末期的症状

 九月三日(日)。YaHooニュースにも露出した、日本国内におけるハーレーダビッドソンファミリーの不協和音騒動。幾多のディーラーが耐えに耐えてきた販社(ハーレーダビッドソンジャパン・HDJ)への不満がついに限界を超え、爆発してしまったのだ。
 私自身、この業界に従事している一員なので、早かれ遅かれこのような結末になるのは、薄々だが予測していた。
 “末期的症状”。
 悲しいかな、この一節が現況を最も的確に表している。

 十数年前。国内二輪市場におけるハーレーダビッドソンの存在は、販売台数及び対顧客満足度において、他メーカーを圧倒し、光り輝くものだった。ところが近年、以前のような元気は感じられない。
 絵になる空冷エンジン、これぞビッグバイクと笑みが浮かぶ排気音、三拍子を打つアナログチックな鼓動感、サングラスとジーンズが映える車体デザイン等々、長年にわたり、挙げればきりがないほどの圧倒的魅力を放ち続けてきたハーレーダビッドソン。ところが世界的な環境問題が、その魅力の維持をストップさせようとしている。

 年々厳しくなるオートバイも含む自動車への規制。現行の国際基準はユーロ5であるが、これが数年後に施行されるユーロ6へと段階アップすれば、最もハーレーらしいと言われる大排気量空冷エンジン“ミルウォーキー8”の存続が危ぶまれるのではとの声が出ている。より厳しい排ガス規制、騒音規制等々への対策を考えた場合、空冷エンジンは極めて不利であり、難題と言わざるを得ない。エンジンパフォーマンスを落とせば何とかなるかもしれないが、そんな牙を抜かれたような商品を誰が買うかという現実が待っている。よって、本国ハーレーダビッドソン本社では、必死になって空冷エンジンから、対策の容易な水冷エンジンへの様変わりを急ピッチで進めている。
 ところが、<ハーレーは空冷だからこそハーレー>と断言するユーザーの声は根強く、百二十年の歴史を持つハーレーダビッドソンブランドではあるが、そのブランドをもってしても、水冷エンジンへの転換は容易ではないと、我々業界従事者は肌で感じている。
「排気音が今までと全然違う」
「三拍子が出ない」
「スタイルがハーレーらしくない」
「確かにパワフルだけど、今までのハーレーとは全く別物」
「これだったら他のメーカー製も選択肢に入る」
 等々の声が、多数の顧客から出ているのが現実なのだ。
 このような状況下でも、HDJとしては何としてでも業績を落としたくないので、ディーラーへ対して半強制的な出荷を押し進めている。下代で二百万円前後の車両が、ディーラー一店舗当たり平均で十台以上も詰め込まれてくれば、二千万円という大きな資金が眠ってしまい、中小企業にとっては即資金繰り問題へと繋がってしまう。
 出荷を少し待ってくれと頼んでみても、
「契約違反です。出荷拒否が続けば契約解除とします」
 新機種がそんな簡単に売れるわけがない、HDJは拡販等々の側面対策はやってくれないのかと提案すれば、
「これほどすばらしい商品が何で売れないのですか? 販売能力がないのでは?!」
 とにべもない返事。
 ビジネスパートナーシップのひとかけらも感じ取れない現況に、当分解決のめどは立ちそうにない。

夏の思い出・葛飾柴又

 十六年前は八月十一日(土)の話である。
 職場は旧盆休みに入り、二日後に出発する<黒部一人旅>の準備に勤しんでいた。着替えなどは適当に旅行バッグへ放り込めばいいが、撮影機材、特にレンズ選び、フィルター類や予備バッテリーの確認は、行った先で絶対に後悔しないよう、慎重に進める必要があった。
 ひと段落すると、おびただしく汗をかいていることに気がつく。機材を保管している二階の部屋にはエアコンがないのだ。冷たいもので一服つけようと居間へ降りていく。
「朝から汗かいた~~」
「夏バテしないよう、おいしいもの食べて精をつけなきゃ」
「そうくると、やっぱり鰻か」
 ここ数年の夏は異常に暑い云々の話をよく耳にするが、十六年前の東京を例に挙げると、八月一か月間の猛暑日(最高気温35℃以上)はそれでも五日あった。もっとも、このブログを書いている八月十日時点で、既に猛暑日は四日も発生しているので、年々夏が過熱してきているのは間違いなさそうだ。
「どうせ鰻を食べるんだったら、観光かねて柴又まで行ってみない」
 腕時計を見るとまだ十一時前。以前話に上がった、葛飾は柴又の老舗“川千屋”まで行ってみようということだ。川千屋は二百五十年の歴史を持つ川魚料理の専門店。一度くらいは味わってみたい。
 この日の最高気温は36.4℃と猛暑日。今なら外出と聞いただけで億劫になるが、やはり当時は夫婦共々若かったのだろう。意気揚々と三鷹駅へ向かった。


