いなことに、大杉くんの友人で名の知れたプロの溶接技術者がいたので、なんとか頼んで店まで来てもらい、さすが!と唸らせる作業を行ってもらったのだ。
 1週間がたち2週間がたちと、少しずつ形になっていく様ははたから見ていてもワクワクする。1か月を過ぎると前後サスペンションの取付けが完了し、次の大仕事であるエンジンの載せ替え作業にかかった。塗装業者へ依頼していた外装のオールペイントも、あと数日で発送できるとの連絡が入っていたので、完成は予定よりだいぶ早くなりそうだ。外装デザインは奥村くんのリクエストで、イエローをベースにストロボグラフィックを入れたU.S.ヤマハのチームカラーである。
「フレームの補強はどれくらいやればいいのかな」
「こればっかりは乗って様子見ないとわからないんじゃないですか」
 二人のメカが雁首揃えて溶接個所を見つめている。
「やりすぎてもだめっていうじゃない」
「まあね」

 週明けの月曜日。待ちわびた外装が届いた。まずはガソリンタンクを取り出し仕上がりをチェックすると、文句のない出来だ。プロの仕事はやはり違う。
「いいじゃないですか」
「取付だけやっちゃおう」
 社長との約束で、作業時間は1日1時間と決められている。とりあえずタンクと外装の取付とフューエルラインの結線だけを済ませ、あとは終業後に行うことにした。
「奥村くん、これ見たらびっくりするだろうな」
「絶体よろこんでくれるよ」
 この日の閉店間際、たまたま奥村くんがやってきて、うれしいことに我々の想像を上回る感激様を見せてくれた。エンジンを始動、これから最終確認である試乗を行うのだ。
「奥村くん乗ってくれば」
「いやいやいや、大杉さんお願いしますよぉ」
 即座にヘルメットをかぶった大杉くん、やる気満々である。
 軽く三回ブリッピングすると、RZ改は猛烈な排気煙を吐き出しながら走り出した。約十五分後、無事に戻ってくると、
「まあまあだな。加速もいいしブレーキも安定してるけど、サスの動きがちょっと悪いかも」
 心配顔の奥村くん、
「どんなかんじ?」
「倒しこみが重いんだよ。セッティングやっていけば良くなると思うけど」
 試行錯誤の連続だったおおよそ3か月間の作業を経て、一応だが予想を超えるナイスな1台を完成させたのだ。写真を残していればぜひ公開したいところだが、なんといっても35年前の話、まだデジタルカメラなどが出現する前の時代である。ただ、完成車に大満足だった我々は、だめもとで雑誌社に事の顛末を伝えると、快く取材に応じてくれ、なんと翌月のCYCLE WORLD誌にカラー見開きで掲載されたのだ。この一件で奥村くんのRZ改は巷でちょっとした“有名車”になった。 
 ある日、仲間と数台で東伊豆方面へツーリングした時のことだ。
 東伊豆の伊東港近くの路肩に停めて一服していたら、背後から白バイが近づいてきて最後尾に停車した。
 やべ!!ここ駐禁?!、みんな色めく。
「すみません。ちょっと見せてもらっていいですか」
「はい?」
 この白バイ隊員、CYCLE WORLDを読んで奥村くんのRZに興味津々となっていたのだ。驚いたことにその現車が目の前を走っていったので、思わず追尾したという。
 そもそもほとんどの白バイ隊員は、バイクが好きだから交通機動隊を志望するらしい。この辺は一般の警察官とはちょっと違う。
「写真で見るよりぜんぜんいいですねぇ~。あちこちで声をかけられるでしょう」
「そ、そうですね、いいんだか悪いんだか、、、」
「はは、おじゃましました。気をつけて!」

