若い頃・デニーズ時代 75

麻美のおなかには既に小さな命が宿っていた。
最も気をつけなければならない時期は過ぎていたが、関西への引っ越しは間違いなく心身共々大きなストレスになるだろうし、当然、彼女は私以上に不安を抱えていたに違いない。
移動先は兵庫県西宮市に現在建設中の「西宮中前田店」。新店オープンは立川錦町店以来である。但、全く土地勘のないところでの作業は、想像以上にしんどいことになるだろう。唯一幸いなことは、夏の猛暑も過ぎ去り、朝夕には秋の気配が感じられる爽やかな季節が到来していたことだ。これだけで随分と気分は楽になる。

「マネージャーもこれから大忙しですね」

この日は17時からMD2名にSA1名と、3名のフロントスタッフが揃っていたので、マネージャー3人でミーティングを行っていた。

「それより2人に負担がかかっちゃうから、なんか申し訳ないね」
「いやいや、夏からバイトが安定しているから全然ですよ」

現状の仕事をやりつつも、次の店舗は遠方なので、いったん出張となれば、日帰りで戻ってくるわけにはいかない。結婚式から新婚旅行と、この二人には迷惑をかけっぱなしで頭が上がらなかった。
正直なところ、彼らの尽力あって沼津インター店の安定が保たれているのだ。

「ただ、東海大軍団が来春揃って4年生になるんで、卒論諸々でこれまでのようには入れないと思いますよ」
「特に亀田と仲井は結構微妙らしいね」

佐々木が渋い顔をしている。

「だったらDMに頼んで年明けあたりに募集広告を打ってもらおうか」
「お願いします。そのタイミングで2~3人採用できたら御の字ですね。それと彼らには大学の後輩をあたってもらってます」
「仕事のことが良く分かっているから、その線で採れればベストだな」
「そういえば、麻美ちゃん元気ですか」
「おかげさんでね」

この流れの中、仕事とは直接関係ないが、前から考えていたプランについて二人の意見を聞いてみようと思ったのだ。
つい1年前。千葉県の浦安に東京ディズニーランドなるものがオープンして、国民的大反響となっていた。
遊園地ではあるが、元来のそれとは異なる世界を堪能できるらしく、TVニュースの街頭インタビューなどでも、若い女の子達の行ってみたいところナンバーワンが続いていた。もちろん我沼津インター店のエンプロイでも、ディズニーランドの話題はちょくちょく出ていたが、私の知る限り、行ったことのある者はまだそれほど多くはない筈だった。

「話はかなりそれるけどさ、ディズニーランドって、行ってみたくない?」
「なんですかそれ」

佐々木が厳しい視線を投げかけてきた。

「うちのメンバーで行けば絶対楽しいと思うんだけど」
「それ、まじめに考えてます?」

そう問いながら水島の顔がにやついている。

「一度はレクレーションもいいかなって。みんなにその旨伝えて、希望者募って多かったら、それをふたつの班に分けるんだ。1班が行くときは2班のメンバー全員が必ずスケジュールに入るのが条件。2班が行くときはその逆だ」
「なるほど、それだったら行けるかも」

にやける水島とは正反対に、只々憮然としている佐々木が口を開いた。

「マネージャーと水島さんで計画練ってくださいよ。俺は遠慮しときます。遊園地は好きじゃないから」
「そう固いこと言わないでさ、あくまでもレクリエーションってことだよ」
「いいっていいって、ほんと、俺好きじゃないから」

早速皆へ伝えると、やはり若いスタッフの反応は良く、すぐに8名が名乗りを上げた。
その中に東海大軍団の渡辺がいたので、彼の愛車“86”を出してもらえば、少々狭いが、私の車に4名、86に4名乗って、2台で、しかも一度で済む。しかも渡辺の実家は世田谷なので東京周辺の地理には明るいから、はぐれることもなさそうだ。
東名高速からそのまま首都高へ入れば、ディズニーランドはもう目と鼻の先である。

今から思えば私も若かった。実はディズニーランド行、DMには内緒だったのだ。本来ならきちっと申請して、許可を貰うべきことだったが、不慮の事故等々に対する責任の在り方を考えれば、到底OKは出る筈もないことは分かっていた。しかし、何故か無性にこの店のスタッフ達を連れて行ってあげたいという、これまで感じ得たことのない気持の高まりが、行動への後押しとなっていたのだ。

「いや~~~凄かった」
「ほかにないね」
「一日じゃ回り切れないよ」
「なにからなにまで、感動☆」

聞きしに勝る遊園地だった。没入感をこれほど覚えるところは正直言って初めてである。
施設、アトラクション、どれを取ってもウォルト・ディズニーワールドを強烈にアピールしていて、逆にここまで徹底しくくると笑いがでてしまう。
アトラクションはどれも30分待ち以上。かなり疲れはしたが、満足度は大きかった。
お土産袋を抱え、待ち合わせの正面玄関に向かうと、既に皆集まっていた。

