若い頃・デニーズ時代 88

とにかく菅村DMには、参ったものだ。
なにからなにまで、すべて自分流に合わせないと気がすまない男だから厄介この上ない。しかし、このような状況に苦しめられているのは私だけではない筈なので、エリアには相当なストレス禍が渦巻いていると思われる。
過度な異動、マニュアルでがんじがらめにされる毎日、理解できない上司、不安定な人員体制、そして先の見えないキャリアプラン等々、デニーズジャパンという会社は、相変わらず心を揺らす要素の宝庫である。

「マネージャー、DMからお電話です」

嫌な予感。

「おはようございます」
「できたか?報告書。どうだよ、内容は」
「結果としては、いまいちといったところですかね」
「なにいってんだよお前。そんなんじゃ営業部へもってけねえだろうが」

この男。データを捏造させる気か。
エリアの改革テーマとして<パンの適正発注>を推進しているが、各店とも成果は芳しくない。だから菅村DMはイラついているのだ。
成果の芳しくない理由は簡単である。それは新発注法を使っても、従来の簡便法を使っても、在庫管理にそれほど大きな差が出ないからである。そもそもデイリーの売上を高い精度で予測するなんてことは不可能に近いこと。天候、キャンペーン、季節変動、近隣の催事、はたまたお客さんの嗜好の変化等々、予測に立ちはだかる要因は果てしない。だからこそ、年間を通して得られたデーターを基にした従来の方法こそ現実的であり、これをわざわざいじる必要などないのだ。
生産性に基づいた新発注法は決して間違いではなく、数式的にいうなら理想かもしれない。しかしその元となる売り上げ予測の精度が上がらない限り、実際的なメリットは出てこない。
そもそも店舗の運営責任者であるUM達は馬鹿じゃない。クックからマネージャー、そしてUM昇進へ至るまでに、これでもかと体を張った経験を積んできているのだ。
モーニングの傾向がパンケーキからホワイト寄りになれば敏感に察知するし、逆にホワイトがだぶつき気味になれば、エンプロイにフレンチトーストや、特に女子にはライスの代わりにトーストを勧めたりと、自然のうちに微調整を行うものだ。もっとも、LCやKHとの連携がうまくできていることが前提になるが、当エリアのUM達はそろってベテランだし、その辺のハンドリングは平均以上のものを持っている。
そんな中、新発注システムと呼称だけは仰々しい愚策を、ひたすら「改革します!やってます!」とアピールを続ける菅村DMであるが、営業部だって報告書をきちんと精査すれば、いかに中身の薄いものかはわかるはず。

「そう仰られても、簡便なパーストックで行ったって、発注精度は変わりませんから」
「変わりませんじゃなくて、精度を上げようっていってんだよ。わかるだろ」
「趣旨はわかりますが、結果的にそこまでつめる必要はないように思いますけどね」
「やっぱわかってねえよ、おまえ」

その言葉、そっくり返してやるよ。
歯車が合わないことは、何もパンの新発注システムに限ったことではない。来店してはオペレーション全般に渡り難癖をつけてくるのだ。人の意見は絶対に聞かない。すべて自分流。何のためのエリア、何のための組織なんだろうか。

「だめだな、あのMD。早く替えちまえ」

阪本紀子へ向けて、不躾な目線を投げつけている。
たしかに阪本紀子は愛想の良いタイプではないが、非常に生真面目な性格を持っていて、一生懸命仕事へ取り組むほどに顔がきつくなってしまうのだ。しかしうちにとっては任せられる数少ない従業員のひとり。その彼女へ対して、その場判断でこのような無礼な発言をするこの男。既に上司とは思えなくなっていた。

関西入りして約1年、秋が深まった頃。日々成長していく絢子の姿を見るにつけ、このままでいいのかと自問自答することが多くなった。
あたりまえだが、家族は一緒に暮らすのが本筋である。ところがデニーズジャパンの止めを知らない出店攻勢は、相変わらず頻繁な異動を生み出していて、ナショナル社員は会社の意向に従い、いつ終わるか分からないジブシーのような生活を強いられていた。よって所帯持ちは家族共々転々とするか、はたまた単身赴任という、厳しい選択肢に悩まされていたのである。もっともナショナル社員を辞退して、エリア社員に収まればそんな心配もいらないだろうが、そこまで考えるならば、“転職”。そう、この言葉がちらつき始める。
独身の頃は、知らない土地へ赴任していくことなど、それほど抵抗もなく、むしろ親元を離れて羽を伸ばせるメリットに惹かれたものだった。しかし一家の大黒柱となった今、もはや羽を伸ばせるゆとりはない。

