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若い頃・デニーズ時代 ・最終章

「はい、じゃいくよ!ワンコンボ、ワンピザ、ワンクレオール、ワンバーガーシュリンプ、続いてワンパンケーキ、ワンシェフ、ワンPジンジャー!」
「はい!!!」

キッチンコンテストが始まった。
会場に到着した時は、谷岡をはじめメンバー全員が強張った表情を見せ、ちょっと心配だったが、いざコンテストが始まってしまえば、いつもの彼らに戻ったようである。さすがに谷岡のリードは完璧で、同時ディッシュアップを狙った精度の高い指示が連発した。

「大金、パンケーキは横に落とせ」
「はい!」

グリル板は面全体に火が入るように工夫されているが、やはり手前は弱く奥に行くほど強くなる傾向がある。よってパンケーキを焼く際には横方向に落としていく方が焼き色が平均化する。

「ふみちゃん、ピザ出来たら一緒にクレオールも入れて。俺、スピナッチ煽るから。それと大金、Pジンジャー落とす前にシェフな」

サラダは基本的に先に出す。Pジンジャーは火のとおりが早いので、早く落とすと冷えてしまう。
さすが谷岡だ。秒単位で進めている。

「ふみちゃん、エビもっと立たせて。それからバンズええよ」

ハンバーグがマイクロに入り、パティーがターン。ふみちゃんはコンボを作り始めた。

「シェフアップ!」
「よっしゃ、ええで!」
「おあとPジンジャーアップ」

スライスエッグがきれいに盛り上がっているし、パンケーキの焼き加減もばっちりだ。
続いてふみちゃんがハンバーグにデミグラをかける。これと同時に谷岡がライスを2枚上げる。

「バーガーシュリンプアップ!」

オーブンを開いて、クレオールとピザを取り出す。ここで焦るとスパチュラから落下することがあるので、集中が必要だ。
牛刀で丁寧にピザを切り分け、右手を大きく開いてピザを一気に9プレートに乗せる。これも慌てると落下させやすいが、やはりふみちゃんは丁寧だ。きれいにディッシュアップさせた。

「クレオールとピザアップ!」

いい感じのフィニッシュだ。監督の出番はなかったが、盛り付けなどは完璧に近いし、同時ディッシュアップはこれまでのチームで一番だろう。あとは審査員がどれだけ評価するかだ。

「はいお疲れ!よかったよかった」
「ほんま緊張したぁ~~」
「そんな感じじゃなかったぜ、みんなのびのびとやれたじゃん。いい結果が期待できそうだ」

キッチンコンテストに参加できて良かったと思ったことがある。それはKHのふみちゃんや新人の大金に、他店のスタッフ達の動きを見せてやれたことだ。

「私ってけっこうやれると思った。でもな、池田店のおばちゃんは凄いわ。めっちゃ動きええもん。飯田さんにも見せてあげたかった」
「田島店にはびっくりですよ。センターやってたの同期生やもん。ショックぅ~~」

ふみちゃん、やや興奮気味である。自分のレベルの確認ができて発奮したり安心したりだろう。大金も同期生の現実を見てメラメラと燃えるものがあったに違いない。
そして、結果発表である。
固唾を飲むとはこの一瞬。

「ディッシュアップタイム、同時ディッシュアップ、そして盛り付けの総合獲得点で、優勝は西宮中前田店となりました!」

びっくりである。接戦だったことは間違いないはず。しかし僅差であれ優勝をもぎ取ったのだ!

「おっしゃぁ======!」
「やったやったやったぁぁぁ☆」

大はしゃぎの選手達。
ふみちゃんは涙ぐんでいるし、大金は谷岡に肩をたたかれ満面の笑顔だ。

「みんなご苦労さん!やっぱり谷岡のセンターは抜群だったよ」
「マネージャーにいいはなむけができてほっとしました」

谷岡の一言を聞いた途端、これで長かったデニーズでの生活が終わりになると改めて実感。
寂しさがないといったら嘘になるが、正直なところ名残惜しさはない。なぜならこの10年間、青春を思いっきり謳歌しながら突っ走れたからだ。
麻美との結婚は私の人生で最大の収穫だったし、何より社会人として様々なことを学ばせてもらった。そして出会えた多くの人たちに心の底から感謝感謝である。
もうひとついえば、最後の最後に関西で仕事ができたことは本当にラッキーだったと思う。
それまで未知と不安でしかなかった関西が、暮らしてみれば実に肌に合ったこと。旅行で訪れただけではわからない、人々の人情や文化に触れたことは人生の財産といって憚らない。

