大菩薩峠・絶景紅葉

 期待を上回る大パノラマに目が釘付け。これが今回の山行の印象だ。
「次は大菩薩に行きたいですね」と、山友のHさんよりリクエストが出ていたこともあり、秋口に入ってから何気に天候等々の情報に注目していた。十一月十日(木)に予定が決まると、紅葉のベストタイミングということもあり、期待感はいつも以上に上昇していった。
 大菩薩嶺はあの深田久弥が選定した“日本百名山”の一つである。過去に二度歩いたことがあるが、美しい唐松の森、変化にとんだ山道、眺望のきく開放感抜群の尾根道等々、山歩きに求められる要素がうまい具合にちりばめられ、なるほど百名山の名に相応しい。

 六時に三鷹駅北口でHさんと待ち合わせると、中央道で一路勝沼ICを目指した。フルーツラインを走り、途中セブンで買い物を済ませると、大菩薩ラインから登山口の標識があるT字路を右へ入る。森はまさに紅葉の真っ盛りで、木々の間から漏れる朝の陽光も力強く、天候の崩れはまずなさそうだ。
 ロッジ長兵衛真向いの駐車場は満車だったが、左道路沿いの駐車場には十分な空きがあった。紅葉狩りにはこの上ない条件がそろっているのに、ちょっと不思議な気はしたが、これなら静かな山歩きができるだろうと、準備の上、さっそく出発。

 歩き始めて間もなくすると“福ちゃん荘”が見えてきた。施設の前にはベンチが並んでいたので、ちょっと拝借し一枚上着を脱いだ。意外や気温が高く、ここから先の急坂を考えれば、大汗は避けられない。
「ほら、富士山」
 唐松尾根を中盤あたりまで上がってくると、松林の向こう側にくっきりと富士山の姿
が現れた。

「ほんと。きれいですね」
「このまま雲がかからなきゃ、上に行って絶景が見られそうだ」
 とかく富士山の周囲ってのは気象状況が変わりやすい。ほんのさっきまできれいに見えていたのに、ふと気が付いたら雲に覆われてしまったなんてことはよくあること。
 坂は徐々に岩が多くなり、それに伴い傾斜がきつくなる。階段の踊り場のようなところでちょっと一息つくと、
「すごい!めちゃきれい」
 Hさんが背後に広がる景色に見入っているではないか。
「ほんとだ、こりゃ凄いや」
 大菩薩湖を囲む山の斜面が赤や黄色の紅葉色に彩られ、それが見事なほどに広がっている。おまけに富士山の手前に連なる山々にはきれいにガスがかかり、幻想的な美しさを醸し出している。昨年の笠取山頂上からの眺めも息をのんだが、今、目の前に広がる景色は正直別格。感性を圧倒する美のレベルが、人の目と心を釘付けにしてしまうのだ。
「今日は最高ですね」
「めったにお目にかかれない眺めだよ」

 雷岩が見え始めると、風が強くなってきた。しかもとても冷たい。いったん森の中へ入って、一度脱いだ上着を再び着込む。その後は今回コースのハイライトである、尾根歩きが始まった。右には富士山をはじめ南アルプスから北アルプスまで。そして左に目をやれば奥多摩山系と、きょろきょろしっぱなしである。
「この風がなきゃ言うことないんだけどな」
「それは贅沢です」
 あまりの絶景が続くので、立ち止まってはシャッターが延々と続いた。
 そうしているうちにも賽の河原を通過し、大菩薩峠へ到着。ここに建つ介山荘にはおあつらえ向きのベンチが並んでいるので一服することにした。ざっと見渡すと十名弱のハイカーが休息をとっている。
「すいません、これ、撮ってくれますか」
 小柄な年配男性が満面の笑みを伴ってスマホを差し出してきた。

「はい、いいですよ」
 聞けば山にはよく行くそうで、百名山はとうに制覇しているとのこと。しかも最近になってもう一度制覇しなおそうと奮起し、この大菩薩嶺が二座目になるという。どう見ても七十代には入ってそうに見えるが、いやいやあやかりたいパワーである。山を歩いていると元気な諸先輩方にたびたび会うが、単に体力の維持だけでなく、膝や腰などの故障に対してもそれなりの対策を施しているのだろう。私もまだ何とか体力は維持しているが、最近では両膝の痛みや右股関節の渋さがどうにもすっきりしない。一年ほど前に武蔵境の形成外科で診てもらったことがあるが、特段の異常はなく、やはり加齢による避けられない症状の一つではないかということだった。
「そろそろ行こうか」
「はい」

 大概のハイカーはここから歩きやすい林道を下って上日川峠へ戻るが、それではあまりにあっけないし、面白みもないので、我々は石丸峠経由を選択。それまでとは様相の異なる苔の山へと入っていった。
 倒木が多く、且つあまり陽光が届かないためか、森は鬱蒼とし、いたるところに苔がむしている。
「今までと感じが違いますね。歩いていても体が温まらない」
 そこそこの登りが続いているのに、冷たく凛とした空気に包まれているせいか、Hさんの言う通り、体が温まらないし、汗もかかない。黙々と登っていくと、いつしか前方が明るくなった来た。苔の森を脱し、熊笹が覆う広い草原に出たのだ。燦燦と降り注ぐ陽光ですぐに首回りが暖かくなってきた。そして再び大きく眺望が開け、正面の小金沢山から右へ大菩薩湖、そして真打富士山の再登場。林道を使って下山したら見ることのできなかった眺めである。
「おなかすきましたね」
「だね、十二時過ぎてる」
 広々とした草原の道から一気に急斜面を下り、唐松の森に入る。それまでとは異なるこの穏やかな雰囲気は、登山もそろそろ終盤に至ったあかしだ。
「ほら、ベンチがある。あそこでランチにしようよ」
 それにしてもいいあんばいのところにベンチがあったものだ。

 そう、今回のHさんは気合が入っていた。ザックから取り出したメスティンの中には、野菜がぎっしりと詰められていて、別容器で肉も持参している。これに出汁を入れて鍋にするとのこと。Hさん、さすがに主婦だけあって手つきがいい。ストーブの周りにアルミの風よけを立て、一気に過熱していく。そうこうしているうちにいい匂いが漂い始めた。
「このくらいでいいかな」
 火を止め、シェラカップに熱々をよそると、
「はいどうぞ」
「おお、いただきます」
 いやはや、山歩きでこんな美味しいランチにありつけるとは思いもよらなかった。いつもはおにぎりとカップ麺がせいぜいなので、今回は特別感ありありだ。
 最高の天気に恵まれ、写真もたくさん撮ることができ、おまけにおいしいランチで満腹と、今年一番の登山になったことは言うまでもない。これから山は一気に冬へと入っていくが、そんな時こそ来春の山行計画の練り時であり、願わくは楽しく健康的な一年にしていけたらと思っている。


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