自転車通勤を初めて早十六年。よくもここまで持続できたと自画自賛である。職場まで往復16km、週三回使ったとしても、それだけで35,000km。そのほか休日の生活圏内の移動には殆ど自転車を利用しているので、おそらく累積走行距離は50,000kmを軽く超えていると思われる。そして健康維持に大切な毎日の適度な運動の柱となっていることは間違いなく、長雨などで四~五日乗れない日が続くと、刺激を求める大腿筋の訴えが聞こえてくるようだ。出勤時に雨が降ていなければ自転車を使い、雨だったら車またはバスを利用するのが基本パターン。よって帰宅時の天候を考慮して、バックパックの中にはいつもカッパ上下、ヘルメットカバー、ブーツカバーを潜ませてある。
ただ……
そこまで準備しているにもかかわらず、ここ最近、出勤前に天気予報を確認したとき、帰宅時間に雨の予報が出ていると、「車で行くかな~」とか「たまにはバスもいいか」等々、ぽろっと弱音が漏れるようになった。情けないと思いつつも、ずぶ濡れになりながらもくもくと自転車を漕ぐ己を想像すると、気持ちが萎えてくるのだ。体力は衰えてない、と思う。山歩きの頻度も上がってきているし、日常生活での疲労も殆ど感じることはない。だったらこの腑抜けな有り様は一体何を起因としているのか……
さて、ここ半年、職場生活での倦怠感が急速に高まっている。一応仕事は七十歳で打ち止めにしようと考えているので、あと二年通えば済むことだと、ことあるごとに自分に言い聞かせている。六十五歳から嘱託社員となり、役職や大きな責任から解放された身軽な立場になったので、もう少し気楽にやればいいとは思うが、会社運営の行き詰まり感がやたらと目につき、イライラが絶えなくなっているのだ。
入社からの数年は、社長の独自性と積極性が光り、会社を成長へと育んだ。これが一期だ。二期の始まりはハーレーダビッドソンジャパン(HDJ)との関係がスタートし、“寄らば大樹の陰”的な方針に転換したこと。HDJのイエスマンに徹し、少々厳しい施策にでも有無なく乗ってきた。当時のHDJ社長のO氏は業界人だったら誰もが知る策士。彼にさえ従っていれば会社は安泰という固定概念ができたほどで、思い起こせば妄信と称して憚らない傾倒ぶりだった。言わばO氏との蜜月の時代である。ところが何も考えずにただ従っていれば業績が伸びる時代が長く続いたため、自社の独自性は完璧なまでに消え去っていた。そして現在が三期目。
ハーレーのビジネスは続いているが、O氏が退任してからのHDJは急速な弱体化が進み、昨今では烏合の衆とまで言われるようになった。頼れるものが無くなっても会社としては成長しなければならない。しかし長い間考えなくてもいいという温湯に浸かってきたことで、独自のアイデアを生み出す力はかけらもなくなり、おまけに後期高齢者となった社長に起死回生を図る気迫は望めない。よって日々はパッチワークの連なりであり、まさに綱渡り。
おそらく日々感じるイライラは、この状況を憂いするところから発しているように思えるし、また、就労への意欲低下へも繋がっているようだ。
そんな中、度々某役員が経営の教科書から抜粋したような、机上の策法で会社を活性化しようと試みているが、残念ながら組織運営の根本からの逸脱感は免れず、恐らくだが、徒労に終わることとなるだろう。
六月六日(月)。久しぶりに辰巳埠頭へトラックを走らせた。新島から送られてきたバイクの引き上げだ。
店から40km弱程の距離があるが、首都高さえ空いていれば一時間もかからない。ただ、この日は朝からあいにくの土砂降りだった。埠頭へ到着して海を見渡せばガスが立ち込め、寒々しい景色が広がっていた。沖では埋め立て工事なようなものも始まっていて、印象は大分変わっていたが、新島物産の親衛丸はいつもどおりの姿を見せてくれ、物資を満載し、大海原を突き進む様を想像すれば、やはりワクワクとしてくるのだ。