若い頃・デニーズ時代 87

「なんか決まってないっていうか、ダサいっていうかさ」

菅村DMが、雁首並べたUM達をじろじろと見まわす。
それも頭から足の先まで丹念にである。

「もっとさバッチリ決めようぜ。大阪西は着ているものも揃えてかっこよくいこうよ」

急に何をいいだすかと思ったら、身なりのことらしい。
しかし、見回しても全員スーツまたはブレザーで、変哲もない装いである。

「新田さあ、Yシャツの襟がクルっと上向いちゃってるけど、気にならないか」
「カッターシャツの襟ですか」
「そうだよ。それから近藤。お前の靴、汚ったねえしヨレヨレじゃんか」
「すいません、新しいの買いました」

確かに近藤さんの靴は汚い。もっとこまめに磨いた方がいい。しかしUMの職務上、キッチンへのフォローも多々あるので、靴はどうしても油やソースで汚れがちになる。週末のピークに1時間もセンターへ立てば、間違いなくドロドロだ。

「前のエリアでもバリッと揃えてたんだよ。シャツは白のボタンダウン、そして革靴はウィングチップでね」

なにそれ?しかも強制?!
場にざわめきが立った。

「つい最近、靴買ったばかりですよぉ」
「つべこべ言うな。靴なんて腐りゃしない」

改めて菅村DMのいでたちを見ると、確かにシャツはボタンダウンだし、靴もウィングチップである。

「“なんとかチップ”って、どんな靴ですか」
「俺のを見ろよ、こういうデザインだ」

さっと立ち上がって一歩引き、皆がよく見えるようにポーズをとった。

「決まってんだろ、この感じ」

どうやら単純にトラッドスタイルが好きらしい。
ところがどんなに装っても、この猿面では台無しだ。やはりこの男、生理的に受け入れられない。

「1ヵ月後の全店会議にはさ、バッチリ揃えてかっこいい大阪西を見せてやろうぜ」

菅村体制となって最初の全店店長会議が迫っていた。
他地区のUMとも交流でき、社会全般の景気、外食産業の動向、そしてその中で我デニーズジャパンがどれほどのポジショニングとなっているかがプレゼンされるこの会議は、結構楽しみなところもある。西宮から浜松町まで赴くのは大変だが、帰りは同僚たちと缶ビールを片手に、ああでもないこうでもないが、実に楽しいし盛り上がる。
しかしどうだろう。確かに春本DMの時は誰もが和気あいあいを感じていたが、新体制になってからは、UMが集まると決まって菅村さんの悪口が始まった。
シャツと靴の件などは、その話題の最たるものになっていた。

「見え見えだよ。外観からエリアの統制がとれてるようにアピールするわけでしょ」
「やり方が子供っぽいんだよ」
「いってることは無茶苦茶だし、あんな品のないDMってのも珍しいんじゃないの」

こうなるとチームワークもへったくれもない。DMにまとめる力がないとエリアはぐらつき出す。
何れにしても、ボタンダウンとウィングチップは命令だったので、致し方なく貴重な休みを使って三宮まで調達に行ったのだ。

「三宮まで出るとやっぱりにぎやかだね」

家族3人で三宮見物である。
麻美の育児ストレスが少しでも解消できればと、休みには必ず家族で出掛けるようにしていたが、そのほとんどがマンションから近いところだったので、たまには繁華街へ出て、おいしいものでも食べようと、今回は阪神電車に乗って繰り出した。
朝夕には秋の気配も感じられるこの頃。神戸の街並みも落ち着きを取り戻し、歩いているだけでも清々しい気分になってくる。ベビーカーに乗る絢子も何気に楽しそうだ。
目的の買い物は早々に済まして、美味いものを探しに南京町へと向かった。
ご存じのとおり南京町はチャイナタウンである。但し、横浜中華街の雰囲気を想像すれば大分寂しい感じだ。
先ずは規模が小さいし、メインロードから枝のように伸びる路地は狭く暗く、小さな店はあるにはあるようだが、ちょっと足を向け辛いムードが漂っている。