次期UMとの引継ぎも終わり、残るは来週の引っ越しだけとなった。家族共々東京へ戻れば、待っているのは新生活。

「マネージャー、お客さんです」
「はいはい」

誰だろう。ノーイングの仕入れ業者かな、、、
フロントに出てみると、スーツ姿の若い男性がウェイティングシートに座っている。
あれ? 彼って、、、

「お久しぶりです」

UMとして初めて新店をオープンさせた、立川錦町店のBH、友部くんだ。
それにしてもびっくり。彼は当時、確か工学院大学の3年か4年だったはずだ。まじめでコツコツと働き、友達も多かったが、反面、女性に対してはかなり奥手で、彼女はいなかった。
あらためてじっくり観察すると、目尻が大きく垂れる笑顔は昔のままだ。しかしスーツ姿はなかなか堂に入っていて、社会で揉まれてきたことがよくわかる。

「まさかわざわざ来たんじゃないだろ?」
「僕の勤めているところ、本社が大阪なんですよ。たまたまその本社で研修があったもんで」
「それにしてもよく来てくれたな」
「本社に行くことがあったら寄ってみようと前々から考えてたんです」

友部くんとは立川錦町を出た後も、2~3年ほどコンタクトをとっていたが、それ以降のやり取りはなかった。
ただ、彼の優しい人柄に助けられたことは幾度もあり、忘れられないスタッフの一人である。

「いきなりでびっくりするだろうけど、俺、来週でデニーズやめるんだよ」
「ええっ!ほんとですか?」

結婚したこと、子供ができたこと、将来のこと等々、話が進むうちに、友部くんも単に頷くだけではなく、笑顔がこぼれるようになってきた。退職を決断するまでの心の推移をわかってくれたのかもしれない。

「しかしいいタイミングで来たって感じですね」
「ほんとだよ。一週間後だったら会えなかったもんな」

退職を公表すると、エリアのUM達が梅田で一席設けてくれ、笑顔で送り出してくれた。
店のスタッフ達も早番メンバーが中心になってスナックを借り切り、これまた心のこもった送別会をもってくれた。そして最後の最後に友部くんに合うことができたし、これでもう思い残すことはない。
自分自身にお疲れさん、ご苦労様である。

< あとがき >

 早いもので、“若い頃・デニーズ時代”を書き始めて6年が経ちました。
いいこともあり悪いこともありの10年間でしたが、ある意味“青春真っただ中”だったことは間違いなく、それは私の人生の中でも特別な日々といえるものでした。
 そんなこともあって、ただ回想するだけではもったいない。記憶が薄れる前に文章にしよう。と、ペンを持ったのが始まりです。
 ところが書き始めると、思いがけなく楽しい作業となりました。当時のことが次から次へと浮かび上がり、懐かしさにどっぷりと浸ることができたのです。まるで二十代の自分に戻ったかのように。
 当然ながら文章に書き入れなかったことは山ほどありますし、中には書けない?エピソードも。
 それにしても、過ぎ去ってしまえば、あれだけ劣悪な労働環境下でもがき苦しんだことも、不思議と懐かしい思い出に変わっちゃうから笑えます。
 連載はこれで終了とさせていただきますが、今後も“後日談”としてスポット掲載していく予定ですので、よろしくお願いいたします。
 そしてこれまでたくさんの励ましのお便りをいただき、深く深く感謝しております。
 心より、ありがとうございました。