「こっちですよ~~~!」

満面笑顔がずらりと並んでいる。

「いや~~、お疲れさん。楽しかった?」
「もう最高でした」

黒田萌子と安井みのりは、お揃いで大きな耳が可愛いミニーマウスの帽子を被っている。

「もう、帰りたくな~~い」
「なに子供みたいなこと言ってのよ、陽子さんは」

これだけ楽しんでもらえれば、企画した甲斐があるってもの。
本当は最後のパレードまで見たかったが、安全を期して、これから遠い沼津まで皆を送り届けなければならないのだ。それに麻美には無理をさせられない。

「マネージャー、すっごくいい思い出になりました。ありがとうございます」
「そりゃよかった」
「次は彼氏ときます!なんちゃってー☆」

素晴らしい仲間たちに囲まれ、素晴らしい実績を残した。
デニーズマン冥利に尽きるとはこのことか。
結婚を筆頭に、さまざまな感慨と思い出をたっぷりといただいた沼津。子供時代の生活も含めて、既に気持ちの中では第二の故郷と呼ぶにふさわしいところになっていた。

「ところでさ、うちらの車、どこよ??」
「全然わかんね~」

ここまで凄まじく車が入ってくるとは予想だにしなかった。
見渡せば広大な駐車場が満杯である。こうなると分かっていれば、列表示をメモしておけばよかった。
さらに探し当てても、出車ラッシュで出口へは長い車の列ができていた。

若い頃・デニーズ時代 74・結婚

年を越した月末に結納を交わし、挙式も正式に5月と決まった。会場は日本武道館の隣になる九段会館である。
麻美は元々東京の出身で、親せきは全て東京方面在住だったので、当初から双方の招待客の利便性を考えて場所は東京と決めていた。仲人は私の叔父に、そして木代側の主賓は小寺さんにお願いした。
ただでさえ少ないのに、休日は披露宴の打ち合わせや新婚旅行の段取り等々で慌ただしく消えていき、挙式まではそれこそあっという間だった。

当日は忙しい中、坂下さん以下東海地区UM全員、そして田無店以来の友人となった堀之内さんにもご足労いただき、小ぢんまりではあったが、心に残る式を挙げられたと思っている。
新婚旅行の出発は、日程の調整が取れなかった為に挙式の10日後とした。行先は南国グァムのPIC(パシフィックアイランドクラブ)。人生初となる海外旅行である。この旅行に当たっては、某海外航空会社の日本支社長を務める麻美の叔父さんが全面的に引き受けてくれた。

「少しでも安く行ける方法ってありますか」
「それならビザを自分たちで取りに行ったらどお。ちょっとだけど手数料をカットできるからね」
「それいいっすね。どこで取るんですか」
「アメリカ大使館だよ」

こんな事がなければ、アメリカ大使館へ行くことなどない。経費が掛からない云々より、この目でアメリカ大使館をじっくり観察できることの方がよほど価値がある。
てなことで麻美と二人、行ってきた。

敷地内へ入ると、そこは紛れもないアメリカだった。
匂う、匂うのだ、これまで嗅いだことのない匂いが。外国へは一度も行ったことがないのに、この匂いが外国を連想させるのだ。本当に不思議な気分である。
事務所の入り口に立っているごッつい警備員は黒人、その先に見えるカウンターの奥には金髪の女性事務員、考えれば当たり前な光景なのに、恰も映画を見ているような気分に陥てしまう。
バックから書類を取り出し、受付の列に並んだ。

「ねえ、この匂い、アメリカの匂いかな」

麻美も感じていたようだ。

「かもね」

成田空港から快晴の大空へ向かって、コンチネンタル航空のジェット旅客機が力強く上昇していく。
実は飛行機に乗るのも初めてなので、これには興奮。機体が宙に浮かんだ時などは、思わず“おーっ”と声が出てしまった。
暫くするとスチュワーデスが爽やかな笑顔を発散しながら飲み物満載のワゴンを押してきた。機内サービスだ。
エキゾチック溢れる美人揃いで何とも嬉しくなる。東南アジア系のやや褐色の肌はやはり魅力的。この後暫くしてコンチネンタル航空名物の、スチュワーデス全員による機内ファッションショーが行われた。さすがに民族衣装が良く似合い、先ほどまでの彼女達とは別人のように見えてしまう。
知らぬうちに目尻が下がっていたらしい。ふと横を向いた時、そこには麻美の呆れ顔が。

