バイク屋時代48 杉並店閉店と組織のあり方

 甲州街道を挟んでHD調布の真ん前にあるのが“ロイヤルホスト・味の素スタジアム店”。午後一時過ぎ、テーブルを囲むのは、俺、大崎社長、下山専務の三人。
「冷めちゃうから、先に食べちゃおう」
 話があるということで、店長会議終了の後、ここへ来ていた。

ロイヤルホスト・味の素スタジアム店

 鼻っから空気は重かった。げっそりとくる内容なのだろう。美味しそうなハンバーグランチも、味わって食する気にはなれない。
 ほとんど会話もなく、黙々と食事が進み、ナプキンで口元を拭く。
「なんです、今回は?」
 そう問うと、専務の目線が社長を急かした。
「うん。そろそろね、ドゥカティは若いメンバーに任せて、木代くんはハーレー部門の営業統括をやってもらいたいんだ」
 なるほどね。薄々感じていたが、やはり人減らし第一号は収入からして俺になるわけだ。しかし正直言えばハーレーは避けたい。大好きなスポーツバイクと比べ、商品としてのハーレーにはほとんど魅力を感じないのだ。もっとも社長からやれと言われたら従うしかない。断れば首が飛ぶだけだ。ただ、今のモチベーションを維持できるかは微妙である。入社以来、好みのスポーツバイクを扱い、そこへ集まるお客さんと共に切磋琢磨してきたこれまでの日々を、まずは強引な意志により抹消する必要がある。組織に生きるには好きも嫌いもない。これまでが本当にラッキーだったのだ。

杉並店の忘年会 こんな集まりをちょくちょく行っていた

「杉並店は今のところで続行ですか?」
「あそこは家賃が高いから無理だな。柳井と奥留は調布へ異動させて、ドゥカティ用に新しい店舗を探しているよ」
「じゃ、大杉とハラシ、坂上でやるわけだ」
「今のドゥカティの売上が半分になってもやっていけそうなところがあればいいが」
 重要な案件なので、その後大崎社長は杉並店メンバー一人一人と面接を行った。そこで一つ問題が発覚、ここへきてハラシが会社を辞めたいと言い出したのだ。彼と話をすると、理由はとても明快だった。
「人事評価が不公平で、やる気が萎えました」
「なるほどな」
「だっておかしいでしょ。ハーレーの営業の誰よりも僕の方が台数を売っているのに、まったく評価してくれないんですよ。給料を上げろとまでは言いませんが、せめて全体会議の席上で、『販売台数は二カ月連続で原島くんがトップだね、おめでとう!』くらい言ってくれてもいいんじゃないですか」
 張り切りボーイのハラシにとっては、耐えがたいことなのだ。
「これからのことについても聞きました。ドゥカティは今でも大好きですけど、縮小方向にある部門で働く気はありません」
 就活は既にひと月前から始めていたようで、米国の医療器具メーカーの日本現地法人に当たりをつけているようだ。給料の少ないバイク業界は外し、あえてノルマの厳しい成果報酬型の企業を目指すとのこと。
 ギラリと光るハラシの目を見て羨ましいと思った。まだ若く、猪突猛進な性格をもって、怖いものなしに自分の道を切り開いていく様は、今の俺にはまったく失せたものだ。

 難航していたドゥカティの新店舗探しだが、おあつらえ向きなところが見つかった。京王線の桜上水から徒歩数分の甲州街道沿いで、整備作業はショールームで行うしかないという小さな店だが、家賃が安く、ちょっと踏ん張れば利益も出そうだ。名残惜しさは多々あるが、こうして思い出多きモト・ギャルソン杉並店を閉店とし、俺、柳井、奥留の三人はHD調布へ異動、そして大杉店長、坂上メカニックの二人が、新モト・ギャルソン杉並店を始動させることになった。

 HD調布では、慣れない職場、慣れない商品と、最初の一カ月はドタバタの繰り返し。武蔵野市本店の頃でもハーレーは扱っていたが、それからずいぶんと月日がたち、エンジンもシャーシも何もかも変わっていたので、商品知識の勉強は殆ど白紙の状態からである。しかもハーレーはオプションパーツが星の数ほどあり、掌握するのは並大抵のことではない。商談の際、すぐに壁にぶつかる。
「ちょっとハンドルを上げたいんだよね」

