エレキバンド・その3・いつまでもいつまでも

photoKが差し出したものはコードが記載されている歌謡集だった。
雑誌の付録だったものを、同じ友達仲間のTから貰ったとのことだ。T自身はそれほど音楽に興味があるように見えなかったが、Tには兄貴がいて、彼は自他共に認めるビートルズマニアだそうだ。ギターを弾きながら格好良く“アンド・アイ・ラヴ・ハー”を歌うらしい。
恐らくその歌謡集は元々兄貴の持ち物だったのだろう。

「この曲、簡単だよ」

Kが教えてくれたのは、当時の人気グループ、ザ・サベージのデビュー曲“いつまでもいつまでも”だ。
開いたページをよく見ると、コードの数が少なく、しかも比較的押さえやすいパターンばかりである。曲自体も好きだったし、これならなんとかマスターできそうな気がしてきた。

ー そよ風が僕にくれた かわいいこの恋を
いつまでも いつまでも 離したくない いつまでも

メロディアスで爽やかな曲は、歌い出すと心が弾んでくる。
当時はグループサウンズが大流行していて、このサベージも人気のグループのひとつだった。
カレッジポップ風の曲作りとハーモニーはストレートに分かりやすく、メロディーが頭に残って曲を覚えやすい。

徐々にギターを意識せずに弾けるようになってくると、歌に集中できて一層楽しくなってくる。いつのまにか自分の世界へと嵌りこみ、我に返れば少々気恥ずかしい。
ギターって、本当に凄いやつだ。

エレキバンド・その2

ギターコード

音楽初心者の私にとって、“千本浜ライブ”は正に事件であった。
レコードを何度聴いても決して感じることのなかった演奏者の巨大なエネルギーは驚きの発見であり、これまで裏方だと思っていたドラムやベースが、実はライブパワーの根源であることにも気が付いたのだ。
幾度も襲いかかってくる鳥肌の波を抑えることは最早不可能となった。

ー ギターが欲しい、、、何が何でも、、、

手に入れたくて堪らないギター。
ある日、意を決して親にねだってみると、呆気なくNGを出されて浮き上がっていた気持ちは奈落の底へ。

【ギターは不良の始まり】

当時はわけの分からない風評も流れていて、これも親のだめ出しを煽ったのではなかろうか。
親父は典型的な会社人間で、家族に対してはきちっと毎月の給金を入れ、不自由なく生活させていれば全てOKという考えを持っていたように思う。
恐らく今回の件も深くは考えずに、

「ギターは駄目だと雅敏に言っておけ」

と、母親に指示したのだろう。
親父とまともな会話をした記憶は殆どなく、それは弟も同様だったに違いない。
ねだるのも、不平を言うのも窓口は全て母親だった。

そんなある日のこと。
Kの家へ遊びに行ったら、

「いいもの見せてやる」

含み笑いの彼は、意味深な視線を投げてきた。

「なんだ、何があるんだよ」

果たして押し入れの中から持ち出してきたそれは、黒っぽいカバーで覆われているものの、特徴的なその形は中身を見るまでもなかった。

「ギターかよ!」
「正解」

Kの勝ち誇った表情が悔しくて堪らない。
いつも自分の傍にギターを置けるなんて、今の自分にとっては夢のまた夢だ。

「持たせて」
「いいよ」

初めて抱えたギターはガットギター。いわゆるクラシックギターである。
当時のKや私にギターの知識は乏しく、とにかく弦が6本あって、練習にさえ使えれば文句はなかったから、そのギターはジョンの持つRickenbackerと何ら変ることのない輝きと魅力を放って見えた。

「これ、コードブック」
「なにそれ」

Kのやつ、何だが本格的なものまで手に入れている。やる気だな。

「その印どおりに弦を押さえるとコードが弾けるんだ」
「なるほど」

言うが易。これがやってみるとたいそう難しい。
でも、楽しい!
初めて爪弾いたギター。そのワクワク感は尋常でない。
K宅通いがますます頻繁になりそうだ。

エレキバンド


Mosriteずいぶんと昔の話である。
小学校5、6年の頃だったか、ある日テレビを見ていたら、アマチュアバンドが勝ち抜き戦を繰り広げるという熱き番組が流れだした。
これには自分でも驚くほどに釘付けとなった。

ちょうどその頃は親友Kの影響で深刻なビートルズ中毒に陥っており、何が何でもジョンやポールのように歌えるようになりたくて、一日に最低1時間はイヤホーンを使って自分だけの世界に浸りきっていた。
中学校へ進学しても、頭の中は、ポップス!、バンド!、エレキ!が渦巻いていた。
このままでは本物のノータリンになってしまうのではないかと心配になったほどだ。
今俺は何を考えているかと自分に問えば、75%が音楽、20%が隣のクラスのS子、そして残りの5%が直前の中間テストというありさま。
親はさぞかし心配していただろう。

「ちゃんと勉強しなさいよ」
「やってるって」

苦し紛れの返事が続く。
“ザ・ヒットパレード”、“シャボン玉ホリデー”等々、音楽心を刺激するテレビ番組は毎週欠かさず見ていたし、Kの家に行ってはシングル盤をテープレコーダーへ録音、急速に増え続けるビートルズコレクションをこれでもかと貪っていた。
もう勉強どころではない。

そしてとどめは下校路の千本浜に現れた。

ー なんだ、あの音?

突如、彼方から風に乗って腹に響く音が聞こえてきた。
耳を澄ますとドラムのような打音も聞こえる。

ー まさか、バンド?!

心臓の高鳴りが刺激の大きさを物語り、反射的に音のする方角へと歩き出した。
西高を過ぎた辺りからギターの音色もはっきりと確認できるようになり、どうやら音の出所は松林の中だと見当をつけた。
近付くにつれ、音は徐々にちゃんとした音楽となって迫ってきた。
まさに初体験の“ライブ”である。
数メートルまで近付くと、想像を超える大音量が瞬く間に体全体を痺れさせ、特にバスドラとベースがシンクロした重低音は強烈で、真夏なのに鳥肌まで立ってしまったのだ。ライブの刺激はものの一分間も経たないうちに固い決心を生んだ。

ー 絶対エレキバンドやる!!

見事脳内でスパークした。

3~4曲の演奏が終わった時、ギターを弾いていた背の高い彼が、私に向けて声を掛けてくれた。

「バンド、好きか」

呆然としていて、すぐに反応することができなかったが、何とか落ち着きを取り戻すと、思い切って聞いてみた。

「これ、何の曲ですか?」
「ベンチャーズだよ」

ー これがベンチャーズなんだ。

カルチャーショックが炸裂した。
聞くもの見るもの全てが凄すぎで、混乱状態はなかなか収まらなかったが、それと並行してエレキバンドをもっと知りたいという欲求も大きく頭の中にもたげてきた。

我が青春のエレキバンド。
ここがスタートとなったのだ。

写真好きな中年男の独り言