飛行機はグァム直行ではなくサイパン経由だったので、初めての着陸はここサイパン国際空港になった。
着陸も離陸同様に緊迫した。荒っぽいパイロットなのか、高度の下げ方にむらがあり、スムーズに降下していたと思ったらいきなりドスンと落ちたりして、もう冷や汗ものだ。
着陸後、落ち着いて周囲を見回すと、ちょっとびっくり。戦時中のゼロ戦基地と見紛うばかりの空港である。成田と比べちゃいけないが、小屋とヤシの木しかないのは、凄いとしか言いようがない。

サイパンからグァムまではすぐだった。
だいぶ飛行機にも慣れてきたので、着陸の際は窓際の席へ移ってその瞬間まで窓にかぶりつく。
青い海が徐々に間近になっていく様に感動!
サイパンのそれより近代的なグァム国際空港は、南国リゾートの玄関口をイメージさせると同時に、米軍のヘリや航空機も何機か見られ、ここが極東の前線基地にもなっていることが分かる。
タラップを降りると現地スタッフだろうか、若い女性からレイのサービスがあり、やや照れた。

「Welcome to Guam!」

遂に来た、外国へ。
圧倒的な南国の空気感は一瞬にして旅人を酔わせる。空港のロビーへ移ると甘い花の香りが漂い、ここはリゾート地なのだよとアピールしているかのようだ。
ツアー客が全員が集まると、恐ろしいほど冷房を利かせたワゴン車に乗り込みPICへと向かった。
空港は丘の上。ゲートを出ると暫く坂道を下っていった。
質素そのものの街並みが続く。どこも商店は飾り気がなく、歩いている人も殆ど見かけない。そのうちビーチが見えてきたが、日本のそれとはだいぶ異なる輝きと落ち着きがある。
いくつかの大きなホテルを過ぎ、右折してもう一段坂を下るとPICの看板が見えてきた。ここの最大の特徴は全ての部屋がコテージであること。そして目の前には贅沢なプライベートビーチが広がる。
広大な敷地内には様々な遊びが用意され、日がな一日、PICの中だけでリゾートを満喫することができるのだ。
但、今回の旅行では行きたいところがあった。それはグァムのデニーズ。ラッキーなことにPICからだと歩いて行ける距離だったので、ディスカバリーグァムも含め、初日は街を歩きに歩き回った。

お馴染みの看板はすぐに見つかった。
店内へ入ると、テーブルレイアウトもユニフォームも日本とはまるで違ったが、MDの笑顔は同じだったので安心した。

「大きい!」

日本のそれと比べ、ハンバーガーは1.5倍、フレンチフライやコーラは2倍あるだろう。しかしさすがにハンバーガーの本拠地だ、肉肉しいパティーの美味さが際立っていた。やはりパティーはある程度大きい方が、焼きあがってもジューシーさが残ってGooなのだ。

「FFもボリュームがあっていいけど、とにかくこのケチャップが美味しい」
「甘くていかにもアメリカのケチャップって感じだね」

ふと反対側の窓際に座る白人の年配夫婦へ目をやると、テーブルに置かれた恐らくアイスティーだろうが、そのグラスの大きさにびっくり。

「あれ、Lサイズかな?」
「Mにして良かった~」

高さが30cmに迫ろうとするほどのビッグサイズだ。もっとびっくりしたのが、ご両人、それを普通にお替りしているのだ。こっちのデニーズはコーヒーだけではなくソフトドリンクのお替りもできるようだ。

「これ食べてあれ飲んでりゃ、体でかくなるよな」

二人とも目的を達せられニンマリ。

お土産もたんまり買い込んで、4泊5日の新婚旅行は無事ラストへと駒を進めた。
最終日は空港に早朝4時集合だったので、実際の日程は正味4日、あっという間とはこのことだ。もう帰るのかと思うとやたらと名残惜しかったが、同時に現実を思い出して気が重くなってきた。
実を言うと、内々に異動があることを聞かされていたのだ。正式な通達は後日だろうが、ほぼ決まりだと坂下さんが言っていた。
その移動先が、懸念していた関西。私にとってここグァムとさほど変わらない、遥か遠い異文化圏なのだ。

若い頃・デニーズ時代 73

相変わらず外食大手の伸びは好調だった。
我がデニーズは、千葉、埼玉で確実なドミナント化を進め、そこから北へと伸ばした北関東進出も順調に推移していた。一方、東海地区では新店オープンこそなかったものの、既存店の売上推移は概ね好調で、1クウォーターだが、5店舗全店が前年を上回るという快挙を叩き出し、坂下DM以下、UM5名の鼻息は荒かった。
そんな中、我々IYグループの者達にとって禁断の地区とも言える“関西”への進出がついに決定した。
国内に於ける2大流通グループと言えば、東のイトーヨーカ堂、西のダイエーと呼ばれ、それぞれ強大な勢力を保っていた。その西のダイエーのお膝元、大阪府の堺市にイトーヨーカ堂のビッグストアをオープンするというもの。それに乗じて、傘下のコンビニエンスストア“セブンイレブン”とデニーズを同時に多店舗展開することになったのだ。