ここにあるのは氷山の一角

 ドゥカティの商談では絶対にありえない注文だ。ハンドルを上げたいと言っても、ライザーで上げるのか、ハンドルバー自体を交換するのか、それにほとんどの場合、上げた分、ブレーキホースやクラッチケーブル等々の長さが足りなくなり、要交換となることが多い。純正パーツならP&Aブックに
 メカニックに聞いても、
「これっすか? どうかな、ノーマルでも行けそうな気もするけど、、、」
 この段階では正確な見積もりが立てられず、お客さんへは調べたうえで後日伝えるということになる。面倒くさいことこの上ない。
「木代くん、そんなのはこっちで決めちゃえばいいんだよ。『この純正ハンドルが当店のおすすめで、これならホースとケーブル、工賃込々で十万八千円になります』てな感じでさ」
 大崎社長はさも簡単そうに言うが、そんなことは重々分かっている。
 実はこっちが懸命におすすめしても、
「やっぱりこっちのメーカーの方がいいな~」
 とくることが殆ど。一台売るにも、国産バイクやドゥカティと較べれば十倍の労力と手間がいる。まっ、こんな荒波に揉まれて三カ月も経つ頃には、そこそこの商品知識も身についてくるが、非効率なことには変わりなく、あまりに複雑な注文を押し付けてくると、
「当店では基本的に純正パーツの取付けまでしか行っておりません。お力になれず残念です」
 と、正直に伝えるようにしている。実際、半数以上のディーラーが“カスタムは純正パーツまで”としている。ただ、ハーレー部門の高収益率は、こうしたカスタムパーツから得られるところが大きく、ケースバイケースとしているのが現状だ。新車、中古車に関わらず、成約すれば100%に近い確率でカスタムの依頼が入り、車両利益にプラスして10万円から60万円ほどの売り上げが得られるのだ。これはハーレーならではのドでかいメリット。

 一か月を過ぎると、仕事もそうだが、スタッフたちの特徴や店内人間模様、そして渦巻く不満等々がだいぶ掌握できるようになってくる。                     
 例えば不透明な人事評価への不満は、ハラシだけが感じていたことではなく、モト・ギャルソンの主流派であるハーレー部門にも同様の不満が渦巻いていたのだ。もちろん不満の原因は多岐にわたり、最も深刻と思われるのは、営業とサービスの確執。杉並店にはなかった問題だけに、目の当たりにしたときは愕然とした。
 例えば営業のAくんが在庫車両のFXDLを売ったとしよう。成約から納車までには様々なステップを踏まなければならなく、まずは営業サイドで、お客さんからいただいた住民票をもとに、登録書類(新規登録、中古新規、名義変更等々)を作成する。前述のようにハーレーの場合はカスタムパーツの取付け依頼が多々あるので、パーツの発注も行わねばならない。そして一番大事なのは、成約した車両を整備するために納車整備依頼書を作成し、いち早くメカニックに頼むのだ。そして買っていただいたお客さんの関心事No1は当然“納車日”。
「在庫のFXDLですけど、いつ頃整備上がります?」
 と、担当メカに聞くわけだ。すると、
「今色々抱えてるから、やってみないとわからないな」
 お客さんに納期を伝えられず、営業マンはほとほと困ってしまう。
「大体でいいんですけど」
「だったら一か月ちょっとって言っといてよ」
「一か月っすか…」
 こんなやり取りは日常茶飯事であり、ほとんどの営業スタッフが経験し不満を感じていたのだ。ただし、すべてのメカニックがこのような身もふたもない返答をするわけではない。よく観察するとこの傾向はベテランメカに顕著だった。そしてこの問題を追求していくと、メカニックがどうの、営業マンがどうのではなく、組織には絶対にあってはならない深刻な構造が明らかになってきたのだ。

ダイソー・女房とランチ

 ダイソーは楽しい店だ。足を運んだ分だけ発見がある。
 ヨーカドーへ行った際には必ず立ち寄り、良品、珍品を捜し歩く。
「こんなのあるんだ~」
 行くたびに出るセリフ。
 安いのに品質もそれなりのレベルがあり好感が持てる。この時代、安かろう悪かろうでは通用しない。
「これでいいんじゃない」
 今回は塩の容器を探しに来た。これまでは胡椒の空き瓶を利用していたが、ひと振りで出る量が少ないのと、蓋がぐらぐらになって使いづらくなったのだ。
 女房が手にしているのはちょっと小さい。しかしこれ以上大きいのはないようだ。
「そんな大きいのじゃ、出すぎて血圧上がるわよ」
 たく、、、それとこれとは別の話。
「ま、いいか、それで、どうせ百円だし」
 不満を残しつつ今も使っているが、やはり納得はできそうもない。塩の一振り加減で料理の味は変わるのだ。
「ねっ、帰りに丸亀行かない? 今ね、“豚つけ汁うどん”って、やってるみたい」
 丸亀製麺武蔵境はヨーカドーから自宅へ向う途中にある。夫婦共々大ファンだ。
 駐輪場に自転車を置き、列に並ぶ。立地的にいいのかここは大繁盛店。昼時は絶えず列が店の外まで延びている。

「おいしい!」
「それ、見た目もうまそうだよ」
「このタレ、きっとパパ好みだよ」
 ちょっともらって、つるっと含む。うまい。丸亀盛況のひとつの理由に、絶え間ない商品開発がある。新メニューが出ると決まって女房はそれを選ぶ。超保守派の私は“温かいぶっかけうどん+天ぷら”一途だ。
 ごちそうさまでした。

