「ちょっとひと書き」カテゴリーアーカイブ

ノスタルジア

 尾鷲の旅は楽しかった。思い切って遠出にトライしたが、そこで感じた旅情はすべて宝物になった。
 地方都市の魅力の一つに、ノスタルジアを発見しやすいことがある。人は過ぎ去った過去を懐かしんだり恋しく思うもの。なにかのきっかけで古き良き時代を感じたとき、気持ちがほっこりしたり、妙に嬉しくなったりするものだ。

尾鷲 純喫茶・磯

 最終日の朝。モーニングセットが食べたくなり、駅前の喫茶店・磯へ行ってみた。昨日の夕方、養老の滝を利用した際、隣が喫茶店であることに気がついた。さっそく店名をググると、開店は朝七時、モーニングセットの提供もある。
 扉を押し、店内に足を踏み入れると同時にタイムスリップ。貝殻を並べた背の高い仕切り、シャンデリア風の薄暗い照明、こげ茶色のソファ等々、三鷹北口にあった喫茶店・有磯を思い出す。学生時代、コーヒー一杯で三時間も四時間もK子と駄弁った懐かしの店だ。
 隣りは一人で新聞を広げているお爺さん、向かいでは作業着姿の男性四名が、仕事の打ち合わせだろうか、関西弁を捲し立てている。
「いらっしゃいませ」
 八十に届きそうだが、ここのオーナーと思しきハイカラなお婆ちゃんが水とおしぼりを持ってきた。
「じゃ、モーニングセットください」
 おしぼりを手に取るとびっくり。質のいいタオル地で、しかも温めてある。顔を拭くとさっぱりした。なかなかの心遣いだ。
 十分ほどすると、カウンターの中で忙しく動いていた四十代ほどの男性が、トレーにのせたモーニングセットを運んできた。コーヒーを一口やると、なるほど、まさしく喫茶店の味と香りがする。ゆで卵は絶妙な茹で加減で、ぱらりと塩を振って口に含むと、これまた懐かしい喫茶店を彷彿とさせた。何気に伝票を裏返すと、驚きの500円。今どき、コーヒー一杯だけでもそれだけする。
 まっ、値段はさておき、朝にこんな喫茶店でまったりできたこと自体、なんだか嬉しいのだ。

福山 純喫茶・ルナ元町店

 去年春の福山で、ホテルのすぐ近くに似たような喫茶店があって、いい一日のスタートが切れたよう記憶している。

膝の具合 Part 10 自然さ

 膝や股関節の痛みをなんとかせねばと一念発起。それから早くも二年がたとうとしている。毎日のウォークとジョグ、寒い日も暑い日も、我ながら頑張っている。

《 いたわり過ぎず、加減を見ながら鍛えていく 》
 ウォークとジョグをうまく取り入れ、膝や股関節と対話するように、日々慎重に実行している。違和感が出たときは歩幅と着地に意識を向け、逆に調子がよければピッチを上げる。もちろん痛みがあるときや、体調が思わしくないときはきっぱり中止だ。それと、廉価なランニングシューズでも新調すれば、忘れていたクッションのありがたみを思い出し、一般的なスニーカーとは一線をかく性能と快適さを享受できる。

 《 継続は宝なり 》
 半年前にコースを変更。距離は当初の5.6kmから4.6kmへと減らした。これだけの差でも心身への負担はだいぶ軽くなり、おまけに新たな街の景色が気分をリフレッシュさせた。
 とにかく続けていけば大なり小なり効果は出るもの。おかげで最近は調子がよく、ほぼ毎回ジョグを行っている。楽な走り方がわかってきたことと、多少だが筋力がついてきたからだと思われる。こうなると走ることが苦ではなくなり、むしろ爽快感を味わえる日課へと変貌した。古希を越えた我が身、この先いつまで走れるかは定かでないが、より一層コンディションに留意し、怪我だけはしないよう注意を払いたい。

 この頃、老化ってのは具体的にどんな感じで訪れてくるのだろうかと考えることが多くなった。
 自己申告ではあるが、見た目が弱弱しくなったとか、歩く様がおぼつかなくなってきたこともない。それに背中だってまだ丸くない。物忘れの多さは以前からだが、人の名前を覚えられなくなった。聴力はやや減退してきたが、会話に支障はない。ただちょっと寂しいが、皮膚のたるみと皺は見事に高齢者だ。やはり引力には逆らえない。顔ならば、目の下、頬、口角、顎が顕著。体全体では、尻、二の腕、胸あたりが怪しくなっている。

 私は見た目の老化はさほど気にならない。なぜなら、そうなるのが自然だから。
 一例をあげよう。
 若禿げへの対策としてかつらを利用するのは大いに結構なことだが、年配者、特に爺さんのかつらはいただけない。皺くちゃの顔と黒々とした頭髪はあまりにもアンバランスであり、むしろ人の目を引く。歳を取ったら禿げたり白髪になる方が極々自然なのだ。禿や白髪については当の本人が気にしているだけで、周囲はまったく気に留めない。その歳なりの自然な見た目や雰囲気を、もっと胸を張ってアピールすべきである。

