窓にバッタ

 暑い。とにかく毎日暑い。
 痛みすら感じる暴力的な直射日光は、容赦なく地上に差し込み、道を歩けばまるで熱せられたフライパンの上にいるかのようだ。そんなことでよほどの用事がない限り、昼間に外出することは少なくなった。リチャードの散歩だって朝は五時、夕方は六時過ぎでないと、犬、人、共に倒れかねない。

 来る日も来る日もエアコンのきいた部屋にこもり、ひたすらMLBの観戦、読書、執筆に勤しむ毎日を送っていると、ふと生活に違和感を覚え始める。
 夏であって夏ではない。そう、あまりに暑くなりすぎて情緒豊かな日本の夏が損なわれつつあるのでは……
 蝉の鳴き声がしない、夕方に蜻蛉が飛ばない、夏特有の夕立が起きない、やぶ蚊が減った等々、自然の摂理にも確実に変化が起きている。これは怖いことだ。遠い未来どころか、来年の夏でさえいったいどうなるか不安だ。
 と、その時、窓に何かが当たった。
「おっ、バッタだ」
 こいつ頑張ってる。このクソ暑さの中、か細い体に鞭を打ち、日本の夏を守ろうとしているかのようだ。
 この姿を眺めていたら、無性に切なくなった。

John Mayall & The Bluesbreakers

 今月二十二日。ブリティッシュブルースの先駆者として著名なジョン・メイオール氏が亡くなった。享年は九十歳。
 私は彼の率いるジョン・メイオール&ザ・ブルースブレーカーズの大ファンで、ギターに目覚めた中学三年生の頃、毎日レコードが擦り切れるほど聴いていた。海外ミュージシャンのコンサートへ行ったのも、昔懐かしい“日劇”で行われた彼の公演が初である。

 なんてったってビートルズ、ベンチャーズ、そして加山雄三だ!と嵌りきっていた私に、ライトニン・ホプキンス等々のこてこて本場ブルースなど、耳に馴染むわけもなかったが、当時の愛読書ミュージックライフのページをめくれば、“ロックの源流にブルースあり”というキャッチを幾度となく目にしたのだ。だがどうにもピンと来ない。そもそも黒人がアコースティックギターを抱えている絵はあまりに源流過ぎて抵抗感がでかすぎた。

 幼馴染のKちゃんは大の音楽通。私が「やっぱり加山雄三だよ♪」とうそぶいているのを尻目に、着々とロックのレコードを買い続けていた。ポリドールでいえば“アートロック”、CBSでは“ニューロック”というジャンルのものだ。
「これからの主流だよ」
「へー、そーなんだ。試しになんか聴かせて」

 選んでくれた二枚のアルバムは、“バニラファッジ”と“ブルーチアー”。共にデビューアルバムで、初めて触れた新しいロックの音だった。感想を言えば、バニラファッジの<You Keep Me Hangin’ On>はパワー感に切れのいいボーカル&コーラスがうまく溶け込み、引き込まれるものがあったが、一方ブルーチアーは粗雑で単純な構成ばかりが鼻についた。
 「こーゆー音楽があるんだね」
 これまで聴いてきた音楽とはずいぶんと異なったが、なんとなくハートをくすぐる感は否めなく、Kちゃん宅はお隣なので、ちょくちょくおじゃまして色々と聴かせてもらうことにした。

 Kちゃんの部屋にはおびただしい数のLPが整然と並べられ、それをパイオニアのセパレーツステレオで鳴らせるという最高のリスニング環境が整っていた。そんなことで数時間に渡り二人で聴き続けるなんてことも屡々だった。
 徐々に耳が慣れ、ロックが自然と体に馴染んでくると、自分の好みがしっかりと出てきた。そのタイミングで出会ったのがジョン・メイオール&ブルースブレーカーズ。エリック・クラプトンをフィーチャーした<Blues Breakers with Eric Clapton>とピーター・グリーンをフィーチャーした<A Hard Road>は今でもたまに聴くほどのお気に入りになった。

 本場のブルースを基本にしているとはいえ、パワーとスピードを上手にアレンジしたエレクトリックブルースは、良い意味でのポップ感に溢れ、のりやすくて聴きやすい。このサウンドを作り出したのはもちろんジョン・メイオールだが、エリック・クラプトンやピーター・グリーンのセンス溢れるギタープレイが大いに花を添えているところもGooなのだ。

快適、清里高原☆

 七月早々から猛暑日に悩まされるとは、ほんと、先が思いやられる。
 エアコンをONにして部屋にこもっていれば一応暑さは回避できるが、異常な熱波が町を覆っていること自体が精神的ストレスを生むもの。
 七月五日(金)。てなわけで、久々となる北杜市の清里高原へと出かけてみた。

 今回はちょっと目先を変えた。折りたたみ自転車をPOLOに積んでいき、現地でのんびりとサイクリングに興じようと考えたのだ。この自転車、キャプテンスタッグ製の廉価版だが作りがよく、車で行く一人旅の際には必ずお供にしている。徒歩と比べて行動半径がぐっと伸びるのが撮影行にはうってつけなのだ。
 清里駅にほど近い市営清里無料駐車場なるところを起点として、高原の空気を感じながらペダルを踏めればOKという至ってシンプルなもくろみである。

