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美術の森緑地

 六月十六日(木)。武蔵野公園方面へポタリングした際に、はけの道沿いにある【美術の森緑地】へ立ち寄ってみた。ここは洋画家・中村研一(1895-1967年)の邸宅跡で、現在は“はけの森カフェ”が入り営業している。以前から興味があって、一度くらいは覗いてみようと思っていたのがここの庭園だ。

 自転車をはけの森美術館の脇に置き、さっそく冠木門をくぐる。鬱蒼とした木々に囲まれた庭園の中心には池が配置され、こんこんと清水が湧き出ている。よく見れば結構な水量だ。そこから視線を上げると、さすがはけの道。石段は急こう配で上方へと段を重ね、上がり切るそこは薬師通り側の門となっていた。石段の両脇は通る風も涼しげな竹林であり、さすがアーティストの住まいだと感心する。
 そもそもこの辺りは、はけと呼ばれる高低差15~20mの急斜面が野川の北側沿いに東西延々と伸びていて、あるところは急斜面の道路、あるところは石段、そしてあるところは傾斜をうまく利用した住宅となっていて、野川の広い河川敷と相まり、独特の景観を生み出している。この環境があるからこそ、はけの小路と称する単なる小さな水路までが、情緒豊かに見えてくるから笑ってしまう。

梅酒

 梅雨に入ってからの休日は、悲しいかな殆どが雨模様。当然ながらどこかへ出かけようにも気が乗らない。しょうがないのでひたすら読書と有線の映画鑑賞に浸り込んでいると、そんな様子を見かねてか、
「梅あるからさ、梅酒でも作ったら」と、女房のひとこと。
 そうか、冷蔵庫に確か1パックあった。毎年女房が梅ジュースを作るために手に入れたものだ。
「あれ、使っていいの?」
「いいよ」
 梅酒は好きだ。これからの夏、炭酸で割るとゴクゴク入る。それに体に良いことは昔から言われていて、特に疲労回復には効果大とのことだ。その他にもいろいろとご利益があって、嬉しいことにアンチエイジングにも役立つらしい。高齢者が元気に過ごすためにも、梅酒を日常から摂ることは意味がありそうだ。
 ただ、漬けてすぐに飲めるわけではなく、最低で十カ月、できれば一年寝かさなければならない。それまでは市販の梅酒でもいいのだが、せっかく自分で作ったのだから、早いとこ自家製を賞味したいものである。
 梅1kg、氷砂糖500g、ホワイトリカー1.8L、これが材料。へたを取った梅を水洗いしたら、ざるにあけて水を切る。その後はひとつひとつタオルで水気を取り容器へ入れていく。半分入れたら氷砂糖も半分入れを繰り替えす。全部入ったたらホワイトリカーを注ぐ。これで完了。後はじっと一年待つだけだ。

停滞感

 自転車通勤を初めて早十六年。よくもここまで持続できたと自画自賛である。職場まで往復16km、週三回使ったとしても、それだけで35,000km。そのほか休日の生活圏内の移動には殆ど自転車を利用しているので、おそらく累積走行距離は50,000kmを軽く超えていると思われる。そして健康維持に大切な毎日の適度な運動の柱となっていることは間違いなく、長雨などで四~五日乗れない日が続くと、刺激を求める大腿筋の訴えが聞こえてくるようだ。出勤時に雨が降ていなければ自転車を使い、雨だったら車またはバスを利用するのが基本パターン。よって帰宅時の天候を考慮して、バックパックの中にはいつもカッパ上下、ヘルメットカバー、ブーツカバーを潜ませてある。
 ただ……
 そこまで準備しているにもかかわらず、ここ最近、出勤前に天気予報を確認したとき、帰宅時間に雨の予報が出ていると、「車で行くかな~」とか「たまにはバスもいいか」等々、ぽろっと弱音が漏れるようになった。情けないと思いつつも、ずぶ濡れになりながらもくもくと自転車を漕ぐ己を想像すると、気持ちが萎えてくるのだ。体力は衰えてない、と思う。山歩きの頻度も上がってきているし、日常生活での疲労も殆ど感じることはない。だったらこの腑抜けな有り様は一体何を起因としているのか……

 さて、ここ半年、職場生活での倦怠感が急速に高まっている。一応仕事は七十歳で打ち止めにしようと考えているので、あと二年通えば済むことだと、ことあるごとに自分に言い聞かせている。六十五歳から嘱託社員となり、役職や大きな責任から解放された身軽な立場になったので、もう少し気楽にやればいいとは思うが、会社運営の行き詰まり感がやたらと目につき、イライラが絶えなくなっているのだ。
 入社からの数年は、社長の独自性と積極性が光り、会社を成長へと育んだ。これが一期だ。二期の始まりはハーレーダビッドソンジャパン(HDJ)との関係がスタートし、“寄らば大樹の陰”的な方針に転換したこと。HDJのイエスマンに徹し、少々厳しい施策にでも有無なく乗ってきた。当時のHDJ社長のO氏は業界人だったら誰もが知る策士。彼にさえ従っていれば会社は安泰という固定概念ができたほどで、思い起こせば妄信と称して憚らない傾倒ぶりだった。言わばO氏との蜜月の時代である。ところが何も考えずにただ従っていれば業績が伸びる時代が長く続いたため、自社の独自性は完璧なまでに消え去っていた。そして現在が三期目。
 ハーレーのビジネスは続いているが、O氏が退任してからのHDJは急速な弱体化が進み、昨今では烏合の衆とまで言われるようになった。頼れるものが無くなっても会社としては成長しなければならない。しかし長い間考えなくてもいいという温湯に浸かってきたことで、独自のアイデアを生み出す力はかけらもなくなり、おまけに後期高齢者となった社長に起死回生を図る気迫は望めない。よって日々はパッチワークの連なりであり、まさに綱渡り。
 おそらく日々感じるイライラは、この状況を憂いするところから発しているように思えるし、また、就労への意欲低下へも繋がっているようだ。
 そんな中、度々某役員が経営の教科書から抜粋したような、机上の策法で会社を活性化しようと試みているが、残念ながら組織運営の根本からの逸脱感は免れず、恐らくだが、徒労に終わることとなるだろう。

 六月六日(月)。久しぶりに辰巳埠頭へトラックを走らせた。新島から送られてきたバイクの引き上げだ。
 店から40km弱程の距離があるが、首都高さえ空いていれば一時間もかからない。ただ、この日は朝からあいにくの土砂降りだった。埠頭へ到着して海を見渡せばガスが立ち込め、寒々しい景色が広がっていた。沖では埋め立て工事なようなものも始まっていて、印象は大分変わっていたが、新島物産の親衛丸はいつもどおりの姿を見せてくれ、物資を満載し、大海原を突き進む様を想像すれば、やはりワクワクとしてくるのだ。