「計画だと大阪に4店、兵庫へ1店かな。関西事務所は既に江坂にできてるらしいよ」
「坂下さんは行かないんですか」
「俺は行かないよ、呼ばれてもないしな」

勢いがあるのはいいことだが、これから一体どこまで広げるつもりだろう。いくらナショナル社員と言っても、東京エリアから突如大阪へ行けと言われたら、簡単に「はい、そうですか」とはいかないと思う。
関東から関西へ居住地を移すとなると、言葉を始めとして、文化や風習の違いがもたらす様々な壁を覚悟しなければならないし、特に所帯持ちだったら自分自身だけの問題ではなくなる。
真面目なところ、結婚したら転居のないエリア社員への移行も一度真剣に考える必要があるかもしれない。
この問題は離職率が一向に良くならない一つの要因として、もっとクローズアップすべきだ。
出世第一と選んだナショナル社員だって、私も含めてその殆どが独身である。年齢的にも近々に所帯を持つ者は多い筈だ。そうなれば、これまであまり気にすることもなかった住居を伴う異動が、必ずや大きく圧し掛かってくるだろう。
特にこの先5~6年を考えると、正直なところ慎重にならざるを得ない。
先ず既存店の社員達が揃って年頃となり、結婚を果たして子供も授かる。そんなタイミングで手のかかる乳飲み子と若い妻を残して単身赴任を命じられたら、前述の如く悩むことになる。しかし会社の進撃は衰えない。年間40~50店レベルの店舗展開は、最低これから数年続くのでは。
家族の行く先を考え、意を決した社員は退職するか、若しくはエリア社員へと登録変更をして、出世のない代わりに安定した生活を得る。果たしてそんな判断をする者は決して少なくなく、足りない新店要員は短期間で育てた新卒と、中間社員の大量採用で補う。
ところがこの繰り返しには落とし穴がある。既存店を任されたエリア社員の人生設計だ。
前述の如く、会社はまだまだ元気があるが、これは新店オープンがあってこそ。既存店だけをクローズアップすれば、好調とは言い難いのが現状だ。
沼津店がいい例である。リニューアルと聞けば前向きな投資のように聞こえるが、実は不採算店の救済手段に他ならない。もちろん高売上店対象のリニューアルもあるにはあるが、その殆どは救済手段である。
ところが800万円から1,500万円ほどの投資をして、どれほどの費用対効果があるかと言えば非常に疑問。沼津店はリニューアル効果ナンバーワンと表彰もされたが、これだけ伸びたところは数える程しかなく、しかも対前年比は年を追うごとに下降傾向になっているのが現況だ。
その代替え策か、この頃の全店店長会議では「スクラップアンドビルド」と言う言葉がよく使われるようになった。
不採算店への救済は行わず、思い切って閉店とし、浮いた人的資源は新店開発関連へ回すというものだ。
噂によれば、競合社である“すかいらーくグループ”ではこれを強力に進めているという。
燻る既存店へ回されたエリア社員は、店舗の実績で左右する昇給やボーナス査定でかなり不利な立場となってしまうのは言うまでもない。いかに安定した生活を望みたいと言っても、子供の成長に係る少なからずの養育費、教育費は現実の壁となって迫ってくる。
店内外のクリーンリネス、従業員教育、ディッシュアップ品質等々を徹底的に向上させ、店パワーを上げて売り上げを伸ばす!
一度はこのような正攻法も考えるだろう。ところがこれは本当に難しいことであり、並大抵の意思では到底貫徹できないもの。しかもその理想的な店を仮に作り上げたとしても、それが売上に繋がる保証はどこにもない。まして不採算店だったなら、恐らく99%は不可能と思われる。
待っているのは落胆、妥協、マンネリ、そして逃避だ。
そしてこれに“新店の伸び鈍化”が加わったら、この業界は一体どうなるのだろうと暗澹たる気分に陥てしまう。

会議の後はいつも通り、卓を囲んでいた。

「IYの開発が言ってたけど、あっちは色々と気を遣うらしいよ」
「どんなことです?」
「こっちじゃあまり聞かない、同和問題とかね」
「言葉だけは聞いたことあるけど、詳しい内容は全く分からないな」
「IYの中じゃ勉強会もやってるようだ」

地域の方々と共に運営し、地域の方々に利用して喜んでもらうレストラン運営は、ある程度当該地域の特性を理解していないと、様々な問題が発生する可能性もあるのだ。

「遠州灘はいいですよね~、ほんと平和だし」
「ここは天国天国」
「あっ、それポンね」
「あれ、DM、捨て牌それでいいんですか?」
「えっ、うそだろ」
「はいっ、ロ~~~ン。めんたんぴんどらどらの親満~~~~!!」