朝の散歩でふと気がついた。日が長くなったな~と。
寒い時期は目覚まし時計を午前六時にセットしている。ベルへの反応はいいほうだが、温い布団の中は気持ちいいったらありゃしなく、起き上がるまでにはたいがい十五分を要してしまう。
ちゃっちゃと着替えて居間へ降りる。
「おはよう、お散歩だよぉ」
首をもたげた眠たさ満面のリチャード、三度ほど伸びをすると尻尾をふりながら近づいてきた。毎日ほとんど同じ時刻に出かけるが、玄関のドアを開くとあたりがとても明るく、ついつい腕時計を見てしまう。
コミセン通りを駅に向かうと東の空が朝焼けできれいだ。
脇道から出てきたのは、この時間帯によく見かける女子高生。歩きは相変わらずハイテンポで、あっという間に見えなくなった。
寒くなると俄然元気になるリチャードは、止まってはクンクンの繰り返しで忙しないが、今日も調子がよさそうで何よりだ。
もどったらすぐに朝食。いちごジャムにするかピーナッツバターにするか…..
天丼はま田・女房とランチ
「昼飯前に自転車捨てに行こう」
「じゃ、まって、ほかにもあるから」
昔使っていたダホンの折り畳み自転車が、五年前から庭に放置したままになっていた。そのうち直すかなんてのんきに構えていたら、いつの間にか手が付けられないほど錆びまみれ。
「ほかって、なに?」
「バギー、三輪車、それと吸わない掃除機」
けっこうあるではないか。
なんとかギリギリでPOLOに積み込むと、武蔵野市のクリーンセンターへ向かった。
粗大ごみは重さで料金が決まる。
センターへ到着し受付を済ますと地下一階へ移動。巨大な計量器へ車ごと載り、総体の重さを量ったら、次にごみを下ろしてもう一度計量。これでごみだけの重さがわかり、それに沿った料金を払って完了だ。ちなみに今回は税込みで1,000円だった。
「このままどっか食べに行こうか」
「だったら青梅街道の天丼屋は?」
先日、ステーキハウスのバッファローへ行くときに、“天丼”のでかい看板を掲げたチェーン店らしき店に目が留まったのだ。店名は【天丼はま田】。とにかくうちの女房は天ぷらが大好き。
十一時半を過ぎたころだが駐車場は八割がた埋まっている。店内に入ると、ゆとりあるテーブル配置に高級感を覚えた。清掃も行き届いているので第一印象は二重丸。
「それじゃ、天盛り蕎麦の冷たいのを二つ」
オープンキッチンなので小気味よく動く調理師の姿がよく見える。
「おまたせしました」
待ち時間は十分。
さっそくいただくと、蕎麦はどこにでもありそうな品で可もなく不可もない。つゆはあっさり系。個人的にはもう少々コクが欲しいところ。肝心の天ぷらは上手に揚がっているが、つゆと同様、あっさりした仕上がりで、おそらく油はサラダ油系だろう。これも個人的だが、“新宿つな八”のように、ごま油で香高く揚げるほうが好みではある。
お会計は税込み2,860円。店、対応、料理をトータルすれば、なんとか及第点をあげられそうだ。
2025年・初詣
昨年は初詣を端折った。
「なにも混んでる三が日に行かなくてもいいんじゃないの」
このひとことで、夫婦間にあった“初詣”の二文字はいとも簡単に消滅したのだ。
昨今、なにがなんでも初詣という時代ではないし、年賀状が激減している現状を考えれば、もはや年中行事すべてに対し、人々の心の中に昔のような意識は生じない。
新しい年神様を皆で迎えて祝うという考えは、かなり希薄になっているだろうし、我々年配者でさえそうなのだから、若い人たちにとって正月は、シンプルに“一月”なのだ。
十年ほど前から初詣は浅草の浅草寺に定着している。
地元にも立派な神社はあるが、我が家は初詣をレジャー若しくはイベントと捉えているので、多少遠くても恐ろしいほどの参拝者の波にのまれつつ、きらびやかな仲見世をひやかしたいと欲っしてしまう。
賽銭を投げ、手を合わせる。出口へときびすを返せば、目線は昼飯処探しに切り替わった。
「おっ、そこの店、並んでないよ」
「入っちゃおうか」
コロナ前と比べると浅草寺への初詣の人波は目に見えて減っている。仲見世だけはまだまだ活況に溢れているが、その後街中へ出てみると普段とそれほど変わらなく、感覚的には10%減といったところか。
「ねえ、この店、一昨年も来てない?」
「おれもそう思ったよ」
互いに苦笑いが出た。
一度腰を据えたので、出ていくわけにはいかないが、たしかハンバーグはグリルした感じがなくて、レトルト以下だったし、カツカレーのルーは風味に乏しく辛さもないなんとも表現しがたい味だった。だからこの二品は避けた。
「すいません。カツ丼と豚カツ定食おねがいします」
記憶をたどれば、カツカレーの豚カツだけは上々だったのだ。