若い頃・デニーズ時代 90

「やめる? なんでだよ」

やはり菅村DMには意外だったようだ。普段から部下の胸中には無関心な人だから、この反応は予測どおりである。

「10年もやってきて先も見えたから、もういいかなって。違う仕事で心機一転したいんですよ」
「なに分かったようなこといってんだ」

素直な気持ちが全く伝わらないようだ。

「それにダイビングだ、バイクだって、そんな流行ものをやる会社は、危ないんだって」
「いやいや、何といわれても私なりに考えたことですから」

これで会話はお終いである。慰留の一言もなかったし、退職を決意するまでの経緯を聞いてくれるような優しそぶりも一切なかった。菅村DMの頭の中では、この時点で“木代不要”となったのだ。
まあいい。私もあなたに用はないし、あと1カ月半であなたの顔を見なくて済むと思うと、無性に嬉しくなってくる。エリアのメンバーの中にも、私のことを羨ましく感じる者が絶対いるはずだ。

正式な退職願を提出し、残るは残務と引き継ぎだが、その前にビッグイベントである年末年始が控えているので、次の仕事のことばかりを考えているわけにもいかない。やはり最後はびしっと決めて次の店長へきれいにバトンを渡したい。嬉しいことに宗川と辻井はよく動いてくれて、年末年始の人員配置に不安はなかった。

「マネージャーがやめちゃうんなんて、ほんま、寂しいですよ。なっ、ふみちゃんもそうやろ」

アイドルタイム。谷岡の寂しそうな目線が、ディッシュアップカウンター越しに届く。
先ほどから、早番の締め作業をふみちゃんと二人で進めている。

「もちろんやわ。私もやめよかな」
「あほっ、何いってんねん!」

この二人はほんとにいいコンビである。彼らがいれば平日のモーニング~ランチは鉄壁だ。

「そうだそうだ、谷岡。年明け早々に関西地区のクッキングコンテストがあるんだよ」
「ほんまですか」
「早めにメンバーを決めて報告しないと。センターはもちろんお前だけど、あとの二人のうち一人はKHを入れなきゃダメなんだ」
「そんならもう決まってます。ふみちゃんやろ、それは、なっ」
「なんやそれ。飯田さんや加藤さんだっておるやん」

それまでコメを研いでいた飯田さんが、いきなりひとこと。

「あかんあかん。私はおばちゃんやさかい、若いふみちゃんがやったらええ」

問題はあと一人。社員クックである辰吉か大金のどちらかを選ばなければならない。この人選は谷岡だけではなく、宗川と辻井からも意見を聞いてみようかと思っている。
クッキング能力は甲乙つけがたいが、仕事の丁寧さでやや大金に軍配が上がりそうだ。
クッキングコンテストとは、クック並びにKHの技術研鑽のために始められたイベントで、各ディスクリクト別に開催される。1チームはクック3名+監督(UM:私)の4名。監督はディッシュアップカウンター前で、タイムキーパー並びに盛り付け等々のチェックを行う。
マニュアル通りのディッシュアップタイムとポーション、そして盛り付けの美しさを競う。勝敗のポイントはセンターの能力にかかるところが大きく、つまりのこと、谷岡のハンドリング如何で優勝ももぎ取れるというわけだ。

結局のところ、メンバーはセンター谷岡、フライヤーはふみちゃん、そしてグリル板は大金となった。辰吉と大金はどちらも優秀な新人で、マネージャーたちの意見でも五分に分かれたが、最後は辰吉が大金に、

「お前が出ろ。俺は次でええよ」

と、簡単だがこれで決まった。

会場は年明けにオープンする「尼崎立花店」。西宮中前田からは目と鼻の先で、立地から考えても今後は強力なライバルとなるだろう。もっともここが開店する頃には、既に新しい仕事が始まっているのだ。

大学を卒業し、デニーズマンとなって10年目を迎えた今、こうして新しい道へ進もうとしている自分が何となく不思議である。辞める理由があっても、心のどこかにブレが残っているのか。
入社以来、辛いことや嫌なことは山ほどあったが、デニーズの仕事は好きだったからここまでやれたと思う。それに社会人としてずいぶん鍛えられたことには感謝している。
組織とは何か、人は百人百様、部下はよく見てやるべし、トレーニングの重要性等々、これからまだ長く続く社会人生活を前にして、デニーズで得られた知識や考え方は大いなる武器になることは間違いない。このスキルがあるからこそ、船出の決心がついたといえる。失礼だが、菅村DMだって反面教師と思えば、彼との出会いも勉強になったと解釈できるのだ。