体調不良 その4

 十月二十四日(金)。武蔵境の日赤病院へ行ってきた。ここは二十数年前に、右鼻腔内にできた腫瘍を摘出する手術を受けたことがある。古くから地域の中核医療機関として発展を続け、この頃では更に敷地、病棟を拡張するなど、抜きんでた勢いがある。

 先ず紹介受付にて手続きを行った。ぐるり待合室を見回すと二十人前後の患者がいる。私と同じく開業医から匙を投げられた面々だ。しかも次から次へと受付に患者が現れ、世の中、病に苦しむ人たちはどれほどかと、呆気にとられる。特に車いすに乗せた老親を伴って来る方たちの疲労感滲み出る姿は、まさに数年前の自分を見ているようで、ため息が出そうになる。

「これ、新しい診察券と書類です。そこのエスカレーターで二階に上がっていただいて、消化器内科のカウンターに提出してください」
 ほとんどの外来受付は二階に集中している。消化器内科、膠原病リウマチ科、呼吸器内科、呼吸器外科、循環器内科、心臓血管外科、腎臓内科、血液内科、腫瘍内科と並ぶ。広い待合室のベンチは九分ほど埋まっていて、人いきれが半端でない。きちっとマスクを装着していても不安が走る。日赤まで来て他の病気をもらったら洒落にならない。

 三十分ほどで診察室前に移動、まもなくして診察室へ。
「よろしくお願いします」
 担当医は三十代後半と思しき痩身の男性、ドクターYだ。
「K先生の紹介状を見ましたが、今はどんな感じですか」
 朝昼晩と体温を記録した表を差し出し、現況を伝えた。
「これ、平熱ですね。あとは肝臓の状態かな。再三になりますがこれから採血をします。今回は慢性かどうかの検査も行います。少し先になりますが、十一月七日に超音波検査の予約を入れましたので、その日に総合的な判断ができると思います」
 ドクターYの説明はとても分かりやすく、安心感を覚える。
 それにしても笑ってしまう。自分の平熱は36.2℃と頑なに信じていたので、それより高いのは何かしらの異常があるのではと、毎度検温しながら一喜一憂していた。ところがドクターYの“これ、平熱ですね”のひとことで、途端に肩の力が抜け気分が楽になった。
 “病は気から”とはよく言ったもんだ。

体調不良 その3

 「肝臓の数値が高い間は、ジョギングなどは控えてください」
 そんなアドバイスをドクターKから受けていたので、ウォーキングも当分の間封印し、家でおとなしくしていた。もっとも体温が37℃近くあれば、歩こうという気分にはならない。ところがやっと一昨日あたりから熱が下がり始め、平熱までもう一歩となってくると、妙に体が軽く感じてきた。
「もう治ったのでは」
「一時間以内だったらウォーキングも大丈夫だろう」
 などなど、身勝手な考えが沸き起こる。日赤での血液検査は数日後だというのに…

 三週間ぶりのウォーキングだ。
 歩き始めは膝まわりに力が入らず、妙な感覚が気になったが、玉川上水の側道あたりからスッスッっと自然に脚が出て、いつものリズムが戻ってきた。出発してから三十分もすると、背中にうっすらと汗をかき、とても気分がいい。
 ちょっと期待していたのだ。
 一年半前から日課としてウォーキングを続けてきたので、この普段のサイクルに戻せば、体調もよくなるのではと…
 検温は朝昼晩と一日三回行っている。ウォーキング再開翌日は、一日を通して平熱まで下がった。気をよくして次の日もまた次の日も軽いペースで歩き続けた。ところが昨日の昼から再び微妙な体温へと戻ってしまったのだ。ウォーキングは勇み足?!
 まったくもってイライラする。

体調不良 その2

 微熱とは言え、三週間近く熱が下がらないのは極めて異常であり、これまで経験のないことだけに不安は大きい。ドクターKは多くを語らないので、致し方なくAIをフル稼働。血液検査の結果と検温データー、そして詳細な病状の推移を打ち込むと、様々な答えが瞬時に現れる。軽度と思われるものから腫瘍熱まで、目を通せば通すほど、気分は奈落の底へと落ちていく。

 こんな状況下、十月十七日の昼の検温よりやっと平熱(36.2℃)に下がり、その後も落ち着きを見せている。ただ大手を振って安心するには、肝臓機能の数値が正常値に戻ったことを確認しなければならない。日本赤十字病院での初診は十月二十四日に決定、恐らくその日に採血をすると思うので、今週中には体調不良の白黒がはっきりするはずだ。

 グレーな毎日の中、元気が出そうなイベントへ行ってきた。
 高中正義の【SUPER TAKANAKA WORLD LIVE 2025-2026】である。
 会場は厚木市文化会館大ホール。ほぼ満席の活況下、二時間+αの素晴らしい演奏は時を忘れた。特にアンコール二曲は熱演で、最初の“READY TO FLY”で一気に盛り上げ、フィナーレの“You Can Never Come To This Place”は、とことんTAKANAKAを聴かせてくれた。

写真好きな中年男の独り言