「ほら、あそこの屋台、豚まん売ってる」

豚まんとは、いわゆる肉まんのことだが、ここのはサイズが小さいのが見た目の特徴だ。しかし肝心の味は極めて評判がいい。

「あれ買ってさ、そこの広場で食べようよ」
「いいかも」

南京広場だけは人の往来があり活気に満ちている。東屋の石のベンチに腰掛け、豚まんを広げた。いい香りが立ちこめる。

「おいしい!」
「いくらでも食べられそうだな」

人事異動で越してきた新天地。最初は不安だらけだったが、意外や住んでみると空気感が妙に合った。
先ずは街のサイズがちょうどいい。東京は如何せん大きすぎ。そして身近に自然があって癒されるところも大きなポイントだった。六甲山系は目の前だし、その反対側には海もある。ショッピング等々だったら、東の梅田、西の三宮と、どちらも近くて便利この上ない。

「新しいDMはどうなの」
「相変わらずさ。ほかの店長もみんなぼやいてるよ」
「DMも必死なんじゃないの、評価を上げようって」
「そりゃ分かるけどさ、やり方がね……」

三つ目の豚まんを口に放り込むと、何気に西宮へ赴任するまでの経緯が頭の中に浮かんできた。
沼津店、そして沼津インター店での業績を評価され、再び新店オープンを任されることになったが、この頃思うに、これは純粋な評価からの抜擢ではなく、あくまでも便宜上の意味合いが濃いのではなかろうか。
高田馬場店から芽生えた会社不信、上司不信、そして結婚して子供を授かり、家族への責任が大きく圧し掛かった今の立場を考えると、これからのことをまじめに考え直さなければならない時期にきているのではと、常々思うようになっていた。

「それよりさ、西宮はどうよ、馴染めそう?」
「親切にしてくれるご家族もいるけど、どうかな」

デニーズの組織人だからこそ、地元東京から遥か遠方の西宮で生活を営んでいるのだ。しかし組織から離脱すれば、何の関わりもない土地になる。
振り回されている。そう、これまで完全に振り回されてきたのだ。

若い頃・デニーズ時代 86

「菅村です。これからよろしくお願いします」

身長は170cm以上ありそうだ。体格も均整がとれていて、一見さっそうとした印象を受けるが、よく観察すると、地黒のうえに顔が怖い。額が妙に狭く、深いしわが何本も横へと伸び、おまけに鼻はつぶれ気味なので、よくあるボクサー面だ。しきりに笑顔を出そうとしているが、目は笑ってない。
恐らくこのタイプ、性格的に合いそうもないし、なんとなく嫌な予感もしてくる。

「みんなで成果上げて、本部をあっと言わしてやろうよ」

先ほどからしきりに士気高揚すべくアプローチをかけてくるのだが、空回り感は否めない。見回せばUM達の表情は固いままだ。空気の読めないやつは、本当に弱ったものだ。

「おいおい、元気ないな~、大丈夫かよ」

このあと菅村DMの簡単なプロフィール紹介と、関西地区全体の現況数値の説明があり、続いてUM達からは簡単な自己紹介と自店の現況報告が行われた。

「そうか、パンの発注ね」

たまたま二人のUMより、パンの鮮度に関しての話が出たのだ。パンは食材の中でもダントツに鮮度管理が難しく、発注過多ならコストが上がるし、コストを考えれば、新鮮さに欠ける品が提供される。もちろん発注が足りなければ、ご法度である品切れが発生してしまう。

「新田のところはパンの発注、どうやってる」

池田店のUMだ。

「パーストックですかね。ホワイトはまあまあの回転ですが、ディナーロールとライブレッドが難しいかな」
「近藤のとこは」

次は田島店UM。

「うちもパーストックですが、ホワイトも上下幅が大きいですかね。さき入さき出に反しますけど、野菜サンドには新しいもの、ホットサンドにはやや時間が経ったものを使って調整してます」

我中前田店もほぼ同じである。平日、土曜、日曜祝祭日それぞれのパーストックが決められており、在庫と照らし合わして適量を発注するのだ。

「月並みだな。もう一歩進めてみようよ」
「だったら一度、現況を数値化して、対策案のヒントにするってのはどうでしょう。曜日別でパンの実使用料をカウントしてみるとか」