いつものことだが、帰宅するとすぐに入浴、さっぱりした後はプシュッとプルトップを開ける。
一日の疲れがほろ酔いの力を借りて体から溶け出ていく。これがなければ一日が終わらない。一杯目はビールと決まっているが、二杯目からはウィスキーに代わる。
と、その時、電話が鳴った。

「はい、木代ですが」

受話器を取った麻美が、“いつもお世話様です”とかいっている。店のスタッフか?まさか菅村DMではあるまい。

「パパ、東海の青山さんだって」

青山さんって、あのDMの青山さんだろうか。
東海エリアの時は長らく坂下DMにお世話になったが、西宮転勤の直前にDMの異動があり、わずか1カ月だったが青山DMの下で勤務したことがある。青山さんは新卒の1年先輩で年齢も一つ上だから、何気に話が合った。それにやけに明るく面白い人なのだ。

「どうもお久しぶりです」
「どお、元気にしてる?」
「おかげさんでバリバリですよ」
「聞いたよ、、、やめちゃうんだって」
「そうなんです。もう転職先も見つけたし、後はこの年末年始をやっつければおさらばです」
「おいおい、なんかさみしいじゃない」
「私なりによく考えましたから」

なんだか青山さん、心なし元気がない。

「でもさ、いい判断だったかもしれないよ」

えっ?! 彼、何がいいたいのだろう。

「この頃さ、木代と同じような不満、そう、激しい出店ペースのあおりで異動が頻発してるじゃない。それでこの先どうなるかって悩んでる連中が結構いるみたいなんだ」

この後、淡々と話しが続き、最後の方では青山さん自身の心情までが飛び出してきた。
彼も現況には不安を抱いていて、びっくりしたことに転職も視野に入っているとのこと。出店ペースは衰えを知らないが、実はかなり前から既存店の前年割れが続出していて、分かりやすくいえば、新店の売り上げ頼りで、全社の前年割れを食い止めている状況にあるのだ。これま自転車操業といってもあながち間違いではない。UMだったらここ数カ月、会社の焦りが手に取るように分かっていたはずだ。
そんな状況の中、DM達には至極厳しいお達しがあった。
大勢いるUMの中で特に優秀な人物がDMへと昇格するのだから、DMは担当エリアの前年割れ店のUM代理となってオペレーションを改善し、前年対比100%以上の実績を示すこと。
これでは大東亜戦争末期の特別攻撃隊である。崖っぷちのお後なし。達成できなければ戻るな!である。
店回りと報告書だけで高給を得ていた、特にベテランDM連中には、カウンターパンチ並みの手痛いお達しだったことだろう。

「いずれにしても頑張ってな」
「電話までもらっちゃってありがとうございました。青山さんももうひと踏ん張り頑張ってくださいね」
「あははは、分かったよ、それじゃ奥さんによろしく」

彼のエリアだったら、もう少しの間デニーズに残っていたかもしれない。
しかし、それは今後の人生にとって正解なのか、果たして失敗なのか、、、
何れにしてももうすぐ新しい環境での生活が始まるのだ。

若い頃・デニーズ時代 89

「やっぱり転職するよ」

デニーズを辞めたがっていることは、麻美もとうの昔に気がついていたと思う。ここ1カ月、帰宅すれば決まって職場の愚痴を聞いてもらっていたし、何かと見えない将来を力説したりして、情けないが彼女には不安な思いをさせていた。

「パパのことだから任せるけど、家族のことはちゃんと考えてよ」

転職という選択肢は、日に日に大きく、そして輝く未来をつかめる最高の手段とまで思えるようになってきた。
情報収集や準備を考えると、いてもたってもいられなくなり、とりあえず書店で2~3冊ほどの求人誌を買い込むと、すぐに家へ持ち帰って1ページ1ページくまなく目を通していった。
当然だが転職先に同じ業界は選ばない。他のレストランへ行くくらいだったら、このままデニーズにいた方がましだ。それより転職を心機一転のチャンスだと捉え、「0」からトライできるところでやりたいのだ。先月で33歳となり、年齢的にはまさにラストチャンスを迎えていた。

