若い頃・デニーズ時代 40

デイタイムのドロアーを上げようとレジ前へ来ると、今田DMの車がちょうど入ってきたところだった。
彼は東京エリア全てを見ているので、来店頻度はかなり低い。
それにしても何用だろう?
スケBは先日行ったばかりだし、他に特段問題はないはずだ。

< スケBとは☆ >
スケジュールBの略で、定期的にDMが行う店舗総合インスペクションのこと。
店舗全体のクリーンリネス、ポーションコントロール、グリーティング並びに接客マニュアル等々と、半日以上かけて大凡すべてのオペレーションをチェックするもので、基本的なUMの評価はこのスケBの点数と売上達成率で決まってしまう。
そしてスケBの厳しいところは抜き打ちであること。
実施日はある程度予測できるが、DMのスケジュール如何で急遽変わることが屡々である。いつもきれいにマニュアル遵守していればOKだが、完璧を期すとなると現実的には難しい。
スケBが終了すると、すぐにDMから詳しい説明が行われるが、及第点に達していない項目があれば厳しい指摘を受け、改善計画書を提出の上、再検査となる。

「おはよう。ちょっと話がある」
「おはようございます。それじゃ4番で」
「うん」

石田早紀にコーヒーふたつを頼んで、席に着いた。
長いデニーズ生活で感を養ったか、石田早紀がしきりにこちらの様子を窺っている。何かあると感じているのだろうか。DMの表情を見ると、機嫌が悪いという感じではない。

「東京の第2弾が発表されたんだよ。いわゆる八王子の次ね」
「へ~、どこですか?」
「立川」
「立川店があるじゃないですか」
「南口だよ」

最近の発展した立川からは想像もできないが、一昔前の南口は古い飲み屋が軒を並べる、やや暗い雰囲気のする街並みだった。それが頭にあるせいか、新店が立川の南口にと聞けば、余り印象は良くない。

「日野ロータリーって知ってるか?」
「いいえ」
「日野橋の交差点だよ」
「あの五差路ですか?」

日野ロータリーという呼び方はかなり古い。甲州街道、奥多摩街道、新奥多摩街道、そして立川繁華街へと繋がる道が重なる交差点で、昔も今も終日交通量が多く、渋滞のメッカとして知られている。
確か立川店時代に添田UMが、<渋滞の激しいところは立地的に良くない。>と言っていたのを思い出したが、果たして勝算はあるのか。
尤もプロ集団である店舗開発部が吟味した物件だろうから、心配ご無用ってところか。

「そう。それでね、君にやってもらおうと思うんだ」

一瞬思考が止まった。
天下の新店オープンを、UM経験たったの4カ月の私にやれってこと?!
それとも、、、

「ヘルプですか、新人教育、それとも面接??」
「何言ってんだよ、お前がUMやるんだよ。もう決まったことだからな」

突如のしかかってきた重い空気に押しつぶされそうだ。
しかし組織人にとってこれは光栄なことだし、水準以上のオペレーション能力ありと認められたことになる。しかし店舗を「0」から立ち上げるとなると絶対に容易ではない筈だ。

「私、やれますかね」
「やれますかじゃなくてやるんだよ」

おめでとう! 期待してるよ! 選ばれたね、頑張って!
なんてフレーズが今田DMから出てくる筈もないが、なんとなく引っかかる言い方である。

「店名は“立川錦町店”で、年商は3億位に設定しようかと思ってる」
「さ、3億ですか、、、いきますかね」
「ばか、売るんだよ!」

この話を聞かされた時点で、既に店舗の建設はある程度まで進行しているという。タイプは145型で浦和太田窪店や立川店と同じである。営業時間はオーソドックスな7時~23時でスタートするとのことだった。
新店オープンまでの流れは、綿密なスケジューリングが組まれていて、UMの仕事は進行状況の確認がメインになるらしい。
アルバイトの採用広告は店舗建設に先んじて出されていて、店舗受け渡しと同時にトレーニングが始まるという。

「スケジュール表は熟読するように」
「ました」

分厚い関連書類だけが残った4番テーブルで暫し呆然。
嬉しさと不安が混在する微妙な気分に陥り、ため息が出てきた。それにしてもなぜ新米UMに新店オープンという重責が回ってくるのだろう。既存店を見渡せば優秀なベテランUMはいくらでもいる。案外、能力を認められたというより、顎で使い易いタイプだから選ばれたのかもしれない。
考えれば考えるほど混乱して頭が重くなるが、同期で最初にUMになったのも、そして最初に新店を任されたのも自分と思えば、してやったり感だけは大きい。

「ちょっぴりだけど、聞いちゃいました」

石田早紀がすぐ背後にいるのに気が付かなかった。
それほどぼーっとしていたのだ。

「凄いですね、おめでとうございます」
「からかうなよ」
「でも店長がいなくなるのは寂しいかな、、、」

彼女に聞かれたってことは、数日でほぼスタッフ全員に広まるってことだ。

「辞令は週明けらしいから、それまでは余りペラペラ喋るなよな」
「はいはい」

そしてこの日から三日後。人事部の本田さんから電話があって、東久留米店の後任UMには、現UMITの君澤を昇格就任するのだと聞かされた。
明るいニュースに沸き立つ東久留米店では、早々に君澤体制へとシフトさせ、それが功を奏したか、店全体が新たな活気に溢れ始めたのだ。
しかしそんな中、未だに気持ちの切り替えができていない優柔不断な自分だけが、日に日に大きくなる焦燥感に頭を抱えるのだった。


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