 柴又の駅を降りると、目に飛び込んでくるのがフーテンの寅像。厳しい炎天下の下、これじゃ寅さんもさぞかし暑かろう。
 それでも商店街は活気に満ち溢れていた。なるほど、これが下町ムードか。帝釈天へのお参りはさておき、まずはお目当ての川千屋の暖簾を潜った。物静かで清楚な印象を受ける店内は、凛とした空気を感じる。何と言っても冷房のかけ方が絶妙なのだ。これも老舗ならではか。店員が出くる僅かな間に、七十代と思しき老夫婦が入店してきた。それぞれ案内され、席に着く。
「さきに生ビールください」
 喉はもうカラカラである。待つことなくビールが運ばれてきたので、うな重・梅を二つ注文した。
 この柴又というところ。ちょっとした小旅行気分が味わえる。三鷹からだと一時間半弱ほどかかり、乗り換えも二度あるので、結構な距離感を覚える。そして町の印象は明らかに武蔵野市とは異なり、“異国情緒”に満ち溢れる。
「おまたせしました」
 すかさず重箱の蓋を開ける。目の前に現れた鰻、テリがよく何とも旨そうなこと。漬物をかじった後、さっそく箸を入れた。
 と、そのときだ。仲居さんが緊張の趣で近づいてくると、
「すみませんお客様。従業員の手違いで、梅ではなく松をお持ちしてしまったようです」
「そうなんだ。僕らは構いませんが…」
 恐らく、同時に入店した老夫婦の注文したものと取り違えたのだろう。
「お代は梅でやらせていただきますので」
「いいの?」
「もちろんです。すみませんでした」
 うな重・梅二千百円、これが松になると二千九百四十円である。因みに現在の川千屋のお値段を調べたら、梅四千円、松六千円なり。十六年の月日はやはりでかい。
「おいしかったねパパ!」
「ああ、最高だった」

 帝釈天参拝のあとは、これも計画していた甘味の老舗“高木屋老舗”へと向かう。
 店内へ足を踏み入れると、なるほど、フーテンの寅さんのワンシーンを思い出す。焼きだんご、草だんご、磯おとめがそれどれ一本乗った“お団子セット”をクリームソーダでいただく。シンプル且つ懐かしい昭和の味が炸裂した。そしてお土産用にと、忘れずに高木屋老舗名物の“草だんご”を買い求めた。
「賞味期限は本日いっぱいなので、お気をつけください」
 いやはや、今では珍しい添加物“0”の証ではないか。

『わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、 姓は車、名は寅次郎、人呼んで “フーテンの寅” と発します!』
な~んちゃってね。
いいところだ、柴又は。

夏の思い出・菅平高原

 夏が暑いのは当たり前だが、それにしても暑い。近所のスーパーへ買い物へ行くにも躊躇する熱波には困り果てる。
 こんな酷暑の続くある休日、ふと四年前の夏を思い出した。
 花の山“根子岳”を歩いてみようと、長野県の菅平高原へ旅した時のことだ。

 菅平高原の標高は1500m前後あるので、日陰などに入ると、さすがに涼しい。また、ラグビーの合宿地として著名なところから、いたるところにグランドがあり、そこではごっついラガーマンたちが男臭さを放っている。
 到着した日は登山口の下見と決めていたので、賑やかな目抜き通りを抜けて、更に上方の菅平牧場までPOLOを走らせた。
 かなりな坂道を上がってきただけに、駐車場へ到着し、車から降りると、爽やかな空気感に包まれる。
 周囲には多くの牛が放牧され、何とも牧歌的だ。
 牧場を分けて伸びる道で、牛にレンズを向けていると、いつの間にか、若い母親と小学生と思しき男の子が、脇をすり抜け、ダボス牧場方面へと歩き去って行くところだった。
 道の両側に密生している草むらも、強い日差しを浴び、色あせて見える。市街地と比べれば気温自体は低いのだろうが、直射日光の強さは肌に痛みを感じるほどで、拭っても拭っても汗は止まらず、車から降りて三十分もしないうちに喉はカラカラになった。

 登山口から十五分ほど上っていくと、左手に東屋のある展望台が見えた。ベンチに腰掛け、まだ冷たさの残るポカリスエットで一服。それにしても、菅平高原全体を俯瞰できる絶景は見事の一言だ。
 見えるわけはないのだが、そんな展望台から、ほとんど無意識のうちに、歩き去っていった親子の姿を探していた。