調べて行くにつれ、世の中にはよくぞこれだけの職種業態があるものだと感心する。希望職種があれば絞り込むのも容易だが、東京の実家から通えて、転居を伴う転勤がないことだけが条件だと、対象はそれこそ星の数ほどあった。ところが調べ進んでいくうちに、条件に“未経験者可”を加味すると、そのほとんどが営業職または運転手、はたまた飲食業になってしまう。できれば飲食業と運転関連は避けたいので、残るは営業職。しかし、営業と聞くとすぐに“ノルマ”という言葉が浮かんできて、うまくやれるかと構えてしまう。とは言っても家族を養うのは男の勤め。この際甘い考えは捨てなければ。
そんな中、第3Qtrの全店店長会議が開催された。
今回は東京へ出たついでに実家へ立ち寄った。考えてみれば結婚以来足が遠のいていたので、たまには親に顔を見せなければ小言が出るというもの。
しかしこれあくまでもうわべの要件。本来の目的は就活。会議の翌日を有給をとし、既に面接のアポまでとっていた。アポ先は某食品問屋。デニーズジャパンとも取引のあるところで、業界ではそこそこのシェアを持つ中堅企業である。

青梅線の某駅を下車し、線路に沿って10分少々歩くと、食品問屋の社屋が見えてきた。
10年ぶりにデニーズ以外の空間に身をおくとさすがに緊張が走る。人事部の方へここに至るまでのあらましや、要望、条件等々を一気に述べると、あとはまな板の鯉。自分を出し切ったから、気分は吹っ切れた。

「どうだった兄貴」

家電販売店に勤める弟だが、どうやら今日は休みのようだ。

「まあまあかな」
「それよりさ、知ってる? 隣のバイク屋」
「なに、知ってるって」
「求人広告出してるよ」
「へぇ~~」

自宅の隣の隣に、小さい店だが全メーカーを扱うバイク屋が何年か前に開業していた。
彼の話によると、週末には常連と思しき客が大勢集まってきて、結構賑わっているとのこと。バイクは趣味といって憚らないほど大好きだが、単純にそれを職業にしていいものかは微妙なところ。ただ、仕事とはいえ、好きなものに囲まれる日々にはちょっと憧れる。
一度訪ねて雇用条件を聞いてみてもいいかもしれない。若し採用となって実際に働き始めても、こりゃ駄目かなと思ったらやめればいい。今のご時世、その気になれば職は見つかる。
とりあえず善は急げということで、さっそく電話で面接希望を伝えると、明日の午前中OKとの返事をいただけた。もともと明日は西宮へ戻る移動日だったので、仕事はOFFにしていた。だから午前中に面接が終わってくれれば、帰宅はそれほど遅くはならないはず。
それにしてもバイク業界の将来性等々、全く未知な分野なので不安は大きい。絢子はまだ1歳にもなっていない。これから最低20年は稼いで養わなければならないし、大学進学を希望すれば相当な資金だって必要になってくる。
ところが外から見るとバイク業界は沸きに沸いていた。
バイクレースの頂点であるWGP500では、毎回すさまじいトップ争いをくり広げ、特に王者ケニー・ロバーツと天才フレディー・スペンサーの手に汗握るバトルは、世界中のバイクファンを熱狂させていた。
彼らの駆るワークスマシンの設計ノウハウを惜しみなく投入した、公道走行可能なレーサーレプリカは、当然ながら大人気を博した。何せ、奥多摩、箱根、伊豆、どこへ行ってもレーサーレプリカだらけなのだ。
ワークスマシンがシーズンごとに進化していくと同時に、レーサーレプリカもそれに合わせるように毎年進化を遂げ、ホンダ・NSR250Rは、250ccという小排気量にもかかわらず、世界初の市販車実速200kmオーバーを達成したのである。