料理は楽しい♪

 私はあくまでも本格的ではなく、茶々ッと作れる料理が好きだ。
 かれこれ結婚して四十年近くなるが、この間、朝食、昼食のほとんどは自分で作ってきた。女房のお手製を味わうのはもっぱら夕飯のみ。ちなみに朝食は、チーズトースト、ポテト入りフライドエッグ、バナナ、コーヒーの組み合わせで三十年以上続けている。
 ― 飽きがこないかって?
 そりゃ、ご飯と塩鮭、中華粥などもたま~にトライするが、朝は時間がないからどうしても億劫になる。その点昼食はあれこれと考えられるから楽しい。70%近くは麺類で、パスタとうどんで半々ほどか。
 一週間前、自家製のトマトソースを多めに作って冷凍にした。手間はかけたくないので、トマトはフレッシュを使わず、いつも缶詰で済ましている。このソースはいろいろな料理に使えるので、ストックは欠かさない。一般的には、トマト缶、玉ねぎ、ニンニク、塩で作るが、玉ねぎを透き通るまで炒めるのは面倒。私は玉ねぎの代わりに砂糖または蜂蜜をワンティースプーンほど入れる。これで十分いける味わいになる。パスタが茹で上がれば“Pasta al pomodoro”のできあがりぃ~☆

 先回のNHK『あしたが変わるトリセツショー』で、ぱさぱさになりがちな鳥胸肉を、たった一分間でしっとりとさせる仕込みを放映した。なんと牛乳をもみ込むだけである。ちょっと信じがたい内容だが、実際にやったらこれがびっくり。好物である鳥胸肉のニンニクステーキを作ると、ジューシーだし柔らかいし、店で出してもおかしくない一品に仕上がった。
 あまりにうまくできたので、さらに工夫しつつ、昼食に三回続けてトライ。結果、ソースには醤油に砂糖と、すき焼き風にしたものが一番だった♪

フルサイズとROWデータ

 先日の“ヨルイチ”には<Nikon D600+SIGMA Art 24-105mm F4 DG OS HSM>の組み合わせでトライした。初めての被写体を狙うときはたいがいこれになる。
 さて、納得のいく画を作り上げる前提として、やはり光学ファインダーから得られるイメージと、フルサイズのROWデータは欠かせない。広くて明るいファインダーからは多くのヒントを見つけられるし、“撮って出し”で完結する諸氏は別として、ROW現像を行うとなれば、フルサイズの密で頑強なデータは必要不可欠。
 私はROW現像ならびにレタッチに、大昔からAdobeのPhotoshopを使っている。現在のバージョンはCS5なので、既に発売から十五年以上たつアプリだが、機能的には十二分だし、むしろ使い慣れている分、作業の効率は高い。ただ一点、搭載されるROW現像のプラグイン、Camera Rawのバージョンが6.0なので、D600のROWデータをダイレクトに現像することができない。そのため、一旦AdobeのDNG Converterを使ってROWからDNGファイルへと変換し、それを現像するという、やや手間のかかる工程を踏む必要がある。

 さて、ROW現像を行う手順は、一般的に露光量の調整から入ると思うが、私の場合、まずは“自動補正”をクリックする。Adobeが設定したアルゴリズムで得られる画像は、まあまあ使えるが40%、使う気になれないが40%、そして変化なしが20%といったところか。ただ、駄目と感じたらCtrl+Zで元に戻せばいいだけ。Photoshopも最新バージョンなら強力なAIが搭載されているので、もっとましな画像が期待できそうだが、とにかくワンクリックだから、“使える”が出てくればめっけものである。

 参考例を見てもらおう。元画像は白飛びを避けるため、露出をマイナス補正してあるのでかなり暗い。これを自動補正すると、Photoshopが出した回答は、露光量+1.8、明るさ+62、コントラストー24となった。灯篭の乗っている台や背景が浮き出るが、画としての面白さはどうだろう。次に手動で露光量のみを+2.9としてみた。灯篭の光は増幅したが、背景は暗いまま。しかしこちらの方が雰囲気が出て私は好きだ。ちなみにこの後、若干のトリミングや水平出し等々も行うことがあるので、やはりデータ量が大きく質の高いROW画像が必要なのだ。
 昨今のAPS-C画像は上質になったとはいえ、ROW現像という土俵上でフルサイズ画像とくらべれば、やはりデータ量の差で粗は隠せない。

ますます顔がこわくなってきた

 今回の散々な結果を目の前にして、果たして自公は目を覚ますだろうか。
 大昔から自民党は巨艦主義を貫いてきた。
「我々が乗っているのは戦艦大和なんだから沈むわけがない。ちんまい敵艦が回りでいくら騒いだって屁でもないぜ!」
 自分たちの立場は盤石。だったら“大先生”になった喜びを満喫しようじゃないかと、私腹を肥やすためなら悪事だろうが何だろうがやり放題。権力をふるい、金を動かし、それこそ長い間日本という国を私物化してきたのだ。こりゃ~たまったもんじゃない。
 物価高、少子化、伸び悩む賃金、停滞する経済、不穏な東アジアの安全保障環境等々、課題は山積みですよ。なのに具体的な対応策を示せないどころか、そもそもやる気が伝わってこない。これじゃ国民だって引いてしまう。しかも昨今、衆院では過半数を持てなくなり、予算成立のためならばと、その時だけは不自然な笑みを保ちつつ、野党が求める政策をすいっと受け入れるんだから呆れる。リーダー石破のポリシーと情熱はいったいどこへ行ったのか。それと状況が悪くなると、すぐ「責任を取る!」と簡単に口に出すが、あれはやめてほしい。責任を取るという真の意味を、ちゃんと誰かに教えてもらおう。
 古い考え方と慣習から抜けられない自公の先生たちへ言いたい。新たな時代の戦法による攻撃を受けたら、不沈艦のはずの戦艦大和があっけなく沈んでしまったじゃないですかと。