 中央道で事故渋滞に巻き込まれ、清里に到着したのは九時を回っていた。POLOの外気温度計は28℃を指していた。やはり高原である。
 自転車を組み立てたあと、まずは地図を片手に周囲を見回した。
「あれ……」
 この時、清里の地形についてかなり勘違いしていたことに気づき始めた。駐車場前は県道十一号線で、これを上って行くと美し森方面だが、どえらい傾斜がある。とてもシングルギアの折りたたみ自転車では漕いで行けそうにない。清泉寮へ向かうポールラッシュ通りも同様だ。

 清里は本当に久しぶりだったし、以前訪れた際も絶えずバイクか車を使って移動していたから、高原全体の“傾斜感”を全く覚えていなかったのだ。ぶっちゃけ、キャプテンスタッグではどこへも行けないし、そもそも身動きすら取れない。普段の足である二十一段ギアのクロスバイクか、はたまた電動アシスト付自転車だったら何とかなりそうだが……
 ここは冷静になって再度地図を確認した。すると、すぐ近くにサイクリングロードの入口があることに気がつく。藁をもつかむ気持ちでその入り口とやらまでキャプテンスタッグを押していくと、なるほど、ちゃんと整備された舗装路が森の中へと延びている。この森は県道十一号線とポールラッシュ通りに挟まれるエリアにあり、サイクリングロードはその真っ只中を行くようだ。

 走り出すと実に気持ちがよかった。緑濃い自然林の中なので直射日光が当たらず、体感気温は一気に落ちる。実際のところ、この道がなかったら清里散策は諦めるしかなかった。途中には小川もあって清涼感はどんどん上がっていく。
 走り始めは熊でも出そうな雰囲気もあったが、そのうちに本格的なロードバイクで疾走している人、のんびりとウォーキングを楽しんでいる年配男性等々、意外や利用している人を見かけびっくり。清里まできたかいも少しはあったかなと、気分的にひと安心。ただ、水分補給をしようとザックを下ろせば、背中は汗でぐっしょりである。

 清里駅前から清泉寮方面への標高差はおおよそ200mある。なにしろ右側を走る県道十一号線には登坂車線もあるほどだ。よってサイクリングロードは傾斜を緩くするために九十九折りが延々と続く。小さなカーブをターンするごとに2mは上がっていく感じだ。とにかく長いし、地味に疲れる。


 “あと100mでサイクリングロードの終点です”の看板が見えたので、一気に上り詰めると一般道へ出た。地図ではよくわからないので、スマホのYaHooカーナビを起動して現在位置を確かめると、この道は八ヶ岳高原ラインで、ちょっと行った交差点を左折すれば間もなく清泉寮へ到着するはず。ホッとすると連続したペダル漕ぎのせいだろう、膝に若干の痛みが出ていることに気がついた。

 八ヶ岳高原ラインからポールラッシュ通りへ折れると結構な下り坂。絶えずブレーキを当ててないとどえらくスピードが出てしまう。前方から黒づくめのサイクルウェアーを着た女性が、ヒルクライム然とした苦悶の様子で上がってくる。とてもではないがキャプテンスタッグではこの道を引き返せない。
 清泉寮に到着。テラスに出ると素晴らしい景色が広がっていた。正面に富士山、右サイドには南アルプスの山々がくっきりと見える。さっそく清泉寮ソフトクリームをいただきながら絶景を堪能した。
 ベンチに腰かけると爽やかな高原の空気感に包まれ、それはそれは気持ちがいい。瞳を閉じると寝落ちしそうだ。
 人通りがほとんど見られない清里駅前とくらべると、ここはさすがに人気の観光スポット。平日なのに大勢の観光客が訪れ、賑わいは昔と変わることがない。

 駐車場まではポールラッシュ通りを一気に下った。
 小海線の踏切がある交差点までは信号のない下り坂が続くので、恐ろしいほどスピードが乗る。ホイールベースが短くブレーキがプア、車輪の径も小さい、そしてノーヘル、短パン、Tシャツといういで立ちは、もし転倒したら間違いなく救急車レベル。一時はバイクツーリング並みのスピードも出してみたが、今から考えると実に大人げない。 

 急遽出かけた清里だが、間違いのない避暑地だった。普通にたたずんでいれば長袖長ズボンでちょうどいい。湿度が低く汗をかいてもべとつく感じはまったくない。恐らく夕暮れ以降は肌寒いことだろう。
 ちなみにPOLOの外気温度計は、駐車場を出るときも28℃を指していた。長い坂を下り、須玉ICに到着する手前で35℃へと上昇、中央道の甲府昭和近辺では38℃、談合坂で一旦35.5℃を示したが、八王子料金所で再び38℃に跳ね上がり、それは自宅に到着するまで変わることはなかった。