「いつから来られます」
「そうですね、今の仕事は年末年始が最大の山場になるので、年明け1月末までは動けないと思います」
「そうか、、、ちょっと先になっちゃうな」

まだ11月である。この時点で2月入社希望というのはちょっと虫が良すぎたか。
何れにしても、話を聞きに来たつもりが流れはいきなり採用の方向へ向かいかかっているし、面接中に不謹慎とは思ったが、ショールームの最新モデルに目が行ってしまい、頭の中は錯乱状態に陥ていた。

「わかりました。それじゃ検討して、明日ないし明後日には連絡します」
「ご無理いってすみません。よろしくお願いします」

社長の大津賀さんはいかにも起業家といったバイタリティーあふれる印象だ。デニーズにはまずいないタイプである。
この会社、バイクの販売だけだと思っていたら、更にもう一つのビジネスとしてスクーバダイビングショップをつい最近吉祥寺に開店させたとのことだ。
ダイビング業界はここ数年非常に伸びているそうで、なんと海の本場沖縄にも2号店を展開するとのこと。既にプレジャーボートも購入済みだという。儲かりそうなものには一気に手を付けていく大胆さが凄い。
マニュアルで縛られた職務から、自由な発想をバネに展開するビジネス。同じ仕事でも志はだいぶ違うのだろう。
翌日。事務所の電話を取ると、大津賀さんだった。
2月からのスタートでOKとのこと。もちろん即快諾。社会人生活10年目にして大きな転換を迎えようとしていた。

若い頃・デニーズ時代 88

とにかく菅村DMには、参ったものだ。
なにからなにまで、すべて自分流に合わせないと気がすまない男だから厄介この上ない。しかし、このような状況に苦しめられているのは私だけではない筈なので、エリアには相当なストレス禍が渦巻いていると思われる。
過度な異動、マニュアルでがんじがらめにされる毎日、理解できない上司、不安定な人員体制、そして先の見えないキャリアプラン等々、デニーズジャパンという会社は、相変わらず心を揺らす要素の宝庫である。

「マネージャー、DMからお電話です」

嫌な予感。

「おはようございます」
「できたか?報告書。どうだよ、内容は」
「結果としては、いまいちといったところですかね」
「なにいってんだよお前。そんなんじゃ営業部へもってけねえだろうが」

この男。データを捏造させる気か。
エリアの改革テーマとして<パンの適正発注>を推進しているが、各店とも成果は芳しくない。だから菅村DMはイラついているのだ。
成果の芳しくない理由は簡単である。それは新発注法を使っても、従来の簡便法を使っても、在庫管理にそれほど大きな差が出ないからである。そもそもデイリーの売上を高い精度で予測するなんてことは不可能に近いこと。天候、キャンペーン、季節変動、近隣の催事、はたまたお客さんの嗜好の変化等々、予測に立ちはだかる要因は果てしない。だからこそ、年間を通して得られたデーターを基にした従来の方法こそ現実的であり、これをわざわざいじる必要などないのだ。
生産性に基づいた新発注法は決して間違いではなく、数式的にいうなら理想かもしれない。しかしその元となる売り上げ予測の精度が上がらない限り、実際的なメリットは出てこない。
そもそも店舗の運営責任者であるUM達は馬鹿じゃない。クックからマネージャー、そしてUM昇進へ至るまでに、これでもかと体を張った経験を積んできているのだ。
モーニングの傾向がパンケーキからホワイト寄りになれば敏感に察知するし、逆にホワイトがだぶつき気味になれば、エンプロイにフレンチトーストや、特に女子にはライスの代わりにトーストを勧めたりと、自然のうちに微調整を行うものだ。もっとも、LCやKHとの連携がうまくできていることが前提になるが、当エリアのUM達はそろってベテランだし、その辺のハンドリングは平均以上のものを持っている。
そんな中、新発注システムと呼称だけは仰々しい愚策を、ひたすら「改革します!やってます!」とアピールを続ける菅村DMであるが、営業部だって報告書をきちんと精査すれば、いかに中身の薄いものかはわかるはず。

