若い頃・デニーズ時代 15

「おはようございます!」

凄い。平日の午後2時なのに駐車場は殆ど満杯だし、フロントは来店客のひといきれが凄まじい。これがオープンラッシュなのか。
小金井北店では見たことのない光景に、“始まった”ことを実感する。

「木代さん、村尾さんブレーク入れるんで交代してくれる」
「ました!」

ランチピークはさぞかし凄まじかったのだろう、ウェイトレスステーションにもキッチンにも激戦の跡が伺える。ディッシュアップカウンターに目をやれば、まだチェックが5枚も立っており、西條さんと村尾はラインに張り付いたままだ。早番の応援スタッフは既に上がってしまったのか?!
一方シンクでは小田さんが2コン目の米をといでいる。
早く準備をしなければ。

「おはよう」

先を越されたか。同じ遅番の下地が既に着替えを済まし、エンプロイテーブルで上がったばかりのKH西さんと何やら話している。西さんはいつもほっぺが赤い健康的な主婦で、高校生と中学生の息子さんがいるとのこと。

「西さん、ランチはどうでした?」
「もう大変。わけのわからぬまま終わっちゃったみたい」
「そりゃご苦労さんです」

西さんには当面の間、仕込み、つまりプリパレを主体にやってもらうことになっている。昨日の開店前準備の段階で、トスサラダやコールスローそして米とぎまで、ひととおりの作業は経験していた。本人もあとはスピードアップだとやる気を見せ、我がキッチンの紅一点はやたらと逞しいのだ。

「村尾、バトンタッチ!」
「よろしく」

今日のBランチはビーフストロガノフとカニコロだ。どうりでフライヤーやホットテーブル回りが酷く汚れている。ランチ終了まであと一時間あるが、ストロガノフもこれだけあれば大丈夫だろう。カニコロの補充もバッチリだ。Aランチのミートソースもこれだけあれば問題ない。

「スリーBラン、アップ!」
「OK、それじゃ回りから片付けていこう」
「ました」

平日でもこのレベルであれば、明日、明後日の週末は間違いなく凄いことになる。ランチがない分、注文は多岐に渡り、プリパレの総量を予測するのは難しそうだ。今夜の分も西條さんから指示を仰がなければ。
ディッシュアップが全て完了すると、MDの動きから察してフロントは一段落したようだ。
さあ、ディナーへの準備を加速せねば。

「フライヤー、やっちゃいましょうか」
「そうだね、今のうちだね」

全自動フライヤー3機は油の劣化順に入替を行なう。魚介類のフライは油に匂いがつきやすいので、限界まで使ったら廃油して、それまでフレンチフライ専用に使っていた油を注ぎ入れる。熱せられた油を扱うこの作業にも細心の注意が必要だ。実は同期入社で調布店に配属された者が、廃油缶に油を移す際、相当量の雨水が溜まっていることに気が付かず、注いだ瞬間油が噴き上がり、腕と上半身の広い範囲に火傷を負ってしまうという事件があったのだ。しかも残念ねことに、彼はこれを気に退職してしまった。

「村尾さん、木代さんがフライヤーやったら大至急でスノコね」

こうしてアイドルタイムに突入すると、先ずは早番の締めの作業が行われていく。
グリル板磨き、チャーブロイラー磨き、そしてインサート交換等々。毎日毎度のことだけど、これをやらずして店は回らない。
同時に次のシフトへの準備も急ピッチで行なわれる。

「下地さん、ピザ1シートとクレオール8個、あとは解凍バターとカットレモンやっといて」
「ました!」
「それと小田さん、ヘルプの人がディッシュやってるんで、代わってあげて。一段落したら食事入っちゃおう」

ディッシュ(ディッシュウォッシャー)の仕事は大きく分けて、全自動洗浄機を使ってスピーディー且つ大量に進めていくものと、ひとつひとつをブラシで仕上げるふたつがある。
前者の対象は主にフロントで使うグラス、カップ、プレート、シルバー等々で汚れの度合いは低い。これに対して後者はキッチンで使う鍋類、炊飯釜、インサート等になり、強力にこびりついた油やソースを落とすのは、家事に慣れている主婦でも容易ではない。
ディッシュの方々は不慣れのせいで仕事のピッチが上がらないのは致し方ないが、ここの作業を早めなければフロントのサービスやキッチンのプリパレに支障が出てしまう。よって何が何でも滞ることは許されない。こんな時はBHまたはクックがフォローするしかないのだ。

その時だ、すのこ磨きを終え、汗びっしょりになった村尾が戻ってきた。

「終わりました」
「OK、そしたら木代さんと下地さん、交替でブレーク入って」
「ました」

デニーズで良く飛び交う“ブレーク”という言葉。これは休憩を意味する。因みにトイレへ行く時は“一分”と言う。
労働基準法に準じて社員の一日の拘束時間は9時間。この中に15分間のブレークが2回、30分間の食事休憩が1回で実働8時間となる。

エンプロイコーナーは、ブレーク中の人、上がった人、そして出勤してきた人達でごった返していた。特にランチピークを味わったMD達が、幾千の経験者さながらに、初出勤してきたMDに状況を語る様は見ていて愉快だ。

「どうでした?!」
「もー、大変。焦ってミスだらけ」
「私なんかお客さんに料理が遅いって怒られたわよ」
「やだー、怖い!」

喋る方も聞く方も真剣そのものである。

「あら、木代さんもブレークですか」

アイスコーヒーを片手に西峰かおるが入ってきた。

「休めるときに休まないとね」
「私、いきなりジュウニックなんですよぉ~」
「そりゃ大変だ」

ジュウニックとはフルタイム勤務時間帯12時~21時の略語で、この他にもクンロク(9時~18時)、ジュウイッパ(11時~20時)などがある。

「西峰さんのお家は近いの?」
「自転車で5分位です」
「そりゃ近くていい。この辺は夜になると真っ暗になるから怖いもんね」
「それじゃ、送ってくれます?!」

この一言で場は一気に盛り上がった。

「もてるね!」
「女性に送ってくれますって言われたら、普通、断れないわよね~」
「おいおいおい」

その時だ、私と交替で下地がブレークに入ってきた。

「ずいぶんと盛り上がってるじゃない」
「今ね、西峰さんが木代さんに家まで送って欲しいって爆弾発言したところなのよ」

この直後、ほんの一瞬だが、下地の顔が曇ったのを見逃さなかった。
これは気まずい。

「じゃ、お、俺、ブレーク上がりますね」

今日からスタートだが、何だか色々ありそうな気配。
さっ、気合い入れ直してディナーピークと対決だ!


「若い頃・デニーズ時代 15」への2件のフィードバック

  1. 待ってました。
    デニーズ日記。

    私がバイトしていたのは、東京多摩地区の某店舗。
    懐かしいです。

    私の店舗でも、恋愛はあったようですが、私は縁がありませんでした。

    1. こんにちは。
      そうですか、多摩地区の店舗でバイトなされていたのですね。
      私も同地区では6店舗を渡り歩きました。
      多摩は独立店舗発祥の地ですから、当時はずいぶんと力が入っていたようです。

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