深大寺そば

3月15日。まだ桜開花前だというのに、汗ばむほど気温が上昇するのは、これも温暖化の影響なのか。
午前9時に出かけたリチャードの散歩に、ワークシャツ1枚のいでたちはどうにも季節感から外れている。
但、初夏を思わせる柔らかな空気感は、文句なしに気持ちがいいものだ。

「ねえ、深大寺行かない?」
「どうして」
「リーちゃんと一緒におそば食べられるよ」

深大寺と言えばやはり“そば”である。自宅から近く、ちょっとした観光も楽しめるファインスポットなのに、実は一度も訪れたことがない。

「お店いっぱいあるけど、玉乃屋ってところはワンちゃんOKみたい」

調べれば20店近くもそば屋が密集していた。

「今日は暖かいからいいかも」

さっそく“玉乃屋”をGoogleマップへ入力。これで初めての場所でも確実に誘導してくれるのだから、ほんと、世の中便利になったものだ。
後部座席へ乗り込んだリチャードは、両前足をアームレストにのせて辺りをきょろきょろしている。しかしこの姿勢は不安定。ブレーキ時はなんとか踏ん張って持ちこたえているが、交差点での右左折では、遠心力に負けてよろけてしまう。しかし何度よろけても、すぐに元のポジションに戻るところは、かなりのお気に入りなのだ。
普段は滞ることの多い武蔵境通りも、今日はやたらとスムース。前方には既に“深大寺入口”の信号が見えてきた。

「あの信号を左折したらすぐだと思うよ」

Googleマップからの情報は唐突に出ることもあるので、やや車速を落として身構えした。
進むにつれ緑が徐々に濃くなっていき、それまでの景観とは趣がまるで違ってきた。

「ん? 次の道がないぜ」
「もっと先かも」
「三鷹通りに出ちゃうよ」

しょうがないので三鷹通りまで行ってみると、今度は左折の指示が出た。ハンドルを切ると、すかさずもう一度“左折”と指示が出た。

「結構細い道だけど入ってみよう」

車1台分ほどの細い道を進んで行くと、間もなく店らしきものが見えてきた。
近づくにつれ、そこがそば屋でしかも“玉乃屋”だということが判明。しかし駐車場が見当たらないので、車から降りて傍にいた女性スタッフに訊いてみると、

「駐車場はないので、そこに停めてください」

なるほど。ここは一応公道上だが車の往来がなく、このまま停めておいても支障はなさそうだ。
七分以上は埋まっている店内の客の殆どは、バス停から徒歩で来たのだ。見れば玉乃屋の真ん前が、植物公園の入り口になっている。
リチャードがいるので屋外の席に着くと、日差しが降りてきてとても暖かい。

おろしそばととろろそばを注文すると、それほど時間もかからずに運ばれてきた。

「おいしい」

女房の一声だ。
つゆはやや辛めだが、腰の強い手打ちそばにはこれくらいの方がマッチする。遥か昔、爺さん婆さんが生きている頃に、大家族皆で食べた、太くて荒く切ったそばを思い出した。つるッと入る喉越し満点のそばもいいが、ここのような噛んで味わうそばもまた味わい深いものだ。
リチャードはそばに興味がないようで、女房からおやつをもらっておとなしくしている。
それにしても、緑に包まれながらの昼食は、思いのほか癖になりそうだ。


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