「そう仰られても、簡便なパーストックで行ったって、発注精度は変わりませんから」
「変わりませんじゃなくて、精度を上げようっていってんだよ。わかるだろ」
「趣旨はわかりますが、結果的にそこまでつめる必要はないように思いますけどね」
「やっぱわかってねえよ、おまえ」

その言葉、そっくり返してやるよ。
歯車が合わないことは、何もパンの新発注システムに限ったことではない。来店してはオペレーション全般に渡り難癖をつけてくるのだ。人の意見は絶対に聞かない。すべて自分流。何のためのエリア、何のための組織なんだろうか。

「だめだな、あのMD。早く替えちまえ」

阪本紀子へ向けて、不躾な目線を投げつけている。
たしかに阪本紀子は愛想の良いタイプではないが、非常に生真面目な性格を持っていて、一生懸命仕事へ取り組むほどに顔がきつくなってしまうのだ。しかしうちにとっては任せられる数少ない従業員のひとり。その彼女へ対して、その場判断でこのような無礼な発言をするこの男。既に上司とは思えなくなっていた。

関西入りして約1年、秋が深まった頃。日々成長していく絢子の姿を見るにつけ、このままでいいのかと自問自答することが多くなった。
あたりまえだが、家族は一緒に暮らすのが本筋である。ところがデニーズジャパンの止めを知らない出店攻勢は、相変わらず頻繁な異動を生み出していて、ナショナル社員は会社の意向に従い、いつ終わるか分からないジブシーのような生活を強いられていた。よって所帯持ちは家族共々転々とするか、はたまた単身赴任という、厳しい選択肢に悩まされていたのである。もっともナショナル社員を辞退して、エリア社員に収まればそんな心配もいらないだろうが、そこまで考えるならば、“転職”。そう、この言葉がちらつき始める。
独身の頃は、知らない土地へ赴任していくことなど、それほど抵抗もなく、むしろ親元を離れて羽を伸ばせるメリットに惹かれたものだった。しかし一家の大黒柱となった今、もはや羽を伸ばせるゆとりはない。

若い頃・デニーズ時代 87

「なんか決まってないっていうか、ダサいっていうかさ」

菅村DMが、雁首並べたUM達をじろじろと見まわす。
それも頭から足の先まで丹念にである。

「もっとさバッチリ決めようぜ。大阪西は着ているものも揃えてかっこよくいこうよ」

急に何をいいだすかと思ったら、身なりのことらしい。
しかし、見回しても全員スーツまたはブレザーで、変哲もない装いである。

「新田さあ、Yシャツの襟がクルっと上向いちゃってるけど、気にならないか」
「カッターシャツの襟ですか」
「そうだよ。それから近藤。お前の靴、汚ったねえしヨレヨレじゃんか」
「すいません、新しいの買いました」

確かに近藤さんの靴は汚い。もっとこまめに磨いた方がいい。しかしUMの職務上、キッチンへのフォローも多々あるので、靴はどうしても油やソースで汚れがちになる。週末のピークに1時間もセンターへ立てば、間違いなくドロドロだ。

「前のエリアでもバリッと揃えてたんだよ。シャツは白のボタンダウン、そして革靴はウィングチップでね」

なにそれ?しかも強制?!
場にざわめきが立った。

「つい最近、靴買ったばかりですよぉ」
「つべこべ言うな。靴なんて腐りゃしない」

改めて菅村DMのいでたちを見ると、確かにシャツはボタンダウンだし、靴もウィングチップである。

「“なんとかチップ”って、どんな靴ですか」
「俺のを見ろよ、こういうデザインだ」

さっと立ち上がって一歩引き、皆がよく見えるようにポーズをとった。

「決まってんだろ、この感じ」

どうやら単純にトラッドスタイルが好きらしい。
ところがどんなに装っても、この猿面では台無しだ。やはりこの男、生理的に受け入れられない。

「1ヵ月後の全店会議にはさ、バッチリ揃えてかっこいい大阪西を見せてやろうぜ」

菅村体制となって最初の全店店長会議が迫っていた。
他地区のUMとも交流でき、社会全般の景気、外食産業の動向、そしてその中で我デニーズジャパンがどれほどのポジショニングとなっているかがプレゼンされるこの会議は、結構楽しみなところもある。西宮から浜松町まで赴くのは大変だが、帰りは同僚たちと缶ビールを片手に、ああでもないこうでもないが、実に楽しいし盛り上がる。
しかしどうだろう。確かに春本DMの時は誰もが和気あいあいを感じていたが、新体制になってからは、UMが集まると決まって菅村さんの悪口が始まった。
シャツと靴の件などは、その話題の最たるものになっていた。