 一躍有名になったRZ。仕上げ作業に関しては、相変わらず足回りの詰めがうまく進まず難航したが、エンジンは快調そのもので、奥村くんも大いに満足してくれた。吉本さんはスイングアームピボットまわりの補強が強すぎたのではかと言うが、やり直すのは現実的でないし、確実に改善できるかどうかも微妙である。色々と考えた挙句、作業担当の大杉くんはサスの調整で煮詰められるところまで煮詰めた上で、妥協点を見出す方法を選んだ。奥村くん自身がツーリングへ行っては様子を伝えること3~4回、完璧とまではいかないものの、慣れも含めてようやく納得できるハンドリングを得ることができたのだ。

鎌倉いろいろ

 11月27日(水)。年に一度の町内会(西一町会)バス旅行に夫婦で参加した。コロナ禍で3年間中止だったり、はたまた私的事情で参加できなかったりと、思い起こせば10年ぶりになる。今回の行き先は、鶴岡八幡宮並びに小町通り、長谷寺、鎌倉大仏、そして新江ノ島水族館と鎌倉三昧。この界隈は年に1~2度写真撮影で訪れているが、新江ノ島水族館は初めてなので楽しみだ。

 集合出発は“いなげや武蔵野西久保店”8時。二人分の会費8,000円を支払い、国際興業の大型観光バスへと乗り込む。参加者数は30名なので、50人は優に収容可能な車内はずいぶんとゆとりがある。
 若干一名の遅刻があり、10分遅れて出発。バスは井の頭通りから環八、第三京浜へと進んだ。

 情けない話だが、加齢とともに頻尿が気になり始め、若い頃だったらこうしたバス旅行では大いにアルコール類を嗜んだものだが、今ではビールでも飲もうものなら瞬く間に尿意が発生し、それが高速道路の渋滞真っ只中となれば、冷や汗ものである。朝から水分は抑えめにし、休憩で停車すれば、尿意のあるなしにかかわらずトイレは済ますことにしている。最初の休憩で保土ヶ谷PAに寄ったときには、すでに結構な尿意が出ていて、すっきりするやらホッとするやら。

 慢性渋滞のメッカである金沢街道を抜け、鶴岡八幡宮の駐車場へ到着。ここからは1時間の自由行動だ。
「どこいく?」
「小町通りがいいな」
「OK。とりあえずなんか食べようぜ」
 さきほどガイドさんから昼食の説明があり、少々遅く13時過ぎになるとのこと。なにか口に入れないと持ちそうもない。
 それにしても見渡す限り人、人、人。さすがの人気エリアである。通りに入って間もなくすると食欲をそそるいいにおいが漂ってきた。キョロキョロすると左手にコロッケ屋を発見。若い女性の売り子が満面の笑顔でアピールしている。
「コロッケ、ちょうどいいじゃない」
 さっそくいろいろな種類のコロッケが並ぶショーケースをにらみつつ、
「あたしはメンチだな」
 女房は“ばかうまメンチ”、私は“湘南鎌倉コロッケ”をチョイス。さっそく頬張ると、これがイケる。
「おいしい! ほかのも食べたいな」
「昼ごはん食べられなくなるよ」
 鎌倉駅前からは若宮大路を回って戻ったが、1時間はあっという間だ。

 その後長谷寺、鎌倉大仏と回り、昼食が終えると残すは新江ノ島水族館のみ。
 海岸通りへ出ると白波が立つほどの強い風が吹き荒れていたが、江ノ島の先には富士山がくっきりと姿を見せ、ついつい湘南海岸の美しさに見入ってしまう。
 到着するとガイドさんより集合時刻のアナウンスがあった。自由時間は1時間45分。
「カピパラが見たい」
 なんでカピパラなのかわからないが、女房は興味があるようだ。
 “えのすい”と言えば一番にクラゲが話題に上るが、磯を模した巨大な水槽も迫力があって見る価値大いにありだ。それと江ノ島をはじめ三浦半島の著名海岸を再現したコーナーも勉強になり興味をそそった。イルカのショーは最終回がぎりぎりで間に合い、豪快なジャンプでは思わず拍手が出た。水族館は老若男女問わず楽しめるところがいい。
 そろそろバスへ戻ろうとお土産コーナーから表へ出ると、夕陽が相模湾をきれいに染め上げていた。

写真好きな中年男の独り言