いきなり谷田さんから意見が出た。しかし自店の正確な数値を把握することは、いずれにしても無駄にはならない。
MDが上がる際に行う伝票のカウント。この時にパンの使用量を別表に記入してもらえば造作もないことだ。

「実使用量から個別のパンの生産性を算出すれば、売上予測をベースに発注量を決められるんじゃないですか」

さすがエリアの知恵者。谷田さんの意見は的を得ている。

「谷田、いいこというね~」

菅村DMの細い目が一瞬パッと開き、光った。

「それやろうよ。大阪西の柱でいこう。バッチリ成果出してさ、本部長から評価もらおうぜ!」

突発的な成り行きでパンの発注改革が始まったが、会議後、谷田UMはバツの悪そうに、「ついついノリで言っちゃってすみません」を皆に連発していた。自分のせいで、各店に仕事が増えたことへの陳謝だろう。
それにしても菅村DM、実に分かりやすい男だ。“本部長から評価もらおうぜ!”は、まさに己の為。見え見えである。
それはさておき、手始めとして各店2週間、正確なパンの実使用量をカウントして、毎日DMへ報告を上げることになった。

さて、前述の“パンの生産性”について少々ご説明しよう。
これはいたって単純なもので、その算出法は以下となる。
【一日の売り上げ:30万円、実際に使ったバンズの数:8個】だったとすると、
30万円÷8個=バンズ1個当たりの生産性:37,500円となり、
明日の売り上げ予測が50万円だったとしたら、50万円÷37,500円=バンズの必要数:14個
本日夕方のバンズの在庫が3個なら、あと11個必要となり、バンズは1パック6個入りなので、発注量は2パックとなる。
生産性の値は平日と祝祭日、そして各店舗によって異なってくるので、カウントは正確性を要する。
そして最も大切なのは売上予測だ。予測の差異が大きければ、今回の発注計画はうまくいくはずもない。
中前田店は安定した売り上げがあったので、比較的予測はやり易かったが、やはり天候には少なからず影響をうけるので、天気予報には留意しなければならない。

今回のパン発注法は極めてベーシックであり、そもそもパーストック量はこの生産性に基づき設定される。
それをわざわざ毎日売上予測のうえ発注量を決めると、その都度DMへ報告をしなければならず、はっきりいって面倒極まりない。もっとも祝祭日の発注に関してはメリットありと思っているが、反面平日の売り上げに大きな凹凸はないので、誰が考えたってパーストックの方が絶対に利口なやり方であることは明白だ。そのせいかエリアの士気は全く上がらなかった。
この発注法を必要以上にアレンジ誇張させ、「私達は画期的なことをやってますよ!」と、その意気込みを本部に伝え己の評価を得るという、組織人の嫌らしさだけが見えてならないのだ。

「新発注法から2週間がたったけど、どうよ、各店」

鋭い眼光がUMの面々を舐め回した。
しかし各店共々それほど評価できる結果は出ていなかったのだ。

「木代んとこはどんな感じ」

きたか。

「新発注法に代えてパンの鮮度が上がったとはまだ言い難いです」
「なんで」
「売上予測が難しいですね」

急にDMの表情が険しくなった。

「谷田はどう」
「同じですかね。今のところ大きな改善はありません」
「そうか……」

更に表情が険しくなり、爆発しそうにも感じてきた。

「お前たちさ、まさか俺に黙ってパンの貸し借りや、他から調達なんてしてないよな」

みんなうつむき加減だ。

「おかしいじゃねえか。おいっ、川野辺。お前んとこのホワイトの発注量と在庫カウント、どうみたって辻褄が合わないよ。俺には分かるけど、2回や3回の品切れは起こしてるはずだ」
「そんなことないですよ」
「なにいってんだ、品切れ報告したら俺に怒鳴られるって思ってんだろ。今の段階はさ、そんなケチなこと考えないで、まずはシステムを完成させることが先決だろうに。これがうまくいくようになれば、次は野菜やデイリー物へ広げられるだろ、そうなりゃ営業本部長賞もんよ!」

最後の“本部長賞もん”。いわなきゃよかった。
再三の話だが、ふたこと目には必ず“評価”が入る彼の言い方は、血気盛んな新入社員相手なら頷けても、我々ベテランUM達を手懐けようとするならば、あまりにも薄っぺらいのだ。