「見え見えだよ。外観からエリアの統制がとれてるようにアピールするわけでしょ」
「やり方が子供っぽいんだよ」
「いってることは無茶苦茶だし、あんな品のないDMってのも珍しいんじゃないの」

こうなるとチームワークもへったくれもない。DMにまとめる力がないとエリアはぐらつき出す。
何れにしても、ボタンダウンとウィングチップは命令だったので、致し方なく貴重な休みを使って三宮まで調達に行ったのだ。

「三宮まで出るとやっぱりにぎやかだね」

家族3人で三宮見物である。
麻美の育児ストレスが少しでも解消できればと、休みには必ず家族で出掛けるようにしていたが、そのほとんどがマンションから近いところだったので、たまには繁華街へ出て、おいしいものでも食べようと、今回は阪神電車に乗って繰り出した。
朝夕には秋の気配も感じられるこの頃。神戸の街並みも落ち着きを取り戻し、歩いているだけでも清々しい気分になってくる。ベビーカーに乗る絢子も何気に楽しそうだ。
目的の買い物は早々に済まして、美味いものを探しに南京町へと向かった。
ご存じのとおり南京町はチャイナタウンである。但し、横浜中華街の雰囲気を想像すれば大分寂しい感じだ。
先ずは規模が小さいし、メインロードから枝のように伸びる路地は狭く暗く、小さな店はあるにはあるようだが、ちょっと足を向け辛いムードが漂っている。

「ほら、あそこの屋台、豚まん売ってる」

豚まんとは、いわゆる肉まんのことだが、ここのはサイズが小さいのが見た目の特徴だ。しかし肝心の味は極めて評判がいい。

「あれ買ってさ、そこの広場で食べようよ」
「いいかも」

南京広場だけは人の往来があり活気に満ちている。東屋の石のベンチに腰掛け、豚まんを広げた。いい香りが立ちこめる。

「おいしい!」
「いくらでも食べられそうだな」

人事異動で越してきた新天地。最初は不安だらけだったが、意外や住んでみると空気感が妙に合った。
先ずは街のサイズがちょうどいい。東京は如何せん大きすぎ。そして身近に自然があって癒されるところも大きなポイントだった。六甲山系は目の前だし、その反対側には海もある。ショッピング等々だったら、東の梅田、西の三宮と、どちらも近くて便利この上ない。

「新しいDMはどうなの」
「相変わらずさ。ほかの店長もみんなぼやいてるよ」
「DMも必死なんじゃないの、評価を上げようって」
「そりゃ分かるけどさ、やり方がね……」

三つ目の豚まんを口に放り込むと、何気に西宮へ赴任するまでの経緯が頭の中に浮かんできた。
沼津店、そして沼津インター店での業績を評価され、再び新店オープンを任されることになったが、この頃思うに、これは純粋な評価からの抜擢ではなく、あくまでも便宜上の意味合いが濃いのではなかろうか。
高田馬場店から芽生えた会社不信、上司不信、そして結婚して子供を授かり、家族への責任が大きく圧し掛かった今の立場を考えると、これからのことをまじめに考え直さなければならない時期にきているのではと、常々思うようになっていた。

「それよりさ、西宮はどうよ、馴染めそう?」
「親切にしてくれるご家族もいるけど、どうかな」

デニーズの組織人だからこそ、地元東京から遥か遠方の西宮で生活を営んでいるのだ。しかし組織から離脱すれば、何の関わりもない土地になる。
振り回されている。そう、これまで完全に振り回されてきたのだ。